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目の前に駅ビルが見えてきたところで、俺は立ち止まると、珍しく遅れることもなく隣を併走してきたあゆに声をかけた。
Fortsetzung folgt
「あゆもなかなか足が速くなったな。毎日食い逃げの特訓をしている成果が出てきたってところか?」
荒い息をついていたあゆは、ようやく呼吸が整ったところで反論してきた。
「うぐぅ、そんなことしてないもん。それにボクが速くなったんじゃなくて、祐一くんが遅かったんだよっ」
「なにっ? そんな莫迦な事が……」
「……背中」
あゆに指をさされて、首を曲げてみた。
「どわっ、なんで紫キャベツを背負ってるんだ俺はっ!」
「私は紫キャベツですか……」
紫キャベツがしゃべって、俺はようやく天野を背負っていたことを思い出した。
「なるほど、道理で背中が重いと思ったぞ。まぁ、一安心だな」
「何が一安心なの、祐一くん?」
「何か悪い霊でも憑いたのかと思ったからな」
「うぐぅっ、そういう怖い話はやめてよっ!」
「大丈夫です。悪い霊も相沢さんは避けて通ります」
そう言いながら、天野は俺の背中から降りた。それからぺこりと頭を下げる。
「ここまで運んでくださってありがとうございました」
「おう。で、ここまでのタクシー代として……」
「酷い事を言った罰です。チャラにしてください」
「……はい」
天野にじろりと睨まれて、俺は大人しく答えた。それから聞き返す。
「で、真琴がどうなったんだ?」
「……消えかかっています」
天野は表情を変えずにさらりと言ったので、俺は冗談かと思って聞き返した。
「なんだって?」
「ですから、消えかかっているんです」
もう一度、同じ答えを繰り返す天野。
「消え……って、なんでっ! 何があったんだ!?」
「とにかく、一緒に来てください」
そう言うと、天野はタクシー乗り場の方に歩いていった。
「お、おい、電車じゃないのか?」
「時間がもったいないですから」
振り返らずにそう言うと、天野はタクシー乗り場の一番前に止まっていたタクシーに近づき、開いたドアから乗り込んだ。
俺達も慌ててその後に続いて、タクシーに乗り込んだ。
「うぐぅ、祐一くん狭いよぉ」
「相沢さんは前に乗ってください」
「……すいません、前のドア開けてください」
俺は立場が弱かった。
行く先を運転手に告げ、車が滑るように走り出した後は、天野は何もしゃべらなかった。俺もあまり詳しいことを聞くのは、運転手もいるし、やめておくしたので、車内は沈黙が流れていた。
「わっ、すごいよ祐一くん。ボク、タクシーなんて始めてなんだよっ。わわっ、あそこに子供がいるよっ、可愛いよねっ!」
……あんまり静かでもなかった。
俺は、シート越しに後ろに手を伸ばすと、外の子供に手を振っていたあゆの頭をぽかりと叩いた。
「うぐっ。……祐一くん何するんだよぉ」
「車内では静かにしてろっ! それが鉄の掟だ」
「うぐぅ、そうだったんだ。ボク知らなかったよ……」
「……」
ツッコミが入るかと思ってちょっと間を置いてみたが、天野は窓の外を見つめていて何も言わなかった。仕方なく、俺も前に向き直った。
キィッ
いわゆる“女坂”をタクシーで登り、直接社殿につけたので、今日はあの地獄の石段を駆け上がることは避けられた。
俺とあゆが先に降りると、天野は運転手に万札を渡して、小さな声で何か言い、そのまま降りてきた。
「お、釣りはいらねぇよって? さすが江戸っ子だねぇ」
「……」
じろりと睨まれたので、俺はとりあえず「悪い」と謝った。
背後でUターンするタクシーには目もくれず、そのまま天野は社殿の裏に回っていった。
「あれ? 天野の家ってこっちじゃなかったっけ?」
「いえ、真琴はこちらですから」
そう言って、さっさと歩いていく天野。
俺達は顔を見合わせて、その後を追いかけた。
社殿の裏に回ると、小さなほこらのようなものがあった。天野はその戸に手をかけて開くと、振り返った。
「こちらです」
天野の身体越しに中を窺うと、ほこらの中には下に続く階段があった。
「地下、ってことか?」
「はい」
「うぐぅ、なんか怖いよ祐一くん……」
俺の制服の裾を掴むあゆ。そういやこいつはこういうの駄目だったっけ。
「なんなら残っててもいいぞ、ひとりで」
「うぐっ、ボクも行くよっ」
さらにぎゅっと掴んで訴えるあゆ。俺は頷いて、ほこらに入っていった。
天野に従って階段を降りていくと、前の方からなにやら唸りとも呻きともつかない声のようなものが聞こえてくる。
「うぐぅ、祐一くん、何か聞こえるよう……」
小声で言うあゆ。
俺は答えた。
「いいことをおしえてやろう。耳を塞げば聞こえないぞ」
「あっ、そうだね」
頷いて、両手で耳を塞ぐあゆ。と、お約束通り蹴躓く。
予想していた俺はさっとそれを避け、さらにその前にいた天野もさっと壁に身を寄せた。
あゆ、進路クリアー。
「うっ、うぐぅっ、うぐぅぅぅぅぅぅぅ!」
ずでででででっ
そのまま階段を転がり落ちていくあゆ。
その悲鳴が止まったので、俺はふむと頷いた。
「あと5メートルほどか」
「冷静ですね、相沢さんは」
皮肉とも諦観ともつかない口調で言うと、天野はささっと降りていった。
予想通り5メートルほど進むと階段は終わり、扉があった。
その扉の前であゆがうぐうぐしていた。
「どういう表現だようっ!」
「いや、別に。……っていうか、俺の考えを読むなっ」
「うぐぅ、痛い……」
涙目になりながら立ち上がるあゆ。でも、この期に及んでも、両手を耳から離していなかった。
「うーむ、意外に根性あるな」
「こちらです」
俺達の様子には関心なし、というように、天野は扉を開いた。
俺は中に視線を向けた。
そこは、意外に広い部屋だった。一辺10メートルはありそうな正方形の部屋は、床も壁も天井も石で出来ているようだった。
そして、その中央に真琴がいた。
「なっ!」
俺は絶句していた。
真琴は、光に包まれ、全裸で宙に浮いていたのだ。
「ぜ、全裸っ!」
「宙に浮いてることより、そちらの方が重要なんですか?」
天野に言われて、俺はぽんと手を打った。
「あ、そういえば……」
「祐一くん、やっぱりえっちだよっ」
あゆがまだ耳を押さえたまま俺をじろっと睨む。
「名雪さんに言いつけちゃうよっ」
「それは勘弁してくれ」
これ以上イチゴサンデーの負債残高を増やされてはたまったもんじゃない。
……そうじゃなくて!
俺はもう一度部屋を見回した。
真琴は狐耳と尻尾を出した状態で、まるで自分を抱くように丸くなって、宙に浮いている。そして、その前で男が座禅を組んでなにやら声を上げている。……あれ、天野のじいさんじゃないか。
天野に視線を向けると、俺は訊ねた。
「一体、何がどうなってるのか、いい加減に説明して欲しいんだが」
「……そうですね。まだしばらくは大丈夫みたいですから」
頷いて、天野は説明した。
「相沢さんのせいです」
「うぉ、のっけからそれかいっ」
「……冗談で言っているわけではないです」
「……悪い。で、どうして俺のせいなんだ?」
天野は、ちらっと真琴を見て、俺に向き直った。
「今の真琴は、もちろん人間ではないです。ですが、妖狐とも違ってしまっています」
「……どういうことだ?」
「私にも判りません。未だかつてこのような例は無かったわけですから。ただ、確かに言えることは、今の真琴は半人半妖という存在になっている、ということです」
「そうなのか?」
「はい。そして、それに関わっているのが、川澄先輩。……そうなんですよね?」
俺に念を押すように訊ねる天野。
俺は目を閉じて思い出した。
確かに、真琴が復活したとき、俺は小さな舞、つまり舞の“ちから”と出逢っていた。もっともあの時は何がなんだかさっぱりわけがわからなかったが、今にして思えば、本当ならあのまま消滅していたはずの真琴を復活させたのは、舞の“つよくつよく思えばかなう、ちから”だったわけだ。
「……そうだな」
俺が頷くと、天野は真琴に視線を向けた。
「つまり、真琴の半分、言ってみれば人間である部分は川澄先輩に依存している、と。あくまでも残り半分は妖狐のままです。たとえて言えば、本当なら崩れている家につっかえ棒をして支えている状態……。もし、その状態でつっかえ棒をいきなり外したら、どうなると思いますか?」
「そりゃ家は崩れるだろう……。まさか!?」
「……今朝からです。真琴の身体が急におかしくなったのは」
静かな声で、天野は言った。
「急に高熱を発したんです。普通の病気ではないことは、すぐに判りましたが、原因が判らなかった。放課後になって始めて、川澄先輩の事を聞いて、やっと判ったんです」
「舞の事って……?」
「倉田先輩にお聞きしました。川澄先輩が、また魔物に出逢ったと……。川澄先輩は、再び“ちから”を拒絶した。そのために……」
「真琴が……?」
天野は頷いた。
「その“ちから”によって行われた奇跡が“なかったこと”になろうとしているのでしょう」
「でも、舞は真琴が復活した時点じゃ、まだ“ちから”を受け入れてたわけじゃない。それなのに、どうして今になって……?」
「おそらく、真琴が甦った時は、川澄先輩はまだそれが自分の“ちから”によるものだとは、思っていなかったんじゃないでしょうか? 無意識に強く願い、“ちから”はその願いに応じて奇跡を起こしていた、と……」
「無意識に……?」
「ええ。元々川澄先輩は、無意識のうちにその“ちから”を使っていたふしがありますし。相沢さんにも心当たりがあるんじゃないですか?」
……そう言われてみると、舞の人間離れした運動神経も、“ちから”のせいだったとすれば納得できなくもない。
「でも、その“ちから”の存在を川澄先輩が自覚し、そしてそれを明確に拒絶した……。それで、真琴に働いていた“ちから”が弱まった……」
そう言うと、天野は俺に視線を向けた。
「やっぱり、相沢さんのせいです」
「……ああ、そうだな」
俺が名雪を選んだから……。
「で、でも、それは祐一くんのせいじゃないよっ」
あゆが声を上げた。天野は微かに笑みを浮かべた。
「相沢さんに全ての責めを負わせるのは、酷なことでしょう。それは判ってます。でも、……他に誰にあたればいいんですか?」
その微笑みが、どこにも持って行きようのない憤りを俺にぶつけるしかない自分に対する自嘲の笑みだと気付いて、俺はやるせない気持ちになった。
「……天野、一つ教えてくれ。このままだと、あとどれくらいで、真琴は……?」
「……判りません。本当ならもうとっくに……。今はお祖父様が押さえていてくださっているのですが、いずれ限界は来ます」
「……わかった」
俺は頷くと、踵を返した。
「どうするつもりですか?」
背中から聞こえた天野の質問に、俺は振り返らずに答えた。
「舞と話してくる」
そう言って、部屋から出た。
「あっ、待ってよ祐一くんっ!」
ばたばたと追いかけてくるあゆ。
天野は、ついてこなかった。
ただ、彼女の呟く声だけが、閉めた扉の向こうから微かに聞こえた。
「……相沢さん、もう一度、奇跡が起こると思いますか?」
神社から続く石段を降りながら、あゆが俺に訊ねた。
「祐一くん、舞さんに逢っても大丈夫なの? 佐祐理さんにも逢わないでくれって言われたし……」
「わからん。でも、このままじっとしてたら真琴はいなくなっちまう。それは願い下げだ」
「うん、そうだよね。だけど……。ボクが話して来ようか? ボクだったら、舞さんも大丈夫だと思うし……」
「いや、俺が行かないと意味がないだろ?」
「……うん、そうだね」
あゆは頷いた。俺はその髪をくしゃっとかき回した。
「うぐっ」
「心配するなって。奇跡なんていくらでも起こしてやる」
「そ、そうだよねっ。ボク達今までいろんな奇跡起こしてきたんだもんねっ」
少し安心したように笑うあゆ。と、その表情が不意に強張った。
「うぐっ」
「どうしたあゆっ!?」
「ゆ、祐一くんっ、あれっ!」
石段の下の方を指さすあゆ。
その指の示す方を見ると、石段の下には栞と香里が並んでいた。
「祐一さ〜ん」
何故か嬉しそうにぱたぱたと手を振る栞と、こちらも何故か笑顔の香里。
俺は、あゆの手を握った。
「逃げようあゆ、地の果てまで」
「うぐぅ、嬉しいけど駄目だよ」
「……何が嬉しいんだ?」
俺が聞き返すと、あゆはいきなりむっとした。
「なんでもないよっ!」
そう言い捨て、あゆはそのままぱたぱたっと石段を駆け下りていった。
残された俺は首を捻っていると、下から香里が優しい声で呼びかけてきた。
「相沢く〜ん、早くいらっしゃ〜い」
「……」
ドナドナを歌いながら石段を降りていった俺にどんな運命が待ち受けていたのかは、想像にお任せすることにしよう。
「大丈夫よ、相沢くん。あたしは栞や名雪ほど優しくないから」
「うぐぅ……香里さん怖いよ……」
「お姉ちゃん、ほどほどにお願いしますね。私、まだ諦めたわけじゃないですからっ」
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あとがき
さすがに10月ともなりますと、めっきり涼しくなって参りました。
……といいつつ、隣では扇風機が回ってたりしますが(笑)
いよいよ仕事が忙しくなってきて、ちょっとめげ気味(苦笑)
ああ、そういえばそろそろ集計しないとなぁ……。
プールに行こう4 Episode 7 00/10/5 Up