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Kanon Short Story #13
プールに行こう3 Episode 29

 丘を下りながら、俺は天野に尋ねた。
「ところで、天野はどうしてここに?」
 天野は確か、家に帰ると言って俺達と別れたはずだ。
「なんとなく、ですよ」
 天野はそう言うと、丘の方をちらっと振り返る。
「なんとなく、こんな事になりそうな気がしたんです」
「こんな事って、真琴のことか?」
「……はい」
 頷くと、天野は視線を落とした。
「でも、ここに来れば、あの子達に逢うことになってしまう……。それでためらってただけ、来るのが遅れてしまいました。川澄先輩が来てくれなかったら、手遅れだったかもしれませんね」
 あたかも他人事のように話すのは、天野の癖みたいなものだ。
「そうだ、舞もどうして……? いつもなら……」
 学校に行ってるんじゃ、と言いかけて、天野と真琴がいるので後の言葉は呑み込む。
 舞は、何でもなさそうに言った。
「わすれものを届けに来ただけ」
「わすれもの、ね……」
 俺は、腕にリボンを巻き付けてちりんちりんと言わせている真琴を見た。ちなみに、それに夢中になりすぎて、さっきから4回ほど転んでいるが、本人はそれでも機嫌良さそうである。
「で、天野や舞はこれからどうする? 俺達は真っ直ぐ病院に行くけど」
「私は、これで失礼します。今ならまだ電車がありますから」
「私も、行くところがあるから」
 舞は、多分これから夜の学校に向かうのだろう。
「まぁ、駅まではみんな同じ道だな」
「そうですね」
 天野が頷いたところで、ちょうど丘を降り終わり、道路に出る。
 俺達は街の方向に向きを変え、坂道を下っていった。
「……それにしても、どうしてじいさん、天野の名前を聞いただけで態度を変えたんだ?」
「……それは、いずれ」
 一拍置いて、天野は静かにそう言った。
 天野はその話をすることはないだろう。ずっと、自分の胸にしまっておくつもりなんだ。
 何故かその時、俺はそう確信していた。
 だから、俺は頷いた。
「そうだな、いずれな」
 その時が来ないことは判っていても。
「そうそう、これは相沢さんにお渡ししておきます」
 そう言って、天野は手にしていた包みを俺に渡した。
「これが、その薬か?」
 俺は、竹の皮で包まれているその包みを、目の高さまで上げてみた。
「どういう薬なんだ?」
「飲み薬です」
「飲み薬ねぇ。開けてみてもいいか?」
「はい、どうぞ」
 言われて、俺は竹の皮を解いた。確かに、中には竹で作られた水筒のような容器が入っていた。高さ5センチ、直径3センチといったところか。
 振ってみると、確かに中からパシャパシャと音がする。何かの液体が入っているようだ。
「で、これをどう使うんだ?」
「それはですね……」

 天野の話を聞きながら歩いているうちに、駅前まで来てしまった。
 最後に一度だけ念を押す。
「本当にその方法しかないわけだな?」
「私の知ってる限りでは。他の方法に挑戦してみても構いませんけど、薬は1回分しかありませんから」
 しれっと言う天野。俺は頭を抱えた。
「はぁぁ〜。ま、まぁ、人助けだ。しょうがないよな」
「……はい」
 微妙な間を置いて、天野は頷いた。
 と、舞が俺に声をかけた。
「それじゃ……」
「あ、ああ。悪いな、今日は一緒に行けなくて」
「今日は、かまわない」
「舞……」
「……私は、悲しいお話しは嫌いだから……」
 そう言うと、舞はすたすたと歩いていった。
 真琴が俺と舞の後ろ姿を見比べて、訊ねる。
「また学校に行ったの?」
 そういえば、真琴は舞が夜の学校に行っているのを知ってたな。まぁ、何しに行ってるかまでは知らないだろうけど。
「許してやれ。あいつにとっちゃ大事なことなんだ」
 そう言って、ぽんと頭に手を置いて、はたと気付く。
「あ、こら! お前、耳と尻尾!」
「あうっ、忘れてたっ!」
 慌ててわしわしと耳を髪の間にしまい込むと、お尻に手をやってもぞもぞする。
 しかし、どうやってるんだろ? そういえば、栞が何か教えたらしいんだが……。
 もしかして、栞の四次元ポケットの応用なんだろうか?
 ……あんまり考えると、怖い考えになりそうだからやめよう。
「相沢さん、それでは私もこれで失礼します」
 天野はそう言って、頭を下げた。
「おう、悪かったな。こんな時間まで付き合わせちまって」
「……真琴の事ですから」
 天野はそう言うと、まっすぐに俺を見た。
「相沢さん。多分、真琴が消えることはもうないと思います。ですけれど、そうなると真琴はずっと、生きていかなければならないんです」
「……ああ」
 真琴のじいさんも言っていたな。お前に未来永劫真琴を守ることは出来ないのだ、と。
「確かに、未来永劫なんて不可能だよ。でも、それまでは、一緒にいてやるさ。俺達は、家族だからな」
「そうですか」
「天野も、ずっと友達でいてくれるんだろ?」
「……そうですね」
 天野は頷いた。
 俺は手を頭の後ろで組んだ。
「というよりも、真琴の母親みたいなもんだよな。天野はおばさんくさいし」
「ひどいですね。物腰が上品だと言ってください」
 そう言って、天野は微笑んだ。
 そこに、ぱたぱたと真琴が駆け寄ってきた。
「お待たせっ! ちゃんとしまったよ。……どうしたの、2人とも?」
 俺と天野をきょろきょろと見比べて首を傾げる真琴。俺はその肩にぽんと手を乗せて、天野にもう一度礼を言った。
「とにかく、今日は悪かったな。そのうちこの埋め合わせはきっとするぜ」
「楽しみにしてます」
 そう言うと、天野は俺達に背を向けて、改札口に向かった。
「ばいばーい。またね〜」
 真琴はその背に手を振ってから、俺に訊ねた。
「それで、栞は?」
「おっといけね。急がないと」
「あっ、待ってよ、祐一ーーっ!」

 病院の前まで来たところで、俺ははたと困った。
 もうとっくに面会時間は過ぎてしまっており、普段は自動ドアになっているガラス張りの正面入り口には、内側からカーテンがかかっていて、中が見えなくなっている。これじゃ自動ドアが機能してるようにはとても見えない。
 どうやって中に入ればいいんだろう?
「祐一?」
「真琴、頼みがある」
「えっ? うん、いいけど、何をすればいいの?」
「壁をよじ登って窓から中に入って、ドアを開けてきてくれ」
 ぼかっ
「そんなこと出来るわけないでしょっ!」
 いきなり殴られた。
「あうー、真面目に聞いて損した〜っ」
「いててて」
 俺が頭をさすっていると、不意に名前が呼ばれた。
「祐一っ!!」
「え?」
 振り返ると、向こうから名雪が走ってきた。
「あれ? 名雪、どうして……」
「どうしてじゃないよっ! 栞ちゃんが!」
「え?」
 名雪は俺のところまで駆け寄ってくると、息を切らしながら立ち止まった。
 あの名雪が息を切らしてるのを、俺は初めて見た。
「名雪、何が……」
 息を整えながら、名雪は言った。
「栞ちゃんの容態が、急変したって……」
「なっ!」
 驚きの声を上げる俺と真琴。
 俺は、名雪の肩を掴んだ。
「ホントか、それは!?」
「う、うん。それで、わたしが先に……。お母さん達は、後からタクシーで来るって……」
 確かに、水瀬家からタクシーを呼んで、それを待ってから病院に来るより、名雪なら走った方が早いだろう。
 名雪は俺の腕を掴み返してきた。
「どうしよう、わたし……」
「とにかく、行ってみよう。行くぞ、真琴!」
「あ、うんっ」
 突入しようとしたところで、俺は足を止めて名雪に尋ねた。
「……で、どこから入ればいいんだ、名雪?」
「えっ? あそこから入れるんじゃないかな?」
 名雪は正面の入り口を指した。
「閉まってるんじゃないか?」
「えっ? あ、違うよ。その横の赤いランプのところだよ」
 言われてみると、確かに上に赤いランプのついたドアがあった。その脇に「夜間外来」と書いてある札も見える。
「くそっ、こんな所にシークレットドアが有るとはっ!」
「しーくれっとどあ?」
 真琴が真顔で訊ねた。一方名雪はそのまますたすたとそっちに歩いていく……って無視かいっ?
「あ、こら名雪、待てって!」
「ねぇねぇ、祐一、しーくれっとどあって何?」
「大人になれば判る」
「あうーっ、真琴もう大人の女よっ!!」
 ぷんと膨れる真琴を置いて、俺も名雪を追いかけた。
「あっ、祐一待ってようっ!!」
 慌てて後についてくると、真琴は俺の服の裾を掴んだ。
「あうっ、変な臭いがするようっ」
 多分、病院独特の消毒薬っぽい臭いのことだろう。
「我慢しろ」
 そう言いながら、名雪の後に続いて中に入る。
 名雪が受付に駆け寄ると、中にいた看護婦さんに声を掛けて事情を説明する。
「……で、連絡受けて来たんですけど……、その、まだ、大丈夫ですよね?」
「ええ、美坂さんなら、まだ頑張ってるわよ」
 おばさん、と言ってもいい歳の看護婦さんは、不安げな俺達を力付けるように微笑んだ。大きく胸をなで下ろす名雪。
「よかったぁ……」
 だが、そこで看護婦さんの表情が厳しいものに変わる。
「でも、急いで行ってあげなさい。ICUの場所は判るわね?」
「はい」
 名雪は頷いて、ぺこりと頭を下げた。そして振り返る。
「行こっ!」
「おう」
 俺達も頷いた。名雪は振り返る。
「あ、それから、後で私のお母さん達も来ると思いますから……」
「わかったわ」
 看護婦さんが頷くのを見て、名雪は向き直って小走りに歩き出す。
 俺は慌ててその隣りに駆け寄って、声をかけた。
「名雪……」
「わたしと香里が知り合ったのって、中学の入学式の時だったんだよ」
 不意に名雪が口を開く。そして右に折れ、階段を上がる。
「それからずっと友達だったのに、わたし、栞ちゃんのことずっと知らなかったんだよ」
「……」
 踊り場で、不意に名雪は立ち止まった。
「わたし、香里にどんな顔して逢えばいいのか、わかんないよ……」
 俺は、放課後に一度、ここに来たときのことを思い出していた。
 あの時の香里の表情、そして……。
「香里のあんな顔、初めて見たんだよ……。ずっと、友達だったのに、初めて……」
 名雪は声を詰まらせた。
「友達だって、そう思ってたのって……わたしだけだったのかな……」
 蛍光灯の寒々とした光が、名雪の表情に影を落としていた。
「……正直、香里の心の中までは俺にもわからねぇよ。でも……」
「でも?」
 顔を上げる名雪。
「香里のやつ、だいぶ参ってる。それは間違いない。こんな時にあいつを力付けてやれるのが、親友ってやつじゃねぇのかな」
「……祐一……」
「お前まで参っちまったら、誰が香里を元気付けられるんだ? 第一、名雪が悩むなんて似合わないだろ」
「……なんか、ひどいこと言ってない?」
 そう言うと、名雪はくすっと笑った。
「でも、そうだね。みんなで落ち込んでも仕方ないよね」
「そういうことだ。ほら、急ぐぞ」
「うん」
 頷いて、名雪は階段を駆け上がった。
 名雪のやつ、マイペースでのぼーっとしている割りには、時々妙に繊細だよなぁ。
 そんなことを考えながら、俺もその後を追いかけた。
 と、不意に名雪が立ち止まって振り返った。
「おわっ!」
 ぶつかりそうになって、慌てて俺も立ち止まる。
「わっ、びっくりした……」
「びっくりしたのはこっちだ。で、どうした?」
「うん。お礼言おうと思って。ありがとう、祐一」
「……は?」
「それだけっ!」
 そう言って、名雪は再び歩き出した。
 思わず立ち止まったままそれを見送っていると、いきなり後ろから殴られた。
 どかっ
「いてっ! なんだよ?」
 振り返ると、真琴がぷっと膨れていた。
「なんかよくわかんないけど、殴りたくなったのっ! ほっといてっ!」
 そう言い捨てて、名雪の後を追いかけていく真琴。
 俺は首を捻りながら、2人の後を追った。

Fortsetzung folgt

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あとがき
 栞が危篤なはずなのに、なにをのんびりしてるんだろう>祐一達  
 プールに行こう3 Episode 29 00/6/20 Up 00/6/21 Separate&Update

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