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トントン
Fortsetzung folgt
ノックの音がして、名雪が顔を出した。
「ただいま、祐一」
「……おう」
「おう、じゃないよ。挨拶は、おかえりなさい、だよ」
笑って言うと、名雪は訊ねた。
「入ってもいい?」
「……ああ」
俺が頷くと、まだ制服姿のままの名雪が入ってきた。
「栞ちゃんのお見舞い、行って来たよ」
「ああ」
今日は、栞の見舞いは名雪に行ってもらった。
俺ばかり見舞いに行くのも変だろう、という口実をつけて、だが。
実際は、病院に行くのが怖かった。
「栞ちゃん、元気そうだったね。週末には退院できそうだって香里も言ってたし」
「……ああ」
「それから、真琴と川澄先輩は、天野さんと倉田先輩と一緒にお茶してから帰るって」
「そうか」
しばらく沈黙が流れる。
名雪が、ベッドに座っていた俺の脇に腰掛けて、俺の顔を覗き込んだ。
「祐一、なにかあったの?」
「……別に」
「それならいいけど……」
視線を床のカーペットに落として、名雪は呟いた。
「なんだか祐一、悲しそうだから」
「……」
俺は、名雪から視線を逸らして、窓の方を見た。
窓の外は、赤く染まっていた。その光が部屋の中にも射し込んで、見慣れ始めていた部屋を見慣れぬ色に染めていた。
「……あゆちゃん、もう来ないのかな?」
名雪が静かに呟いた。そして、膝を立てるとその膝に顔を埋める。
「せっかく仲良くなったのに……」
「……」
言葉を返すことも出来ずに、俺は黙り込んだ。
チッチッチッ
時計の秒針の音が、やけに耳につく。
「考えてみたら、わたし、あゆちゃんのこと、何も知らないんだよね」
その言葉に、俺ははっとした。
そうだ。俺だって、あゆのことは何も知らない。
どこに住んでいるかすら知らない。
いつも逢うときは、向こうからやって来た。
でも、なぜかそれが当然だと思ってた。あゆのことを知ろうとも思わなかった。
なぜだろう?
「……祐一」
不意に、名雪が言った。
「え?」
「祐一は、あゆちゃんのことが好きなんでしょ?」
「……なっ」
俺は思わず立ち上がった。
「そんなこと……」
「ううん」
名雪は首を振った。そして、俺を見上げる。
「わたし、知ってるよ。あゆちゃんが、祐一の初恋の人だったって」
「……」
そう、だったのかもしれない。
7年前のあのとき。
でも……。
「でも、だからって、今もそうだとは……」
「聞いて」
名雪の言葉に、俺は口を閉ざした。
名雪が、珍しく真面目な顔をしていたから。
「わたしね、ずっと祐一のこと、好きだったよ」
「……」
唐突な告白。でも、それは過去形の告白。
「だけどね、あのときわかったんだ。祐一は、わたしを見てなかったんだって」
「……あのとき?」
「……うん。7年前の冬の、あのとき」
「7年前の……冬?」
俺は、呟いた。
最近よく聞くフレーズだった。
俺が最後にこの街で過ごした冬。あゆと出会い、別れた冬。
でも、その最後の日は、まだ思い出せない。
……なぜだ?
「名雪……」
「……え?」
顔を上げた名雪に向かって、俺は叩きつけるように訊ねる。
「7年前、何があった? どうして俺はそれを憶えてない?」
「……きっと」
名雪は顔を伏せた。
「全てを忘れたかったから、だよ」
「なぜ?」
「忘れたくなるくらい悲しいことがあったんだよ」
「……」
忘れたくなるくらい悲しいこと……。
その名雪の言葉が、胸にずんと響く。
その通りだ。
心のどこかがそう囁く。
「俺は……」
俺は、足の力が抜けて、そのまま床に座り込んだ。
それ以上、思い出そうとしてはいけない。
心のどこかがそう囁く。
思い出したら、どうなるんだ? なにがあったんだ?
思い出したい、思い出したくない。
俺は、俺は……。
「祐一……」
ふわり、と俺を暖かいものが包み込んだ。
「……え?」
名雪が、俺を正面から抱きしめていた。
とくん、とくん
鼓動の音が優しく聞こえてきた。
「大丈夫。わたしは、ずっとそばにいるから……」
「な……ゆき……?」
「迷惑かも知れないけど……。でも、わたし頭悪いから、他に方法知らないから……祐一の背負ってるもの、一緒に背負ってあげる。だから……」
きゅっ
名雪の腕に力がこもった。
「一人で辛いのなら……一緒にいてあげる……。だから、……立ち止まるのは、もうやめようよ」
「立ち止まる……?」
「……そうだよ。今の祐一、立ち止まってる。たまには立ち止まることも必要だよ。でも、ずっと立ち止まってるのは、きっと違うよ」
名雪はいったん言葉を切った。それから、ゆっくりと言う。
「走らなくちゃ、ゴールには着かないんだよ」
「……」
だけど、俺は……まだ……。
「だけど、急がなくてもいいんだよ」
俺の思いを見透かすように、名雪が言葉を続ける。
「急ぐと、転んじゃうんだから」
「……ありがとう、名雪」
「……うん」
すっと、名雪は体を離した。
俺は深呼吸をして、立ち上がった。
「ふぅ。……あれ、どうした?」
「……あはは、やっぱりちょっと恥ずかしかったよ」
さりげなく視線を逸らして笑う名雪。その耳まで真っ赤になっているのは、部屋に差し込んでる夕日だけのせいじゃないだろう。
と、トントンとノックの音がして、秋子さんが顔を出した。
「祐一さん……あら、名雪もここにいたの?」
「あ、お母さん」
「秋子さん、どうかしたんですか?」
「……」
秋子さんは名雪をちらっと見た。名雪は立ち上がる。
「あ、わたし邪魔なら下に行って……」
「いや」
俺は首を振った。
「えっ?」
「……約束、しただろ?」
秋子さんの話が何なのか、俺は予感めいたものを感じていた。
だから、俺は名雪にそばにいて欲しかった。
多分、一人では耐えられないだろうから。
「……いいの?」
「ああ」
「うん。お母さん、わたしもいてもいい?」
「……祐一さんがいいなら」
秋子さんは頷くと、ちょっと嬉しそうな顔をした。それから表情を引き締める。
「あゆちゃんのことなんだけど……」
「……はい」
俺は頷いた。
「7年前の冬、何があったか。それに俺が、そしてあゆがどう関わっているのか……、ですね?」
「ええ」
秋子さんは、そう言うと部屋を見回した。
「でも、その前に電気をつけてもいいかしら? もうすぐ暗くなるし」
「そうですね」
パチッ
電気をつけると、秋子さんは床に座ろうとした。慌てて俺は椅子を指す。
「そこに座ってくださいよ」
「そう? なら、遠慮なく」
頷いて、秋子さんは椅子に腰掛けた。俺がベッドに座ると、名雪もその隣にちょこんと腰掛けた。
「まず7年前になにがあったのか、だけど……」
秋子さんは俺を見た。
「まずは、事実だけを話すわね」
「ええ……」
「7年前の冬、街外れの森にある大きな樹から、女の子が一人転落したの」
……。
俺はシーツを握りしめていた。手のひらにじっとりと汗がにじむ。
と、その手を暖かいものが覆った。
名雪が俺の手を自分の手のひらで包んでいた。視線をむけると、「大丈夫だよ」と微笑む。
深呼吸して、俺は先を促した。
「続けてください」
「見つかったとき、女の子は既に転落してからかなり時間がたっていた。付近には誰もおらず、彼女一人きりだった。そのため、転落した理由は不明」
「……」
「その後、危険防止のため、その樹は切り倒されたの。……これが、事実よ」
「……その女の子の名前が……」
俺は一息ついた。呼吸するのも苦しかった。
でも、前に進むためには……。
名雪の気持ちを無駄にしないためには……。
「……月宮、あゆ……」
秋子さんは、静かに頷いた。
「じゃ、病院で俺が見たのは……」
「病院?」
聞き返す名雪に、俺は昨日のことを話した。
栞と病院の中で道に迷ったこと、そしてその病室を見つけたこと。
「確かに、その病室には『月宮あゆ』って書いてあった。見間違いなんかじゃない」
「それじゃ、あゆちゃんは、本当は病院に入院してるの? それじゃ、わたしたちと一緒にいたあのあゆちゃんは誰?」
名雪が訊ねた。
秋子さんは首を振った。
「わからないわ。ただ一つ、確かに言えることは、私たちと一緒に笑ってたあのあゆちゃんは、幻なんかじゃないってこと」
「……ええ」
俺は頷いた。
「俺も、そう思ってます。あのあゆは、確かにいたんだ」
「……祐一さん……」
「明日、病院に行ってみます。今度は逃げない」
そう言うと、隣で名雪が微笑んだ。
「うんっ」
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あとがき
どうもあゆあゆ編にはいるとなゆちゃんの出番が減りそうだ、という誤解が多いようです。だからというわけでもないですが、なゆちゃん大活躍です(笑) 全国約3人のなゆちゃんファンの読者の人に捧げます(笑)
しかし、ゲーム本編では最後のオチとなっていた部分が既に見えてるのでちょっと書きにくいなぁ(笑)
BGM「おやすみなさい、明日はおはよう」
プールに行こう3 Episode 36 00/7/8 Up