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「ただいま〜」
Fortsetzung folgt
名雪が玄関を開け、中に向かって声を掛けると、キッチンから秋子さんが顔を出した。
「お帰りなさい、名雪、祐一さん。あら、あゆちゃんも一緒だったのね」
「お母さん……、栞ちゃんが……」
「ええ。倉田さんから話は聞かせていただいたわ」
秋子さんは頷いた。
「とにかく、3人とも、手を洗って着替えていらっしゃい」
秋子さんに言われたとおり、手を洗って着替えてから、1階のリビングに入ると、舞、佐祐理さん、真琴、天野とダッフルコートを脱いだあゆが集まっていた。
少し遅れて名雪と秋子さんが入ってきたところで、名雪が皆に病院の状況を説明する。
「……それでね、面会謝絶で、栞ちゃんには逢えなかったけど、香里には逢えたんだよ。でも……」
言葉を詰まらす名雪。俺が引き取って続けた。
「やっぱり、かなり参ってる様子だった。で、栞の容態だけど、聞いた話じゃとりあえず今すぐどうこうっていうわけじゃないようだけど、やっぱりかなり危険な状態らしい」
「……信じられないです。あんなに元気だったのに……」
涙ぐむ佐祐理さん。
「どうして、急にそんなことに……」
急、じゃないんだ……。
「とにかく、ここであれこれ言っても始まらないわ。栞ちゃんが回復して、またうちに来てくれることを信じましょう」
秋子さんがまとめて、とりあえずその場はお開きということになった。
俺がリビングを出ると、後ろから真琴が付いてくる。
「なんだよ?」
「あ、うん……」
振り返って声をかけると、真琴は頷いた。
「栞、もう帰ってこないような気がするの……」
「何をっ……!」
思わず声を荒げかけて、俺は必死になって自制した。
「……すまん。でも、どうして……?」
「なんとなく。それに美汐も……」
「天野が?」
「うん……」
真琴はこくりと頷くと、俺の腕にしがみついて、訊ねる。
「栞、帰ってくるよね?」
「……」
頷いて安心させてやりたかったけど、どうしても頷くことが出来なかった。
本当のことを知ってしまっているから。
それに気付いているのかいないのか、真琴は俯いたまま呟いた。
「早く帰ってきてくれないと、やだよ……」
「真琴……」
俺はその頭にぽんと手を置いた。それに反応するように、ピョンと真琴の耳が立つ。
「あう〜っ」
と、後ろから声をかけられた。
「相沢さん、ちょっといいですか?」
「どうした、天野?」
そう答えながら振り返ると、天野は真剣な顔で俺に言った。
「お話しがあるんです。……美坂さんのことで」
「美坂って、栞の方だよな?」
訊ねると、天野は頷いた。
「はい」
「リビングでは話せないようなことか?」
「……」
今度は無言で頷く。俺も頷いて、言った。
「ちょっと、外に出るか」
「……はい」
「あっ、真琴も行くっ!」
慌てて真琴が声を上げる。
「あのな……」
「いえ」
止めようとした俺を制する天野。
「真琴にも来てもらいたいんですが」
「ほらっ」
得意そうに胸を張る真琴。俺はため息をついた。
「よしなに」
とりあえず、何も言わずに外に出て、何かあったら面倒だったので、「天野を駅まで送る」と秋子さんに言って家を出た。
3人でしばらく黙って歩く。
「……で?」
いつも学校に行く時に通る、川に沿って続く道のところまで来て、俺は立ち止まった。
天野はガードレールに身体を預けて、川面を見下ろした。そして、そのまま言う。
「美坂さんの病気のこと、相沢さんは知っていたんでしょう?」
「……」
俺は無言だった。
天野は姿勢をそのままにして、こちらを振り返った。
「別に、責めているわけじゃないです。それを言うなら、私も真琴のことをずっと黙っていたわけですから」
「あう?」
俺の腕にしがみついていた真琴が、自分の名前を呼ばれたことに気付いて俺と天野を交互に見る。
俺はなんとなくその頭を撫でながら、訊ねた。
「話っていうのは、それだけじゃないんだろ?」
「……はい」
頷いて、天野は川面に視線を落とした。
「……こんな、昔話があるんです……」
それは、こんな話だった。
むかしむかし。
村の庄屋に一人の娘がいた。気だての良い、心優しい娘だった。
あるとき、その娘がたまたま用事があって別の村に使いに行った、その帰りに、一匹の子狐が怪我をして動けなくなっているのを見つけた。可哀想に思った娘は、その子狐を連れて帰り、こっそりと手当してあげた。しばらくして、すっかり良くなった子狐は、娘にすっかり懐いて、どこに行くにも付いて回るようになった。
だが、そんな娘を村人達は「狐憑きだ」と罵るようになり、娘に悪評が立つのを恐れた庄屋は、その狐を捕まえたが、さすがに殺すのはしのびなく、ちょうど通りかかった旅人に頼み、遠くに捨ててもらった……。
天野がそこまで話したとき、俺は口を挟んだ。
「天野、それって……」
「……昔話ですよ。それに、この話にはまだ続きがありますから」
俺は黙って、大人しく天野の話に聞き入っていた真琴の頭を撫でてやった。
天野は話を続けた。
それから数年が過ぎたある冬。
庄屋の娘は急に重い病にかかってしまった。庄屋は八方手を尽くして、いろんな医者を呼び寄せたが、どの医者もその娘の病気を治すことは出来ず、その病は日増しに重くなる一方だった。
そんなとき、一人の若者がその村を訪れた。藁にもすがる思いで庄屋はその若者に娘のことを相談した。
若者は持っていた薬を差し出し、娘がその薬を飲むと、不思議なことにあれほど重かった病がいともあっさりと治ってしまった。
喜んだ庄屋は、若者を娘の婿として迎え入れ、その身代を譲ってもいいとまで考えた。また、娘と若者もお互いに愛し合うようになり、二人はめでたく祝言を上げた。
だが、祝言を上げてからしばらくしたある日、その若者の姿は忽然と消えてしまった。
皆は、その若者こそ、かつて娘が助けた狐で、恩返しにやって来たのだと噂したのだった。
「……と、こんな話です」
天野が話し終わった頃には、辺りはオレンジ色に染まりつつあった。
「どこにでもありそうな話です」
最後にそう付け加える辺りが天野らしいが。
「しかし、こういう昔話をさせると上手いあたりは、さすがおばさんくさいだけあるな」
「失礼ですね。物腰が上品だと言ってください」
「いやいや、誉めてるんだぜ。なぁ、真琴」
「うん。こんど漫画読んでね。あ、そのときは、市原悦子でお願いね」
真琴の言葉に微かに微笑んで、天野はガードレールを背にして俺に視線を向けた。
「もし、この話に出てくる狐が、この子と同じ妖狐だったとしたら、もしかしたら、どんな病気でも治してしまう薬というものが伝わっているのかもしれませんね」
「……」
この科学万能の時代に、と一笑に付すには、俺は不思議な世界に足を踏み入れすぎていた。何しろ俺の腕にはその不思議の固まりみたいな奴がぶら下がっているのだから。
「それでは、私はこれで」
天野は一礼して、駅の方に向かって歩き出した。
「美汐〜、またね〜」
手を振る真琴に、一度振り返って微笑んでから、天野はそのまま歩き去って行った。
それを見送ってから、俺は真琴に尋ねた。
「で、真琴。そんな薬に心当たりはあるか?」
「えっ? 何のこと?」
「聞いてなかったのか!」
ポカッと頭を叩くと、真琴はあうーっと頭を抱えてしゃがみ込んだ。あらら、耳も尻尾も出てるな。
「イタイーっ、祐一が殴った〜っ」
「人聞きの悪い。それに耳と尻尾が出てるぞ」
「えっ!? あ、いけないっ」
慌てて頭をぺたぺた撫でて耳を髪の間に隠すと、尻尾をスカートの中に入れてごにょごにょとする。
「……これでよしっと」
「どれどれ?」
スカートをぺろんとめくって見てみる。確かに尻尾が見えなくなっている。
「それにしても、これどうやって……」
「きゃーーーーーーーっっ!!!」
がづぅん
後ろ蹴りを鳩尾にまともに喰らってしまい、一瞬目の前が真っ白になった。
「えっち、変態っ!」
「お、おまえな……」
俺は鳩尾を押さえて声を絞り出す。
「なにようっ! 祐一が変態なのがわるいんでしょっ!」
往来で変態変態と連呼されては、後々まずいような気がするが、いかんせんこっちは身体を起こすこともままならぬ状態だった。
「ぬぐぐぐぐ……」
「もう痴漢っ、変人っ、あんぽんたんっ、えーっとそれから」
どうやら速攻で悪口のボキャブラリーが尽きたらしい。
「と、とにかくっ! すぐに真琴のお尻触るのやめてっ!」
くそ、厄日だ。
それから散々わめき散らされた後(誰も通らなかったのは天の配剤に違いない)、ようやく声を出せるようになった俺は、真琴をとりあえず黙らせることにした。
「……わかった。肉まん買ってやるから黙ってくれ」
「えっ、肉まん? うんっ!」
商店街まで出て、店頭で売っている肉まんを2つ買うと、早速その一つを頬張る真琴に、もう一度訊ねる。
「天野がやった昔話は、聞いてたよな?」
「うん。……多分、その若者の人って、真琴の仲間だと思う」
もぐもぐと肉まんを頬張りながら頷く真琴。どうやら話は聞いていたらしい。
でも、天野の話だと、どうやらその本人(?)は消えてしまい、真琴のようには戻ってこなかったようだ。っていうか、戻ってきたのは真琴が初めてってことだし。ともかく本人(?)に話を聞くってわけにはいかないわけだな。
「それで、真琴はその薬に心当たりはあるか?」
「うーん」
真琴は、オレンジ色に染まった空を仰いで考え込んだ。
「真琴は知らないけど、おじいちゃんなら知ってるかなぁ〜」
「おじいちゃん? お前の?」
「うん。とっても物知りなんだよ。でも、とっても厳しいんだぁ。真琴が人間になりたいって言ったらすっごく怒られて延々とお説教されたんだもん」
……そりゃそうだろ。今までの話を総合すると、妖狐が人間になるイコール自殺する、みたいなもんらしいし。
それでも、こいつは人間になって、俺に逢いに来たんだよな。
俺はなんとなく真琴の頭に手をぽんと乗せた。
「あうーっ、また真琴の頭に手を乗せる〜」
そう言いながらも、真琴は嫌がってる様子もなかった。
あ、いかん。そうだ、今は栞の方が問題だ。こんなにほのぼのしてる場合じゃないな。
「真琴、そのお前のじいさんってどこにいるんだ? ものみの丘か?」
「……うん」
真琴は、一つ目の肉まんを呑み込んでから答えた。そして、二つ目を紙袋から出しながら言った。
「でも、真琴はかんべんされたから」
「……かんべん?」
しばらく考えてから、俺は真琴に尋ねる。
「もしかして、勘当のことか?」
「あう……。……そう」
ちょっと恥ずかしかったのか、明後日の方を見てしばらくごまかしの言葉を考えたけど、思いつかなかったらしい。真琴はこくりと頷いた。それから顔を上げる。
「でも、今から行ってみるよ」
正直、俺は呆気にとられていた。あのあまのじゃくで自己中心的だった真琴が、他の娘のために何かしようなんて……。
「どうして……?」
「えっ?」
行きかけた真琴が振り返る。
その真琴に、俺は尋ねた。
「どうして、栞のために……?」
「栞のこと嫌いじゃないもん。それに……」
「それに?」
真琴は、俺に背を向けて、呟くように言った。
「……美汐が言ってた。栞が死んだら、祐一絶対悲しくなるって。そんなの真琴も嫌だから……」
「……そうか」
俺は空を見上げた。オレンジ色の空が次第に群青色に染まりつつあった。
「俺も行ったほうがいいか?」
「えっと……、うん。やっぱり来て」
俺のジャケットの袖を握って引っ張る真琴に、俺は苦笑した。
「わかった。それじゃ行くか」
「うんっ」
森を抜けて丘にたどり着いたころには、もう真っ暗になっていた。
遠くに街の灯りを見下ろしながら、俺達は残っている雪を踏みしめて丘を登っていた。
「えっと、この辺りだったと思うんだけど……」
足を止めると、真琴はきょろきょろと辺りを見回した。それから、四つん這いになってごそごそと這い回り始める。
気が付くと、耳と尻尾が出ていた。
まぁ、誰も見てないし、それに元の姿に近い方がいいのかもしれない。
俺は腰を下ろして、微かに見える真琴の姿を目で追った。
……こんな事をしてる間に、栞にもしものことがあったら……。
そう思わないでもなかったけれど。
「あうーっ」
30分後、泥まみれになった真琴が泣き声をあげていた。
「みんな出てきてくれないーっ」
「困ったな」
俺は頭を掻いた。真琴が俺の胸に顔を押しつけてくる。
「真琴が人間になっちゃったから、やっぱり逢ってくれないんだ〜」
「……心配するな」
真琴の頭に手を回して、俺の胸に押しつける。
「俺や名雪や秋子さんがいるんだ。お前は一人じゃない」
「うん……」
真琴は、こくりと頷きながら泣いていた。
どれくらい、そうしていたのか。
不意に、がさり、と音がして、俺は顔を上げた。
そこに、大きな銀色の狐がいた。
真琴が顔を上げ、その姿を見て、小さく呟いた。
「……おじいちゃん……」
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あとがき
なんか一気にみゅ〜。
やっぱり、5月の大量生産の反動が来てるらしくて、どうにも筆が進んでくれません。
気長に待っててください、としかいえません(苦笑)
友人に、夏コミ合わせの痕SSの執筆依頼をもらってしまったので、これからそっちにとりかかろうと思っています。
さて、ちゃんと上がればいいんだけど……。
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