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Kanon Short Story #13
プールに行こう3 Episode 44

「ただいま〜」
 名雪が声をかけると、キッチンから秋子さんが顔を出す。
「おかえりなさい、みんな」
「あ、こんばんわ。おじゃまします」
 栞がぺこりと頭を下げると、秋子さんは嬉しそうに微笑んだ。
「お帰りなさい、栞ちゃん」
「えっ? あ、はい、ただいま、です」
 もう一度頭を下げると、栞も微笑んだ。
「……それはいいから、早く上がってくれ。俺が入れん」
「真琴も入れないのようっ!」
「あ、ごめんなさい」
 俺と真琴の声に、名雪と栞は慌てて靴を脱いだ。

 ダイニングのテーブルには、既に人数分の夕食が並んでいた。無論、ここにはいない舞の分もちゃんと用意してある。
 ちなみにクリームシチューだった。
 手を洗って着替えた俺達が席について、和やかに夕食が始まる。
 と、そこで俺はふと気付いた。
「秋子さん、夕食が人数分用意してあるってことは、栞が来るって知ってたんですか?」
 俺達も、昼休みに香里から聞くまで、今日栞が退院してくるとは知らなかったのだ。
 秋子さんは目を閉じて静かに答えた。
「企業秘密です」
「……そうですか」
「それで、人形は見つかりましたか?」
 秋子さんから聞き返されて、俺は頷いた。
「ええ、みんなが手伝ってくれたおかげで」
「そうなの。よかったですね」
「あ、それでね、お母さん。人形を修理したいんだけど、材料あるかな?」
 名雪が口を挟んだ。秋子さんは頷いた。
「判ったわ。後で捜してみるわね」
「うん」
「……あの」
 栞が口を挟んだ。
「私も、手伝っていいですか? 一応、お裁縫は出来ますから」
「うん、もちろんだよ」
 笑顔で頷く名雪。
「あっ、真琴も手伝う〜っ」
 慌てて手を挙げる真琴。俺はその頭の耳を引っ張った。
「ふぎゃ! な、なにすんのようっ!」
「真琴にゃ無理だ。指を針で刺しまくって血だらけになるのがオチだぞ。俺は血染めの人形なんていらないからな」
「あうーっ、そんなことないもんっ!」
「そうだよ、祐一。ありがと、真琴。手伝ってね」
 名雪に声をかけられて、真琴は嬉しそうにうんうんと頷いた。
「がんばるねっ」

 その後、材料を捜しに秋子さんの部屋に行った女性陣と別れ、俺は自分の部屋に戻ると、ベッドに横になった。それから、むくりと身体を起こす。
 ここんとこ、栞のことやあゆのことばかりで、しばらく行ってなかったことに気付いたのだ。
 朝、秋子さんに言われたし。

「……祐一さんがあゆちゃんの事を心配して、大事に思っているのと同じくらい、名雪や、他のみんなも、祐一さんのことを心配して、大事に思っているわ。それだけは、忘れないでいて欲しいの」

 ……そうだな。行くか。
 俺はそう決めると、ジャケットを羽織って部屋を出た。
 階段を降りたところで、両手に端切れを抱えて秋子さんの部屋から出てきた名雪とばったり出くわす。
「わっ、祐一どこか行くの?」
「ああ、舞を迎えに行ってくる」
「そう? 気をつけてね」
「材料の方は?」
「うん、大丈夫だよ。明日までにはちゃんと直しておくから」
 何故かやる気まんまんの名雪だった。
「……無理だろ。大体、いつもならもう寝てる時間じゃないか」
「ふぁいとっ、だよ」
 ……果てしなく不安だ。
 まぁ、栞もいるから大丈夫だろう。
「それじゃ、行ってくる」
 俺は軽く手を振って、玄関に向かった。

 夜の学校に来るのも、なんだか久しぶりな気がした。
 でも、薄暗い廊下に立つと、まったく時間が過ぎ去っていない、そんな気がした。
 そして、その一角に、舞はいつものように立っていた。
「よう」
 俺が片手を上げて挨拶すると、舞も片手を上げた。
「よう」
「魔物は?」
「……今日はまだ」
 そう。今のこの場所は、昼間とは打って変わって、目に見えない魔物が跳梁跋扈する人外魔境なのだ。
 舞は、毎晩一人でこの場に立っている。
 右手に剣を携えて。
 黙って立っていると、寒気が身に染みわたるようだった。
「……なぁ、舞」
「……」
 俺の言葉に、舞は微かに首を曲げ、こちらに視線を向ける。
 声をかけてはみたけれど、別に話題があるわけでもなかった。
「ええと、……そうだ。お前の親ってなにしてるんだ?」
 だから、その言葉にさしたる意味はなかった。ただ、会話に詰まったから、適当に選んだ話題に過ぎなかった。
「……」
「舞?」
「お父さんは、いない」
 ぽつりと、舞は言った。
 初めて聞くことだった。
「……悪い」
「どうして、謝るの?」
 初めて、こちらに向き直る舞。
「いや、だって……」
「別に、寂しくない。お母さんがいるから……。それに……」
 舞の目が、金色を映していた。
「信じられるひとがいたから……」
「信じられる人?」
 俺が聞き返した時には、もう舞はいつもの舞に戻っていた。
「……」
 チャキッ
 右手の中の剣を握り直すと、舞はだっと床を蹴った。そのままの勢いで、剣を水平に薙ぐ。
 いつの間に……。
 多少は気配くらいは分かるようになった、と思っていた俺は、完全に虚を突かれていた。
 だから、舞の声にも反応が遅れていた。
「後ろっ」
「……えっ?」
 その瞬間、後ろから何かが俺の胸を貫いた。
「祐一っ」
 舞の声が遠くに聞こえる。
 俺は……。


「あたし…自分の力、好きになれるかもしれない」
「そう。それは良かった。自分を好きになることはいいことだよ」
「祐一といたらね…」
「会って少しのぼくをそんなに信用されても困るけど…」
「どうしてだかわかんないけど、そう思うよ…」
「ふぅん…」

 俺が目を開けると、舞が俺の顔を覗き込んでいた。
「祐一、大丈夫?」
「……どうやら」
 声を出すと胸がズキッと痛んだが、とりあえず大丈夫のようだ。
「そう」
「……魔物は?」
「手負いにはできた」
「……そっか」
 俺は身体を起こした。また、胸がズキッと痛んだが、それを無視して立ち上がる。
「帰ろうか、舞」
「……」
 舞はしばらく辺りの様子を窺ってから、頷いた。
「わかった」

 水瀬家に戻って玄関で靴を脱いでいると、ダイニングから、パジャマにカーディガンを羽織った姿の秋子さんが顔を出した。
「あら、お帰りなさい」
「あ、はい……」
「舞さん、ご飯食べますか?」
「……」
 靴を脱いだ舞がこくりと頷くと、秋子さんは嬉しそうに微笑んだ。
「それじゃ、すぐに暖めますね」
「……」
 不意に、舞の表情が変わった。ほんの一瞬だけだったので、どういう感情なのか俺にも読み取れなかった。
「……いいんですよ」
 秋子さんには判ったのか、そう言うとダイニングに戻っていった。
「舞?」
「私は……」
 舞は呟いた。
「何を……しているんだろう」
「何って、魔物退治だろ?」
 秋子さんに聞こえないように、少し小声になって答える。
 俺の方に視線を向けて、舞はそのままじっと俺を見つめる。
「……違うのか?」
「違わない」
 そう言うと、舞はすたすたと歩いてダイニングに入っていく。
「おい、舞?」
 俺の声に、不意に舞は立ち止まった。そして、ダイニングの戸に手を掛けて俺を見る。
「祐一……」
「ん、どうした?」
「……ありがとう」
 そう言って、舞はダイニングの中に入った。
 俺はというと、しばらくぽかんと口を開けて、ダイニングの方を眺めていた。

 ようやく我に返ってから、今更ダイニングに入っていくのも何となく躊躇われたので、俺は部屋に戻った。
 ジャケットをハンガーに掛けると、くしゃみを一つして、身体が冷えていることに気付いた。
「……風呂でも入るかな」
 そう呟いて、俺は着替えを持って部屋を出た。
 脱衣場に入ると、風呂場の電気が付きっぱなしになっている。
 真琴のヤツ、また切り忘れたな? しょうがないなぁ。後で叱っておかないと。
 そう思いながら、服を脱いで洗濯籠に放り込み、タオルを首に掛けて、磨りガラスのドアを開ける。
「……えっ?」
「……あれ?」
 湯船の中には、白い肌の少女がちょこんと入っていた。俺の姿を見て、慌てて立ち上がる。
 ざばぁっ
「ゆっ、祐一さんっ!?」
「し、栞っ! なんで……」
 大声をあげかけて、俺は慌てて口を塞いだ。ダイニングには秋子さんと舞がいる。秋子さんは「了承」の一言で片付けてしまうかもしれないが、舞に見られたらそのまま斬殺されかねない。
 頭の中でそう考えながらも、視線は無意識に栞の身体をじっくりと観察していた。
 ほんのりとピンク色に染まった白い肌、控えめだが柔らかそうな膨らみ、そしてその先端の……。
「み、見ないでください……」
「わ、すまん」
 か細い声に、俺は慌てて背中を向ける。
 ……。
 湯気の立ちこめた浴室の中、気まずい沈黙が続く。
 と、不意に、背後でバシャンと水音がした。俺の背中に湯が当たる。
 栞に湯をかけられたのか、と思ったが、それっきり声も掛けてこない。
「栞……?」
 さすがにちょっと不安になって、振り返ると、栞の姿が消えていた。
「あれ?」
 びっくりして湯船に駆け寄ると、真っ赤になった栞が湯船の中に沈んでいた。
「わぁっ! 栞、しっかりしろっ!」
 慌てて小柄な身体を抱え上げると、俺はそのまま廊下に飛び出した。
「秋子さんっ!」
「どうしたの?」
 秋子さんがダイニングから出てくると、俺が栞を抱きかかえているのを見て、言った。
「リビングに運んでくれるかしら? 川澄さん、浴室からバスタオルを取ってきてくれる?」
「……」
 箸を片手に秋子さんの後ろから出てきた舞が、こくりと頷いて浴室に歩いていく。

「多分、湯あたりしただけですよ。すぐに手当しましたから、大丈夫です」
 リビングから出てきた秋子さんにそう言われて、俺はほっと胸をなで下ろした。
「良かった……。っくしょい!」
「とりあえず、祐一さん、お風呂に入ってきたらどうですか? その格好じゃ風邪引きますよ」
 言われて気付いたが、俺は腰にタオルを巻いただけの格好だった。
「あ〜、そうですね。判りました」
 頷いて浴室に向かおうとした俺の背中に、秋子さんの声がかかった。
「説明は、栞さんが気が付いてから、ゆっくりとしてもらいます」
「……はい」

 ちゃぷん
 湯の中に身体を沈めてから、改めて思い出す。
 久しぶりに漢の浪漫なシチュエーションだったな。
「へっくしょん」
 ……後がちょっと怖いけど。

Fortsetzung folgt

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あとがき
 ここんとこ、まこぴーに押されっぱなしだったので、栞ちゃん身体張ってます(爆)

 プールに行こう3 Episode 44 00/8/14 Up

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