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Kanon Short Story #13
プールに行こう3 Episode 55

「好きとか嫌いとか最初に言い出したのは誰なのかいのぉ?」
「……祐一、もしかして緊張してる?」
 名雪がくすくす笑いながら、俺の顔をのぞき込んだ。
「まぁ、そりゃそれなりにな」
「ふぁいとっ、だよっ」
 そう言うと、俺の手をぎゅっと握る。
「わっ、名雪さんそれは反則ですっ!」
「真琴もみつめるほめる手を握る〜っ!」
「……お前ら、病院の入り口で騒ぐなよなぁ……」

 月曜の放課後、俺達は病院に来ていた。
 昼休みに、栞の持っている携帯に、鹿沼さんから連絡が入ったのだ。
 あゆが、意識を取り戻した、と。

 俺達は、そんな調子で騒ぎながら、あゆのいる特別治療室の前までやって来た。
 俺は立ち止まり、ドアの脇にあるネームプレートを確認する。
 『月宮あゆ様』
 間違いなく、ここだ。このドアの向こうに、あゆがいる。
 でも……。

「本物のあゆさんは、相沢さんや他の皆さんの知っているあゆさんじゃありません」
「本当のあゆさんは、7年前に相沢さんと一緒に遊んだ記憶より後は、何も知らないんです」
「それでも、そのあゆさんと逢いたいですか? 水瀬さんや美坂さんや、みんなのことはまったく知らない。相沢さんのことも、恨んでいるかもしれない、憎んでいるかもしれない。それでも……?」

 あの時の天野の言葉が脳裏に浮かぶ。
 俺は軽く頭を振った。
 しっかりしろ、相沢祐一。それを全て承知の上で、俺はあゆに目覚めて欲しいと願ったんだろ?
 ……ごくり。
 生唾を飲み込んでから、俺はドアをノックしようと手を上げる。
 と、不意に後ろから「わっ!」と背中を叩かれた。
「どぅわぁーーーっっ!!」
 思わず飛び上がってしまう。それから慌てて後ろを振り返る。
 その間わずか0.1秒。俺の明晰な頭脳は、そのわずかな間に、こんなことをするのは真琴だと断定し、俺は振り向きざまに怒鳴りつけた。
「なにすんだ、このっ……」
「あ……。ごめんなさい、祐一さん」
 そこにいたのは、真琴ではなく佐祐理さんだった。
 俺の明晰な頭脳は、バカンスにでも出かけていたらしい。
「あ、あれっ?」
「びっくりさせようと思ったんですけど……。ごめんなさい、本当に……」
 しょぼんとする佐祐理さん。と、不意に首筋に剣が突きつけられた。
「佐祐理を悲しませたら、許さないから」
「ま、舞! お前、剣は捨てるって言ってなかったか?」
「私は言ってない」
 そう言うと、舞は剣を引いた。そして、ぼそりと言う。
「でも、夜の学校にはもう行かないから」
「……そうか」
「うふふっ」
 佐祐理さんが、俺達を見比べて微笑む。と、それに気付いた舞が、かあっと赤くなると、早口で言った。
「えっと、佐祐理が今日退院するから」
「おお、そうだったのか。おめでとう佐祐理さん」
「おめでとうございます」
「えっと……おめでと」
 今までタイミングを掴みかねていたらしい栞と真琴が、ようやくといった感じで口を挟む。
「あはは〜、ありがとうございます〜」
 佐祐理さんは、ぺこりと頭を下げた。それから俺達を見回す。
「ところで、皆さんここで何を?」
「実は、あゆちゃんが気が付いたって、鹿沼先生から教えてもらったんです」
 栞が説明すると、佐祐理さんはさらに嬉しそうにぽんと手を叩いた。
「よかったですね。それでみんなで逢いに来たんですね〜。あ、でも……」
 不意に考え込むような表情になる佐祐理さん。
「そうすると、舞には強力なライバルが増えちゃいますね〜」
 ぽかっ
 赤くなったままの舞が、佐祐理さんの額にチョップをする。
 と、名雪がぱたぱたと廊下の向こうから走ってきた。……そういえば、会話に加わってこないと思ったら、いつのまにはぐれてたんだ?
「はぁはぁ、お待たせ、祐一。あ、倉田先輩、川澄先輩も、こんにちわ」
「はい、こんにちわ〜」
 マイペース同士なので、名雪と佐祐理さんが話を始めると長くなる。俺は強引に割り込んだ。
「名雪、どこに行ってたんだ?」
「あ、うん。ちょっと途中の売店で見かけたから、買ってきたんだよ。はい」
 そう言って、紙袋を俺に渡す。
 袋の中身を見て、俺は訊ねる。
「……いいのか?」
「……うん、いいんだよ。どうせ、渡すつもりだったんでしょ? こういうのは早いほうがいいと思うし……」
 少し寂しそうに笑う名雪。そして、すぐにいつもの穏やかな表情に戻る。
「でも、病院で売ってるとは思わなかったよ」
 その気遣いが判ったから、俺もいつもの口調で返す。
「ま、栞が入院してたくらいだからな」
 と、名雪の後ろから声がした。
「それ、どういう意味かしら?」
「どわあっ、いたのか……。えっと……」
「……私の名前、まだ覚えてる?」
「香里、それわたしのセリフだよ〜」
「ああ、そうそう。香里だ、香里」
「わっ、祐一さん、ひどいですっ! 将来のお義姉さんの名前を忘れるなんてっ!」
「そうよ。……って、栞、なんか意味深なこと言ってない?」
「あはは、気のせいですよお姉ちゃん」
「ま、いいけど……」
「あなた達、病院の廊下で騒がないの」
 通りかかった看護婦さんに注意されてしまった。と、栞がその看護婦に笑顔で声をかける。
「あっ、友里さん。こんにちわっ」
「あら、美坂さんじゃない。まさか、また……」
「違いますっ。今日はお友達に逢いに来たんですっ」
 ぷっと膨れる栞。看護婦さんは苦笑して、頷く。
「そうね。ごめんなさい。でも、もう少し静かにしてちょうだいね」
「すみません」
「それじゃ」
 その看護婦さんは颯爽と行ってしまった。
 香里が腕組みする。
「で、いつまでここで漫才してるつもり?」
「お、貴重なツッコミ役としての責任を果たしているな、香里」
「……」
 思い切り深々とため息をつかれてしまった。それから……。
「いいから、さっさとしなさい」
「わかった! わかったから、その目をオレンジ色にするのはやめろっ!」
 俺はもう一度深呼吸して、ドアをノックしようと手を……。
「祐一くんっ!」
 声と同時に、背中に何か重いものがおぶさってくる。
 今度こそ真琴だな。ったく。
 俺は勢いよく身体をひねり、遠心力でそれを投げ飛ばした。そして、怒鳴る。
「真琴っ、お前はっ……」
「真琴はこっちよっ」
「……へ?」
 振り返ると、真琴はその目の前にいた。
 それじゃ……?
 もう一度振り返ろうとする、その後ろから、声が聞こえた。
「うぐぅ……、祐一くんが捨てたぁ」
「うぐぅ?」
 俺は、ゆっくりと振り返った。
 廊下にぺたりと座り込んでいた女の子が、顔を上げる。
 長い亜麻色の髪の少女は、俺を見て、にこっと笑った。
「えへへっ」
「……あゆ……?」
「うんっ」
 あゆは勢いよく立ち上がった。長い髪が揺れる。
 俺は手を伸ばして、その髪を後ろでまとめてみる。
「な、なにっ?」
「……あゆ」
 その顔は、大きな赤い瞳は、間違いなくあゆだった。
「あゆ、なんだな……」
「何言ってるんだよっ。ボクはあゆだよ」
 そう言って、あゆは両手を大きく広げて、俺に飛びついてきた。
「祐一くんっ、ただいまっ!!」

 さっ。

 べしゃ

 しーん。

 沈黙が流れる。
「……祐一、今のはちょっとひどいと思うよ」
 名雪が言うと、あゆを引っ張り起こした。
「うぐぅ……。祐一くんがよけたぁ……」
 床にぶつけたらしく、鼻の頭を赤くして、あゆは俺に突っかかってくる。
「感動の再会シーンだったのにっ!」
「そうだよ、祐一」
 名雪まで一緒になって俺にくってかかる。
「名雪さんもそう思うよねっ」
「うん、そう思うよ」
 あゆの言葉にうんうんと頷く名雪。
「祐一、意地悪だからね」
「あ、やっぱり名雪さんもそう思うんだ。昔っからそうだよね」
「……あれ?」
 俺は、そこはかとない違和感を感じた。そして、その理由に気付く。
「なぁ、あゆ……」
「知らないもんっ」
「いや、拗ねるのは後でやってくれて構わないけどさ、その前に……」
 名雪を指して訊ねる。
「こいつは誰だ?」
「名雪さん、でしょ?」
「こいつは、こいつは、こいつは?」
「栞ちゃんと真琴さんと舞さん」
「それじゃ、こちらとこれは?」
「あはは〜」
「ちょっと、何よその扱いは?」
「佐祐理さんと、……香里さん」
 もしかして……。
「あゆ、お前……」
「祐一くん、約束、守ってくれたんだね」
 あゆは目を細めて笑った。
「ボク、もう一度、みんなと逢えたよ……」
「あゆ……」
 今度は、かわさなかった。
 俺は、俺の胸の中に飛び込んできた小さな身体を、思い切り抱きしめていた。

 俺とあゆは、病院の屋上に出た。
「良い風だね」
 長い髪を風に揺らして、あゆが笑う。それから、俺の顔に気付いて小首を傾げた。
「どうしたの、祐一くん?」
 俺は真剣な顔で、あゆに近づいた。そして、言う。
「あゆ、俺、今気付いたんだ……」
「えっ?」
「もう、言わないで後悔するのは嫌だから、今言う」
 あゆは、ごくりとつばを飲み込んで、こくりと頷いた。
「うっ、うん、いいよっ」
「あゆ……」
 俺は大きく息を吸い込んで、言った。
「ロングヘアは似合わないぞ」
「うぐぅ……。祐一くんのばかっ!!」
 同時に、屋上に通じるドアの方で、どさどさっとものすごい音がした。
 俺とあゆが振り返ると、そこには折り重なって倒れているみんながいた。
 一番下敷きになっている真琴がじたばたもがいている。
「あうーっ、重い〜〜っ!」
「……お前ら、なにしてんだ?」
「だって、気になるじゃないですか。急に「ちょっと、二人だけで話がしたいから」なんて言って、あゆさん連れて行っちゃったら」
 要領良く、一番上に乗っていた栞が、さっさと起き上がって言う。
 俺は額を押さえた。
「あのなぁ……」
「……えへへっ、みんな、今まで通りだね」
 あゆが嬉しそうに笑う。
 俺は改めて訊ねた。
「で、あゆ。本当に全部覚えてるのか?」
「うん」
「再会の食い逃げから全部?」
「うぐぅ。後でちゃんとお金払ったもん」
「みんなのことも?」
「うん、ちゃんと全部覚えてるよ」
「一緒にゲーセンでパラパラ踊ったことも?」
「そんなことしてないよっ!」
「ほんとに、全部覚えてるんですか?」
 栞が訊ねた。俺はぽんとその頭に手を置いて、あゆに聞く。
「相方のことも覚えてるか?」
「何の相方だよっ!」
「そうですっ! そのうちにきっと大きくなるんですからっ」
「そうだよねっ、栞ちゃんっ」
 相変わらずのコンビぶりだった。
「でも、あのあゆちゃんは、相沢くんの造り出した存在だったんじゃないの?」
 香里が、栞と友情を確かめ合っているあゆを横目に、小声で囁いた。
 と、俺はぽんと手を打った。
「そうか。あの違和感は、そうだったのか……」
「何よ?」
「俺が造り出した存在にしては、あゆはよく俺の漢の浪漫の邪魔をしたんだ。それに違和感を感じてたんだよ」
「つまり、祐一さんが造り出したのなら、全て祐一さんの思うとおりに動くはずなのに、そうではなかった、ということですね〜」
「なるほどね。実は、あのあゆちゃんには、本物のあゆちゃんの意識も投影されていた。それで、全て相沢くんの思うとおりには動かなかった、というわけね」
「あの時、天野さんが言っていた“生き霊”っていうのも、半分は当たってたんですね〜。佐祐理はびっくりです」
 さすが、学年トップコンビだ。佐祐理さんと香里は、俺もまだ考えをまとめている最中だった理論をあっさり完成させてしまった。
「……ま、そういうことだ」
「……祐一」
 名雪が、俺に紙袋を渡す。
「ダメだよ、落としてちゃ……」
「お、サンキュ」
 俺はそれを受け取ると、あゆのところに駆け寄った。
「あゆっ」
「え、何、祐一くん?」
 あゆがこちらを見る。
 俺は、紙袋を渡した。
「あゆ、遅くなったけど、あの時のプレゼントだ」
「えっ?」
 紙袋の中から出てきたのは、赤いカチューシャだった。
「こ、これ、祐一くん……。うぐぅ……」
 カチューシャを握りしめ、あゆは瞳を潤ませた。
「ボクが、もらってもいいの……?」
「ああ。7年遅れだけど、それでよければ……」
「うぐぅ……、嬉しいよっ」
 泣き笑いの表情を見せるあゆ。
「あ、わたしがつけてあげるよ」
 名雪がそう言って、あゆの手からカチューシャを取ると、頭にはめた。
「……はい、できあがり」
「祐一くん、どうかな?」
 そこにいたのは、髪が長いのを除けば、いつものあゆだった。
「……ああ、まさにうぐぅって感じだな」
「どんな感じか、ぜんっぜんわかんないようっ!」
「いいなぁ……。祐一さん、私にもいつかプレゼントくださいねっ」
「真琴もプレゼントっ!」
「……私も欲しい」
「あはは〜。きっと祐一さん、プレゼントしてくれますよ〜」
「もちろん栞にもちゃんとプレゼントしてくれるわよね、相沢くん?」
 皆の笑い声が、空に吸い込まれていく。
 見上げた空は、どこまでも青く澄んでいた。

Fortsetzung folgt

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あとがき
 ようやくなんとか、ここまでこぎ着けました。

 とりあえず今の野望というか目標は、某所の「お勧めSS掲示板」に載ることです(笑) ううっ、書いてもらえるように精進しなくちゃ。

 プールに行こう3 Episode 55 00/8/26 Up

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