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「お疲れさまでした〜」
Fortsetzung folgt
「……お疲れ」
いつも通りの佐祐理さんと舞の声に送られながら、俺と北川は倉田道場から出てきた。
ちなみに舞はこの道場に住み込みである。
「うーっ、今日もしごかれたなぁ」
首をコキコキと鳴らしながら言うと、北川はにやりと笑って俺に言う。
「どうだ、相沢。この後ちょっと遊びに行かないか?」
「遊びって?」
「もちろん、吉原」
「……お前、香里一筋じゃなかったのか?」
訊ねると、北川は真面目な顔になって俺の肩に手を置いた。
「相沢、良い言葉を教えてやろう」
「良い言葉?」
「それはそれ、これはこれ」
俺は北川の顔をまじまじと見つめ、それから右手を堅く握った。
「同志!」
「おう。それじゃ行こうぜっ」
「あはは〜っ」
「おう、佐祐理さんも行くのか……って、うわぁっ!」
「さ、佐祐理さんっ!?」
俺達は思わず飛び上がった。それから慌てて振り返ると、いつものように笑顔の佐祐理さんと、こちらもいつものように仏頂面の舞がそこにいた。
「どどどどど、どないしたんや姉さん達っ……」
みっともない取り乱しようの北川を見て、俺は逆に落ち着いてしまった。
「落ち着け北川。で、お二人さんはどうして?」
「はい。佐祐理は、ちょっと越後屋さんにお使いです」
手にした風呂敷包みを掲げて見せる佐祐理さん。
「なるほど。舞はその護衛か」
「……」
無言でこくりと頷く舞。
「舞がついているなら問題はないと思うけど、一応気を付けてな」
「はい。祐一さんも、あんまり遊びすぎると舞に刺されちゃいますから気を付けてくださいね〜」
びしっ
赤くなった舞が佐祐理さんの顔面に手刀を振り下ろしていた。
俺は後頭部に汗をかきながら、佐祐理さんに頭を下げた。
「肝に銘じます」
「それでは佐祐理達はこれで失礼しますね〜」
そう言って、ぱたぱたと歩いて行く佐祐理さん。と、立ち止まって振り返る。
「舞〜っ、どうしたの?」
「……祐一」
不意に舞がぼそっと呟いた。
「ん、どうした?」
「……あまり、遊ばないで欲しい」
そう言うと、くるっと佐祐理さんの方に向き直って、すたすたと歩いていく。
「あっ、舞? どうしたのっ? あ、それでは〜」
そのまま佐祐理さんを追い越して行く舞を、俺達に一礼して佐祐理さんが追いかける。
それを見送ってた俺の背中を、北川がどんと叩いた。
「いやぁ、旦那もすみに置けませんなぁ。それにしても、あの堅物の師範代をどうやって落としたんだ?」
「……俺にもいまいちわからん」
俺が答えると、天を仰いで慨嘆する北川。
「なんてこんな奴がみんな良いんだか……」
「みんなってなんだよ」
「美坂の妹だってお前に惚れてるじゃないか。それに同居してる水瀬さんの奥さんも、名雪ちゃんも可愛いし。くっそぉ、代われるもんなら代わりてぇよ〜」
「……天下の往来の真ん中で泣くなよ」
「くっそぉ。せっかくだから俺はこの吉原の門をくぐるぜっ。止めるな相沢っ」
そう言ってすたすたと歩いていく北川。仕方なく俺はその後を追いかけようとした。
「あら、こんな時間から吉原とは、良いご身分ね」
「げっ!」
素っ頓狂な声を上げて、今度こそ硬直する北川。
俺が振り返ると、包みを抱えた香里が俺達をじろりと睨んでいた。
「あたしは、北川くんが遊郭に行こうと島流しになろうとどうでもいいんだけど、相沢くんには栞がいるでしょう?」
「み、美坂ぁ〜」
後ろでだぁーっと涙を流している北川は無視して、俺は肩をすくめた。
「俺は風のように生きるのさ」
「あら、そう。それじゃ秋子さんにもそう言っておいてあげるわね。きっと、本当に風になれるわよ」
「ごめんなさい」
素直に謝ると、香里はふぅとため息をついた。
「それにしても、栞もこんな人のどこがいいんだか」
「余計なお世話だ」
「余計なお世話じゃないわよ」
香里は、ふっと微笑んだ。
「あたしの妹なんだから」
「……」
一瞬、妙な感覚に捕らわれて、俺は口ごもった。
「相沢くん?」
「あ? ああ……、なんでもない」
「……まさか、あなた達、秋子さんのあれでも食べたんじゃないでしょうね?」
「まさか。アレを食えるわけが……。え? あなた達って?」
俺が聞き返すと、香里は肩をすくめた。
「名雪も、今日ちょっとおかしかったのよ」
「名雪がおかしいのはいつものことだろ?」
「まぁ、そうなんだけど……」
「二人ともひどいよ〜」
「なんだ、いたのか名雪」
名雪はぷっと膨れた。
「祐一嫌い。わたし、ずっと香里の横にいたもん。ね、香里?」
「……名雪、いつからいたの?」
「香里も嫌い〜」
本格的に拗ねそうだったので、俺はとりあえず話題を変えることにした。
「で、名雪がどうしたんだ?」
「さっきの相沢くんと同じよ。急に口ごもったり、ぼけっとしてたり」
「……いつもどおりじゃないか」
「いつもよりもひどいのよ」
「……二人とも、わたしの悪口言ってる?」
名雪が不満そうに口を尖らせた。
「わたし、そんなにぼけっとしてないもん。でも……」
そこで眉をひそめる。
「なんだか、変な感じがするの。何か忘れてるような……」
「名雪もか?」
「祐一もそうなの?」
俺と名雪は顔を見合わせた。
香里が割って入る。
「はいはい。二人が仲が良いのは判ったけど、あんまりひっつかないの」
「わっ、香里ったら。わたしと祐一はそんなんじゃないよ〜」
……真っ赤になって反論しても余り説得力はないと思うぞ、名雪。
香里はため息をついた。
「まぁ、相沢くんの方にいまいちその気がないからいいけど。あ、でもそう言えば、栞にもなびいてくれないわよね。まさか他に好きな人がいるとか?」
「倉田道場のお嬢さんとも仲がいいんだよね。それに、師範代の川澄先生も美人だし」
名雪が口を挟んだ。香里が呆れたように肩をすくめる。
「自覚してるんだかしてないんだか……」
「ところで、二人揃ってるってことは、手習いの帰りか?」
またやばい方に話が行きそうになったので、話題を変える俺。
名雪がのんびりと頷く。
「うん、そうだよ。祐一達も帰るの? だったら一緒に帰ろうよ。百花屋でいちご食べよう」
「……まぁ、そうだな」
名雪の目の前で堂々と吉原に行くのも後々まずそうなので、俺は今日は妥協することにした。
「そんなわけで、俺は名雪達と帰るわ……。って、北川?」
振り返ると、北川の姿は無かった。
香里が言う。
「北川くんなら、さっき泣きながらあっちの方に走っていったわよ。なんか、修行するんだ〜っとか言って」
「……何の修行をするんだか」
俺は、北川の走っていった方向を眺めて苦笑した。ちなみにその方向にあるのは道場ではなくて吉原である。念のため。
「ほんと。男らしくはっきりしてくれないと、あたしだって……」
そう呟きかけて、香里ははっと気付いて咳払いする。
「こほん。さ、行くわよ名雪」
そのまますたすたと歩いていく香里。
「わ、待ってよ香里〜。ほら、祐一も行こうよ」
名雪が俺の腕を掴んで引っ張った。
「判ったから引っ張るなっ。羽織の袖が伸びるっ」
「伸びないよ〜」
やれやれだな。
俺は苦笑して、二人の後についていった。
百花屋ののれんをくぐって外に出ると、もう夕焼けも消えかけ、辺りはうす暗くなり始めていた。
「はふぅ。満足だよ」
満足そうなため息をつく名雪。
「……そりゃあれだけ食べれば満足だろうよ」
「ほんとにね」
俺と香里は顔を見合わせて苦笑した。それから、俺は空を見上げた。
「こんな時間になって、秋子さん、心配してるんじゃないか?」
「うん、そうだね」
「栞も心配だし。ちょっと急ぎましょうか」
「ああ」
俺達は頷き合い、急ぎ足で長屋に向かった。
長屋の近くまで来たところで、不意に名雪が足を止めた。
「名雪?」
行き過ぎかけて振り返ると、通りの向こうから数人の浪人風の男達がやって来るのが見えた。
「ちょっと名雪、何してるのよっ」
慌てて香里が名雪を引っ張り寄せ、そのまま長屋の影に身を隠す。
最近、どうも物騒な世の中で、ああいう連中が力にものをいわせて乱暴を働くという話はよく聞いていた。俺なんかはともかく、名雪や香里は目を付けられてそのまま連れて行かれかねない。
俺は、2人の身体を隠すようにその前に立って、男達が行きすぎるのを待った。
幸い、男達は俺には目もくれずに何か仲間内で話に夢中になっていた。
「……で、うまくいったのか?」
「ああ。ちょっと捕まえるときに引っかかれたけどな」
「子狐に引っかかれて怪我したのか? 情けない奴だな」
「殺したのか?」
「まだ。まぁ、巫女さんの、目の前で殺してやるのもいいだろ?」
「あの澄まし顔がどうなるか、見物だな」
「その前に、子狐の命を盾に脅して、いろいろやらせるのもいいな。へへへ」
「あの女、子狐を可愛がってるからな。で、ちゃんと呼び出したか?」
「ああ、投げ文を神社に放り込んで置いたからな」
男達は、笑い声を上げながら、歩き去っていった。
「た、大変だよ、祐一っ」
名雪が顔を出して、俺の袖を引っ張る。
「あれって、天野さんと真琴のことだよね?」
「ああ。この辺りで子狐を可愛がってる巫女さんなんて、天野しかいないからな」
「わたし、追いかけるっ」
「落ち着きなさいよ、名雪! あなたが追いかけてもどうしようもないでしょ」
そのまま追いかけていきそうになった名雪の襟首を、香里が掴む。
「でも、狐さんが……」
……天野はいいのか? なんてツッコミを入れてる場合じゃなさそうだな。
よし。
「香里、番屋にひとっ走り行ってくれないか? お役人が動いてくれるかどうかはわからんけど、とりあえず説得してみてくれ」
「ええ」
「名雪は倉田道場に行ってくれ。佐祐理さんに話したら力になってくれるはずだ」
「祐一は?」
俺は、男達の歩き去った方向を見つめて、答えた。
「俺は連中を追いかける」
「大丈夫なの?」
香里が心配そうに訊ねた。名雪も心細げに俺の顔を見ている。
「大丈夫。それより、そっちは任せたぞ」
「うん。気を付けてね」
頷くと、名雪は走り去った。香里も小走りに番屋の方に向かっていく。
俺は向き直ると、男達の後を追いかけた。
町を少し外れた、畑の脇にある農具を入れておくための小屋に男達は入っていった。扉もなく、入り口にかけてあるむしろの隙間から灯りが見える。
さて、と。
俺は左右を見回した。人影は、なし。
小屋の中から時折馬鹿笑いが上がっているところから見て、どうやら中で酒でも飲んでいるらしい。
好都合だな。
足音を忍ばせて、小屋に近寄ると、むしろの隙間から中の様子を窺う。
一番奥の柱に、子狐が荒縄で縛り付けられているのが見えた。
間違いなく、天野が可愛がっている子狐の真琴だった。
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あとがき
急に寒くなってきて大変ですね(苦笑)
プールに行こう4 Episode 20 00/11/29 Up