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玄関で並んで靴を履いていると、後ろから声をかけられた。
Fortsetzung folgt
「あら、2人ともどうしたの?」
振り返ると、秋子さんがキッチンから顔を出してこっちを見ていた。
「ちょっと、出かけてきます」
「わたしは付き添いだよ」
俺達の答えに、秋子さんは「そう」と頷くと、訊ねた。
「遅くなるのかしら?」
「出来るだけ早く戻ります」
「それなら、夕ご飯はとっておくわね。いってらっしゃい」
「すみません」
「お母さん、わたしの分もとっておいてね」
そう言うと、名雪はトントンと靴のつま先を鳴らしてから、俺に顔を向けた。
「いいよ」
「あ〜っ、2人ともどこに行くのようっ!」
リビングから真琴がばたばたっと駆け寄ってきた。
と、秋子さんがその首根っこのところをきゅっと掴んだ。
「真琴はお留守番してなさい」
「あうーっ」
不満ありありな顔だが、さすがに秋子さんには逆らえないらしい。
「祐一〜」
「悪いな、真琴。帰りに肉まん買ってきてやるから」
「……絶対よぅ」
「うん」
名雪がにこにこしながら頷いたので、真琴もしぶしぶ頷いた。
「……それじゃ、待ってる」
「よしよし。真琴もだんだん人間のしきたりを覚えてきたようだな」
屈み込んで頭を撫でてやると、いきなり真琴が俺の両頬を手で押さえて唇を重ねた。
ちゅ
「わっ、なにすんだっ!!」
「えっへへ〜」
してやったりとにまーっと笑う真琴。俺ははぁ、とため息をついた。
「やっぱり真琴の漫画は全部燃やそう」
「なんでようっ!!」
「出かけるんじゃないの?」
名雪に言われて、俺は振り返って頷いた。
「おう、そうだな」
「それじゃ、行ってらっしゃい。車には気を付けてね」
秋子さんは相変わらずのマイペースだった。
商店街の入り口にたどり着いた頃には、もう辺りは赤く染まっていた。
「それで、どこに行くの?」
名雪に聞かれて、俺はふっと微笑んだ。
「えいえんのせかい」
「どこにあるの、それ?」
「いや、今のはツッコミを入れる所なんだが」
「あ、そうだったんだ。気が付かなかったよ」
たおやかに微笑むいとこの少女。
やっぱり天然であろう。
それはともかく。
「いや、まずは駅前だ」
行き先を訂正する。
「……えっ?」
「昔、あそこであゆと待ち合わせしてたんだ」
7年前のこと。
まだ、完全にではないけれど……、あの日以外のことは、わりとはっきり思い出せるようになっていた。
肝心の最後の日は、まだ霞がかかったように思い出せないけれど。
「……名雪?」
歩き出しかけて、名雪が付いてこないことに気付いて振り返る。
名雪は、商店街の入り口で立ちつくしていた。
俯いていたので、その表情が見えない。
「どうした?」
「……わたし、……ううん」
不意に名雪は頭を軽く振った。長い髪が揺れる。
「なんでもないよ。行こ」
そう言うと、駆け出す名雪。
「早く行かないと、暗くなっちゃうよ」
「あ、ああ……」
俺は名雪の態度に首を捻りながらも、その後を追った。
そこは、赤い世界だった。
ガラス張りの駅ビルが、赤く染まった雲を映し出し、そして辺りに赤い光を投げかけていた。
「わたし……、ここにはあまり来ないんだ」
駅前のベンチを前にして、名雪が呟いた。
「この街から出ることも、ほとんどなかったし……」
俺は周囲を見回した。
会社帰りのサラリーマンやOLとおぼしき人々が、駅のビルから吐き出されて散っていく。
どうやら、ここにはいないようだった。
だとすると……。
やっぱり、あそこか。
「名雪、悪い。次に行くぞ」
「……」
「名雪!」
ちょっと大声で呼ぶと、名雪ははっとして俺に視線を向けた。
「えっ? 何?」
「そりゃこっちのセリフだ。もう眠いのか?」
「……そうかもしれないよ」
そう言って、名雪は駆け寄ってきた。
「それで、どこに行くの?」
「森だ」
「え? でも、もう暗くなるよ」
名雪は空を見上げた。
西の空を残して、だんだんと空は茜色から暗い藍色に変わりつつあった。
「そうだな。名雪は家に帰ってもいいぞ」
「……ううん」
名雪は首を振ると、俺を見つめた。
空と同じ色の瞳で。
「急ごうよ」
「そうだな」
俺達は駆け出した。
それでも、その場所に着いた頃には、既に夜のとばりが降りていた。
真っ直ぐ進めば、もう行き慣れたと言ってもいい、ものみの丘に続く道。その道を途中で折れると、その先に続く森の入り口。
道すらもなく、複雑に枝を絡ませた木々が目の前を塞ぎ、そして雪が辺りを覆っている。
「祐一?」
さすがに心細くなったらしく、名雪が俺の名を呼ぶ。
「まさか、この中に入っていくの?」
「俺の記憶が確かなら、ここのはずだ」
「やっぱり明日にしない? こんなに暗くなってたら危ないよ」
確かに。せめて懐中電灯を持ってくるべきだった。
黙って森を見つめている俺に、名雪が訊ねる。
「祐一、本当にここにあゆちゃんがいると思うの?」
「……ああ」
何故かは判らないけれど、俺には確信があった。
「ここが、学校だったんだ」
「……?」
きょとんとしている名雪を置いて、俺は足を踏み出して、前を塞ぐ枝に手を掛けた。
「あ、待ってよ!」
慌てて名雪が俺の背を追いかけてくる。
枝を払うようにして進みながら、俺は名雪に昔話をしていた。
7年前の話。
「……で、俺達は毎日ここに来ていたんだ」
そう言いながら、目の前を塞ぐ枝を折って脇に放り投げる。
「そうだったんだ。知らなかったよ」
名雪の声が後ろから聞こえた。
「でも、どこまで行けばその場所に着くの?」
「もうすぐ……」
そう言ったとき、唐突に俺達はその場所にたどり着いていた。
森の中にぽっかりと開いた場所。
だが、俺の思い出と、その場所は違っていた。
「……なんだ、これは?」
俺の記憶では、この場所の中央には、他の木々とは比較にならないくらいの大樹がそびえていたはずだった。
だが、そこにあったのは、大きな切り株だけだった。
その瞬間、俺の脳裏に秋子さんの言葉が甦った。
「……樹が、一本切られたんです」
「そっか、秋子さんが言ってたよな……。樹は切られたって……」
「……」
「ここが、あゆの学校だったんだ」
「え?」
辺りを見回していた名雪が、俺の言葉に顔を上げる。
「どういうこと?」
俺は切り株に腰を下ろした。
「あゆに、人形をプレゼントしてやったんだ。クレーンゲームで取ったやつをな」
「人形を……?」
「少しでもあいつを喜ばせてやりたかったんだ」
「……うん」
「俺は冬休みが終わったら、帰らないといけなかった」
「……そうだね」
名雪は、俺の隣りに座った。
「でも、あいつをこのまま残して帰るのは嫌だった。同じことを繰り返したくなかった」
「……同じ事?」
「……あれ?」
俺は首を傾げた。それから肩をすくめる。
「なんか格好いいだろ?」
「もう、冗談言ってる場合じゃないよ〜」
「悪い。どこまで話したっけ?」
「あゆちゃんにお人形をあげたけど、帰らなくちゃいけないってところだよ」
「ああ、そうだな。俺は……あいつを悲しませたくなかったから、その人形は願いを叶えてくれる人形なんだって言った」
「嘘ついたの?」
「ちゃんと、その願いを叶えるのは俺だから、俺に出来ない願いは無理だって言ったぞ」
「それならいいね」
……いいのだろうか?
まぁ、7年前ならもう時効だろう。
「それで、あゆちゃんのお願いを聞いてあげたんだ」
「2つな。願いは全部で3つあったけど、結局あいつは2つしか言わなかったから」
「そうなんだ。なんだか、あゆちゃんらしいね」
名雪は微笑んだ。
「1つは、ボクのことを覚えていてください、だった。そしてもう1つが……、今だけ一緒の学校に通いたいって」
「あゆちゃんが?」
「ああ。だから、ここが俺とあゆの学校になったんだ」
「……そうだったんだ」
「……厳しい校則も、決められた制服もない、自由な学校。宿題もなし、テストもなし、休みたいときに休んでいいし、遊びたいときに遊んでもいい」
俺は夜空を見上げた。
「そして、……」
「給食は、毎日たい焼き」
俺達は同時に振り返った。
「覚えててくれたんだ、祐一くん」
あゆが、そこにいた。
「当たり前だろ」
「……うん」
「あゆちゃん」
名雪が声をかけた。
「わたしも、お母さんも、真琴も、みんな待ってるよ」
「……ごめんね、名雪さん、祐一くん」
あゆは、穏やかな表情だった。
「ボク、ここにいたらいけないみたいなんだ……」
全てを諦めて、全てを受け入れた、そんな表情。
「なんでだ?」
俺は立ち上がった。
「なんで、ここにいたらいけないんだ?」
「だって……ボクは、本当のボクじゃないみたいなんだよ……。どこに住んでいるのかもわからないし、それに学校だって……」
あゆは、切り株を見つめた。それから、顔を上げる。
「祐一くん、あの人形のこと、覚えてるよね?」
「ああ。願いの叶う人形だろ?」
「ボク、あれを捜していたんだよ」
そういえば、あゆと再会した頃、あゆは何かを捜して夕暮れの商店街を駆け回っていた。それが何かすらも判らないが、ただ大切なものだと言って……。
「……それで、見つかったのか?」
あゆは首を振った。
「でも、もういいんだよ。……ボク、思い出せたから……」
「え?」
「本当に……ごめんね……」
ドサドサッ
不意に、近くの木の枝から、雪の固まりが地面に滑り落ちた。
その、ほんの一瞬の間に、あゆの姿はそこから消えていた。
その時の俺は、ただその場所に立っていることしか出来なかった……。
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あとがき
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