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Kanon Short Story #14
プールに行こう4 Episode 22

 秋子さんが突然倒れた理由は、何者かのかけた呪いによるものだという天野の説明を受け、俺と名雪は天野の手助けを借りて、秋子さんの心の中に飛び込んだ。
 ところが、気が付いてみると、そこは幕末みたいな世界だった。
 まったく疑問も持たず、全てを忘れて、その世界のキャラクターとして生活を送る俺と名雪。だが、寝込みを襲ってきた浪人達から、俺と名雪が逃げまどっていたとき、いきなり空からあゆが降ってきた。そのあゆの姿を見て、俺達は今までのことを思い出すことができた。
 だが、この妙な世界は、いったい何なんだ……?

「それはね……」
 あゆが説明を始めようとした時だった。
「き、貴様、異人だなっ!」
「妖しげな術を使いおって! 伴天連の回し者っ!」
「斬り捨てろっ!」
 男達が刀を片手に殺到してくる。
 あ、そういえば、連中に追われてたんだった。
「名雪、なんとかしろっ!」
「わ、わたしに言われても……」
 珍しくおろおろする名雪。
 俺も名雪も、二人とも丸腰である。……それ以前に、俺、どうやって刀を使ってたんだ?
 さっきまでは当たり前のように使っていたのに、今はどうしてたのか全然思い出せない。
 それは名雪も同じ様子で、しきりに小首を傾げている。
「あれ? わたし、どうしたんだろ……」
 と、ついっとあゆが前に進み出た。
「ボクにまかせてよっ!」
「いやだ」
「うぐぅ……即答……」
 俺の返事に一瞬がっかりするが、すぐに立ち直ると、あゆはリュックにつけていた天使の人形を取って、掲げて叫ぶ。
「奇跡の力よっ!」
 カァッ
 眩しい光が辺りを包む中で、リュックの羽根がぶわっと広がった。……って、ええっ?
 その白い翼を広げ、あゆは空に舞い上がると、大きく右手を挙げて、振り下ろす。
「えーいっ!」
 次の瞬間、男達は悲鳴を上げて吹き飛び、そのまま光の粒になって消えていった。
「……はい?」
 非常識には慣れている俺も、これには絶句した。
 ふわり、と俺達の前に舞い降りてきたあゆは、くるりと一回転する。と、白い翼はもとのプラスチックの小さな羽根に戻った。
 さすがの名雪も、目をぱちくりさせていた。
「あゆちゃん、今の……」
「えっへへ〜」
 偉そうにない胸を張るあゆ。
「うぐぅ……。祐一くん、新世紀になっても、まだ言う〜」
「やかましい。そんなことより、なんだよ、今の?」
「えっと、……一応聞いたんだけど、ボクにもよく判らなかったよ」
「……」
 俺と名雪は顔を見合わせた。
 と、不意にあゆの背中のリュックがごそごそと動いた。
「あっ、いけない、いけない」
 ぽんと手を打つと、あゆはリュックを下ろして口を開けた。
 と、そこから黒猫がひょこっと顔を出す。
 ……猫っ!?
 慌てて名雪を見ると、案の定、たれ名雪と化していた。
「ねこ〜、ねこ〜っ」
「私が猫だって言うんですか? そんな酷なことはないでしょう」
 黒猫は、じろりと名雪を見て言った。
 ……って、猫がしゃべったぁ!?
 俺が驚いている間にも、たれ名雪は目をうるうるさせながら、じりじりと黒猫にしか見えないそいつに近づいて行く。
「ねこさん、祐一だよ〜」
「……逆だろ、逆っ!」
「うん、そうだよ〜」
 ……聞いちゃいねぇ。
 俺がため息をつくと、黒猫も俺達を見てため息をついた。
 と、その隙をつくように、名雪がその黒猫ごとリュックを、あゆから奪い取るようにして抱きしめていた。
「ねこ〜っ!」
「ふぎゃっ」
 さすが、陸上部で鍛えた瞬発力は伊達じゃない。
「わぁい、ねこさんねこさんねこさぁん」
 そのままぶんぶん振り回す名雪。
 ……あれ?
 そこで、俺は違和感に気付いた。
 普通ならこんなことしようものならくしゃみ鼻水鼻づまりでえらいことになるのだが、名雪はただたれているだけだった。
「名雪、アレルギーはどうした?」
「大丈夫だよ、ねこさんだもん」
 ぜんっぜん理由になってないが、よく考えたら秋子さんの心の中なんだから、それもありか……。
 秋子さんっ!
 俺は慌てて名雪の頭をげんこつで叩いた。
「名雪っ、しっかりしろ! 秋子さんが危ないんだぞっ!」
「あっ!」
 はっと、我に返ると、名雪は左手で頭を押さえた。
「でも、殴ることないと思うよ……。いたた……」
「それよりあゆ! どうなってんだよ、いったい!」
 聞き返そうと振り返ると、あゆはそこにいなかった。もう一度振り返ると、まだ名雪が右腕でしっかりと抱え込んでいるリュックに駆け寄っていた。
「わぁっ、美汐さん大丈夫っ!?」
 天野?
 そう言われてみれば、さっきのしゃべり方は天野だったような気がするけど……。
「ゆ、祐一くんっ! 美汐さんがぁっ!」
 あゆの慌てた声で引き戻された。
 さっきから名雪に思い切り抱きしめられてシェイクされていた黒猫は、リュックの中で目を回していた。

「……冗談抜きに、死んだお婆さんが花畑で手招きしているのが見えました」
「ごめんね、天野さん」
「……いえ」
 黒猫天野は首を振ると、リュックからごそごそと出てきた。そして、ぴょんとあゆの腕の中に入る。
「わ」
 うらやましそうな声を上げる名雪を視線で制して、俺は訊ねた。
「ところで、天野。まず聞きたいんだが」
「なんですか?」
 俺は、黒猫をしげしげと上から下まで見つめて、ぽつりと言った。
「……その格好、もしかしてヌード?」
 ばきどかばり
 名雪、あゆ、黒猫天野のジェットストリームアタックで、俺はその場に轟沈した。

「私の身体は、向こう……“現実の世界”を便宜上そう呼びますが、向こうで術を維持し続けています」
 とりあえず落ち着いたところで、天野は説明を続けた。
「術を維持している状態だと、お二人の様子が手に取るように、とはいかないまでも、ある程度は判ります。それで、お二人が罠に落ちたことが判ったんです」
「罠?」
 小首を傾げる名雪。
 天野はこくりと頷いた。
「お二人が、秋子さんを助けたい、と思っている限り、お二人は必ず秋子さんを助けられます。なぜなら、秋子さんの心を捕らえている呪いは、秋子さんの心と身体を蝕むことは出来ますが、お二人は秋子さんのものではないので、それが出来ないからです。それで、お二人が秋子さんの心の中に入ってきたことを察知した呪いは、お二人の意志の力を弱め、動けないように仕向けたんです」
「ちょ、ちょっと待って。それじゃまるで……」
 名雪の言葉に、天野は頷いた。
「はい。呪いは生き物です。それもとても賢い……。そうですね、一番わかりやすい例えをすれば、悪魔と言えばいいでしょう」
「あくま……」
 呟く名雪。あゆが情けない表情をする。
「み、美汐さんっ、悪魔は悪魔の話をすると寄ってくるから悪魔の話をしちゃダメだよっ」
「……思い切り連呼してますよ」
 指摘されて、泣きそうな顔になるあゆ。
「わぁっ、ボ、ボクどうなるんだろ?」
「なるように」
「うぐぅ……」
「それじゃ、さっきまでのは、悪魔さんがわたしたちを誘い込んだ罠だったんだね」
 納得したように名雪は頷いた。……どうでもいいが、悪魔にまで「さん」を付けるなよなぁ。
「このままでは、お二人はこの世界でいつまでも遊んで……いえ、遊ばされていたでしょう。そこで、私はあゆさんにお願いしたんです」
「えっへん、お願いされましたっ」
 また胸を張るあゆ。名雪はそんなあゆを見て小首を傾げた。
「でも、確か、あゆちゃんは、お母さんの心を壊しちゃうからダメだって……」
「ええ。ですからずっと秋子さんの心の中に入っているわけにはいかないです。すぐに戻らないと。でも、こういう状況では一番適任でしたから」
「そうなんだよ。ボク、適任ですっ」
「……」
 無言でじろっとあゆを睨む天野。あゆはうぐぅとうなだれた。
「ごめんなさい。説明続けて……」
「……お二人は完全に、悪魔の張った罠であるこの世界、……便宜上、“夢”と呼びますが、その夢に飲み込まれていた状態でした。そのままでは、これが夢だと気付くこともなく、ずっとここで過ごすことになっていたでしょう。こうなった状態では、術を解いてお二人を引き上げる、ということもできません。方法は一つ、夢を破壊することです」
「夢を、破壊?」
「はい。そしてそれができるのは、あゆさんだけでした。あゆさんは、7年間眠り続けた間に、現実の一部を自らの夢で浸食させていたほどの心の力を持っています。そんなあゆさんは、この世界では、言うなれば無敵の存在となり得ます。この世界そのものを破壊できるほどの存在に……」
 なるほど、さっきのあれは、そういうことか。
「それで、天野さんは? どうして猫ぉ〜……に?」
 猫、と自分で言って、一瞬あっちの世界に行きそうになったが、なんとか自力で戻ってくる名雪。さすがに秋子さんのことだけに、そんな場合ではないという自覚があるらしい。
「私自身は、今も、さっき言ったとおり向こうにいます。あゆさんを経由して、お二人に話しかけている、と思ってください。つまりこの姿も、あゆさんが造り出しているんです」
「えっと……、ほら、魔法少女に黒猫ってつきものだから」
 誰が魔法少女だ、誰が?
 ……そんなことよりも。
「ん〜っ、んん〜っっ!」
 ばったんばったん
「あ」
 俺が呻きながらのたうって、全身で抗議していると、名雪が俺の方を見た。そしてあゆに言う。
「あゆちゃん、そろそろ祐一も許してあげようか」
「うん。美汐さんもいい?」
「私としては、黙ってもらっていたほうが説明しやすいのですが……。まぁ、邪魔しないなら」
 こくこくと頷いて邪魔しないことをアピールする俺。
 あゆは笑顔で俺の身体を簀巻きにしていたロープに手を乗せた。
「わん、つー、すりーっ」
 ぽん、とロープと猿ぐつわが消え、俺は大きく息を付いて立ち上がった。
「死ぬかと思った……」
「祐一くんが変なこと言うからだよっ」
 ぽかっ
「うぐぅ……、痛い……」
 とりあえずあゆの頭を一発叩いておいて、俺は黒猫に向き直った。
「とりあえず事情は判った。で、これからどうすればいい?」
「どこかにいる呪いの本体から、秋子さんを解放する。それが目的ですよね」
「もちろんだよ」
 大きく頷く名雪。
 天野は言葉を続けた。
「先ほどから言っている通り、ここは、心の中。つまり、意志が力を持ちます。秋子さんを助けたい、と強く願えば、その意志の力で道は開けるはずです。それ以上は私にも、なんとも言えませんが……」
「それだけ判れば大丈夫だよ」
 自信ありげに頷く名雪。
「一生懸命、お母さんが良くなるようにって思っていればいいんだよね?」
「はい」
 こくりと頷く天野。
「でも、また同じように、変な世界に閉じこめられたりしないか?」
 俺の質問に、天野は首を振った。
「いえ、それはないでしょう。同じことをやっても、あゆさんがいる以上通用しないわけですから、使うとすれば、別の手を使ってくるでしょう」
「別の手、ねぇ」
「はい。それと……、おそらく次の手が最後の手になると思います」
「どうして?」
「……時間がないからです。向こうにとっても……」
「時間がない?」
「はい。意志の力がはっきりしていれば、遅かれ早かれ、お二人は秋子さんの元にたどり着きます。もう呪いが介入できるチャンスも1度くらいしかないでしょうから……。頑張ってください」
 天野がそう言ったとき、不意にみしっと何かがきしむような音がした。
「な、なんだ、今の?」
「わたしにもわかんないよ〜」
 うろたえる俺達を無視し、天野は周囲を見回した。
「そろそろ限界ですね。それじゃあゆさん、戻りますよ」
「えっ、もう?」
「はい。これ以上は秋子さんの心が保ちません」
「……うん、わかったよ。祐一くん、名雪さん、秋子さんをよろしくね」
 あゆは俺と名雪の肩を叩くと、ふわりと羽根を広げた。
 光の羽根が舞い散るなか、黒猫を抱いたあゆがゆっくりと上昇していく。
 なんか、バックに「これはイメージ画像です」とテロップが入ってるような気がする映像だった。
「なんだか、あゆちゃん、本物の天使みたいだね」
 隣でそれを見上げていた名雪も、そう言った。
 俺は苦笑した。
「ま、中身はあゆだけどな」
「……くしゅん」
 微かにくしゃみが上から聞こえたが、無視して名雪に尋ねる。
「さて、これからどうする?」
「うーん、どうすればいいんだろ? でも、どうにかしないと、お母さんを助けられないんだよね」
 真面目な顔になって考え込む名雪。そして、不意に俺を見た。
 と、その顔がぐにゃりと歪んだ。あれ、と思ったのも束の間、俺の意識がすぅっと薄れていく。
「名雪……」
 どさっ、と名雪の倒れる音が、微かに聞こえたような気がしたのが、俺が最後に覚えていることだった……。

Fortsetzung folgt

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あとがき

 半月ばかり何も書いてませんでしたが、そろそろ仕事始めかな、というわけで(笑)
 はやいもんで21世紀になりましたが、人間なんてそうそう変わるもんじゃぁありませんよね。

 プールに行こう4 Episode 22 01/1/9 Up

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