トップページに戻る  目次に戻る  前回に戻る  末尾へ  次回へ続く

Kanon Short Story #13
プールに行こう3 Episode 48

「小さな女の子だったよ。これくらいの、長い黒髪の女の子」
 これくらいの、と言いながら、ちょうど自分の胸辺りのところで手をかざす真琴。
 その真琴の言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏に一人の少女の姿が写った。
 あの時……、真琴が復活したとき、あの黄金の麦畑で出逢った少女。
「……でも、どうして真琴に見えたんだ……? 俺や舞には見えてないのに……」
「そんなのわかんないわよう」
 ぶんぶんと首を振る真琴。
 秋子さんが呟く。
「もし、川澄さんが真琴の時と同じだとしたら、医者に診せても何もならないわ……。むしろ……」
 確かにそうかもしれないけど……。
「でも、そうだとは限らないじゃないですか」
「それなら、巳間先生に相談してみませんか?」
 栞が口を挟む。
「それか、鹿沼先生に……」
 巳間先生っていうのは、確か栞が入院してたときの担当医だったよな。鹿沼さんはあゆの担当医だから覚えてるけど、巳間って人には逢ったことあったかな?
 いや、それよりも……。
「相談してみるったって、舞は左腕が麻痺してるんだろ? 急いでなんとかしないと、後遺症が残るとかあるかもしれないじゃないか。悠長に相談してる余裕なんか……」
「大丈夫ですよ」
 栞はそう言うと、ポケットから携帯電話を出した。
「それは……?」
「退院するときに、電話番号を教えてもらったんですよ。何かあったらいつでも連絡して欲しいって」
 栞はそう言って、ボタンを幾つか押して、耳を押し当てた。
「……あ、夜分申し訳ありません。美坂栞と申しますが……。あ、もしかして晴香さんですか? ……あ、はい。先生に……。あ、こんばんわ、美坂です。……いえ、元気ですよ。そうではなくて、ちょっと相談したいことが……」

 栞が電話して30分後、家のチャイムが鳴った。
 ピンポーン
 秋子さんが玄関先に出ていき、一組の男女を連れてリビングに戻ってきた。
 男性の方は、そういえば見覚えがあった。真琴の薬を使おうとしてICUに突入したときに、栞の容態を看てた医者だ。彼が栞の担当医をしていた巳間医師なのだろう。
 女性の方は、正真正銘初めて見た。……雰囲気がどことなく香里に似てる気がするが、あいつよりは影が濃そうだ。
「あ、巳間先生、晴香さん、こんばんわ」
 栞の方は、女性の方とも知り合いらしく、ぺこりと頭を下げた。巳間医師は栞に訊ねた。
「やぁ。美坂さん、身体の方は?」
「あは、昨日の今日ですよ。それより……」
「そうだね」
 頷いて、秋子さんの方に向き直る。
「水瀬さん、それで、患者は……?」
「今、案内しますわ」
 そう言って、リビングを出ていく。2人はその後に付いていった。
 俺は3人が2階に上がっていくのを見送ってから、栞に訊ねた。
「あの、女の人の方も知ってるの?」
「あ、祐一さんは初めてですね。巳間先生の妹さんで、晴香さんですよ。准看護婦の資格も持ってて、往診のときは巳間先生の助手を務めてるんです」
「へぇ、美人だなぁ」
「……祐一さんっ」
 ぎゅーっ
「いててててっ、そう言う意味じゃないってっ!」
「知りませんっ」
 ぷいっとそっぽを向く栞。と、真琴が俺の膝の上にぴょんと乗った。
「それじゃ祐一は真琴のねっ!」
「あっ! そうじゃなくって、やっぱりダメですっ!」
 慌てて真琴を俺の膝の上から引っ張り落とす栞。
「きゃっ! なにすんのようっ!」
「……お前らなぁ……」
 と、そこで不意に思い出した。
「そうだ。あの人形はどうなったんだ?」
「ええっと……」
「それはぁ……」
 顔を見合わす栞と真琴。
「?」
「その、名雪さんが自分でやるからって……」
「そうそう。それで、それじゃ任せるね〜って……」
 ……俺と舞を追いかけてきたわけか、この二人は。
 俺はため息をついた。
 と、階段を降りてくる足音がして、続いて声がリビングのドア越しに聞こえてきた。
「すみません。わざわざ来て頂いたのに……」
「いえ、構いませんよ」
 どうやら診察が終わったらしい。
「あ、リビングの方へどうぞ。お茶でも出しますから」
「いえ、そんな……」
「あら、兄さん。今日は遠慮気味なのね〜」
「こら、晴香っ」
 ドアが開いて、2人が顔を出した。
「あ、巳間先生、晴香さん、終わったんですか?」
「ああ。……えっと、君は……」
「あ、俺は相沢祐一です。秋子さんの甥で、ちょっとわけありでここに居候させてもらってます」
「なるほど〜。君が相沢くんなのね〜」
 晴香さんが、手を後ろに組んで俺を上から下までじーっと見る。
「な、なんです?」
「栞ちゃんから色々と聞いてるから、本人に一度逢ってみたかったのよ」
「はっ、晴香さんっ!」
 栞が慌てて晴香さんと俺の間に割って入る。
「ええっと、それでこちらが真琴ちゃんです」
「沢渡真琴」
 警戒の色を浮かべながらも、一応自分の名前は名乗る真琴。俺が説明する。
「ええっと、まぁ何だかんだあって、秋子さんの養女になった奴です」
「なるほど、興味深いなぁ」
「ちょっと兄さん、その物言いは失礼でしょ? ごめんね、兄さんったら医者馬鹿なんだから」
「おいおい、晴香。兄に向かって馬鹿はないだろ、馬鹿は」
 なんとも仲の良い兄妹である。
 と、秋子さんがキッチンからお茶を運んできた。
「あ、おかまいなく」
「何よ、兄さん。いつもなら「こんなお茶飲めるか〜っ」ってちゃぶ台ひっくり返すくせに」
「あのなぁ、いつ俺がそんなことしたっ?」
「うふふ、まぁどうぞ」
 秋子さんに言われて、慌てて座り直す巳間医師。
「こほん。すみません」
 ようやく口を挟むタイミングを見つけて、俺は訊ねた。
「それで、舞はどうなんです?」
「僕の専門は内科だから、はっきりしたことは言えないんだが……」
 巳間医師は、そう前置きして、両腕を組んだ。
「正直なところ、何とも言えない。率直に言って、問診にもちゃんと答えてもらえない状態では、こちらもお手上げだな」
「……はは」
 俺は苦笑するしかなかった。考えてみれば、あの舞が、医者のあれこれくどいくらいにしてくる質問に、一々ちゃんと答えるわけがないか。
「とりあえず、医者としては、明日にでも病院に来て精密検査を受けることを勧めるくらいしか出来ないな。もし良ければ、僕の方から話を通しておくけど」
「うーん、ちゃんと行くとは保証出来ないですから……。何せ本人があれなんで……」
「そういう患者が一番困るんだよねぇ。ねぇ、美坂さん」
「あは、あはは」
 栞は額に汗を浮かべて、引きつった笑いを浮かべていた。

「それじゃ、お邪魔しました。彼女に、お大事に、と伝えてください」
「はい、すみませんでした」
「いえ。また何かあれば、いつでも連絡してください」
「じゃあね、栞ちゃん」
「はい、晴香さんも」
 二人が帰っていくのを見送って、ドアを閉めて振り返ると、パジャマ姿の舞が階段を降りてきていた。
 ちなみに、舞のパジャマは名雪や秋子さんのではサイズが合わないので、こういうことにはそつのない佐祐理さんが用意していた青いシンプルなものを使っている。
「舞?」
 俺が声をかけると、舞はちらっと俺を見て、呟いた。
「お腹空いた」
 そういや、牛丼食いたいって帰りにも言ってたっけ?
「牛丼の用意、出来てるわよ。食べる?」
「……」
 秋子さんの言葉にこくりと頷く舞。
「それじゃ、すぐにあっためるから、ダイニングの方に行って待っててね」
 もう一度頷いて、舞はダイニングに入っていった。
 それを見送ってから、俺は秋子さんに尋ねた。
「秋子さん、どうして牛丼の用意してたんですか?」
 俺は秋子さんには牛丼の話はしていなかったはずなんだが……。
 秋子さんは静かに答えた。
「企業秘密です」
「……そうですか」
 俺はそうとしか答えられなかった。

 ダイニングに入って、舞の正面の席に座ると、舞は俺に視線を向けた。
「……何?」
「いや、ちょっと聞きたいことがあってな。……舞は、魔物の姿を見たことはあるのか?」
「……?」
 聞きたいことが判らない、というように小首を傾げる舞。
 俺は言い直した。
「魔物を目でちゃんと確認した事はあるのかってこと」
「目では、見たことはない。でも感じられるから……」
「……そうか」
 俺は頷いた。そこに、秋子さんがキッチンから牛丼を片手に出てきた。
「お待たせしました。あら、祐一さんも食べるんですか?」
「いえ、俺はいいです」
「そうですか。はい、川澄さん」
「……」
 舞は無言で箸を手にして、牛丼を食べ始める。
「美味いか、舞?」
「……」
 俺の質問にこくりと頷きながら牛丼をかき込む舞を、秋子さんは嬉しそうに見守っていた。
 俺はそんな二人を見ながら、考え込んでいた。
 舞自身は魔物の姿を目では見たことはないという。だとすると、真琴が見た女の子っていうのは……?
 なにかが繋がりそうで繋がらない、そんなもどかしさ。
「……欲しいの?」
 舞に聞かれて、俺ははっと我に返った。
 どうやら、俺があまりじーっと見ていたので勘違いされたらしい。
「いや、いらない」
「そう……」
 一言言って、牛丼に戻る舞。
 俺は立ち上がった。
「風呂にでも入ってきます」
「ええ。あ、ただし、ちゃんと中に誰も入ってないことは確認してね」
 秋子さんに言われて、俺は思わず赤面した。
「……そうします」

 中に誰もいないことを3回ほど確認してから、風呂に入るとゆっくりと湯船に浸かって身体を伸ばす。
「……ふぅ」
 極楽、極楽っと。
 鼻歌なんか出ちまうよな。
「ふんふんふ〜ん♪」
 と、不意に脱衣場の方で何かが動くのが、磨りガラス越しに見えた。
「ん?」
 秋子さんが洗濯物でも取りに来たのか?
 そう思って視線を逸らしたとき、不意にドアが開いた。
「お、お待たせしました……、祐一さん」
「……はい?」
 そこには、バスタオルで身体を巻いた栞が、真っ赤になって立っていた。
 ……秋子さん、向こうから入ってきた場合は、どうすればいいでしょう?
「……ええっと、何をしてるのかな、栞さん?」
「あ、あの、お、お背中をお流ししようと、思って、その……」
 栞はちらっと視線を逸らしながら、言った。
「昨日は、私、のぼせちゃって、ちゃんとサービス出来ませんでしたから、その、祐一さんに悪いことしたなと思って、それで、その……ええっと……。は、恥ずかしいですけど、ちゃんとしますから……」
 なにを?
 俺がまだ呆気にとられているうちに、栞は風呂場に入るとドアを閉めてしまった。
「あ、開けて置くと、寒いですから……。くちゅん」
 小さなくしゃみをする栞。
 俺は慌てて立ち上がった。
「と、とにかく、俺は出るから、栞はゆっくり暖まって行けって」
 そのまま、タオルで前を隠しながら出ていこうとした俺を、栞が呼び止める。
「あ、あの、祐一さん……」
「な、なんだ?」
「わ、私、その、……まだちっちゃいですけど、そのうちおっきくなりますから、ですから、その……」
 真っ赤になってもじもじしている栞を見ていると、なんだか微笑ましい気分になってきた。
「えっと、あの……」
「わかった。それじゃ、背中を流してもらおうかな」
 そう言いながら、腰掛けに座る俺。
「あっ、はいっ! 頑張りますっ」
 栞は、顔を上げて笑顔で頷いた。

 その後、詳しくは書かないが、めくるめく快楽の世界を俺が堪能したとだけは言っておこう。
「祐一さん、私、恥ずかしかったですよ〜」
 漢の浪漫万歳。

Fortsetzung folgt

 トップページに戻る  目次に戻る  前回に戻る  先頭へ  次回へ続く

あとがき
 二夜連続とは誰も予想できまい。私も出来なかった(笑)
 何があったかはえいえんのせかい……じゃなくて、永遠の謎です。

 プールに行こう3 Episode 48 00/8/20 Up 00/8/23 Update

お名前を教えてください

あなたのEメールアドレスを教えてください

採点(10段階評価で、10が最高です) 1 10
よろしければ感想をお願いします

 空欄があれば送信しない
 送信内容のコピーを表示
 内容確認画面を出さないで送信する