トップページに戻る  目次に戻る  前回に戻る  末尾へ  次回へ続く

Kanon Short Story #13
プールに行こう3 Episode 43

「……それで、今頃二人揃って登校というわけね」
 香里は、俺と名雪を見比べてため息をついた。
「何を言う。ちゃんと間に合ったじゃないか」
「5時間目にはね」
「あはは〜っ」
 時間は昼休みが半分終わったところ。
 まさかとは思っていたが、教室に荷物を置いてから俺と名雪が食堂に来てみると、人もまばらになったそこでは、いつものメンバーが弁当に手を付けずに待っていたのだった。
「それにしても、なんでだ?」
 早速弁当に箸を伸ばしながら訊ねる。
「なにがよ?」
「いや、こんな時間までみんな飯も食わずに待ってたからさ。別に約束してたわけでもないのに」
「真琴は、祐一はちゃんと来るって思ってたもん」
「……」
 さも当然とばかりに真琴が言い切り、舞が無言で頷く。
 香里は肩をすくめた。
「まぁ、そういうわけよ」
「なるほどな」
 と、今まで黙々と佐祐理さん謹製いなり寿司を頬張っていた天野が、どうやら満足したらしく、上品に口をハンカチで拭いながら言った。
「ご馳走様でした」
「お粗末様です」
 佐祐理さんもぺこりと頭を下げる。
 天野はそれに一礼してから、俺に視線を向けた。
「相沢さん、月宮さんのことで、確認しておきたいのですが……」
「ああ」
 俺が頷くと、天野は言葉を続けた。
「結局、7年前に、相沢さんは月宮さんにカチューシャを渡してはいないんですね?」
「……そうだな」
 俺は、唇を噛みしめた。
 あゆに渡したと思い込んでいた。だけど、それは自分で作り出した幻だということを、思い出してしまったから。
 天野はひとつ頷いた。
「わかりました」
「何がだ?」
「……」
 聞き返すと、天野は俺をじぃっと見つめた。
「どうした、天野。俺に惚れたか?」
「絶対にそれはありません」
 秋子さんの「了承」よりも早い反応だった。
「はいはいっ! 真琴は祐一のこともぐわっ」
 手を挙げて大声で恥ずかしいことを叫ぼうとした真琴の口にいなり寿司を放り込みながら、俺は言った。
「まぁ、そんなわけで、今日の放課後は人形を探しに行こうと思ってる」
「あら、それじゃ、栞の見舞いには来ないつもりなのかしら?」
 香里が言う。と、今まで黙々とストロベリータルト(これも佐祐理さん謹製である)を頬張っていた名雪が、口を挟んだ。
「香里、なんだかものすごく嬉しそうだね」
「あら、わかる?」
 にっこり笑う香里。
「そ、そんなに栞のためと称して俺をいたぶることが嬉しいのかっ?」
「あのね。そんなもの嬉しいわけないでしょ」
 俺の叫びに呆れたように返すと、香里は微笑んだ。
「今日、栞が退院するのよ」
「それはおめでとうございます〜」
 笑顔で祝福する佐祐理さんに、香里は頭を下げる。
「ありがとうございます、倉田先輩」
「快気祝いしないといけませんね〜」
「でも、この状況で愉快に騒ぐわけにもいかないですから、月宮さんのことが一段落するまではお預けですけれどもね」
 苦笑する香里。
「ごめんね、香里」
「いいのよ。そんなわけだから、あたし達は後から公園に直接行くわ」
 俺は頷いた。
「わかった」
「佐祐理たちは一緒に公園に行きますよ。ね、舞?」
「はちみつクマさん」
「ふぁいふぁい、ふぁほほもひふっ」
「……真琴、しゃべるときは口の中のものを全部飲み込んでからです」
 真琴の正面に座っていたため、ご飯粒を顔に吹きかけられた天野が、上品に顔を拭いながら言った。
「もぎゅもぎゅ……。ごめん、美汐」
「いえ」
 きーんこーんかーんこーん
 ちょうどそのとき予鈴が鳴った。
「お。もうこんな時間か。それじゃ放課後な」
 俺がそう言って、その場はお開きになった。

 放課後、香里は栞の退院に付き添うために病院に行き、名雪は部活を抜けられなかったため、残りのメンツが公園に集合した。
「……というわけで、俺とあゆが人形を埋めたのが……多分ここだ」
 俺はざっと手を振った。
「……」
「どうした、みんな! 元気が無いぞっ」
「……どこ?」
 舞に聞かれて、俺はもう一度手を振った。
「ここだっ!」
「私、帰ります」
 天野がそう言って踵を返す。
「わぁっ! 待て天野っ!」
 慌てて俺が声をかけると、天野は立ち止まって振り返った。
「念のためにお聞きしますけれど、ここ、というのは、この公園全体を指していると理解してもいいのですね?」
「ああ、そうだ」
「やっぱり帰ります」
 もういちど踵を返す天野の背中に真琴がしがみつく。
「美汐〜、お願いっ。祐一がなんだか知らないけど困ってるんだよっ」
「……はぁ」
 ため息をつくと、天野は振り返った。
「それで、どう捜すのですか?」
「おお、やる気になってくれたか天野っ」
「嫌なことはさっさと済ませるに限りますから」
「頼むぞ天野。香里がいない以上、ツッコミ役は天野しかいないんだからな」
「そういうことを期待されても困ります」
 もう一度ため息をつくと、天野は俺に視線を向けた。
「それで、どうするのですか?」
 俺は、ざっとメンバーを見回した。
 俺、舞、佐祐理さん、天野、真琴、(北川)というメンツである。
「こら、なんで俺がまたかっこ付きなんだっ!?」
「ブッシュ斉藤を誘ってもよかったんだぞ、最近出番のない北川くん」
「うるさい、俺は別に出番なんてどうでも……」
「ちなみに香里は後で来ると言っていたぞ。良いところを見せるチャンスだ」
「なんなりとお申し付け下さい」
 ……いや、本人がそれでいいのなら、それでいいけど。
 時間も惜しいので北川をからかうのはそれくらいにして、俺はみんなに説明した。
「捜すのは、これくらいの大きさの瓶に入った天使の人形だ」
 これくらいの、というところで、手でジェスチャーをしてみせる。
「それが、この公園のどこかに埋まっているというのですね?」
「ああ。でも、ちゃんと埋めた場所の目印はあるぞ」
 天野の質問に、俺は答えた。
「俺とあゆは、その瓶を木の根本に埋めたんだ」
「木……ですか」
 天野をはじめ、全員がぐるっと公園を見回す。それから北川が言った。
「俺には木が数百本あるような気がするんだが」
「あははーっ、これは頑張るしかないですね〜」
 佐祐理さんが笑顔で言うと、皆はそれぞれの表情で頷いた。

 作業そのものは単調である。針金を木の根本に突き刺し、なんらかの手応えがあればそこをシャベルで掘り返す、という繰り返し。
 とはいえ、女の子にシャベルで半分凍った土を掘り返せというのも酷な話なので、ちょうどメンツが6人いることだし、2人一組にして作業をすることにした。

 Aチーム・舞と佐祐理さん

 これが確定している時点で、残りの組み合わせは決まったも同然であった。

 Bチーム・天野と北川
 Cチーム・俺と真琴

「がんばろうねっ、祐一っ」
「……そうだな。しかし……」
 俺は、なにやら陽気に天野に話しかけている北川を視線で追った。
「影が薄い者同士が組むと、余計に影が薄くなりそうだな」
「えっへへ〜」
 なにやら嬉しそうに笑う真琴。
「真琴は嬉しいもん」
「へいへい。んじゃ作業開始っ!」
「おーっ」
「あはは〜っ」
 それぞれの返事をして、俺達は公園に散った。

 西の空が次第にオレンジ色に染まり始める頃、名雪が鞄を片手に公園に駆け込んできた。
「祐一〜っ、まだ見つかってない〜っ!?」
「……まぁ、な」
 俺は屈めていた腰を伸ばして答えた。
「よかった」
「よくないわいっ!」
「あ、そうか。ごめん……」
 しゅん、とする名雪の肩を叩く。
「人手は多い方が助かるんだ。頼むぜ」
「うんっ」
「それじゃ、私たちも手伝います。ね、お姉ちゃん」
 その声に振り返ると、そこにいたのは私服姿の栞と制服姿の香里だった。
「お、出所してきたのか。おつとめご苦労さん」
「それじゃまるで刑務所から出てきたみたいじゃないですか。そんなこと言う人は嫌いですっ」
 ぷっと膨れて、栞は右腕のドリルを振り上げた。
 ……って、ドリル?
「栞、いつのまにそんなハイセンスな漢の浪漫を!?」
「あ、これですか? 実は穴掘りをするって言ったら、鹿沼先生が改造してくれたんです」
 栞はにこっと笑った。
「愛する人のために身体を改造する美少女なんて、ドラマみたいで格好いいですよね」
「……マジ?」
「冗談です」
 そう言って、ドリルを外す栞。
「そんな冗談言う人は嫌いです」
「わっ! それ私のセリフですっ!」
 俺達のやり取りを見守っていた香里が口を挟む。
「さて、それで……」
「おおっ、美坂! 俺のために来てくれた……」
「目からびぃむ」
 ずどぉぉん
「……あたし達は何をすればいいのかしら?」
 何事もなかったかのようにこっちに向き直る香里。ちなみに今回は貴重な労働力ということを考慮したのか、直接はぶっ飛ばさず、北川の足下の地面に黒い穴を開けるに止めていた。
 俺は、泣きそうな顔でこっちを見る北川に、視線で「後にしろ」と告げてから、3人に作業の手順を説明した。

「……という手順なんだが……」
「相沢〜」
 北川が後ろから手招きした。俺は3人に「ちょっと待っててくれ」と言ってから、振り返る。
「なんだよ?」
「頼む! チームを変えてくれっ! この通りだっ! いや、天野さんが嫌ってわけじゃないんだが、なんていうか、楽しく作業できる環境っていうものも必要だと思わないかっ!? 漢としてっ!
「ぜんぜん」
「あいざわぁぁぁ」
 だぁーっと涙を流す北川。まぁ、確かに天野相手じゃ北川お得意の話術も空回りするばかりだろうな。
「わかったわかった。えと、ちょっと全員集まってくれっ!」

 そんなわけで、新しいチーム編成は……

 Aチーム・舞と佐祐理さん
 Bチーム・北川と香里
 Cチーム・名雪と栞
 Dチーム・俺、真琴、天野

 ということになった。
「ありがとうっ、我がエターナルフレンドっ!」
 がしっと俺の手を握ると、北川はうきうきしながら香里に声を掛けた。
「さぁ行こうぜ美坂っ!」
「……名雪、栞のことお願いね」
 名雪に声を掛けると、香里は北川に視線を向けた。
「行きましょう、北川くん」
「おうっ、任せろ美坂っ」

 いつしか、オレンジ色の空が黒に変わる頃になり、最初は軽口を飛ばしていた皆も、黙々と作業を続けるようになっていた。
 そして、案の定、最初に真琴が声を上げた。
「あうーっ、もう嫌ぁ! 祐一、疲れた〜っ」
「それなら帰ってくれてもいいぞ」
 邪険な言い方になったのは、俺も疲れていたからなのだが、そう言うと真琴は慌てて放り投げた針金を拾いあげた。
「嘘々っ。ちゃんとやるからっ!」
「……相沢さん」
 天野が非難のまなざしで俺を見た。俺は肩をすくめた。
「悪かった、真琴。俺も言い過ぎた」
「うん……」
 こくりと頷く真琴を見て、天野も穏やかに微笑んで作業に戻る。
 再び木の根元に針金を突き刺しながら、真琴は俺に訊ねた。
「ねぇ、祐一……」
「なんだ?」
「どうして、そんなに一生懸命になってるの?」
「……」
 俺が黙っていると、真琴はちらっと俺の顔を伺うと、視線を逸らして尋ねた。
「あゆ……だから?」
「……」
「真琴じゃ……あゆの代わりになれない?」
「……莫迦」
 俺は真琴の頭をくしゃっと掴んだ。
「ひゃぁっ」
 耳をピンと立てて、真琴は自分の頭を押さえた。
「なななにするのようっ」
「真琴は真琴だろ? あゆの代わりになんかなるかよ」
「……そっか、そうだよね」
 真琴はうんと頷くと、またにへらっと笑った。
 と、向こうで栞が俺を呼んだ。
「祐一さん!」
「なんだ、見つかったのか?」
 俺が駆け寄っていくと、栞がぷっと膨れて俺を見上げた。
「祐一さん、私が入院してた間に、ずいぶんと真琴ちゃんと仲良くなっちゃったみたいですね」
「……あのな、そんなこと言ってる場合じゃないだろ」
「私にとっては重要な事ですっ」
 そう言うと、栞はくすっと笑った。
「でも、いいです。これから取り返す時間はたっぷりありますから」
「……そうだな」
「はいっ」
 笑顔で、栞は右腕にはめていたドリルを木の根本にぐさっと突き刺した。
 ……って、またドリル?
「栞、それ……」
「あ、このドリル、本当に土くらいなら掘れるんですよ。こうやって、こう……」
 カチャッ
 栞がドリルを動かした先で、硬質の音がした。
「……?」
 俺と栞は顔を見合わせた。
「祐一さん、今の……」
「ああ……。名雪、シャベルを……」
「……くー」
 シャベルを貸せと言おうとして名雪の方を見ると、名雪は木にもたれて眠っていた。
 やれやれ、と肩をすくめ、俺はその脇に転がっていたシャベルを拾うと、注意深く、栞がドリルを突き刺していた辺りの土を掘り始めた。
「……暗くてよく見えないな」
「あ、懐中電灯ありますから」
 そう言って、ポケットから懐中電灯を出して、スイッチを入れる栞。
「……相変わらず四次元だな」
「そんなこと言う人嫌いですよっ。それより……」
「そうだな」
 俺は頷くと、注意深くシャベルを動かした。
 やがて、土の間から、ガラスらしきものがのぞき、懐中電灯の光を反射してキラリと光った。
 シャベルを放り出して、手で注意深く土をよける。
「……見つけた」
 俺の呟きに、栞がぱっと表情を明るくする。
「良かったですね、祐一さん」
「……でも、ひどいわね」
 近寄ってきた香里が、俺の手の中にある瓶を見て言った。
 瓶の蓋は割れてしまって、中に泥が入っていた。そして、その中に入っていた、手のひらに乗るくらいの、小さな天使の人形は、羽が片方もげて、頭にのっていたはずのわっかも無くなっていた。
 注意深くそれを瓶から取り出していると、みんなが集まってくる。
「……天使さん」
 舞が呟く。
「でも、ボロボロだな。相沢、本当にこれか?」
 訊ねる北川に、俺は頷いた。
「ああ、間違いない」
 7年前、クレーンゲームで4000円くらいつぎ込んで手に入れた人形。
 どんな願いでも叶う人形。
 だが……。
 その無惨な姿が、7年という年月を雄弁に物語っているようだった。
 それは、もう取り返しがつかないということなのだろうか……。
「……くっ」
 噛みしめた唇の間から、漏れた息はため息か、絶望か……。
 その時、俺の前まで進み出てきた名雪が、言った。
「祐一、ちょっと見せて」
「……ああ」
 俺が手渡した人形をひっくり返したりしてから、名雪はうん、と頷いた。
「これくらいなら修理できるよ」
「直せるのか?」
「うん。……ほとんど作り直しってことになっちゃうけど、それでよければ……」
「ああ、頼む」
 そう言うと、名雪はこくりと頷いた。
「うん、頼まれたよ」
「さてと、それじゃあたしはそろそろ帰るわね。栞はどうする?」
「えっと……」
 俺をちらっと見てから、栞は視線を伏せた。
「ごめんなさい、お姉ちゃん」
「しょうがないわね。お父さんとお母さんにはなんとかうまく言っておくわ。それじゃまたね、みんな」
 軽く手を挙げて、香里が歩いていく。
「あ、美坂、送るぜ! それじゃ相沢、また逢おうっ!」
 しゅたっと手を振って、北川が香里の後を追っていく。
「それじゃ、佐祐理も帰りますね〜。天野さん、駅まで一緒に行きましょうか?」
「すみません、お願いします」
 2人は丁寧に頭を下げて、公園を出ていった。
「私は、行くから」
 それだけ言って、舞も出ていく。
「川澄先輩、今日はうちに来ないのかな?」
 それを見送りながら呟く名雪。俺は首を振った。
「ちょっと忘れ物を取りに行ったんだろ」
「あ、そうなんだ」
 頷くと、名雪は言った。
「それじゃ、帰ろっか」
「そうだな」
「真琴も帰るっ!」
「それじゃ、またお邪魔します」
 俺達は帰途についた。
 片方の翼を失い、頭のわっかも失った天使は、俺の手の中に戻ってきた。
 でも、それで何が変わるのか……。
 まだ、答えは見えなかった。

Fortsetzung folgt

 トップページに戻る  目次に戻る  前回に戻る  先頭へ  次回へ続く

あとがき

 プールに行こう3 Episode 43 00/8/14 Up 00/8/15 Update

お名前を教えてください

あなたのEメールアドレスを教えてください

採点(10段階評価で、10が最高です) 1 10
よろしければ感想をお願いします

 空欄があれば送信しない
 送信内容のコピーを表示
 内容確認画面を出さないで送信する