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Kanon Short Story #13
プールに行こう3 Episode 28(Director's Cut Ver.)

「真琴、おじいちゃんって……?」
 俺は、真琴と銀色の狐とを見比べた。
 真琴は、ぴんっと耳を立てていた。そのまま、その狐に顔を突き出すようにして近づいていく。
「……うん、そうだよ。この人が祐一」
「え?」
 俺には何も聞こえなかったが、どうやら狐が真琴になにか言ったらしい。
「わかんない。でも、ちゃんとここにいるよ」
 そう言うと、真琴はにこっと笑った。
 と、狐は俺の方に視線を向けた。
 その無表情な瞳に、吸い込まれるような感触を覚える。
「……ど、どうも」
 とりあえず片手を上げて挨拶してみる。
 狐は「ふん」と言いたげに真琴に向き直った。
「そ、そんなことないもんっ!」
 ……なんか、悪口でも言われたんだろうか?
 と、不意に、周りの風景が一瞬霞んだように見えた。
 思わず目を擦ってからもう一度顔を上げると、そこに老人が立っていた。
「これで、言葉も通じるじゃろう。まったく、これだから人間とは厄介な生き物じゃわい」
「……あんた、真琴のじいさん……?」
「真琴とは、この子のことかね?」
 じいさんは真琴の頭をぽんと叩いた。俺が頷くと、老人はそうかと頷いた。
「それなら、然りじゃ」
 うんうんと頷く真琴。
「真琴のおじいちゃんなの」
「そっか……なんてすぐに納得できるか! 人間になったら記憶が飛んで死ぬんじゃなかったのかっ!」
 俺はびしっとじいさんを指さした。
 じいさんはやれやれと頭を振った。
「それは、“人間になった”者のことじゃ。儂はたんに“人間に化けた”だけじゃ」
「……そうなのか、真琴?」
 真琴に尋ねると、真琴は頭に指を当てて「うーん」と悩んでから、ぽんと手を打った。
「うん、そうだよ。でもあんまり長い時間は化けていられないし、それにこの丘から離れれば離れるだけ、化けてられる時間は短くなるの」
「そうなのか。でも、そういう方法があるなら、なんで真琴は人間になるなんてリスクの高い方法を採ったんだ?」
「……りすく?」
 きょとんとする真琴。俺は頭を掻いた。
「危ない方法って意味だ」
「あ、そっか。えっと、それはねっ……」
 真琴は耳をぱたっと伏せると、もじもじしながら答えた。
「だって、化けてるんじゃ、結局狐のままってことじゃない。それじゃ納得できなくて……あうーっ!!」
 最後はなぜかカァッと赤くなると、俺をぽかぽか叩き始めた。
「いて、いてててっ! 判った判った。とにかく、じいさん! 話が出来るんなら、都合がいい。実は……」
 俺は真琴の腕を掴んでそれを止めると、じいさんの方に向き直って本題に入ることにした。

「……というわけで、そういう薬があるのなら分けて欲しいんだ」
「……」
 じいさんは黙然として俺を見ていた。というより、睨んでいた、と言った方がいい。
「頼む、じいさん! この通りだ」
 俺はその場に頭を下げた。じいさんはふんと鼻を鳴らす。
「確かに、いかなる病も癒す薬というものは、儂らのもとに伝わっておる。お前にそれを渡してやってもよいぞ」
「本当か!?」
 これで、栞も助かる!
 心の中で思わず万歳を叫んだ。
 次のじいさんの言葉を聞くまで。
 じいさんは、真琴に歩み寄ると、その頭に手を置いて、俺に言う。
「じゃが、その前に、この子は返してもらおうかの」
「えっ?」
 じいさんの顔を見上げる真琴。
「……どういうことだよ。そもそも、あんたら、真琴のことは勘当したんじゃなかったのか?」
「確かに、あの時は儂らの仲間から、この子は決別を余儀なくされた。じゃが、それはこの子が消えることが決まっておったからじゃよ」
「もうすぐ消えるような奴はいらないってことか?」
 俺の声に、怒気が混じったのを感じてか、じいさんはやれやれと首を振った。
「おぬしは知っておるはずじゃ。哀しみに心を潰されるのを拒むことを……」
 その時、不意に俺の脳裏にあの時のことが浮かんだ。

「あたし、あの子のことを見ないようにしてた。……もうすぐいなくなるんだって、知ってしまったから。あたしのたったひとりの妹が、もうすぐ永遠にいなくなるんだって。……だったら、最初からいなければ良かった……。そうしたら、辛い思いをすることも、なかったから……」

 栞の病気のことを知った香里は、そう言って栞を避けた。まるで、最初から栞という妹が存在しないかのように振る舞っていた。
「……そう、だな……」
 それが間違っていたとしても、それを責めることは出来ない。
 俺は、それを痛烈に思い知らされていたから。
「……じゃが、この子は、どうしてかは儂にも判らぬが、こうして消えもせずここにおる。我らが縁を戻そうとするに何の不思議がある?」
「ちょ、ちょっと待てよ」
 手のひらを相手の前に突き出して、俺はじいさんの言葉を止めた。
「それがわかんねぇよ。確かに真琴は戻ってきたぜ。でも、だからって……」
 俺に、じいさんはさらに言った。
「この子が、人間の社会でずっと暮らしていけるか? お前が未来永劫、ずっと守ってやれると言えるのか? 儂らはいくとせも生き続ける。お前は人間、いずれは年老いて死ぬ。違うか?」
「そ、それは……」
 俺は言葉に詰まった。
 確かに、妖狐である真琴がどれくらいの間生きていくのか、俺には判らない。天野が妖狐は数百年生きるようなことを言ってたから、真琴もそれくらいは生きていくのかもしれない。そうなると、俺にはずっとその真琴を守ることは、不可能だ。
「……」
 言葉を失って立ち尽くす俺に、じいさんは諭すように言った。
「わかったじゃろう? 真琴は我らの元に戻るが一番なのじゃよ。しかも、それと引き替えに、お前の知り合いの娘は助かる。それ以上何を望むと言うのじゃ?」
「……祐一」
 不意に真琴が顔を上げた。
 その瞳が、真っ直ぐに俺を見据えていた。
「真琴は、みんなのところに帰る」
「……真琴」
「そうしたら、栞は助かって、祐一が悲しい思いをしなくても済むんでしょう? だったら、真琴……帰る」
 確かに、みんなにとってそれが一番いい方法かもしれない。
 真琴だって、みんなの所に帰るだけだ。消えたり死んだりするわけじゃない。
「……なぁ、じいさん。真琴をそっちに帰したとしても、また逢えるんだろ?」
「……」
「何故だよ、何故そこで黙るんだよっ!」
「もう、逢えないと思う」
 真琴がぽつりと呟いた。
「真琴?」
「だって、みんなの所に帰ったら、真琴がみんなをまとめていかないといけないから」
「……真琴が、みんなを……?」
 俺の呟きに、じいさんは頷いた。
「そうじゃ。この子には、儂と同じく一族の頭としての血が流れておる。いずれは一族を率いる者となるのじゃ」
 ……それって、要するに……。
「真琴って、王女様だったってことか?」
「えへへ」
 照れた顔をする真琴。だが、次のじいさんの言葉に、一転しょぼんとしてしまう。
「そのような者が、よりによって人間と逢うなど、許されてはならんのじゃ」
「あうーっ……」
 俺は聞き返した。
「どうしてだ? どうして真琴が人間と逢ってはいけないんだ?」
「愚問じゃ。儂らは、人間とは触れ合ってはならぬ。それが掟じゃ」
「でも……」
「人間と触れ合った者がどうなった? 皆、自らも人間となり、そして消えたのじゃぞ」
 そう言われると、俺も返す言葉がなかった。
「……祐一っ」
 真琴が顔を上げた。笑顔で言う。
「真琴は戻るけど、心配しなくてもいいよ」
「……真琴」
「ぜんっぜん、大丈夫なんだからっ」
 笑ってみせる真琴。
「……本当に、いいのか?」
「うん」
 真琴は頷いた。
「いっぱい肉まん食べたし、名雪や秋子さんやみんなに優しくしてもらったし。だから……もういいよ」
「本当に、か?」
「本当っ」
「嘘だ」
「嘘じゃないもんっ!」
「絶対嘘だ」
「絶対嘘じゃないもんっ!!」
「だったら……」
 俺は、ついに声を抑えられなくなった。
「だったら、なんで泣いてるんだっ!?」
「……えっ?」
 真琴は、頬に指を当てた。
「あ、あれっ?」
 その頬を、一筋の涙が流れ落ちる。
「あれれっ? ど、どうしたんだろ……。止まらない、よ……」
「真琴……」
「……あうっ、と、とまんない……あうう」
 そのまま、真琴はぼろぼろと涙を流して、しゃくり上げた。
「やっぱりいやだよぅ。祐一と、一緒にいたいよう」
「……来いよ、真琴」
 俺が手を伸ばすと、真琴はとたたっと駆け寄ってきて、
 途中でこけた。
「あうーっ、イタイーっ」
「……莫迦」
「ああっ、ばかって言ったーっ、あううっ」
 俺は真琴を引っ張り起こした。そして、その頭にぽんと手を乗せる。
「真琴は大事な俺達の家族なんだからな」
「祐一ぃ〜」
 真琴はそのまま俺の胸に顔を埋めた。
「わっ、莫迦、やめっ、くすぐったいだろっ!」
「やだっ」
 ぶんぶんと首を振って、真琴はさらに俺の胸に顔を押しつけた。
 俺はじいさんの方を見た。
「悪いな、そういうわけだ」
「そうか……。だが、儂らはその子がみすみす不幸になるのを見過ごすことは出来ぬ」
 じいさんがそう言うと同時に、周囲がざわっとざわめいた。
 辺りを見回すと、いつのまにか周囲に、何十匹もの狐が俺達を取り囲んでいた。それも、どれも見たことの無いような大きさの、狼と見まがうばかりの狐だ。
「……力ずくでも、ってわけか?」
「無論、約束は守る。薬は渡してやろう。だが、この子は儂らの元に戻るのが一番良いのだ。この子も、いずれ判ってくれる」
「やだーっ」
 真琴は、ぎゅっと俺にしがみつく。
「真琴は帰らないもんっ。祐一や名雪や秋子さんやぴろといるもんっ!」
 くそ、この数相手にどこまでやれるかわからんが……。
 俺だって、舞と一緒に魔物と戦ったこともあるんだ。……足手まといにしかなってなかったような気がするが。
 俺は身構えた。
「あううっ」
 真琴が怯えた声をあげる。
 ザッ
 狐たちが、一糸乱れぬ足取りで輪を縮める。
 そして、一匹が飛びかかってきた。
「くっ!」
 とっさに真琴を抱きかかえて、横に身体を投げ出す。
 が、それは失敗だった。
 その一撃は避けたが、真琴を抱えたまま地面に転がってしまった俺は、次の動作に移れない。
 それを見越したフェイントだったのだ。
 動けない俺達に、間合いを詰めた周りの狐たちが、一斉に飛びかかってくる。
 くそ、これまでか……。
 俺は真琴を抱きしめ、その上に覆い被さった。
 ガキッ
 鈍い音。そして、どさっと何かが地面に落ちる音。そして……、

 ちりん

 涼やかな音がした。
 顔を上げると、そこに一人の少女がいた。学校の制服に身を包み、右手に片刃のゆるやかな弧を描く剣を提げている。
 彼女の足下に、一匹の狐が、涎を垂らしながらもがいている。
 彼女は、周囲の狐に視線を向けて、静かに告げた。
「……まだ、あらがうも良し。ただし……その場合の命は保証できないけど……」
「……舞?」
「あうーっ、重い〜っ」
 俺の体の下で声をあげる真琴。
「あ、悪い」
 俺は体を起こした。その下から這いだしてきた真琴が大きく息をつく。
「ふーっ、びっくりしたぁ」
 と、その真琴の前に、舞は左の拳を突きつけた。
「きゃっ! な、なにようっ!」
「……わすれもの、持ってきたから……」
 そう言って、舞が左手を開くと、そこにはリボンのついた鈴があった。
「ば、莫迦な! どうして他の人間がここに!?」
 じいさんが叫ぶ。
 俺は、倒れている狐を見て、舞に訊ねた。
「殺したのか?」
「……峰打ちだから」
 そう言うと、舞は剣をストンと地面に突き刺した。そして、その狐に近寄ると、屈み込んで撫で始めた。
 最初はじたばたもがいていた狐が、すぐに大人しくなる。
 うーむ、野犬のときといい、舞には調教師の素質があるらしい。
 と、俺達を囲んでいた狐達が、一斉に逆の方向を振り返った。
 そちらから、さく、さく、と足音が近づいてくる。
「この二人を引き離すと言うのですか?」
 そして、もう一人、少女が姿を現した。
「……そんな酷なことはないでしょう」
「美汐っ!」
 真琴が声を上げた。
「……何者だ?」
 じいさんが声を上げる。
 天野は、俺達のそばまで来ると、慇懃無礼に一礼した。
「天野美汐……と言えば、思い当たる節もありますか?」
「……天野、じゃと?」
 目を見開くじいさん。
 天野は静かに続けた。
「私からも、お願いします。薬を渡して頂けませんか?」
「天野……。そうか、お主が……」
 じいさんは呟くと、懐に手を入れて、小さな包みを取り出した。
「これが薬じゃ。持っていくがよかろう」
「ありがとうございます」
 天野はその包みを受け取ると、まだぽかんとしている俺達に言った。
「急ぎましょう」
「あ、ああ。舞?」
 ずっと狐を撫でてやっていた舞は、俺の声に立ち上がった。
「わかった」
 そして、真琴に鈴を渡す。
「これ……」
「あっ、うん」
 鈴を受け取ると、真琴はじいさんの方に視線を向けた。
「おじいちゃん……」
「お前の名は?」
 じいさんに聞かれて、真琴は、手にした鈴をちりんと鳴らして、答えた。
「あたしは、沢渡真琴」
「……そうか。ならば、行くがよい」
「……おじいちゃん……」
「あの子はもうおらぬのだな……」
 じいさんは寂しそうに笑った。と、次の瞬間、ボワン、と煙が上がったかと思うと、じいさんの姿も狐の姿も消えていた。
「……こんこんきつねさん……」
 舞は残念そうだった。
「……さよなら」
 真琴は、小さく呟くと、俺の手を引っ張った。
「ほら、急いで行かなくちゃっ!」
「お、おう」
 俺達は急ぎ足で丘を下っていった。

Fortsetzung folgt

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あとがき
 どうしてみんな真琴のことが嫌いなんでしょうね。
 真琴の出番がやたらと増えてるのは、そんな声に反発を覚えてしまったせいかもしれません。
 名雪の出番が少ないこととは関係ないですが(笑)
 それにしても、こちらを立てればあちらが立たずというか、……ヒロイン全員の話を書くのは大変です(苦笑)
 茨の道を選んだのは自分ですけど。

 プールに行こう3 Episode 28 00/6/19 Up

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