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俺は振り返った。
Fortsetzung folgt
「……名雪?」
ドアの向こうからは何も聞こえない。
でも、今確かに、名雪は嫌だって言った。
あの、のほほんとして、ことのほか団らん好きな名雪が、嫌ってどういうことなんだ?
「もしかして、体調が悪いのか?」
「……」
「名雪、開けるぞ」
そう言って、俺はノブを回した。
鍵はかかっておらず、ドアはゆっくりと開いた。
ドアの内側は、薄暗かった。夕暮れの残滓が、微かに窓から差し込んで、かろうじて部屋の中にあるものが見分けられるくらいの薄暗さ。
「……祐一……」
微かな声。
俺はその声をたよりに、名雪の姿を捜した。
名雪は、ベッドの上にうずくまっていた。まだ制服を着たまま、ということは、帰ってからずっとそうしていたのだろうか?
「……ごめんね、祐一……」
微かにそう言うと、名雪は顔を腕の中に埋めた。
「わたし……嫌な娘になっちゃったよ……」
「……どういうことなんだ?」
「……」
俺は、静かに名雪の隣りに腰を下ろした。
かちこちかちこち
静かな部屋の中、名雪の持っている大量の目覚まし時計が時を刻む音だけが……“だけ”って量でもないが……聞こえていた。
どれくらいそうしていたか。
いつしか、窓の外から差し込んできていた光も失われ、部屋の中が暗闇に沈んだ頃になって、名雪が、身じろぎする気配が伝わってきた。
「……祐一のこと、わたし、ずっと好きだったんだよ」
「……ああ」
「……でも、ずっと思ってた。祐一がわたしを振り向いてくれることは絶対にないって……」
部屋を覆う暗闇のせいだろうか?
名雪は、今まで俺には一言も話さなかったことを、話し始めた。
「だから、あの時……。祐一が、わたしのことを好きだって言ってくれたとき、嬉しかったけど、でも、最初は信じられなかった。だって、あゆちゃんも真琴も栞ちゃんも舞さんも、みんな祐一のこと好きなのに……」
「でも、俺は……」
「祐一、真琴を助けるために一生懸命だったよね。栞ちゃんのときも、舞さんのときも、そして、あゆちゃんのときも……。わたし、思ってた。わたしのためでも、そこまでやってくれるのかな、って……。何度も考えたけど、よく判らなかった……」
そこで、一度言葉を切る名雪。
「……わたし、あまり頭良くないけど、それでも一生懸命考えたよ……。そして、一つ決めたの。祐一が好きだって言ってくれたんだから、それを信じよう、って」
「それなら……」
「だけど……」
俺の言葉を遮るように、名雪が言った。
「そうすることに決めたら、逆に怖くなったの」
「怖い……?」
「……祐一は、わたしのことを今は好きでいてくれる。でも、他の娘を好きになっちゃうかもしれない、って……。だからわたし……、あんなことして……」
「あんなこと……?」
少し考えて、俺は思い当たった。
「名雪、お前……」
「軽蔑、するよね……」
泣きそうな声だった。
「あんなことで、祐一にわたしを好きでいてもらおうなんて考えてたんだから……。それに、祐一が栞ちゃんや舞さんと仲悪くなって、わたし、少し安心してたんだよ。これで、祐一を取られなくて済むかもしれないって……」
「でも、栞や舞のこと、お前だって心配してくれてたじゃないか」
「それは、祐一が心配してたからだよ……。だって、わたし、栞ちゃんや舞さんが祐一と仲直りしたって聞いて、素直に喜べなかったんだもん」
「……」
「ごめんね、祐一。わたし、やっぱり祐一の恋人にはなれないよ……」
俺は深呼吸すると、名雪の頭をぽかっと叩いた。
「いたっ! 祐一、何するのっ?」
「勝手に決めるんじゃない。何が祐一の恋人になれない、だ」
「でも……」
手を伸ばし、今度は名雪の肩を探り当てると、一気に引き寄せた。
バランスを崩した柔らかな体が、すっぽりと俺の腕の中に納まる。
「わっ! ゆ、祐一……?」
「名雪、俺のこと、好きか?」
「えっ? うん」
戸惑うように頷くと、名雪は一拍置いて、静かに答えた。
「……わたし、ずっと昔から、祐一のこと、好きだったよ」
「なら、大丈夫だ」
「どうして?」
「名雪が俺のことを好きでいてくれるなら、俺はずっと名雪のことを好きでいられると思う」
「ずっと?」
「ああ、ずっとだ」
「……うん」
名雪が身体を動かした。手を伸ばして壁のスイッチを入れる。
パチッ、と音がして、部屋が白い光に満たされた。
真っ暗な中にいたから、余計に眩しく見えるのだろう。
「わっ、真っ白」
名雪も同じ状況らしい。
目をしばたたかせて、俺はようやく光に慣れた目で名雪を見た。
素直に、綺麗だと思った。
「……祐一」
名雪の困ったような声に、我に返る。
「な、なんだ?」
「じっと見られてると、なんだか恥ずかしいよ」
目元を拭う。
「いっぱい泣いたから、きっと目、真っ赤だよね?」
「ああ、そうだな」
「顔も、きっとひどいことになってるよね」
「おう、すごいもんだぞ」
「……祐一、嫌い」
名雪は照れたようにくるっと背を向けた。
「俺は好きだぞ。名雪は全部」
「わ、祐一恥ずかしいこと言ってるよっ」
「ああ、お前が変なこと考えないようになるまで、いくらでも言ってやるさ」
「……うん」
振り返って、名雪は微笑んだ。
その時、ノックの音がした。
トントン
「名雪、祐一さん。晩ご飯の用意が出来たわよ。降りていらっしゃい」
秋子さんの声だった。そして、階段を降りていく足音が続く。
「あ、もうそんな時間なんだ」
名雪の声が、いつもののほほんとした声に戻っていた。
それを聞いて、俺もほっとする。
「それじゃ、俺先に行くから」
「ええっ? 薄情だよ」
「それじゃ、ここで名雪が着替えるのを眺めていた方がいいのか?」
「えっ? あれっ? わたし、まだ制服だよ……」
首を傾げる名雪。どうやら本当にいつものペースに戻ったらしい。
俺は名雪の勉強机の椅子を足で引っ張り寄せると座った。
「さぁ、見ててやるから着替えおぼっ」
ぼふん
俺の顔面に名雪の投げたクッションが命中していた。
「祐一、出ていって」
「何を今更照れて……、わぁっ、わかったからそれは投げるなっ!!」
馬鹿でかい目覚まし時計を手にした名雪に、俺は脱兎のごとく部屋から飛び出した。後ろ手にドアを閉める。
「祐一、……ありがとう」
パタン
ドアを閉める瞬間、名雪の声が聞こえた。
俺はドアを背に、一息ついた。
「名雪さん、判ってくれたみたいだね」
「うわぁっ!」
「うぐぅっ!」
俺も驚いたがあゆも驚いた、という感じであゆが廊下にひっくり返っていた。
「なんだ、あゆか」
「うぐぅ、なんだ、あゆかじゃないよっ。びっくりしたぁ……」
よほど驚いたらしく、涙目になって起き上がる。
「ずっと2人とも部屋から出てこないから、心配してたんだよ」
「だからって盗み聞きはよくないぞ」
「うぐぅ、そんなことしてないもん」
「食い逃げの常習犯が何を言うか」
「ボクもう食い逃げはやめたんだよっ! 大体あれはボクがボクじゃないときのことだよっ!」
と、不意にチャイムが鳴った。俺とあゆは顔を見合わせた。
「誰か来たみたいだね」
「こんな時間に誰だろ?」
「はぁい」
俺達がそんなことを言っている間に、秋子さんがキッチンから出てくると、玄関に向かって歩いていった。
しばらくして、不意にどたどたっと騒がしい足音が聞こえてきた。
「ん? あれはもしかして……」
「祐一ぃっ!!」
階段の下に飛び出してきたのは真琴だった。階段の上を見上げて俺を見つけると、笑顔でだだっと階段を駆け上がってくる。
「ただいまっ、祐一っ!!」
そのまま、ジャンプ一番、俺に向かって飛びついてくる真琴。
俺は咄嗟にあゆの首根っこを掴んで前に突き出した。
「スペルゲンうぐぅバリアーっ!」
「わっ? うぐぅっ!!」
「きゃぁっ!!」
べしぃん
そのまま2人はまともに衝突して、廊下に転がった。
「うぐぅ、痛いよぉ、目がちかちかするよぉ」
「あうーっ、祐一の莫迦ぁ〜」
「あらあら」
秋子さんと、その後ろに続いて天野が階段を上がってくる。
俺は声をかけた。
「どうやら真琴も元に戻ったらしいな」
「おかげさまで」
軽く会釈すると、天野はまだ鼻を押さえて呻いている真琴に声をかけた。
「ほら、真琴。とりあえずご挨拶したら、リビングに行きましょう」
「あう〜、まだ挨拶ひてない〜」
鼻を押さえているせいで、声がちょっと変だ。
と、ドアが開いて着替えた名雪が顔を出した。
「祐一、待っててくれたんだ……。あれっ?」
首を傾げる名雪。そりゃ確かに、ドアを開けたらあゆと真琴が床に転がっているのだ。いくら名雪でも変だと思うだろう。
「祐一、今失礼なこと考えてなかった?」
「そんなこと……」
答えかけた俺の首がぐいっと曲げられる。って、このパターンはっ!
ちゅっ
「えっへへ〜。ただいまっ、祐一っ」
唇を離すと、真琴は満面の笑みを浮かべて言った。
「うぐぅ、真琴ちゃん、そういうのはよくないよ〜」
あゆが、俺と名雪をちらっと見て、真琴に言う。
「えーっ? どうしてよう、あゆあゆっ」
「うぐぅ、ボクお姉ちゃんなのに……」
一応妹の真琴に、ダブル呼び捨てにされて落ち込むあゆあゆ。
「ボクあゆだもん……。祐一くんのいじわるぅ」
「だから、俺の考えを読むなっ」
「それはともかくっ! 真琴ちゃん、祐一くんは名雪さんの恋人なんだから、えっと、キス、とか、そういうのってあんまりしない方がいいんじゃないかな……」
キス、のところで照れたように指をつつき合わせるあゆ。
「あ、わたしなら別にいいよ」
あっさりと言うと、名雪は俺と視線を合わせて微笑む。
「わたしはもっといいことしてもらってるから」
「ええーっ!? なによそれっ!!」
「秘密、だよっ」
笑いながら、階段を降りていく名雪。
「あ、ちょっとっ! 名雪ぃ、待ってよぉ!」
その後を追って真琴が階段を駆け下りる。
「……相沢さん」
何となくそれを見送っていた俺に、天野が声をかけた。
「ん?」
「ありがとうございました」
深々と頭を下げられる。
「何のことだ?」
「真琴のことです」
天野は、廊下の手摺りにもたれるようにして、俺を見上げた。
「あの子は、また相沢さんに助けられたんですね」
俺は照れくさくなって、頭を掻いた。
「ま、ほっとくわけにもいかないからな」
「相沢さんらしい、というべきなのでしょうね、この場合は」
「天野、夕飯食って行くのか?」
話題を変えてみた。天野は苦笑するように答える。
「この時間帯にこの家にお邪魔する以上、選択権はないと思いますけれど」
「そりゃそうだな」
俺も苦笑した。
「では」
一礼して、天野も階段を降りていった。
俺は振り返った。
「あゆ、行くぞ」
振り返ると、あゆの姿は無かった。その代わり、真琴の部屋のドアが開いており、中から灯りと話し声が漏れてくる。
「それじゃ、そっちを引っ張ってくれるかしら?」
「こっちだね。うん、任せてよっ」
どうやら、秋子さんと2人で真琴の部屋の片づけをしているらしかった。
邪魔するのも悪そうなので、俺は一人で階段を降りていった。
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あとがき
某お勧めSS掲示板が復活してました。今度こそ野望の成就を!(笑)
と言っても、作者自身が書き込むのは禁止なので、こればっかりは読者の皆さんにお任せするしかないです。はい。
……読者の皆さんにお勧めされるだけの作品を供給出来てるか、と聞かれると辛いんですが。
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