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Kanon Short Story #13
プールに行こう3 Episode 46

 きーんこーんかーんこーん
 どうでもいい授業を聞き流しているうちに、昼休みを告げるチャイムが鳴った。
 4時間目の授業をしていた数学の教師が出ていくと同時に、俺は立ち上がる。
「さて、と……」
「どこにいくつもり、相沢くん?」
 斜め後ろの席から香里に尋ねられ、俺は遠い目をした。
「俺はこのどこまでも広がる空の向こう側にあるという幸せの国を求めて旅立つのだ」
「あら、そうなの。それじゃ手伝ってあげましょうか?」
「冗談だから、目をオレンジ色にするのはやめてください」
 うーん、どうも香里には卑屈になってしまう昨今である。
「何を贅沢なことを言ってるんだ相沢っ! 俺は全然後悔してないぞっ」
「いや、北川の意見なんて誰も聞いてないぞ」
「あはは〜」
 北川をからかっていると聞こえてきた、もう耳慣れた笑い声に、俺は額を押さえた。
「佐祐理さん、お願いですから下級生の教室に躊躇いもなく入ってくるのは勘弁してください」
「はぇ? どうしてですか?」
 屈託のない笑顔で聞き返す佐祐理さん。あんど、野郎どもの殺気。
「相沢め、俺達のお嬢を追い返そうなんて、なんてふてぇ野郎だ」
「放課後、ちょっとシメるか?」
 ……物騒な相談も聞こえてくるし。
 と、いきなり背中に柔らかい感触が。
「ゆ〜いちっ! えへへ〜」
「うわぁ、真琴っ!」
 背中にしがみついていたのは真琴だった。俺が佐祐理さんに気を取られている間に、こっそり背後から忍び寄ってきたらしい。
 うぉ、背中に柔らかいふくらみが当たってるっ!
「相沢のやろう、俺達の真琴ちゃんに何てうらやましい……」
「放課後、じっくりシメるか?」
 ……聞こえない聞こえない。
「真琴、あまりみんなの前でそういうことをするものではないですよ」
 こちらもいつの間にか教室に入ってきていた天野が、真琴の首筋をひょいと掴む。
「あうーっ」
 困ったような声をあげながら、身をすくめて大人しくなる真琴。
 それにしても、天野は秋子さんとは別の意味で真琴の扱いが上手いな。今度コツを聞いてみよう。
 そう思いながら声をかける。
「よう」
「はい」
 天野はそう返事をすると、頭を下げた。
「真琴が失礼しました」
「いや、天野が謝る事じゃないけどな」
 と、不意に後ろから首をぐいっとねじられた。
「いてっ! な、なにすんだ香里っ!」
「相沢くん、いつまであたしの妹を無視するつもりなのかしら?」
 うぉ、香里の額に血管が浮いてるっ! ……って、栞も来てたのか?
 慌てて教室の入り口の方を見ると、栞がそこにちょこんと立ってこっちを伺っている。
「……なんで入ってこないんだ?」
「普通、他人の教室に、ましてや下級生がずかずかと入っていくものではないわよ」
 呆れたように言う香里。
「なんか俺の周りには普通じゃない生徒が集まっているかのような言い方だな」
「いいから、さっさと迎えに行きなさい」
 香里に言われて、俺は肩をすくめて教室の入り口に歩いていった。
「よう、栞」
「祐一さん、遅いですっ」
 ぷっと膨れて俺を見上げる栞。
「恋人が来てるんですから、すぐに出てきてください」
「……誰が恋人だ?」
 俺が思わず聞き返すと、栞は唇に指を当てて考え込んだ。
「それじゃ、想い人とか」
「同じだろ」
「わかりました。それじゃ美少女で」
「殴るぞ」
「わぁっ、ひどいです」
 と、また背中にふかっと柔らかな感触。
「ゆういち〜」
「ああっ、またくっついてる! 離れてくださいっ」
 慌てて真琴の肩を掴んで引っ張る栞。
「わぁっ、祐一、栞が引っ張る〜」
「こら、やめ……どうわぁっ!」
「きゃぁ!」
 バランスを崩して、栞と真琴ごと転ぶ俺。
「くそ、下級生の美少女まで毒牙にかけやがって」
「やっぱシメよう」
 そんな会話を聞き流しながら、俺は起き上がった。制服の埃をはたきながら言う。
「ったく。いい加減にしないと追い返すぞ」
「相沢くん」
「相沢さん」
 そう言った瞬間、後ろから香里と天野の声がした。
「くそ、後見人付きとは卑怯な……」
「美少女の特権です。そんなことよりも、早くお弁当にしましょう」
 栞が笑顔で言って、風呂敷包みを掲げてみせる。
「大好評につき、今日は秋子さんに手伝ってもらって増量1.5倍ですからっ」
「……」
 無言でだぁーっと涙を流す俺。
 栞はぽんと両手を合わせた。
「そんなに喜んでもらって、私も嬉しいですっ」
「あうーっ。真琴も明日からおべんと作ってくるからねっ!!」
 後ろで真琴が両手を振り上げる。
 なんか、もうどうにでもしてくれ、という気分で、俺は弁当に向かい合うことにした。

 どうにか特大弁当を食い終わってから、栞に胃薬をもらって飲んでいると、天野が言った。
「相沢さん」
「ん〜?」
 返事が間延びしたのは、腹一杯で苦しかったからだ。
 天野は、そんなことには頓着しない様子で、言葉を続けた。
「これから、どうするんですか?」
「5時間目は寝る」
「いえ、そうではなくて……」
「あゆちゃんのことだよね」
 こちらは、栞がデザートにもってきたイチゴをもらってご機嫌な名雪。
「まぁ、そうだろうとは思ったけど」
「判っててからかったんですか?」
「悪かった。この通り謝る」
「ごめんね天野さん。わたしも謝っておくよ」
 名雪にも頭を下げられて、天野はため息をついた。
「……はぁ。それで……?」
「あゆのことか? とりあえず人形が直ったら、それを持ってもう一度、『学校』に行ってみようと思う」
 既に、俺とあゆのことは、昼飯を食いながらあらかたのことはみんなに話してある。……っていうか、強制的にしゃべらされた。俺のほろ苦い初恋メモリーだいなしである。
「……そうですか」
 天野は頷いた。そして呟く。
「納得できれば、いいわけですから……」
「なんだって?」
「……いえ」
 首を振って、天野は立ち上がった。
「真琴、そろそろ戻りましょう」
「ええーっ? もう?」
「はい」
 こくりと頷く天野。真琴はしばらく「あうーっ」とうなっていたが、不承不承立ち上がった。
「わかったわよう。人間は辛いわ……」
「真琴、ふぁいとっ、だよっ」
「あう〜っ」
 名雪にも言われて、真琴はしおしおと教室を出ていった。天野が一礼して、その後を追う。
「それじゃ、私も教室に戻ります。またね、お姉ちゃん」
 栞がそう言って、弁当箱の入った風呂敷包みを下げて出ていく。
「それじゃ、私たちも戻りますね〜。ね、舞?」
「はちみつクマさん」
 上級生2人も出ていくと、教室が急に静かになる。
 俺は大きく息を付いて、机の上に身を投げた。
「……香里」
「何よ?」
「もう少し、栞の弁当なんとかならんか?」
「何が不満なわけ?」
「量」
 俺は即座に返事した。
「……そうね。今度言っておくわ」
 あれ?
 いつもと反応が違うので、振り返ってみると、香里は窓の外を眺めながら微笑んでいた。
「……急いで愛情を示す必要も無くなったわけだしね」
 俺は肩をすくめた。
「なぁ、香里。もう妹の心配をする必要もあんまりなくなったわけだし、そろそろ自分の幸せを捜してみたらどうだ?」
「そうだよ、香里」
 静かだから寝てたと思っていた名雪が、不意に口を挟む。
 香里はくすっと笑った。
「そうかも……しれないわね」
「その際には北川潤、北川潤をお忘れなくっ!」
「あたしも、妹離れした方が、いいかもしれないわね」
 そう言いながら、香里は静かに窓の外の青空を見上げた。
「でも、もうしばらくは、お姉ちゃんをさせて欲しいのよ。……栞が普通の生活に憧れてたみたいに、あたしだって普通の姉ってのに憧れてたんだから」
「あ、それわたしも判るよ〜。なんかお姉ちゃんっていいよね〜」
 真琴という妹が出来た名雪もうんうんと頷く。
「わたし、ずっと一人っ子だったから、妹出来て嬉しいよ〜」
「相変わらずね、名雪は……」
 俺は、おしゃべりに興じ始めた2人から視線を逸らして、後ろに向けた。
「……なんかフォローした方が良かったか?」
「……いや、むしろ、何もなかったように無視してくれたほうがいい……」
 北川は床にのの字を書いていじけていた。

 特に何事もなく放課後になり、俺は帰りに商店街に寄るという皆と別れて、一人で家に帰ることにした。
「……」
 ぽかっ
 訂正。舞と一緒に家に向かっているところだ。
「そういや、帰りに舞と2人だけってのは今までなかったよな?」
「……」
 こくりと頷く舞。
 ちょうどいい。昨日のことを謝っておこう。
 俺は、舞に声をかけた。
「なぁ、昨日は……その、悪かった」
「何が?」
 そう聞き返しながら、こっちを見る舞。
「何がって、その、親のこと聞いたりして……」
 舞に父親がいないっていうのは、俺は初耳だった。佐祐理さんなら知ってたんだろうか?
「……別にいい。お母さんもいるし」
 父親がいない、っていう境遇は名雪と同じなんだな。
「舞のお袋さんは、元気なのか?」
「今は……」
 そう呟いた舞の表情は、どこか哀しそうだった。
 なんか、また悪いことを聞いてしまったようだ。
「えっと……。そうだ! 舞はずっとここに住んでたのか?」
「……遠いところから引っ越してきた」
 ……さらに哀しそうだ。なにかどんどん泥沼になってるみたいだ。
 いかん、どうにかせねば……。
 えーっと、えーっと。
 俺が頭をフル回転させて話題を考えていると、不意に前から声をかけられた。
「あら、祐一さんと川澄さんじゃないですか」
 顔を上げると、買い物かごを提げた秋子さんだった。俺達を見比べて、頬に手を当てる。
「デートですか?」
「えっ? いや、ぜんっぜん違いますよ」
 手を振って否定すると、いきなり舞にチョップされた。
 ぽかぽかっ
 しかも連打だった。
「痛い、こら舞やめんかっ」
「……」
 舞は、何故か不満そうだった。
 秋子さんは、そんな俺達を見て「そうですか」と、にこやかに頷いた。それから訊ねる。
「今から今晩のおかずの買い物に行くんですけど、何か食べたいものはありますか?」
「いえ、俺は別に……。舞は?」
「くじらさん」
「鯨って、そんな外国を怒らせるようなものは不許可だ。第一手に入らないだろうが」
「そんなこともないですけど」
 あっさり言うと、秋子さんは微笑んだ。
「鯨のベーコンでもいいかしら?」
「かまわない」
「なら、楽しみにしててね」

 その夜の食卓に鯨のベーコンが並んだのは言うまでもない。
 秋子さんって、一体……。

Fortsetzung folgt

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あとがき
 捕鯨反対派に喧嘩売ってるわけじゃないです(笑)
 でも、鯨のベーコン、もう一度食べたいなぁ……。
 私が小学生の頃は、給食では鯨の竜田揚げが定番メニューだったのに……なんて言うと歳がばれますが。

 プールに行こう3 Episode 46 00/8/16 Up

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