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キィィィィン
Fortsetzung folgt
耳を覆いたくなるような鋭い音とともに、舞の剣は彼女の手を離れ、回転しながら飛んでいき、天井に突き刺さって止まった。
「……え?」
剣が手から消えたことに、舞がとまどいの声をあげる。
そして、もう一人の声。
「……無茶をしないでください」
荒い息をつきながらそこにいたのは、天野だった。彼女が手にしていた銀色の和弓で、舞の剣を跳ね上げていたのだった。
「天野っ」
驚き半分、安堵半分で名を呼ぶ俺に、天野は深呼吸を何回かして呼吸を整えると、姿勢を正して頭を軽く下げた。
それから、舞に向き直る。
「自分の命を自分で絶とうなんて、何を考えているんですか?」
柔らかい口調だった。叱責するわけでもなく、ただ疑問に思ったことをそのまま訊ねているだけのように聞こえる。
それでも、それで俺は舞が何をしようとしたかを思い出していた。思わず、右手を振り上げる。
「舞っ、お前っ!!」
びくっと身をすくめる舞。
と、俺の右手が後ろから押さえられた。振り返ると、天野が静かに首を振っていた。
「天野……」
「……」
じっと俺を見つめる天野。俺は間を置いて、頷いた。
「ああ。悪かった、怒鳴ったりして」
「私に言われても困ります」
「そうだな。舞、ごめん」
「……」
舞は、俺の謝罪に目を伏せた。
天野が静かに言う。
「魔物は、川澄先輩の力だったんですね」
「……聞いてたのか?」
天野はかぶりを振った。
「でも、判りますよ。あれは、いわゆる“魔”の存在じゃなかった。そう、例えれば……自分の力加減が判っていない、無垢な子供です。邪に染まってなどいない、本当に無垢な……」
そう呟く天野の瞳は、優しい色を帯びていた。よく、真琴を見つめているときに見せる瞳の色だった。
「そして、途中で気付いたんです。その感触が、川澄先輩から感じるものと同じだって」
「……なるほど。おばさんくさいだけのことはあるな」
「……関係ないでしょう。それに、その言い方は酷いです。物腰が上品だと言ってください」
天野はじろりと俺を睨んだ。俺が降参の印に両手を上げると、ため息をついてから言葉を続ける。
「つい先ほど、私と対峙していたそれが急に消えました。それは、とりもなおさず、川澄先輩に何かがあったことを示しています。ですから、私はお二人を捜しに来たわけです」
「で、なんとか間に合った、と」
俺は頷いた。それから、天野の頭をぽんと撫でた。
「助かったよ」
いつもは柔らかなウェーブのかかった髪は、活劇の名残かくしゃくしゃで、所々に土や草が絡み付いていた。
「あ〜あ。ひどいな」
「帰ったら洗いますから」
「感謝の印に、ぜひ俺に洗わせてくれ」
「絶対に嫌です」
軽いギャグの応酬の後、天野は舞に向き直った。
「……」
無言で先を促した天野に、舞はぽつぽつと言葉を紡いだ。
「私が……。私が、佐祐理や祐一を傷つけた。佐祐理も、祐一も、大切な人。それを傷つける人を、絶対に許せないから」
「……だから、自分を許せなかったんですね」
こくりと頷く舞。
「そんなっ!」
また声を上げかけた俺を制して、天野は静かに言った。
「あなたはそれでいいかもしれません。でも、残された倉田先輩や相沢さんのことは、考えてますか?」
「……」
「それに、水瀬さんや美坂さんや、ほかのみんなのことは?」
「……考えて、なかった」
視線を床に向けて、ぽつりと呟く舞。
天野は、それ以上は追求しなかった。ただ、一言だけ言った。
「……生きてください」
「でも、私だけがのうのうと生きていくなんて……」
力無く首を振る舞。
「許されるとは、思えない……」
「違うよ、舞」
涼やかな声がした。
俺達が一斉に視線を向けると、彼女はいつもの穏やかな微笑みを浮かべて、もう一度繰り返した。
「それは違うよ、舞。佐祐理は、舞に幸せになって欲しいんだもの」
「佐祐理……」
右腕を三角巾で吊った痛々しい姿だったが、しっかりと自分の足で、佐祐理さんは教室の入り口に立っていた。
「佐祐理さん、どうして……?」
俺の言葉に、佐祐理さんはいつものように笑った。
「あはは〜。舞のことが心配だったから、病院を抜け出して来ちゃいました〜」
その後ろから、もう一人が静かに現れた。
「ごめんなさい、祐一さん。私がお手伝いしたんですよ」
「あ、あ、秋子さんっ!」
思わず声を上げる俺に、秋子さんはいつもの肩頬に手を当てるポーズで微笑んだ。
そう言われてみれば、佐祐理さんの着ている服は、名雪の服だった。
その佐祐理さんは、ゆっくりと舞に歩み寄ると、左手で舞の頬を撫でた。
「舞、お願いだから……」
「佐祐理……」
舞は、泣きそうな顔をしていた。
「私のせいで……」
「ううん、違うよ」
佐祐理さんは首を振った。
「舞がいてくれないと、佐祐理もいなくなっちゃうから……」
それは、遠回しに、舞が死んだら佐祐理さんも後を追うと言ってるんだろうか?
そうか。
舞と佐祐理さんは、互いの為なら自分の命でさえもどうなっても構わない、っていうくらいの強い絆で結ばれてるんだな。
俺は、判ってるつもりだったことを改めて思い知らされていた。
「だから、お願い……。舞は、幸せになって……」
佐祐理さんの頬を、いつしか真珠のような涙がこぼれ落ちていた。
「でないと……、佐祐理は……、佐祐理は……、……っく」
「佐祐理」
初めて、舞が顔を上げた。
その表情は、いつもの舞だった。俺にはなんとなく、そう思えた。
「……ごめんなさい」
「舞……。うん」
舞の言葉に、佐祐理さんは泣き顔に笑顔を浮かべて頷いた。
俺はなんとなく、秋子さんに視線を向けた。
俺の視線に気付いた秋子さんは、軽く頷いた。
「了承」
こうして、舞の戦いは、今度こそ本当に終わりを告げた。
それから俺達は病院に行き(佐祐理さんにとっては「戻り」だが)、傷の手当てを受けた。
舞はほとんどかすり傷ばかりだったが、俺の傷はかなり派手で、特に腕の傷は痕が残るだろうと言われてしまった。ま、こんなので舞が普通の生活に戻れるなら、俺にとっちゃ勲章みたいなもんだ。
それでも入院するほどではなかったので、傷を縫ったあとで包帯でぐるぐる巻きにされてから帰宅を許された。ちなみに24針ほど縫ったそうである。
「でも、腱が傷ついてなかったそうですから、後遺症は残らないそうです」
「そうですか」
待合室で待っていてくれた秋子さんは、俺の報告に軽く頷いた。
俺は待合室を見回した。
「あれ? 舞は?」
俺より先に処置を済ませたはずだが……。
「川澄さんなら、倉田さんの病室ですよ。今夜はそちらに泊まっていくと」
秋子さんの言葉に、俺は頷いた。
「そうですか」
納得しつつもちょっぴり寂しいセンチメンタルな俺。
「あ、そうそう。舞さんから祐一さんに伝言ですよ」
秋子さんが悪戯っぽく微笑んだ。
「恥ずかしいから、今は逢わないことにする、だそうです。どんな顔をして逢えばいいのかわからないみたいでしたよ」
「は、はぁ……」
「それだけ、祐一さんのことを意識するようになったんですね」
うーむ、なんと答えていいものやら。
俺は、とりあえずそれを保留して、烏龍茶の紙パックを手にして佇んでいた天野に向き直った。
「天野、まずは礼を言わせてくれ。今夜はホントに助かった」
「……いえ、私の務めですから」
天野はストローから唇を離すと、静かに答えた。
「それで、聞きたいんだけど……」
「説明しないと、納得してくれないでしょうね」
肩をすくめると、天野は姿勢を正した。
「それでは、改めまして。天王蒼穹流退魔道、第三十五代継承者、天野美汐と申します」
そう言って頭を下げる。
「てん……なんだって?」
「魔を退け、邪を払う。つまりお払いさんですよ」
秋子さんが俺の後ろから言う。
「なるほど。それで、なんでも知ってたわけだ」
俺は納得して頷いた。
「それほど知ってるわけではないですよ」
天野は首を振った。それから俺を見る。
「相沢さん。他の人には、このことは……」
「ああ。天野が実はコスプレ好きだったってことにしておいてやろう」
「……」
無言で弓を構える天野に、俺は慌てて手を振った。
「冗談だ、冗談。黙っておけばいいんだろ?」
「……そうしていただけると」
天野は構えを解いた。
「自慢できるようなことでもありませんし」
「しかし、すごいもんだな」
「……楽しい務めじゃないですよ」
そう呟いた天野は、辛そうな顔をしていた。
秋子さんが後ろから言う。
「それじゃ、そろそろ帰りましょうか、祐一さん」
「あっ、はい」
気まずい雰囲気のところだったので、俺はこれ幸いと頷いた。秋子さんは天野にも声をかける。
「天野さんはどうします?」
「家に帰ります」
「でも、その格好じゃ電車に乗れないでしょう? 家に寄ってシャワーでも浴びて行った方がいいわよ」
「……」
少し考えてから、天野は頷いた。
「それでは、シャワーだけお借りします」
「わかりました」
秋子さんは頷くと、微笑んだ。
「ただいま」
秋子さんがドアを開け、声をかけると、リビングからばたばたっと栞と真琴が飛び出してきた。
「祐一さんっ、おか……。あっ、怪我してるんですか?」
「祐一、大丈夫?」
「とりあえず、通してくれないかしら。天野さんも来てるのよ」
秋子さんの言葉に、2人は顔を上げて天野に気付いた。
「あっ、美汐っ! やっぱり祐一を助けに行ってくれたんだ!」
真琴は笑顔で天野に駆け寄った。
天野は、珍しく照れたような表情で、呟いた。
「真琴のお願いなら、聞かないわけにはいかないでしょう?」
「えへへっ、大好きっ!」
ぎゅっとしがみつく真琴。と、不意に飛び退いた。
「あちっ」
「な、なんだ?」
靴を脱ぎかけていた俺の目の前まで飛んできた真琴に、振り返る。
天野は苦笑して、背負っていた弓を玄関に置いた。
「これのせいでしょう」
「あうーっ、熱かったようっ」
真琴は右手をパタパタさせながら、その弓をこわごわ見ている。
天野は、怪訝そうな俺達に説明した。
「この弓は特殊な銀で出来ていて、真琴のような者は触れただけで火傷するんですよ」
「なるほど。今度貸してくれ。真琴にお仕置きするのに使うから」
「だめです」
涼しい顔で言う天野。
その間に靴を脱いでしまった秋子さんが、俺達に声をかけた。
「玄関先で騒いでないで、リビングに行ってなさい。何か作るから。あ、栞ちゃん、お風呂の用意お願い出来るかしら?」
「あ、判りました、おばさま」
「……」
「お姉さま」
「了承」
……今のやりとりについて、深く考えるのは止めた方がよさそうだった。
「……というわけだ」
風呂の用意を終えた栞と、こちらは何もしてない真琴にせがまれて、天野が風呂に入っている間に、俺は全てを話して聞かせた。
天野のことも、こいつらなら話しても大丈夫だろうし。
……しかし、そのおかげで、せっかく天野が風呂に入っていたのに、漢の浪漫の追求は出来なかった。無念だ。
栞が訊ねる。
「それじゃ、川澄先輩と祐一さんは、じつは幼なじみだったんですか?」
「そういうことになるな」
俺は頷いた。
「……そんなのひどいですっ」
いきなりぷっと膨れる栞。
「な、何がだ?」
「だって、それじゃ、私以外はみんな、祐一さんの幼なじみだったんじゃないですかっ」
「そうか?」
えっと、名雪はそもそもいとこだし、真琴も7年前の冬に一緒にいたわけだ。で、舞とは10年前に出逢ってたことが判明したから……。
「そう言われてみると、確かにそうなるな……」
「わーい、幼なじみだもんっ!」
ここぞとばかりにぴとっと俺にくっつく真琴。
俺は苦笑して、左手を伸ばして栞の頭にぽんと置いた。
「まぁ、そう言うなって」
「……そうですね。その分、私と祐一さんの間には深い愛がありますもんね」
「さて、疲れたし、そろそろ寝るか」
「わっ、無視しないでくださいっ」
そこに、秋子さんが顔を出す。
「お夜食の用意が出来たわよ」
「わーい、やしょくっやしょくっ」
嬉しそうに真琴がはしゃぐ。
30秒後
真琴は、泣きそうな顔になっていた。
「あうーっ」
秋子さんが訊ねる。
「あら、焼きそばは嫌いだったかしら?」
「……嫌いじゃないけど……」
ダイニングのテーブルに乗っていたのは、山盛りの焼きそばだった。どうやら、いつぞやの夜中の一件以来、焼きそばは、真琴のトラウマになっていたらしい。
その時、こと、と音がした。
振り返ってドアの方を見ると、半纏を羽織った名雪が、眠そうに目を擦りながら、ダイニングを覗き込んでいた。
「焼きそば……」
「おう、名雪。目が覚めたのか?」
「あ、祐一。おはようございます……」
「あら、名雪も食べる?」
「うん」
判ってるのか判ってないのか、秋子さんの言葉に名雪は頷くと、いつもの自分の席に座り……。
「くー」
そのまま寝ていた。
と、ドアが開いて、パジャマ姿の天野が顔を出した。
「……あの」
……って、なぜパジャマ?
「あ、天野さんの式服なら、今、洗濯していますから」
秋子さんがにこやかに言う。
なるほど。秋子さん、確信犯だな……。
俺は天野の肩をぽんと叩いた。
「諦めて泊まって行けってことだ」
天野はため息混じりに肩をすくめた。
「……仕方ないですね。電話、お借りできますか?」
「リビングにあるぞ」
「知ってます」
そう言って、天野はリビングに行った。
「いただきま〜す」
そこにあったのは、いつも通りの暖かな賑やかさだった。
「うーっ、辛いです……」
焼きそばを1本だけ口に運んで涙目になる栞と、山盛りの皿を前にあうーっと唸る真琴。そして机に突っ伏して眠ってしまった名雪。
ここに帰ってこられたんだな、と俺は実感しながら、焼きそばを口に……。
「いててっ。……しまった、右腕が使えないと食えない」
「あっ、それなら私が……」
「真琴がやるのっ!」
「……けろぴー……」
「……賑やかですね」
「了承」
……帰って来られて、良かったんだよな?
真琴と栞に、代わる代わる焼きそばを口に詰められながら、自問してしまう俺だった。
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