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「……ん」
Fortsetzung folgt
ゆっくりと意識が覚醒してゆく。
俺は目を開けた。
見慣れてきた天井の化粧板が見える。でも、色がいつもと違う。
ここは……俺の部屋か?
でも、天井は白いはずなのに、オレンジ色ってことは……?
窓の方を見ると、外はオレンジ色だった。
……そっか。名雪を連れて帰ってベッドに寝かせてから、俺も自分の部屋に帰って一眠りしてたんだっけ。
身体を起こして、大きく伸びをした。それから時計を見る。
思った通り、もう夕方になっていた。
扉越しに、微かに階下の音が聞こえてくるところからして、あゆ達も学校から帰ってきているらしい。
俺はベッドから下りると、上着を引っかけてドアを開けた。
名雪の部屋のドアを開けて中を除くと、静かな寝息が聞こえた。どうやら名雪はまだ眠っているらしい。
そっとドアを閉め、俺は階段を降りていった。
リビングのドアを開けると、いつものメンツが揃っていた。
あゆが、真っ先に俺に気付いて声をかけてくる。
「あっ、祐一くん。おはようっ」
「よう」
片手を上げて返事をすると、それで気付いたらしく、テレビを見ていた真琴が、だだっとこっちに駆け寄ってくる。
「祐一ーっ!」
「おお、真琴っ。元気そうぶっ」
いきなり殴られた。そのまま唾を飛ばしながら喚く。
「元気そうじゃないわようっ! 昨日はひどい目にあったんだからねっ!」
「いてて。俺が何をしたって言うんだ?」
言ってから思い出した。
「あ、そっか。舞に可愛がってもらったか?」
「思い切り可愛がった」
向こうのソファに座っていた舞がそう言うと、真琴は昨日の恐怖がぶり返したらしく、慌てて俺の後ろに隠れた。そこから舞に向かって拳を振り上げてみせる。
「ぜっ、ぜんっぜん怖くなんかないわようっ!」
「……そう言うなら俺の影から出てから言えよ」
「あ、あう〜っ」
あ、尻尾を両足で挟んでる。
しかし、真琴がここまで怯えるとは、舞は一体どういう可愛がり方してたんだ? もしかして昨日は抱き枕にでもしてたのか?
「はいはい。とりあえず、朝の話はあゆちゃんから聞いたわ。ちゃんと先生にも話を通しておいたから、さぼりとは思われてないはずよ」
香里が、肩をすくめながら言った。俺は礼を言った。
「悪いな、香里」
「まぁ、クラス委員の仕事だしね」
俺はその隣で膨れている栞に視線を向けた。
「それで、どうして栞は怒ってるんだ?」
「怒ってなんかいませんっ。そんなこと言う人嫌いですっ」
ぷいっとそっぽを向く栞。香里は苦笑しながらその頭を撫でた。
「誰かさんが名雪に構ってばっかりだから、焼き餅焼いてるのよ」
「違いますっ」
さらに首を曲げて、完全に後ろを向いてしまう栞。
「……私は、自分が嫌いになっちゃっただけですっ」
「栞?」
「だって……」
振り返る。
「これでよかったんだって思ってるんですから、私」
その表情は笑顔だった。
俺は首を傾げた。
「なんだ、それ?」
「わからないなら、それでいいんです」
「はぁ……。あれ?」
不意に違和感を感じて、リビングを見回して、俺はその違和感の原因に思い当たった。
「佐祐理さんは今日は来てないのか?」
「倉田先輩は、あとで来るって言ってたわよ。卒業式のこととかで、先生のところに行かなくちゃいけないとか言ってたわ」
香里が答える。そういえば、卒業式で答辞を読むんだったっけ。
「なるほどな」
「……あとで来るって」
「遅いっ!」
びし、と舞にツッコミを入れると、舞は額を押さえた。
「祐一、痛い」
「いや、まぁそう素で返されても俺も困るんだが」
「……?」
俺はソファに座ると、あゆに訊ねた。
「で、俺が寝てる間に病院から何か連絡でもあったか?」
「ううん」
首を振ると、あゆはつけ加えた。
「今、天野さんが病院に行ってるんだよ」
「天野? あ、そういえばあいつもいないな」
「祐一、美汐のこと忘れてたんだ〜っ。言いつけてやろーっと」
嬉しそうにはしゃぐ真琴。
「べ、別に忘れてたわけじゃないぞ。ただ、影が薄いから気付かなかっただけだ」
「あう、それはそうかもしれないけど……」
「相変わらず相沢さんは失礼ですね」
「……へ?」
俺と真琴は、同時にリビングの入り口に視線を向けた。
「こんにちわ。それともおはようございますの方がいいですか?」
そこに、天野が立っていた。今来たばかりらしく、手には鞄を提げたままだった。
「いや、それはどっちでもいいんだが……。病院に行ったって、秋子さんの見舞いか?」
「まぁ、似たようなものです」
そう言うと、天野はたたっと駆け寄っていった真琴の頭を、空いている方の手で撫でながら、ソファに腰を下ろした。
そして、俺に視線を向ける。
「相沢さん。水瀬さんのことですが、……あれは病気ではありませんよ」
「……はい?」
「なんだって、天野?」
「水瀬さんの症状は、病気に酷似していますが、病気ではありません。ある種の呪いです」
天野はいつもと同じように淡々と言った。
「呪い? 何を馬鹿げた……」
一笑に付そうとしたところで、真琴の姿を見て思い直す。
俺の回りには、常識では計り知れないことの実例が、それこそ展覧会に並べられるくらいあったからだ。
「呪いって、どういうこと?」
とりあえず一番の常識人と自他共に認める香里が聞き返す。
「呪いは呪いです」
あっさりと答える天野。
そういえば、天野は確か魔物ハンターだったんだよな。そういうことに詳しいわけだ。
「それで?」
俺は先を促した。
「呪いって言うんなら、それを解く方法だってあるんだろ?」
「はい」
天野は頷いた。それから、俺達の顔を見回した。
「少し説明が長くなりますが、よろしいですか?」
と、その時チャイムの音が聞こえた。
ピンポーン
「あ、ボクが出るよっ」
あゆが立ち上がって、リビングを出ていった。そして、すぐに戻ってくる。
「佐祐理さんだよっ」
「お邪魔しますね〜」
そう言いながら、佐祐理さんが続いてリビングに入ってくる。
俺は天野の方を見た。珍しく少し慌てて天野が弁明する。
「私もちゃんとチャイムは鳴らしましたよ」
「……まぁ、いいか。とりあえず佐祐理さん、お役目御苦労さん」
「ふぇ?」
首を傾げる佐祐理さん。
「あれ? だって、卒業式のことで先生に呼ばれてたんだろ?」
「あ、ああ、そうです、はい」
こくこくと頷く佐祐理さん。……なんか嘘っぽいけど、でも佐祐理さんが嘘を付く必然性がないしなぁ……。
「それより、秋子さんはお加減いかがですか?」
佐祐理さんに聞き返されて、俺はとりあえず疑問は頭の片隅に放り込んでおくことにして答えた。
「とりあえず、そのことについて天野が説明してくれるらしいぞ」
「ええ、まぁ」
「わかりました。天野さん、教えてくださいね」
そう言いながら、舞の隣りに腰掛ける佐祐理さん。
天野は頷いた。
「それでは……」
「呪い、といっても色々とあります。たとえば……この子が人間になったのも呪いの一種と言えなくもありません」
真琴の頭を撫でながら言うと、天野は視線を舞に向けた。
「また、川澄先輩が夜の学校で戦い続けなければならなかったのも、呪いと言えるでしょう」
「要するにどういうことだ?」
じれったくなって俺が口を挟むと、じろっと睨まれた。
「相沢さんはせっかちですね」
「天野さんには悪いけど、秋子さんの状態を考えると、ゆっくり説明を聞く気にはなれないのはわかるわよ」
香里が口を出した。天野はため息をついた。
「それでは、細かい説明はあらためていずれ。率直に言います。水瀬さんの状況が呪いによるものであることは間違いないです。そして、呪いである以上、病院に入院したところで良くはなりません。医学的療法で多少呪いの進行を遅らせることは出来るかも知れませんが、それでも限界はあります」
「それじゃ、このままじゃ……?」
「ええ。遅いか早いかの違いしかありません」
俺は絶句した。そして、名雪がまだ寝ていることに感謝した。
「天野さん、そんな言い方って……」
「すみません。でも、もってまわった言い方を拒んだのはそちらですよ」
「それは……そうだけど……」
何も言い返せない香里。
と、そこまで黙って聞いていた佐祐理さんが、天野に話しかけた。
「でも、何か秋子さんを助ける方法は、あるんですよね?」
「佐祐理さん?」
俺に向かってウィンクする佐祐理さん。
「天野さんは優しい人ですから」
「……えっと」
おお、珍しい。天野が照れてる。
「あの、……こほん。とにかく、方法はあります」
いつもの俺なら天野をからかっているところだろうけど、その時の俺は、ただ先を促した。
「どういう方法だ?」
「呪いをかけている相手が判れば、別の方法がいろいろとあるんですが、それを捜している余裕もないですから……」
「から?」
「水瀬さんにかかっている呪いの方を直接解きます」
「……簡単に説明してくれ」
「直接、水瀬さんの心の中に入って、水瀬さんを捕らえている呪いから水瀬さんを解き放つんです」
「……簡単に、って言った俺が悪かった。もう少し判るように説明してくれ」
ため息をついてから、天野はその場にあった湯飲みを見た。あゆが立ち上がる。
「美汐さん、ボクがお茶入れてきてあげるよっ!」
「待てあゆあゆっ、そこを動くなっ!」
「えっ?」
言われたとおりに動きを止めるあゆ。俺はほっと一息ついてから、栞に声をかけた。
「……栞、頼んでいいか?」
「祐一さんのご指名なら、仕方ないですね」
頷いて立ち上がる栞。
「うぐぅ……。ボク、この場をどうしていいのかわからないよ……」
あゆは涙目になっていた。
「とりあえず座れ」
「う、うん……」
頷いて座るあゆ。
しばらくして、栞が湯飲みを持って戻ってきた。
「お待たせしました。美坂栞特製の健康茶ですっ」
そう言って天野の前にとん、と湯気の上がる湯飲みを置く。
「……まさか青汁とか入れてないだろうな?」
「あ、その手もありました」
「栞〜っ」
「冗談ですよ。天野さんはライバルじゃありませんから」
いや、それはそれで問題発言のような気がするぞ。
さすがに天野も警戒したのか、試験管に入れた酢酸の臭いを嗅ぐときのように、手で扇いでみたりしている。それで安全を確認したのか、両手で湯飲みを持って、こくりと中の液体を一口飲んだ。
「……美味しいです」
「ほら、大丈夫じゃないですか。祐一さんもいかがですか?」
「ああ、そうだな。もらおう」
「判りました」
頷いてキッチンに戻る栞。その後ろ姿を自慢げに見送る姉。
「それはともかく」
コト、と湯飲みを置いて、天野は話を元に戻した。
「呪いの効果というものは、まず精神、つまり心に影響を及ぼします。そして、それが肉体を蝕んでいくのです。ですから、心から呪いの影響を除けば、身体も元に戻るわけです」
「ふむふむ。それで?」
「心から呪いの影響を除く方法は一つ。その人の心の中に入り、直接その呪いと対決してうち破るしかありません」
「そこがわからん。他人の心の中に入るなんてことが出来るのか?」
「できますよ。相沢さんも体験しているはずです」
「へ?」
俺は額に指を当てて考え込んだ。
「……そんなことしたことあったっけ?」
「ええ。確か、相沢さんは、川澄先輩の“ちから”と会話したと言ってましたよね」
「あ……」
幼い頃の舞の姿をした“ちから”と、確かに何度か話をしたことがある。
そうか、あれは舞の心の中ってわけか。
「もちろん、普通の状態では、そのようなことは出来ませんけれどもね。それだけ川澄先輩は相沢さんに心を許しているっていうことです」
いつもの調子で淡々と言う天野。俺は思わず舞に尋ねた。
「そうなのか、舞?」
ずびしっ
赤くなった舞の返事はちょっぷだった。
「いてて。と、とりあえず心の中に入る事が出来るのはわかった。でも、秋子さんの心にも入ることができるのか?」
「普通の手段では無理です。ですが、他人の心の中に精神だけ入り込む術があります」
「術、ね……」
うさんくさいといえばうさんくさいが、天野が普通では考えられないような術を使うのも見ているし、天野がこんなところで嘘をつくような奴じゃないのもよく知ってる。
「それじゃ、天野がその術を使って秋子さんの心の中に入って呪いを解いてくれるわけだ」
「いえ」
あっさりと首を振る天野。
「この術は、術を使う本人とは別の人が必要なんです。術を維持しなければ、心の中に入った人が帰ってこられなくなりますから。ですから、私以外の人に、秋子さんの心の中に入ってもらうことになります」
「要するに、秋子さん救出チームを編成しろっていうことね」
「ええ」
香里の言葉に天野は頷くと、俺達を見回した。
俺はおそるおそる、聞き返した。
「……ひょっとして、俺達に行けと?」
「はい」
相変わらず、天野の言葉は簡潔で、それ故に聞き間違いようが無かった。
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