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Kanon Short Story #13
プールに行こう3 Episode 53

 もう一度上から下までじっくりと見て、俺は訊ねた。
「深夜の学校でコスプレか? 意外とマニーな趣味だな、天野」
「……」
 天野はじろりと俺を見て、何か言おうと口を開きかけた。
 その瞬間。
 パキン
 氷の割れるような音がして、魔物を封じていた光がふっと消える。
 同時に、再び雪を蹴散らしながら魔物が真っ直ぐにこっちに向かってくる。
「そんな……」
 小さく呟きながらも、天野は背中に手を回した。そして背負っていた矢筒から矢を抜いてつがえて放つ。
 一連の流麗な動作は、元気な頃の舞の剣技に匹敵する早さだった。
 ビュン
 矢が飛び、そして空中で出し抜けに停止する。どうやら、魔物に突き刺さったようだった。
 だが、魔物は臆することなく(そもそも魔物が臆するなんてあるかどうかわからんが)、そのまま俺達に向かって来る。
「祐一……どいて」
 俺の背後で、舞が剣を杖代わりにして立ち上がる。
 舞もまた、ガラスの破片で切ったのか、こめかみから血が一筋、白い肌を伝わり落ちていた。
「いやだ」
 俺は首を振って、言った。
「俺は舞を守る」
「私は……」
 舞の呟きを、天野の声がかき消した。
「相沢さん、川澄先輩、伏せてっ!!」
 とっさに、俺は身体を捻り、舞を雪の上に押し倒した。元々立つのもやっとだった舞の身体は、さしたる抵抗も見せずに、俺の下になる。
 次の瞬間、俺の背中を風が撫で過ぎた。魔物が掠めすぎていったのだ。
 続いて、天野の呟くような声。
「天昇封魔、……」
 ぼうっと、天野の持つ弓が光を放つ。そして、その光は、次に天野がつがえた矢に集まった。
「一の矢、翔(かける)」
 ゴウッ
 放たれた光の矢が、俺達の頭上を越え、そして通り過ぎた魔物の背後(があるかどうかわからんが)から直撃する。
 次の瞬間、閃光が走り、俺は思わず目を伏せた。
 だが……。
「来る」
 俺の下で舞が呟き、俺はとっさに舞を抱きしめて右に転がる。
 同時に、また魔物が雪を飛ばしながら、掠めすぎる。
 ザクッ
「……ぐっ」
 今度は無事では済まなかった。俺の右腕が刃物に斬られたように裂け、血が流れ出す。
「二の矢、龍」
 天野が次の矢を放った。今度は複雑な軌跡を描きながら、魔物に炸裂する。
 だが、魔物は再び方向を変えた。
 まさか、俺狙い?
 だとすれば、舞は放した方が安全だ。
 でも、万一舞狙いとしたら、今の舞には魔物の攻撃を避けられる余力はない。
 一瞬の迷いの間にも、魔物は迫る。
 その瞬間だった。

「ねぇ、助けてほしいのっ」
「どうしたのさ」
「…魔物がくるのっ」
「魔物?」
「いつもの遊び場所にっ…」

「だから守らなくちゃっ…ふたりで守ろうよっ」

「ほんとうにくるんだよっ…あたしひとりじゃ守れないよっ…」

「待ってるからっ…ひとりで戦ってるからっ…」

「三の矢、蒼雷」
 ドォン
 辺りが揺れたような気がした。
 天野の放った矢に、いきなり雷が落ちた。そんな感じだった。
 その辺りの雪が吹き飛び、そして再び落ちてくる。
 その音が終わると、辺りは静まりかえった。
「……大丈夫ですか、相沢さん、川澄先輩」
 天野の声に、俺は雪まみれになった顔を上げた。
「ひどいな、天野」
「すみません。手加減できませんでしたから」
 いつもと同じ調子で答える天野。
 俺は腕の中の舞に訊ねた。
「大丈夫か、舞?」
「……」
 舞はこくりと頷いた。それを確かめてから、俺は天野に視線を向けた。
「なぁ、天野。ひとつ聞いてもいいか?」
「……なんでしょうか?」
 俺はごくりと唾を飲み込んで、訊ねた。
「巫女服のときって、下着はつけないのか?」

 ひゅるる〜
 冷たい風が、中庭を吹き抜けた。

 気を取り直して、俺は訊ねた。
「それはそれとして……。天野、いったいお前は何なんだ?」
「……説明は後で」
 心なしか、いつもよりもさらに冷たい返事だった。
 天野は、雪を踏みしめて俺達の傍らまで来ると、しゃがみ込んで舞に訊ねた。
「それよりも、川澄先輩。あれは本当に魔物ですか?」
 舞は、天野を見た。
 天野は、自分に言い聞かせるように呟いた。
「私の退魔術がまったく効きませんでした。魔物なら、例え効果がなくても、それなりの反応を示すはず。でも、それすらなかった。……あれは、何なんですか?」
「……わからない」
 答える舞。
「ただ、私が魔物と呼んでいるだけ」
「……いつから、ですか?」
「ずっと……ずっと、昔から」
 そう答える舞の瞳が、一瞬金色の波を映した。
 まただ。
 あの金色の波……。
「私は、ここを守らないといけなかったから……」
 ……!
 その言葉が、俺の記憶の中の何かを刺激した。
 外れていたリングが一つ合わさったような気がした。
 でも、まだ完全じゃない。
 と、向こうの方で、再びボッと音を立てて雪がへこんだ。
「また、来たようですね」
 天野は弓を握って立ち上がった。そして言う。
「私が防ぎます。お二人は安全な場所まで逃げてください」
「でも……」
「時間稼ぎくらいは出来そうですから」
 矢をつがえながら言う天野。
 俺は、舞を背負いながら立ち上がると、訊ねた。
「なぁ、天野。やっぱりノーブ……」
 どかっ、ばきっ
 後ろの舞に無言で剣の束で頭をどつかれ、前の天野にこれまた無言で弓で顔をしばかれた俺は、それ以上時間を浪費することなく、校舎内に撤退することにした。

 不用心にもドアが開いていた教室に入り込み、舞を椅子に座らせると、俺は大きく息をついた。
「……血が出てる」
「ん? ああ、どうりでくらくらすると思った」
 まだ右腕の傷からは血が流れ出していた。
 俺はハンカチを出して腕を縛ろうとして、はたと困る。
 どうやって縛ればいいんだろう?
 結局口も使って腕を縛り上げ、俺は改めて舞に視線を向けた。
 どうやら舞の傷は大した事がなかったらしく、こめかみから流れていた血もすぐに止まっていたようだった。俺と雪の中を転げ回っているうちに、肌についていた血も落ちてしまったらしく、今はいつも通りの玲瓏とした表情だった。
「……終わらせないと」
 不意にそう呟く舞。
 だけど、俺には何かが引っかかっていた。
 それが何かは判らない。もう少しで手が届くのに届かないもどかしさ。
 ただ、それをはっきりさせないまま、魔物と戦うのは良くないような気がしていた。
 それに、今の舞の衰弱振りでは、とうてい魔物と戦うのは無理だ。
「無理だって。今の力じゃ魔物も斬れないだろ? 階段から飛び降りたって斬れなかったんだぞ」
「……なら、屋上からでも……」
「無茶言うなって」
 今にも、這いずってでも屋上に行こうとしかねない舞を、俺は椅子ごと背後から抱き留めた。
「離して欲しい」
「……なぁ、舞」
 俺は言った。
「……やっぱり、胸でかいな」
 ばきぃっ
 振り向きざまに、右手に握った剣の束でまた殴られる。
「痛いぞ」
「変なこと言うから」
 そう言うと、舞は振り返った。
「……あと2体だから……」
「でも、お前の身体だって……」
 そう反論しかけて、俺は不意に気付いた。
 最初に舞の左腕が動かなくなったのはいつだ?
 足が動かなくなったのは?
 どっちも、魔物を倒したときだ。
 しかも、両脚が動かなくなったときは、2匹を倒している。
 それはつまり、舞と魔物は何らかの関係があるということを示しているんじゃないだろうか?
 だとすれば……。
 魔物の残りは2匹という。
 一匹を倒せば、今までの例から見て、今度は右腕が動かなくなるんじゃないか?
 そして最後の一匹を倒したときは……。
「舞、もしかして、魔物は……」
「……」
 黙って、舞は俺から視線を逸らした。その動作が、答えを示している。
 俺の仮説の正しさと、それを舞自身が知っているという2つの答えを。
「それじゃ……」
「それでも……守らないといけないから」
 小さく呟く舞。
 その舞の姿は、小さな女の子が泣いているような感じがした。
 小さな女の子……?
 そのキーワードに、俺の記憶が反応した。
 真琴が言っていた。魔物は小さな女の子の姿をしていると。
 そして、その真琴が甦ったとき、俺が見た小さな女の子。
 彼女はなんと言ってた?

「ちょ、ちょっと! お前は舞を知ってるのかっ!?」
「よく知ってるよ。だって、わたしは舞だもの」

「私は舞。純粋な祈りから生まれてきた、もうひとりのまい」

 あの時の少女が、舞の言う魔物だとしたら……。
 考えが、まとまりそうでまとまらない。
 何か、何かが欠けているのだ。
 だけど、何が……?
 俺は、ゆっくりと舞を抱いていた腕を解いた。
「……祐一?」
「……麦畑」
 あの時、少女の姿を見た場所。そこに全てがありそうな気がしていた。
「えっ?」
 舞は振り返った。
「祐一……」
 俺達は束の間、見つめ合った。
 舞の瞳の奧に、金色の波が見えた。そして、次の瞬間、俺はその波に飲み込まれていた。


 その時、ぼくは全てを思い出していた……。

 初めての邂逅。
 麦畑で出逢った少女。
 それは10年前の夏休み。
 麦畑を走り回って遊んだ。
 少女の秘密。彼女がどうして、一人きりで麦畑にいなければならなかったか。
 その力を、ぼくは町の人のような目では見なかった。それよりも、その少女と遊ぶのが楽しかった。
 だから、少女はぼくに言った。
「あたし…自分の力、好きになれるかもしれない」
「祐一といたらね…」
「どうしてだかわかんないけど、そう思うよ…」
 彼女は、全幅の信頼をぼくに置いていてくれた。
 いつしか、ぼくの存在そのものが、彼女のよりどころとなっていった。
 でも、別れの時がきた。ぼくはこの町の人ではなかったから、もといた場所に帰らなければならなかった。
 だけど、少女にとっては、そんな事情はどうでもよかった。ただ、ぼくがいなくなるという事実だけが問題だった。なぜなら、それは彼女のよりどころを奪うことだったから。
 だから、彼女は必死になって嘘をついた。
 ぼくと彼女がいつも遊んでいた場所が、魔物に襲われた、と。
 だから、一緒にいて欲しい、と。
 でも、ぼくにとってはそれは荒唐無稽な嘘にしか思えなかった。
 結局、ぼくはもといた場所に帰り、彼女とはそれっきりになった。

 だけど、もし、その嘘が現実になるように少女が願ったら。
「…魔物がくるのっ」
 そして、そのときから始まった、一人きりの戦いがあったとしたら。
「待ってるからっ…ひとりで戦ってるからっ…」
 だとしたら、ぼくのすべきことは……。

「……祐一」
 舞の囁くような声に、俺は我に返った。
「……そうか。ここは、あの麦畑があった場所なんだな」
 俺は、もう一度、舞を抱きしめた。
「おまえは、ずっとこの場所を守って、戦ってたんだ……」
「……終わらせないと」
 舞が身じろぎする。
「終わらせることなんて、出来るはずがないんだ……。だって、それはもう終わってるんだから」
 そう。舞が気付きさえすれば。
「魔物なんて、最初っからいなかったんだ」
「……なにを言っているの?」
「思い出したんだよ、舞。俺とお前は、ずっと前に出逢っていたんだ」
「……」
 舞は黙っていた。そして、小さく呟く。
「あの日の男の子は、私の力を恐れて逃げていった……」
「違う!」
 俺は、舞の肩を掴んで、こちらに向き直らせた。
「信じてくれ。俺は、舞の力を恐れて逃げ出したんじゃない。あれは、本当の別れだったんだ。だから、今再会して、また仲良くなれたんじゃないか」
「……」
「魔物なんていない。あれは、舞、お前が願ったんだ」
「私が……願った?」
「ああ、そうだ。魔物が本当に現れたら、そうしたら、俺がずっと一緒に居続けると信じたから。強く願ったから。だから、叶ったんだよ」
 舞は、視線を逸らす。
「何を言ってるのか、わからない」
 俺は言葉を続けた。
「そうして現れた魔物は、舞の力そのものだった。そして、それをずっと否定し続けてきた。それが、これまでの舞の戦いだったんだよ。だけど、それももう終わりなんだ。戦う必要なんてない。ただ、受け入れれば済む話なんだ。そうだろ? 俺が一緒にいれば、好きになれるんだろ?」
 そう言いながら、舞の頭を撫でる。
 舞は力無く、呟いた。
「……どうすればいいのか、わからない」
「戻ればいいだけだよ、舞。あの頃の俺達に。そして、そこからまた、始めればいいんだ」
「……私は……」
「時間はかかるかもしれない。でも、大丈夫だ。俺だっているし、佐祐理さんだっている」
「……」
「だから、剣を捨てるんだ。夜の学校に来ることもやめろ」
 まだ、舞が右手で固く握りしめている剣。それは、人が人であることの象徴だ。
 舞は、それを使って、人が持つべきではない力を断ち切りたかったのか。
 そんな力を、舞は受け入れることが出来るのか?
 ……出来る。
 俺はそう信じていた。
「剣は、捨てられない」
「いや、捨てるんだ」
 舞は、手にしている剣を見つめた。そして、呟く。
「剣を捨てた私は、本当に弱いから……。一緒にいてくれるという祐一に、迷惑をかける……」
「いいんだって。それが女の子じゃないか。名雪だって真琴だって栞だって、いっぱい迷惑かけてるだろ?」
「……本当に?」
「ああ。これからは、舞も、普通の女の子として、幸せになればいいんだよ」
 不意に、舞は微笑んだ。
「……ありがとう」
「舞?」
「本当に、ありがとう」
 そう繰り返すと、舞は手にしていた剣を自分に向けた。
「それで、もう十分」
 俺が舞の意図に気付いたときには、もう間に合わなかった。
 それでも、俺は大声を上げていた。
「ま、待てっ!」

 奇跡は、何度だって起こる。
 それは、誰の言葉だっただろう?

Fortsetzung folgt

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あとがき
 昔の作品をひっくり返すのも大変でしょうから、先に書いておきますが、「奇跡は何度でも起こる」と最初に言ったのはあゆ(プール3Episode6)で、その次に名雪(同)です。  ……なんか、遙か昔のような気がするけど、本編中ではまだそれから2週間もたってないんだなぁ(苦笑)
 プールに行こう3 Episode 53 00/8/24 Up

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