トップページに戻る 目次に戻る 前回に戻る 末尾へ 次回へ続く
『朝〜、朝だよ〜。朝ご飯食べて学校行くよ〜』
Fortsetzung folgt
枕元から聞こえる名雪の声に、目が覚める。
毎度毎度これでよく目が覚めるもんだ、と思いながら、右手を伸ばして目覚ましを止めようとする。
……手が持ち上がらなかった。
一瞬、何事かと思ったが、すぐに思い当たって、俺は左手で目覚ましを止めると、返す手で身体を包んでいた毛布を一気にはいだ。
次の瞬間、寒気が身に突き刺さり、やめとけば良かったと後悔の念に駆られる。
「あうっ、寒い〜っ」
予想通り、俺の右手を抱きしめるようにして眠っていた真琴が、いきなりの寒さに悲鳴を上げて目を覚ます。さすが狐だけあって目覚めは良いらしい。
「あっ、祐一、おはよっ……。あう、寒い……」
元気良く挨拶しかけて、寒さのあまり尻尾を丸める真琴。
「あ、あれ? 毛布どこっ?」
「……お前、何してる?」
俺の言葉に混じった怒気に気付いたのか気付いてないのか、真琴は床に落ちていた毛布を身体に巻き付けてほっと一息ついた。
「あう〜、寒かったよぉ〜」
と、不意にドアが開いた。
「祐一さんっ、おはよ……。ああーっっ! 真琴さん、どうしてっ!?」
俺は額を押さえた。
「栞も、朝からノックもなしに入ってくるなよなぁ……」
「祐一は真琴のだもんっ」
「どうしてそうなるんですかっ!」
早速、始まってしまった。俺は頭を抱えて、栞と真琴の口喧嘩を見守るしかなかった。
と。
「あらあら、朝から賑やかね」
そう言いながら、秋子さんが俺の部屋を覗き込んでいた。
「あ、秋子さん。これは、その……」
「了承」
言い訳しようとする俺を遮るようにそう言うと、秋子さんはドアを閉めて立ち去ってしまった。
「……了承って、どういう意味だ?」
「あ、きっと真琴と祐一がけっこんしてもいいって意味だよ」
「絶対違いますっ!!」
「なにようっ!」
「なんですかっ!」
再び始まりそうな口喧嘩に、俺は慌てて割って入った。
「こら、待て、二人ともっ!」
「祐一さんは下がっていてくださいっ。これは女の問題なんですっ」
「そうよっ。祐一は引っ込んでてっ!」
らちがあかない。俺はため息をついて、最終兵器を使用することにした。
「大人しくすれば、後でバニラアイスと肉まんを奢ってやる」
「祐一さん、大好きですっ」
「わーいっ、肉まん肉まんっ」
……ここまで効き目があるとは思わなかった。
二人が大人しくなったところで、俺は改めて真琴に尋ねた。
「で、真琴がなんで俺の……ところにいたんだ?」
ベッドの中に、と言いかけて、栞がいることに気付いて表現を変える。
「だって、真琴の部屋で舞が寝てるんだもん」
真琴は口を尖らせた。
そう言えば、そうだった。舞は、ここにいる時は真琴の部屋で寝泊まりしているのだが、昨日は特にあんなことがあったわけだし。
「でも、真琴さんはリビングで寝てるんじゃなかったんですか?」
栞がじろりと真琴を睨む。が、真琴はその視線を軽く受け流してえへへと笑った。
「だって、寂しかったんだもん」
「そんなことで、いちいち祐一さんの所に来ないでください」
「そんなの栞に関係ないでしょっ!」
「関係有りますっ。だって……」
そこで、いきなりぽっと頬を染める栞。
「夕べ、祐一さんと私は……。きゃ、恥ずかしいっ」
「なっ!? ゆ、祐一っ、栞となにしたのようっ!」
「なんもしとらんっ!」
「ひどいっ! 夕べのことは遊びだったんですかっ! よよよ〜」
そのまま泣き崩れる栞……。かなりわざとらしいが。
俺は呆れて立ち上がった。
「もういいから、お前ら着替えてこい」
「はーい」
何故か声を揃えて、二人は出ていった。ぱたんと閉まったドアの向こうから、声が聞こえる。
「こういう展開も、メロドラマみたいでかっこいいですよね」
「うん、真琴も少女漫画でよく読むよっ」
……あいつら、もしかしてぐるになって俺をからかってんじゃないのか?
俺は朝っぱらから疲れ果てて、そのままベッドに倒れ込んだ。
と、壁の向こうからいきなりアラームやベルが盛大に鳴り出した。
ジリリリリリリリリリ
ピピピピピピピピピ
「わぁ〜〜〜っ」
ドドドドッ
「きゃっ! 真琴さんっ!」
続いて真琴と栞の悲鳴。音から察するに、真琴が驚いて階段を転げ落ちたんだろう。
俺がため息混じりにベッドから起き上がり、制服に着替えている間にも、ベルの音に紛れて声が聞こえてくる。
「あうーっ、痛いよぉ〜」
「ほら、しっかりしてください。湿布張ってあげますから。ほら、立てますか?」
「あう……うん……」
なんか微笑ましい様子が目に浮かぶようだった。
「名雪ーっ、起きろ〜」
声を掛けながらドアをノックするが、案の定返事はない。俺はノブに手を掛けて回した。
「入るぞ〜っ」
一応声をかけて、部屋に入ると、順番に目覚ましを止めていく。
それから、ベッドでけろぴーを抱いて眠っている名雪の肩を揺さぶる。
「おい、起きろっ! 名雪っ!!」
「うにゅ……」
小さく呻くと、名雪は目を開けた。
「あ、祐一……。あふ……」
途中で欠伸をして、ゆっくりと上半身を起こすと、目を閉じたままで俺の方を向く。
「来てくれたんだね……」
「へ?」
「もう一度言いたかったんだよ……」
名雪はそう呟いた。
「わたし、ずっと言えなかったけど……」
「名雪っ!」
俺は何故か、その先を聞いてはいけないような気がして、思わず大声を上げていた。
「……うにゅ……」
名雪が目を開ける。とろんとしていた目の焦点がだんだん合ってきて、それから、わ、と口をあける。
「祐一、どうしたの?」
「……どうしたの、じゃないだろ?」
ため息混じりに言うと、名雪は、「あ、そうか」と頷いた。
「また、起こしてくれたんだね。ありがとう」
「ったく。さっさと着替えて降りて来いよ」
「あっ、待って」
俺を呼び止めると、名雪はベッドから降りた。そして、机のところに行くと、引き出しから紙袋を取り出す。
「はい、これ。修理出来たから」
俺は、紙袋を開けて、中のものを取り出した。
それは、一昨日の夜、名雪に渡した、思い出の人形だった。
「結構苦労したんだよ」
名雪の言葉にふさわしく、泥まみれで羽とわっかを失っていた人形は、見違えるように綺麗になっていた。
まるで、7年前そのままの姿に。
「ほとんどが代用品になっちゃったけど、いいかな?」
「ああ。しかし……良くできてるな」
俺は人形をひっくり返してみた。
「うん。栞ちゃんや真琴も手伝ってくれたし」
「真琴は何を手伝ったんだ?」
そういや、指先に針を突き刺した様子もなかったし、と思って訊ねると、名雪はにこっと笑った。
「材料を渡すのを手伝ってもらったんだよ」
……賢い選択だな。
「とにかく、サンキュな。こんど埋め合わせするぜ」
「イチゴサンデー」
「……わかった(半泣き)」
パタン
名雪の部屋のドアを閉めると、俺は手の中の人形を見つめた。
あゆの願いを2つ叶えた、天使の人形。
俺は……。
と、不意に真琴の部屋のドアが開いて、制服姿の舞が出てきた。
「うぉっと」
「……あ」
ぶつかりそうになり、俺は身を捻った拍子に、廊下の手すりに身体をぶつけてしまい、小さく呻いた。
「つつっ。舞、大丈夫か?」
「……」
舞は一瞬だけ迷うように視線を泳がせてから、こくりと頷いた。
それだけで、今の俺には十分判った。
「まだ、左腕の調子は悪いんだな?」
「大丈夫」
「舞の大丈夫はあてにならないからな。今日は土曜だし、午後から病院に行こうぜ」
「いや」
……え?
ほとんど初めての強い拒絶に、俺が半ば呆然としている間に、舞は階段を降りていった。
その時も、左手はだらんと下げたままだった。
「あっ、舞っ!」
「病院なんて……信用できない」
そう呟き、舞はダイニングに入っていった。
「舞……」
カチャ
「お待たせ、祐一。……どうかしたの?」
着替えて出てきた名雪に声を掛けられて、俺は我に返った。
「あ、いや。なんでもない」
「……変な祐一」
「名雪に変って言われるようじゃ、壮絶に変なんだな、きっと」
「もしかして、わたしの悪口言ってる?」
「さて、急がないと遅刻しちまうな。お前も早く顔を洗って来いよ」
「わっ、待ってよ」
名雪の声を背に、俺は階段を降りていった。
今日は土曜日なので、授業は午前中で終わりである。
「……それなのに、どうして俺達は食堂で弁当食ってるんだ?」
「祐一さん、ひどいですっ。私のお弁当毎日食べてくれるって約束したのに、あれは嘘だったんですかっ」
「そんな約束した憶えは無いぞ」
俺が言うと、栞は「あれ?」と首を傾げた。
「そうでしたっけ?」
「そうだ」
「でも、せっかく作ってきたんですから、ちゃんと食べてくださいね」
後ろで香里が殺意の波動を放っていたので、俺はそれ以上抗弁せずに食べることにした。
「美味しいですか?」
「……ああ、まぁな」
その向こうでは、真琴がじたばたしていた。
「あうーっ、おべんと作ってくるの忘れてたぁーっ」
「真琴、人が食べているところであまり暴れるものではありませんよ」
天野にたしなめられて、真琴はしばらくうーっとうなっていたが、やがて拳を天に突き上げて宣言した。
「明日こそ、ここで真琴のお弁当食べてもらうからねっ!」
「……真琴、明日は日曜だから、学校はお休みです」
「え?」
天野の言葉に、真琴は硬直していた。
それをよそに、俺は佐祐理さんに尋ねた。
「で、舞の方は?」
「……ごめんなさい、祐一さん」
佐祐理さんは、すまなそうに俺に頭を下げた。
今日の1時間目の休み時間に、俺は佐祐理さんに舞の左腕の事を説明して、病院に行くように説得を頼んだのだ。俺がダメでも、佐祐理さんならあるいは、と期待しての事だったが……。
「佐祐理からお願いしてもダメでした」
「……そっか」
俺は、素知らぬ顔で弁当を食べている舞を見た。いつもなら左手にお茶の入ったコップを持っているのだが、今日はその左手をだらんと下げたままだ。
「どっちにしても、このままじゃ舞の為にも良くないなぁ。よし、こうなったら無理矢理にでも引きずっていくか」
「祐一さんには、やることがあるんですよね?」
佐祐理さんは、俺の目をじっと見た。
「舞のことは、佐祐理に任せてもらえませんか?」
「……ああ、わかった」
その瞳を見て、俺は頷いた。
「それじゃ頼むよ、佐祐理さん」
「はいっ、任せてください」
一転、いつもの笑顔になった佐祐理さんは、早速舞に何か話しかけている。
俺は皆に視線を向けた。
「みんなのおかげで人形の修理も出来たことだし、俺はこれから、『学校』に行ってみようと思う」
「あ、それじゃ私も……」
言いかけた栞を制して、俺は言葉を続けた。
「みんなには悪いけど、今日は一人で行かせてくれないか?」
「えーっ? 真琴も行くーっ!」
真琴が箸に餃子を突き刺して喚いたが、天野がその肩を押さえて首を振る。
「邪魔してはいけませんよ」
「あう……、でも……」
「真琴」
天野の目に見据えられて、真琴は不承不承頷いた。
「わかったわよう。祐一、早く帰ってきてね」
「ああ、できるだけな」
「気を付けてくださいね」
栞も気掛かりそうな顔をしながら、俺に言った。
「心配するなって」
そう答えて、名雪に視線を向ける。
「……祐一。ふぁいとっ、だよっ」
名雪の笑顔に、俺は頷いた。
「ああ。ここまで、名雪達に手伝ってもらったんだ。ここからは俺の出番だ」
「うん」
頷くと、名雪は一瞬、ほんの一瞬だけ、寂しそうな顔をした。
「ん?」
「なんでもないよ。それじゃ、わたしは部活があるから」
そう言って立ち上がった名雪は、既にいつもの名雪だった。
ガサガサッ
茂みをかき分けると、目の前にぽっかりと空間が広がった。
その中央には、巨大な切り株。
俺はその切り株に腰を下ろした。そして、懐から人形を取り出して、手の中にあるそれを見つめた。
「……あゆ」
トップページに戻る
目次に戻る
前回に戻る
先頭へ
次回へ続く
あとがき
Kanonの本編では、どのシナリオでも、ラストの方では祐一はかなりせっぱ詰まってます(精神的にバランスを欠く状態にあると言ってもいいと思います) その分、その心情がダイレクトにこっちに伝わってきて、いわゆる感動を呼ぶわけですから、それはそれでいいんですけど。
プール3の場合、祐一はそちらに比べるとせっぱ詰まってません。本編と比べると、一歩引いたスタンスにいると言ってもいいと思います。
人生、余裕が必要だよ、ということです(笑)
早いもので、次がもう50話。これからが本番です。
……なんて、ちょっとかっこいいセリフですよね(栞風に)
PS
格闘家アンディ・フグ氏の訃報に接しました。あの豪快なかかと落としがもう見られないとは……。謹んでご冥福をお祈りします。
プールに行こう3 Episode 49 00/8/21 Up