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「今日はちょっと張り切ってみました」
Fortsetzung folgt
ダイニングには人数的に納まりきらないので、リビングで取ることになった夕食を前に、秋子さんはいつものように明るく告げた。
「おお、さすが秋子さん。あゆにはとてもできないな」
「うぐぅ、そんなこと……ちょっとあるかもしれないけど……」
あゆがしぶしぶ認めるほどの料理であった。
「はぇ〜、やっぱり秋子さんってすごいんですね〜。これは舞も負けられませんね」
「はちみつくまさん」
「私も負けられないです」
「そういうことは、せめてカレーを食えるようになってから言ってくれ」
「えぅ〜。そんなこと言う祐一さん嫌いです〜」
「……相沢くん」
「わぁっ、そのオレンジ色の目はやめろ香里っ!」
「はうっ! あう〜っ、これ熱い〜っ」
「真琴、みんなまだ、いただきますをしてませんよ」
「相変わらず天野はおばさんくさいな」
「……相変わらず相沢さんは失礼ですね」
「くー」
「わっ、さっきからしゃべってないと思ったら、名雪さん寝てるよっ!」
「あゆ、そのカチューシャで名雪を攻撃しろ」
「うぐぅ、嫌だよ」
「はいはい、ちょっとそこどけてね」
鍋を運んできた秋子さんに言われて、あゆと栞がテーブルの上の皿を避けて場所を作る。
「はい、秋子さん」
「ありがとう、2人とも」
そう言って鍋を置くと、秋子さんは額に手を当てた。
「……秋子さん、どうかしたの?」
「えっ? ううん、なんでもないわよ」
あゆにそう言って微笑む秋子さんは、いつもと変わらないように見えた。
「あ、取り皿がないのね。ちょっと待っててね」
言い残して、キッチンに戻っていく秋子さんの後ろ姿を見送るあゆ。
俺はその頭に手を伸ばした。
「どうした、あゆあゆ?」
「うぐぅ、あゆあゆじゃないもん」
そう答えると、あゆは小さな声で俺に耳打ちした。
「秋子さん、ちょっと元気ないみたいに見えたんだよ……」
「気のせいじゃないか?」
「……うん、多分そうだよね」
あゆは頷いた。と、反対側から真琴が俺の耳を引っ張った。
「またあゆあゆが〜。真琴もやるぅ〜〜っ!!」
「わっ、なにするんだマコピー!」
「誰がマコピーよっ!!」
「……しらたきさん、嫌いじゃない」
一方、既に騒ぎをよそに、もくもくと食べ始めている舞だった。
「あっ、舞。こっちに卵あるから」
「……うん」
相変わらず、舞の世話を焼く佐祐理さんは嬉しそうだ。
「なんか、こうして見てるとさ……」
「はい、なんですか、祐一さん?」
「佐祐理さんって、舞のお嫁さんみたいだな」
がしゃ
「はぇ〜、そう見えますかぁ?」
佐祐理さんは手にした箸を取り落とすと、かぁっと赤くなった頬を手で挟む。
「で、でも、やっぱり舞も女の子だから、佐祐理がお嫁さんにはなれないですよ。ね、舞」
「はちみつくまさん」
「それじゃ、舞がもし男だったら?」
俺が訊ねると、佐祐理さんはさも当然とばかりに答えた。
「それでも、きっと佐祐理がお嫁さんにはなれないですよ」
「どうして?」
「だって、舞が男の子だったら、こんな格好良い人、他の女の子がほっとくわけないじゃないですか」
そう言って笑う佐祐理さん。
確かに、舞が男だったら、女の子に人気が出そうだしなぁ。
「今でも舞さん、私達1年の女子の間じゃ、結構人気あるんですよ」
栞が水菜を口に運びながら言った。
「ホントか、栞?」
「はい。ほら、舞さんって凛としてるじゃないですか。クールそうなところがたまらないんだそうですよ」
俺が訊ねると、栞はこくこくと頷いた。俺は腕を組んだ。
「そうなのか〜」
「……佐祐理、卵」
「あ、はいはい」
自分のことが噂になっているのに、我関せず、という感じの舞だった。
俺は名雪の方を見た。名雪はレンゲで湯豆腐をすくっては口に運んでいた。
「……うにゅ、豆腐美味しい……」
寝ているのか起きているのかよく判らない、微妙なところだった。
一方あゆはというと、同じく湯豆腐を前にして涙ぐんでいた。
「うぐぅ……熱くて食べられない……」
「あゆあゆ、こんなのも食べられないんだ〜。見てなさいようっ」
何故か対抗意識を燃やして、真琴が大きく豆腐をすくって口に入れる。と、見る間にかぁっと真っ赤になった。
「……真琴、一度口に入れたものを出すのは行儀が悪いですよ」
「ふぁ、ふぁふぅぅ」
美汐にツッコミを入れられて、頬張った湯豆腐を出すに出せなくなった真琴。あ、泣きそうになってる。
「ふぁふふぃふぃ」
「まぁまぁ。ほら、これでも呑め」
俺はコップに入っていた水を差しだした。真琴は慌てて両手でひったくるとごくごく飲み干して、今度こそ泣き声を上げる。
「あう〜っ、口の中が熱い〜っ」
「これで焼きそばに続いて湯豆腐も真琴のトラウマになったなぁ」
「困ったものですね」
平然と頷く天野。
「でも、こうやって色々と覚えていくものなのですから」
「うむ、天野がそう言うと説得力有るな」
「……気のせいか、誉められた気がしないのですが」
「真琴ちゃん、大丈夫? 口あーんしてみて」
あゆがお姉さん振りを発揮したいらしく、真琴に話しかけている。真琴はちらっと天野を見た。そして天野が頷くのを見てから、おずおずと口を開けた。
「あ〜」
「あ、やっぱり赤くなってるね」
「そりゃ口の中は最初から赤いぞ」
「うぐぅ……、そんなことないもん……」
「とにかく、火傷したときにはひたすら冷やすのが一番だ。というわけで台所に行って水でも飲んで来い」
俺が言うと、真琴はこくこくと頷いて、台所に走っていった。
「それにしても、真琴を心理的トラップにかけて葬り去るとは、なかなかやるな、あゆあゆ」
「うぐぅ、ボクそんなことしてないもん」
「祐一、あゆちゃんいじめたらだめだよ」
今まで寝ていたとばかり思っていた名雪がいきなり言う。
「おわっ、いたのか名雪」
「ずっといるよ〜」
そこに、秋子さんが入ってきた。
「そろそろだと思ってデザートを持ってきたわ」
手にしたボールに、溢れんばかりに入っているイチゴを見て、みんな納得して頷いた。
「名雪が起きてくるわけね」
「香里、なんか酷いこと言ってる?」
「さ、それじゃ早くお鍋の中身を片付けちゃいましょう」
「うーっ」
名雪はまだ不満そうだったが、一刻も早く鍋を片付けてデザートにしたいらしく、鍋の中身を取り皿に取り始めた。
「うわっ、名雪さんすごいよ。よくそんなに食べられるねっ」
その量を見て感心するあゆ。
「ボクもうお腹いっぱいなのに……」
「わたし、お姉さんだもん」
「何言ってるのよ。名雪今までほとんど食べてないじゃない」
「そうだな、ずっと寝てたからな」
「もう。香里も祐一も嫌い〜」
笑い声が上がる。
こんな時がいつまでも続けばいい。
今、心からそう思えた。
結局デザートを食ってから、俺は自分の部屋に戻った。
電気を付けてから、カーテンを閉めようと窓に近寄ると、向こう側で何かが動いたような気がした。
窓越しに見てみると、ピンクの半纏を着込んだ名雪の姿が見えた。
俺はサッシを開けた。
カラカラカラッ
サッシの開く音に、名雪は振り返る。
「あ、祐一」
「よう」
まだ、外は寒い。
「なにしてんだ?」
俺は名雪の隣りに立つと、手摺りを掴んだ。すぐに離す。
「うーっ、手が張り付くかと思った」
「危ないから素手で触ったら駄目だよ」
おっとりと注意すると、名雪は俺の顔を覗き込んだ。
「でも、祐一大丈夫なの? 高所恐怖症だったんでしょ?」
「思い出させるな」
「あ、ごめん」
しばらく沈黙が続く。
「……あのね、祐一」
「うん?」
聞き返すと、名雪はとん、と、肩を俺の胸に軽くぶつけた。
「もうすぐ、春だね……」
「そうだな……。名雪は、春、好きか?」
「うん、好きだよ。でも、わたしは冬が一番好きだから……」
「気が知れないな」
「わっ、ひどいよ〜」
そう言って、膨れる。
その名雪のほっぺたをつついてみる。
「わ、なに?」
「いや、なんとなく」
「……もう」
そう言うと、名雪は俺に向き直った。
「えっとね、今日はわたし、祐一の所に行くのやめるね」
「そうだな。他のみんなもいるしな」
「うん。それに、祐一が安心させてくれたから」
名雪は胸に手を当てて、言った。
「やっぱり、祐一ってすごいんだね。今まであんなに不安だったのに、今はわたし、すごく落ち着いたみたい」
「……さようですか」
俺は照れくさくなって、頭を掻いた。
「あ、祐一照れてる?」
「さて、それじゃ俺はそろそろ風呂に入ってくるか。名雪はどうだ、一緒に入るか?」
「えっ?」
かぁっと名雪が耳まで真っ赤になったのが、夜目にも判った。
「わ、わたしはいいよっ」
何を今更、という気もしないでもないが、でもこういうところで照れるのが名雪らしいとも思えた。
「あ、祐一、何笑ってるの?」
「いや、なんでも。お休み」
「うん、お休み」
俺は自分の部屋に戻ると、窓を閉めた。
翌朝。
「朝〜、朝だよ〜」
「……ん?」
「朝ご飯食べて……きゃっ」
小さな悲鳴を上げて、制服姿の名雪が俺の胸に倒れ込んでくる。って、おいっ!
「ぐえっ」
「急に手を引っ張るなんて、ひどいよ」
身体を起こしながら文句を言う名雪。
俺は胸を押さえて言い返した。
「だからって、全体重を掛けて頭突きすることないだろっ」
「だから、祐一が引っ張るからだよ〜」
「……時間はっ!?」
枕元の時計を掴んで時間を見て、俺はほっと一息ついた。
「よかった、まだ7時前だ」
それから、はっと気付いて窓の方を見る。
「もしかして、今日は大雪か?」
「……祐一、もしかしてひどいこと言ってる?」
「さて、朝飯を食いに行くか」
「うーっ、無視しないでよ〜」
「冗談だ、冗談」
そう言って、名雪の髪をくしゃっと掴む。
「わわっ、酷いよ〜」
そう言いながらも、名雪は笑っていた。
ダイニングに入ると、秋子さんがお皿を並べていた。
「あら、祐一さん。おはようございます」
「おはようございます」
挨拶を返しながら、テーブルにつく。
後ろから、俺がかき回した髪を手櫛で整えながら名雪が入ってくる。
「お母さん、祐一がひどいんだよ〜」
「はいはい。あ、ちょっと手伝ってくれるかしら?」
「うん、いいよ」
頷いて、秋子さんの後ろからキッチンに入る名雪。
と、そこで俺は気配を感じて振り返る。
ダイニングの入り口で、あゆが固まっていた。
「ゆ、祐一くんっ、名雪さんがまた早起きしてるよっ!」
「そうだな」
「どうしよう、何か悪いことが起きるかも知れないよ」
「悪いことって、バニラアイスが無くなるとかですか?」
栞もぴょこんと顔を出す。あゆがうぐぅと呟く。
「たい焼きが食べられなくなったらどうしよう……」
「肉まん食べればいいのよう」
そう言いながら、真琴が駆け寄ってきた。
「祐一〜っ、朝のあいさ……」
「えいっ」
「わぁぶっ!」
でぇん
何かにつまずいて、ダイニングの床にヘッドスライディングを敢行する真琴。
「あうーっ、痛いっ! 誰よっ、今足出したのっ! あゆあゆっ!?」
「ええっ? ぼ、ボクそんなことしてないよっ!」
「大丈夫ですか、真琴さん?」
素知らぬ気に、真琴の脇に屈み込む栞。
「あう〜、鼻ぶつけた〜」
「ちょっとは低くなっていいじゃないか」
「ぜんっぜんよくないわようっ!」
「そうですよ。胸が小さくなるわけじゃないんですからっ」
……どういう意味だ、栞?
「あら、みんなおはよう」
そこに、キッチンから出てきた秋子さんが声をかける。
「朝ご飯ならもうすぐ出来るから、大人しく座って待ってなさいね」
「はぁ〜い」
みんなの返事を聞いて、秋子さんは満足そうに頷くと、戻っていった。
「あ、私手伝いますっ」
栞がそう言ってキッチンに入っていく。
「あ、ボクも」
「真琴も手伝う〜っ」
「待てこら」
俺は続いて入っていこうとした2人の首根っこを掴んだ。
「あう〜っ、なにするのようっ!」
「俺はまともな朝飯を食いたいんだ。いいから大人しくしてろ」
「うぐぅ……」
そんな騒ぎの間に、舞が入ってきた。騒ぎには目もくれず、あくまでもマイペースに自分の席について朝飯が出てくるのを待っている。
いつもと同じ一日の始まりだった。
靴を履き替えながら、時間を確認する。
今朝は歩いても十分に間に合いそうだった。
隣で靴を履いていた名雪が、三和土でつま先をとんとんしながら振り返る。
「お母さん、今日もお仕事?」
「ええ、そうよ」
ちなみに、誰もまだ秋子さんが何の仕事をしているのか知らない。聞いてみればいいだけのことなのだが、何となく聞いてはいけないことのような気がしているのだ。
「晩ご飯までには帰るわよ。何か食べたいものあるかしら?」
「えっと、イチゴのケーキ」
「……昨日もイチゴは嫌になるほど食っただろ?」
「全然嫌になってないよ。わたし、イチゴだったら朝昼晩でも大丈夫だもん」
名雪は本気だった。
「わかったわ。買っておくわね」
半ば呆れたように、それでも嬉しそうに秋子さんは頷いた。
「それじゃ、行って来ます」
「行ってくるね、お母さん」
「はい、行ってらっしゃい」
そう言って手を振る秋子さん。
そのまま外に出ようとした名雪が、ふと立ち止まる。
「……お母さん」
「どうしたの、名雪?」
「……ううん、なんでもない」
首を振って、名雪は出て行った。
それを追いかけようとした俺に、不意に秋子さんが言った。
「祐一さん」
「はい、なんですか?」
戸に手をかけて振り返る俺に、秋子さんはいつものように微笑んで言った。
「夕べも言ったことですけど……、名雪のこと、お願いしますね」
「ええ」
俺は頷いて、玄関から外に出た。
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