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Kanon Short Story #13
プールに行こう3 Episode 50

 俺は、切り株の上に座っていた。
 土曜の午後は穏やかに過ぎてゆき、ゆっくりと日が沈もうとしていた。
 その間、いろんな事を思い出していた。


 商店街で初めて逢った。
 俺にぶつかるなり泣き出した女の子を
どう扱っていいかわからずおろおろしていた。

 一緒にたいやきをほおばった。
 塩味のたいやきを、その子は嬉しそうに食べていた。

 駅前で待ち合わせをした。
 碁石のようなクッキーをもらった。
 願いの叶う人形をあげた。

 別れの日が来た。
 そして……。

 俺は、今はもう無くなってしまった大木の梢を見上げるように、空を見上げた。
 空は、赤く染まっていた。
 そういえば、いつもあいつと逢うときは、夕暮れだったような気がした。
 夕暮れの赤い光の中、枝にちょこんと座って街を眺めていた。
 そんなあゆを見上げるのが、俺は好きだった。
 そう……。
 あの頃の俺は、あゆが好きだったんだな。
 だから、俺は……。

「祐一くん……」

 その声に、俺は視線を下に戻した。
 赤く染まる光景の中、あゆが静かに微笑んでいた。
「……そういうの、似合わないぜ」
「うぐぅ……。祐一くん、雰囲気ぶち壊しだよ」
 俺は切り株から立ち上がると、手の中の人形を差し出した。
「忘れ物、届けに来てやったぞ」
「……そっか。見つけて、くれたんだね」
 あゆは寂しそうに微笑むと、人形を受け取った。
「苦労したぜ」
「うん……。ありがとう」
 小さく頷くと、あゆはその人形をリュックに付けた。そして、そのリュックを抱えて俺に向き直った。
「ボクは……お別れを言いに来たんだよ」
「お別れ……?」
「うん……」
「どうしても、なのか?」
「うん」
 もう一度頷くあゆ。
 俺は、一つ深呼吸した。それから、言った。
「それなら、せめて、最後の願いを言ってからにしてくれ」
 そう言おうと思っていたセリフ。でも、それを言ってしまって、俺の胸は痛くなった。
 あゆがいなくなることを、自分で認めたことにほかならないから。
「……そう、だね」
 そして、あゆの願いも、予想していた。
 だからこそ、その言葉が出ないことを祈っていた。
 あゆが一瞬だけ、哀しそうな顔をする。
 だが、次の瞬間には、いつものあゆの笑顔に戻っていた。
「お待たせしましたっ! ボクの最後のお願いですっ」
 赤い瞳が、俺を見つめた。
「祐一くん……」
「ああ……」
 あゆは、静かに言った。
「ボクのこと、忘れてください……」
 やっぱり、そうなのか……。
 その時、俺は一つの確信を持った。
「ボクなんて、最初からいなかったんだって、そう思ってください……」
 笑顔のままで、あゆはそう言った。
 でも、その赤い瞳からは、白い珠がこぼれ落ちていた。
「うぐぅ……、ボクのこと……忘れて……ください……」
「……あゆ、本当に、それでいいのか?」
 そう訊ねながら、俺はあゆに一歩近づく。
「だって……。ボクは本当のボクじゃないもん!」
 あゆの声。
 ドサッ
 雪の上に、あゆの持っていたリュックが落ちた。
「祐一……くん?」
 戸惑うようなあゆの声。
 俺は、あゆの小さな身体を抱きしめていた。
「あゆ、残念だけどそのお願いはきけないんだ」
「えっ?」
「だって、最初のお願いが効いてるからな。俺はあゆのことを忘れることは出来ないんだ……」

 最初のお願い。それは……
 『ボクのこと、忘れないでください』

「うぐぅ……そんなのないよ。ボク一生懸命考えたのに……」
 泣きながら笑うあゆ。
 俺はその頭に手を置いて、撫でた。
「うぐぅ、くすぐったいよぉ」
「あゆ、本当のお願いを言ってみろよ」
「……ボク……」
 聞き取れないほど微かな声。
「ボク、ホントは、もう一度、祐一くんとたいやきが食べたいよ……」
 いつしか笑いは消えて、あゆは俺の腕の中で、しゃくりあげていた。
「もっと、秋子さんや、名雪さんや、栞ちゃんや真琴さんや舞さんや……そして、祐一くんと一緒にいたいよ……」
 俺は、ぎゅっとあゆの身体を抱きしめた。
「こんなお願いは……ダメかな?」
「あゆ……」
「ボク、いじわるかな……?」
「ああ、いじわるだな……」
 そう答えて、さらにぎゅっと抱きしめる。それこそ、小さな身体を壊してしまうくらいに、強く。
「……祐一くん」
「三つめの願い、叶えてやる。絶対に……」
「……」
 あゆは、俺の胸に顔を押しつけた。
 涙を俺の服で拭くようにして、小さく呟く。
「ボクの体、まだあったかい?」
「……あたりまえだろ?」
「……よかった」
 ふっと、腕の中から暖かさが消えた。
 まるで、最初から、そこには何も存在していなかったかのように。
 リュックも、人形も、消え失せていた。
 最後に残った温もりも、冷たい風に吹き飛ばされていく。
 ただ、最後の瞬間。
 あゆは、笑顔だった。笑顔で、言っていた。

 「ありがとう」

 梢をかき分けるようにして森を出ると、そこには天野がいた。
「……あれ? なんでこんなところに?」
 もう夕暮れの残照も消え、辺りは暗くなっていた。
 俺の質問には答えず、天野は訊ねた。
「行って、しまいましたか?」
「……ああ」
 俺は頷いた。天野も軽く頷くと、言った。
「少し、話をしませんか?」
「デートの誘いか?」
「絶対に違います」
 そう言ってから、天野はため息をついた。
「やはり、帰ります」
「冗談だ」
 そう言って、俺は歩き出した。
「公園でいいか? それとも家に……」
「公園で構いません」
 すぐに帰りますから、と付け加えた。

 サァーッ
 噴水が水を噴き上げている公園。
 俺と天野は、それを眺めるように、ベンチに座った。
 しばらく、光を浴びて輝く噴水をじっと見つめる。
「……綺麗ですね」
「……そうだな」
 しばらく、沈黙が流れる。
 ただ、水の音だけが、静かさを際だたせているような気がした。
 不意に、天野が、噴水を見つめたまま言う。
「相沢さん、あゆさんのことなんですが……」
「……」
「驚かないで、聞いて欲しいんです。今までお話ししませんでしたが、あのあゆさんは……」
「判ってる」
 俺は静かに答えた。
「あのあゆは、俺が造り出した……。そう、言いたいんだろ?」
 天野は、公園に来て初めて、俺に視線を向けた。
「……やはり、判っていたんですか?」
 俺は、頷いた。
「そうじゃないかと思ったのは、こないだの昼休み、天野が俺に念を押したときだった」
「あの、カチューシャのことですか」
「ああ。……あのカチューシャのことは、俺以外に知っているやつはいない。あゆ自身も知らない。結局渡せなかったんだからな。……それなのに、あのあゆはカチューシャをつけて、俺の前に現れた。それから、天野が病院で言ったよな。あゆが造られた存在だとしたら、って」
「……はい」
 天野は頷いた。
「あゆが造られた存在だとしたら、あのカチューシャをつけたあゆを造りだせるのは、俺しかいない。そうだろ?」
 もう一度頷くと、天野は、俺を真っ直ぐ見つめる。
「相沢さんには、力があります。普通の人にはない、力が。そう……思いを形に出来る、と言えばいいでしょうか?」
「超能力者だっていうわけか? 俺が?」
 冷静に考えれば、とんでもないことを言われている。だが、俺は落ち着いて天野の言葉を、その事実を受け止めていた。
「下世話な言い方をすれば、そうです。ですが、相沢さんは……その力を持っていることを自分でもずっと知らなかった」
 天野は俯いて、言葉を続ける。
「7年前のあゆさんの事故のことを、相沢さんは忘れていました。強い精神的ショックを受けたとき、心の崩壊を防ぐために、その前後の記憶を忘れることは、よく……とまでは言いませんが、ままあることです。
 ですが……、7年たって、この街に戻ってきた相沢さんは、忘れていたはずのことを思い出し始めた。でも、あゆさんが死んだ……相沢さんはそう思い込んでいたわけですが……、その事実だけは思い出したくなかった。その思いが、あのあゆさんを造り出した……」
「それが、天野の推論か?」
「……はい」
 天野は頷いた。
「あの時お話ししなかった、推論です」
「惜しいな。あの時話してくれれば、さすが天野だと誉めてやったのに」
 俺の言葉に、天野は微かに笑みを浮かべた。
「鹿沼先生も、私の推論と同じことを言っていました」
「鹿沼って、あゆの担当医の?」
 俺は、病院で逢った精神科の女医を思い出していた。
 そういえば、あの時天野と何か話してたっけ。
「ただ、鹿沼さんは、私の推論を相沢さんに話してはいけないと、止めたんです。それは相沢さんが自分で気付いて納得しないといけないことだから、と」
「……そっか」
 天野は、静かに俺を見た。
「相沢さんの力を使えば、あゆさんを……本物の、眠り続けているあゆさんを起こすことが出来かもしれません。でも、本物のあゆさんは、相沢さんや他の皆さんの知っているあゆさんじゃありません」
「……それは、どういうことだ?」
 聞き返したが、すぐに自分でもそれに気付く。
「……そうか。今まで一緒にいたあゆは、俺が造り出したものに過ぎないから……」
「はい。当然、本当のあゆさんは、7年前に相沢さんと一緒に遊んだ記憶より後は、何も知らないんです」
「……」
「それでも、そのあゆさんと逢いたいですか? 水瀬さんや美坂さんや、みんなのことはまったく知らない。相沢さんのことも、恨んでいるかもしれない、憎んでいるかもしれない。それでも……?」
「……いや」
 俺は、首を振った。
「俺が逢うか逢わないか以前に、あゆは起こしてやらないといけないんだ。いつまでも眠り続けるなんて、可哀想じゃないか」
「……そうですね」
 天野は頷いた。そして、立ち上がった。
「それでは、私は帰ります」
「いいのか、俺を放置して。何しろ俺は超能力者なんだろ?」
 冗談めかして言うと、天野はくすっと笑った。
「相沢さん。多分、あゆさんを起こせば、相沢さんは二度と力を使うことは出来なくなりますよ」
「……どうしてだ?」
「叶えられる願いは3つきり。そういう約束でしょう?」
 静かにそう言うと、天野は歩き去って行った。
 その姿が闇に消えるまで見送ってから、俺も家に向かって歩き出した。

 帰り道、一人で俺は何度も天野の言葉を反芻していた。
 俺には思いを形にする力がある。あゆは俺が造りだしたものだった。
 そう考えれば納得できることも多い。
 商店街で“偶然”出逢えたこと。
 あゆがいつも俺の考えを読んでいたこと。
 でも……。
 不意に、微かな引っかかりを感じて、俺は立ち止まった。
 と、
「祐一……」
 名前を呼ばれて、顔を上げると、そこにいたのは名雪だった。
「名雪……」
「あゆちゃんに、逢えた?」
「……ああ」
 俺が頷くと、名雪は微笑んだ。
 全てを知っているように。
「……よかったね」
「……そうだな」
「それじゃ、帰ろう。お母さんが夕御飯を用意して待ってるよ」
 そう言って、名雪は俺の右手をきゅっと握った。
「わ、冷たい」
「ずっと外にいたからな」
 名雪の手は、柔らかくて暖かかった。
「行こっ」
「ああ」
 俺達は、並んで歩き出した。

 玄関に着いたときに、名雪と手を繋いでいるところを真琴と栞に見られて大騒ぎになったのは、どうでもいいことなので省く。
「祐一さん、ひどいですっ!」
「名雪ずるい〜! 真琴も手繋ぐのっ!!」

Fortsetzung folgt

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あとがき
 とりあえず、これであゆあゆ編は一応けりついたってことで(笑)
 あゆあゆ消滅シーンがKanon本編と同じなのは、勘弁してください。あれ以上のシーンは思いつきませんでした(苦笑)

 
 プールに行こう3 Episode 50 00/8/21 Up 00/8/22 Update

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