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トントン
Fortsetzung folgt
「祐一、ご飯の用意が出来たよ〜」
扉越しに、いとこの声が聞こえる。
「……いらない」
「え?」
驚く声。
「どうしたの? お腹でも痛いの?」
「いや、なんでもないから」
「……そう? なら、お腹空いたら、降りてきてね」
足音が遠ざかる。
俺は、壁に向かって丸くなった。
不意に、ダンダンダンッと階段を駆け上がる足音がしたかと思うと、バンッとドアが開いた。
「祐一っ、大丈夫!?」
真琴だった。
「どうしたの、お腹痛いのっ!?」
「……なんでもないから、ほっといてくれ」
「あうーっ」
我ながら、とりつくしまもない言い方だった。案の定、真琴はどうしていいのか判らない様子でしばらくおろおろしていたが、やがてしょんぼりとして部屋を出ていった。
どうやら、そのまま名雪の部屋に行ったらしい。壁越しに微かに声が聞こえてきた。
「名雪〜、どうしよう。祐一が〜」
名雪の返事は聞こえなかった。
あのとき、見た病室の札。
『月宮あゆ様』
あゆ、って名前だけなら、どこにでもある名前だと思う。でも、月宮あゆという名前となると、そうそうあるはずがない。
だけど……。
それ以上は、俺の考えが止まってしまう。
まるで、心の奥のどこかで、ブレーキがかけられているように。
ただ、今は怖かった。あゆの顔を見ることが。
……何を考えてるんだ、俺は?
もう一度寝返りを打ったとき、ノックの音がした。
「祐一さん、ちょっといいかしら?」
秋子さんの声だった。
さすがに無視することもできず、俺はベッドから身体を起こした。
「……どうぞ」
カチャ、とドアが開き、廊下の灯りが部屋の中に差し込んでくる。
「あら、電気もつけないで。身体の調子が悪いんですか?」
「ちょっと疲れただけですよ」
「そう。お腹が空いたらいつでも降りてきてくださいね。それより……」
秋子さんの表情は、ちょうど逆光になってよくわからなかった。
「あゆちゃん、まだ今日は帰ってこないんだけど、祐一さんは何か知らないかしら?」
「……あゆが、帰って来てないんですか?」
「ええ」
秋子さんは頷いた。
「学校で遅くなったにしても、ちょっと遅すぎますから」
「……多分、今日は自分の家に帰ったんだと思いますよ」
「……それなら、いいんですけど……」
秋子さんは、本当に心配そうだった。
俺は、ベッドから降りた。
「そのうちに、うぐぅ、とか言いながら来ますよ」
「……そうですね」
静かに頷くと、不意に秋子さんは俺に視線を向けた。
「祐一さん……」
「はい?」
あゆのことかと思って聞き返す俺。
だが、秋子さんの質問は、俺の予想とはかけ離れたものだった。
「7年前の冬に、この街で何があったか、ご存じですか?」
「……いえ」
ちょっと考えてみたが、何も思い出せなかったので、そう答える。
「そうですか……」
秋子さんは、何を知ってるのだろう?
「何か、あったんですか?」
7年前の冬。俺が最後にこの街にいた時。
……あゆと、出逢った時。
「大したことでは、ないですよ」
秋子さんはそう言うと、俺に背中を向けた。
「……樹が、一本切られたんです」
パタン
ドアが閉まり、部屋が闇に閉ざされた。
「あゆっ!」
見渡す限り、赤く染まっていた。
駅ビル、広場、そしてベンチ。
影すらも赤く染まる。
「……祐一くん」
赤く染まった少女が、俺の名を呼んだ。
「……あゆ」
「祐一くん、あのね……」
赤く染まった羽。
「ボク、帰らなくちゃいけないんだ……」
「……急な話だな……」
笑おうとして、失敗する。
「どうして、なんだ?」
「みんな、いっぱい優しくしてくれたよね」
あゆは、微笑んだ。
「ボク、なにもお返しができなくて、なにもできなくて……」
怖いくらいに赤く染まる空。
「どうして、行かなくちゃいけないんだ?」
「……」
困ったように、俺を見つめるあゆ。
「それは……。ううん、言えないよ」
「それじゃわかんねぇだろっ!」
思わず大きな声を上げていた。
あゆは、一歩下がる。
「ボク、もう行かなくちゃ」
俺は手を伸ばした。
「行くなっ!」
だけど、確かにあゆの腕を掴んだと思った手は、何も掴めずに。
「祐一くんが、全部思い出してくれれば、きっとわかるよ」
「えっ?」
「ボクが……」
あゆの姿が、ふっと消える。
「あゆっ!!」
自分の声に、目が覚めた。
心臓が破れそうなくらい脈打っている。
部屋の中は、真っ暗だった。
「……ゆ、夢?」
自分で呟く声がしわがれていた。
額を無意識に拭ってから、初めて汗をびっしょりかいていることに気付く。
「……夢、だよな?」
自分で確かめるように、もう一度呟いて、枕元のデジタル時計で時間を確かめる。
2:15
どうやら、俺はあれからすぐに眠り込んでいたらしかった。
やれやれ、とため息をついて身体を起こす……ことが出来なかった。
「すぅ……」
おれの右腕にしがみつくようにして、パジャマ姿の真琴が眠っていた。耳と尻尾も出しっぱなしの無防備な姿だった。
……こいつ、こんなに暖かかったのか?
寝汗を吸い込んだせいか、被っている布団は冷たく、その分真琴の身体の温かさが心地よかった。
「……祐一ぃ」
唇が小さく動いて、俺の名前を呼ぶ。
真琴がいてくれたことが、今は有り難かった。
一人では、押しつぶされていたかも知れなかったから。
何に?
その答えも判らぬまま、俺は目を閉じた。
それが「現実」だ、という答えに思い当たったのは、それからしばらくたってからのことだった。
翌朝。
『朝〜、朝だよ〜。朝ご飯食べて学校行くよ〜』
枕元の名雪の声に目を覚ますと、俺はまだ眠っていた真琴の頭を小突いた。
「こらっ」
「くぅん」
鼻を鳴らして、真琴は目を開けた。
「あ、おはよ、祐一っ」
「なにがおはよ、祐一だ。なんでお前が俺のベッドに潜り込んでいるわけだ?」
「あうーっ、えっとえっと……。あ、そうだっ! きせーしじつを作るためよっ!」
……既成事実って言いたいのか? どうせまたどっかの漫画に描いてあったんだろうな。
「……やっぱり、お前の漫画全部燃やしてやる」
「えーっ、なんでようっ!」
「なんでもいいから、とにかく着替えて来い! さっさとしないと名雪と一緒に走る事になるぞっ!」
「真琴は走るの嫌いじゃないから大丈夫」
……まぁ、元々狐なんだから、それはそうか。
なんて納得してる場合じゃない!
「とにかく、さっさと着替えてこい! さもないと、秋子さんに言ってあのジャム出してもらうぞ」
「あうっ、それは嫌っ!」
真琴はぴょんとベッドから飛び降りた。そして、慌てて自分の身体を抱くようにして震える。
「あうーっ、寒いーっ」
「だったらさっさと着替えて来い」
「……うん、そうする」
珍しくしおらしく頷いて、真琴は部屋のドアを開けた。そして振り返る。
「祐一、元気になったね」
「……」
「えへへ。それじゃ後でねっ!」
パタン
ドアが閉まる。
しかし、真琴に気を遣われる羽目になるとは思わなかったな。
俺は自分の頭を軽く叩いて、夕べから着たままだったワイシャツを脱いだ。
リビングに入ると、テーブルに皿を並べていた名雪が振り返った。
「あ、祐一、おはよっ」
「……」
「祐一、朝はちゃんとおはようございます、だよ」
「……」
俺は無言でリビングの窓を開けると、空を見上げた。
「うーっ、なんか無言ですごく失礼なことを表現しようとしてない?」
「お、今の表現がわかったのか?」
名雪はくすっと笑った。
「よかった。元気になったみたいだね」
「……おまえもか」
「え?」
「いや。それより……」
一瞬ためらったが、思い直して訊ねる。
「結局あゆの奴は……?」
「うん、夕べは来なかったよ」
名雪はちょっと残念そうだった。
「でも、きっと今日は来てくれるよね?」
「あいつはもう来ないよ」
「……え?」
皿を並べる手を止めて、名雪は俺に聞き返した。
「どういうこと?」
「……いや、冗談だ」
「もう。言っていい冗談と言って悪い冗談があるよ」
苦笑して、名雪は皿を並べ終えて、キッチンに姿を消した。
キッチンの中から、名雪と秋子さんの会話が漏れ聞こえてくる。
それを聞き流しながら、俺は胸の中で妙な焦燥感を覚えていた。
コト……
微かな音がした。そっちを見ると、いつの間にか制服姿の舞が、俺の隣りに座っていた。
「よう、舞」
「よう」
俺の口調を真似してみせる舞。
「……」
俺は視線を前に戻した。
と、不意に舞がぽつりと呟いた。
「……りんご」
「は?」
「……りんご」
食いたいのか、と聞きかけて、俺はぴんときた。
「しりとりか?」
舞はこくりと頷いた。
しかし、なんでいきなり……。
考えて、思い当たる。どうやら、舞は舞なりに俺に気を使ってるっていうことか。
「でも、舞はすぐに自爆するからなぁ」
それなら、いつもと変わらない様子で返すことが、それに対する返礼ってものだろう。
「自爆しないから」
「ならいいけどな。ご……ごま」
「まり」
「りゅう」
「うさぎさん」
“さん”は無視するとして、……“ぎ”か……。
「ぎぼし」
ちなみにぎぼし(擬宝珠)とは、……まぁ辞書でも引いてくれ。
舞は小首を傾げながら続ける。
「しかさん」
結局、他の皆が揃うまで、俺と舞はしりとりを続けていた。
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あとがき
えあの発売日が9/8に延期されましたねぇ。
なんとかえあの発売までに終わらせようと思ってたので、ちょっと気抜けです(笑)
プールに行こう3 Episode 35 00/7/7 Up