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「……ふぅ。この辺りが丘のてっぺんになるのか?」
Fortsetzung folgt
俺は、ざくっとシャベルを雪に突き立てて、額の汗を拭った。そして辺りを見回す。
俺達が登ってきた道が一筋残るだけで、あとは一面の銀世界である。
「雪合戦したら楽しそうだねっ」
「遊びに来たわけじゃねぇぞ」
「うぐぅ……、ごめんなさい」
しょげるあゆはとりあえず放っておいて、俺は真琴に尋ねた。
「どうだ? 何か思い出せそうか?」
「うーん……」
腕組みして、珍しく真剣な顔で考え込む真琴。と、不意に顔を上げた。
「おっ、何かあぐっ」
何か思いだしたのかとその顔をのぞき込もうとしたところに、いきなり、思いっきり顎にアッパーカットをくらった。舌は噛まずに済んだが、そのまま雪の中に倒れ込んでしまう。
「……てて、なにすんだ真琴っ!」
「わかんないけど、なんかすごくむかついたのようっ!」
「意味もなく人を殴るなっ!」
「……」
真琴は、ふぅとため息を付くと、辺りを見回した。
ここから見える街も、白い化粧をしていた。それを眺めながら、真琴はぼそっと呟く。
「……なんか、ずっと長い間、ここにいたような気がする……」
それは、真琴が狐だった頃、ここに住んでいたということなのだろうか?
俺は、天野の方を見た。
「なぁ、天野……。天野?」
「……」
天野は、黙って立っていた。その瞳が、何か別のものを見ていることに気付いて、俺は声を掛けるのを止めた。
「なぁ、真琴。少し歩いてみるか?」
顎をさすりながら声を掛けると、真琴はこくりと頷いた。
「よし」
と、不意に真琴が違う方を向いた。
「……誰か来る」
「ん?」
顔を上げると、街の方から俺達がかき分けた道を通って誰かがやって来るのが見えた。
「……あれ、名雪じゃないの?」
額に手をかざして香里が言う。そういわれてみるとそうだ。
「そういえば、誰かいないような気はしてたけど、最近影が薄いから忘れてた」
「ほんとね」
頷く香里。ひどい親友もあったもんである。
「……祐一くんも人のこと言えないと思うよ」
「黙れうぐぅ」
「うぐぅ……」
等とやり取りしているうちに、名雪がやって来た。
「みんなひどいよ〜、置いていくなんて」
「お前は寝てただろうが」
「起こしてくれたっていいのに〜」
ぷっと膨れる名雪。
「お母さんが仕事に行く前に起こしてくれなかったら、ずっと寝てたかも知れなかったんだよ〜」
「自分で起きようって気はないのか?」
「努力はしてるんだけど……」
ふと顔を上げると、香里が「無駄無駄」と手を振っていた。俺も「そうだな」と頷く。
「……祐一と香里、なんかすごく失礼なこと考えてない?」
「そんなことないわよ」
にっこり笑って首を振る香里。名雪はなおも「うーっ」と俺達を上目遣いに見ていたが、不意にぽんと手を叩く。
「あっ、そうだ」
ポケットに手を入れながら、真琴に声をかける名雪。
「お母さんがね、真琴にこれを渡してあげてって」
「え?」
顔を上げる真琴の前に、名雪はポケットから手を出して広げた。
ちりん
名雪の手のひらの上に、金色の小さな鈴が転がっていた。
「わっ」
真琴は目を丸くした。そして名雪からそれを受け取ると、手の上で転がす。
ちりんちりん
「わわーっ」
「……なんか、真琴の奴、ご満悦みたいだけど、どうしたんだ、あれ?」
その真琴を横目で見ながら名雪に尋ねると、名雪は頷いた。
「渡されたときはなんのことかよくわかんなかったけど、今思い出したよ。子狐が家にいた頃、お母さん、財布に鈴を付けてたの」
「秋子さんが?」
「うん。それでね、その子狐が鈴を気に入ってたみたいで、お母さんが出かけるときいつも付いてこようとして大変だったんだよ」
「そんなことが……」
あったのか。
と、真琴が俺達の間に割り込んできて、名雪に尋ねた。
「ねねっ、これ真琴がもらってもいいのっ!?」
「うん。もちろんだよ」
にっこり笑って、名雪は頷いた。
「わーいっ。美汐美汐っ、ほらほらっ!」
喜んで天野に見せに行く真琴。
俺は名雪に尋ねた。
「で、あの鈴ってその秋子さんが財布につけてた鈴なのか?」
「さすがに違うと思うけど……。でも、お母さん物持ちいいから、そうかも」
「そっか……」
天野の前で、手の上で鈴を転がせて見せている真琴を見ながら、俺は頷いた。それから、声をかける。
「それじゃ、行くぞ真琴」
「あっ、うん!」
慌てて頷く真琴。
と、不意に香里が言った。
「相沢くん、みんなでぞろぞろついていっても、あまり役に立たないんじゃないかしら?」
「ん〜」
そう言われてみるとそうかもしれないなぁ。でも……。
と、不意に俺は香里がそれとなく栞を見ているのに気付いた。
なるほど、栞を雪の中、あんまり歩き回らせるのは酷かも知れないな。
「わかった。それじゃみんなはこの辺りで適当に時間潰してくれ。俺と真琴で一回りしてくるから」
「ありがと」
香里が微かに微笑む。
「んじゃ、改めて。行くぞ真琴」
「わわっ! ちょっと待って……。あっ!」
真琴の手から鈴がぽろっとこぼれ落ちる。
「あうっ!」
大慌てでしゃがみ込んで、鈴を拾い上げる真琴。
「危なかった〜。あっ」
また落とす。しかも、今度は鈴が雪の中にすぽっと埋もれてしまう。
「あうーっ!」
「……なにやってんだか」
真琴は雪をかき分けて、鈴を拾い上げた。
「あったぁ!」
「お前なぁ。そんなに大切なのなら、紐で縛っとけ」
俺が言うと、真琴はぷっと膨れた。
「またそんなこと言う〜。大体紐なんてどこに……」
と、その前にずいっと紺色のリボンが差し出された。
舞が、髪を縛っていたリボンを解いて、差し出していた。
「えっ? えっ?」
きょときょとと、リボンと舞を見比べる真琴。
佐祐理さんが、真琴に笑顔で言った。
「どうぞ、このリボンを使ってくださいって。そう言いたいんだよね、舞?」
こくりと頷く舞。
「えっと……。どうしよう、祐一?」
「舞がそう言ってるんだ。遠慮なく使わせてもらえ」
俺が言うと、やっと真琴は頷いた。
「う、うん……」
舞は真琴にリボンを渡すと、その頭を撫でた。
「……」
いつもなら思い切り嫌がる真琴だったけど、リボンをもらったせいか、今回は大人しく頭を撫でられていた。
「……あうーっ」
困ったような声を上げる真琴と、黙ってその真琴を撫でている舞の組み合わせが、なんだかおかしかった。
「舞、そろそろ行こっか?」
佐祐理さんに言われて、舞は頷いた。それから、真琴に何か小さな声で言うと、そのまま背を向けて丘を降りていく舞。
「あっ! 待ってよ、舞っ!」
慌てて佐祐理さんがその後を追いかけ、そして他のみんなもそれぞれに降りていった。
俺は、紺のリボンを手に怪訝そうな顔をしている真琴に声をかけた。
「よかったな、真琴。それじゃ俺達も行くぞ」
「う、うん」
頷いて、鈴にリボンを通そうとする真琴。でも、リボンがもともと幅広いせいもあって、うまく通らない。
とうとう癇癪を起こしたように叫ぶ。
「あうーっ、通らないっ!」
「結んであげましょうか?」
見かねたのか、天野が言った。俺はその時になって初めて、天野が一人そこに残っていたのに気付いた。
そうだな。天野なら、本人がいいのなら、一緒にいてもらった方がいいかもしれない。
真琴はこくんと頷いた。
「お願い……」
天野は真琴からリボンを受け取ると、捻って細くした。そして器用に鈴にそのリボンを通し、真琴の右手首にそのリボンを巻き付ける。
「……はい、出来た」
最後にちょうちょ結びにして、天野は離れた。
「わぁっ」
真琴は嬉しそうに腕を振って、鈴をちりんちりんと鳴らした。
「よし、それじゃ行くぞ」
俺が声をかけると、2人は頷いた。
他の皆は丘の麓でなにかして遊んでいるらしい。冷たい風にのって、時折楽しそうな声が微かに聞こえる。
俺はシャベルを手にして、訊ねた。
「それじゃ、どっちに行く?」
「……あっち」
真琴は、森の方を指した。俺は無言で雪を掘り始めた。
「……あのさ」
不意に、真琴が呟いた。
「なんだ?」
「……どうして、みんな真琴のために、いろいろしてくれるの?」
「……さぁな」
俺は、額の汗を拭った。そして、雪にシャベルを突っ込む。
「多分……、みんな、真琴のことが好きだからだろうな」
「……」
不意に、とん、と背中に触れるものがあった。ちりん、と鈴の音がする。
「……真琴?」
「祐一ぃ……、真琴は消えちゃうの……?」
真琴が、俺の背中に手をついていた。
「……やだよ、そんなの……」
「だから、こうしてるんじゃないか」
振り向いて、真琴の頭にぽんと手を置く。
真琴はぐすっと鼻をすすりあげると、俺の手を掴んだ。
「真琴……?」
「なんか、祐一が優しいよ……。いつもと違う……」
「おまえだってしおらしいじゃないか」
苦笑して、真琴の手をぎゅっと握ってやる。
「……怖い」
「大丈夫だ。俺だって、天野だって、みんなだっているんだ」
俺の言葉に、真琴はこくりと頷いた。
そんな俺達を、天野は黙って、静かに見守っていた。
「結局、何も思い出せなかったんですか?」
雪の上に広げたシートにちょこんと座って弁当を広げながら、栞が訊ねる。
俺は頷いた。
「残念ながら」
「なんとなく、もやもやっとしたものは感じるんだけど……」
真琴は首を傾げた。
「なんか、懐かしいような感じはするんだけど、それ以上思い出せない……」
「無理はしない方がいいですよ」
佐祐理さんが笑顔で言う。
でも、天野の言うことが事実なら、真琴に残された時間はあまりないのだ。しかもそれがいつかもはっきりしない。もしかしたら、瞬きした次の瞬間には、もう消えているかも知れないのだ。
俺は、ネガティブな考え方は止めようと深呼吸した。
「それじゃ、昼飯にしようぜ」
そう言いながらシートに座ると、俺の前にドンと重箱が置かれる。
「はい、これは祐一さん専用です」
「……おい、栞」
顔を上げると、栞は満面の笑みで答えた。
「はい、なんですか?」
「……全部?」
「もちろんです」
頷く栞。
「今朝あんな事した罰です。残さず食べてくださいね」
「何もしてないだろう?」
「胸触った」
後ろで既に佐祐理さんの弁当に箸を延ばしていた舞が、ぼそっと呟く。俺は慌てて振り返った。
「だからあれは事故だって言ってるだろっ!」
「それで、午後からどうするの?」
マイペースな名雪である。が、この機を逃しては俺がやばいので、話題を強引に変える。
「そうだな。もうちょっとぶらついてみるよ。何か真琴が思い出すかも知れないし」
「えーっ? もう疲れた〜」
足をばたばたさせる真琴。俺はため息をつく。
「……何のために苦労してるんだろうな、俺は」
「あうーっ……。わ、わかったわようっ」
「あ、それじゃ佐祐理がマッサージしてあげましょうか?」
佐祐理さんが言う。
「へぇ、マッサージか?」
「はい。佐祐理はこう見えてもマッサージと耳掻きには自信があるんですよ」
ちょっと意外だ。
「そうなのか。ますます俺の嫁に合格だな」
「あははーっ、ありがとうございます〜。でも佐祐理はダメですから舞をお願いしますね〜」
ぽかっ
舞が佐祐理さんにチョップをしている隣で、栞が香里に言っている。
「お姉ちゃん、私もマッサージ習ったほうがいいのかな?」
「そうかもしれないわね。がんばりなさい」
「うん。私、がんばります」
……あの〜、もしもし?
「さて、それじゃここに座って足を伸ばしてくださいね」
「う、うん」
言われるままに、佐祐理さんの前に座って足を伸ばす真琴。
佐祐理さんはその右足のふくらはぎを白い手で揉み始めた。
「あうっ、あうっ、あうーっ」
どうやら気持ち良いらしかった。俺も後でしてもらおう。
「……あれ?」
不意に佐祐理さんが手を止めた。
「ここに傷痕がありますね〜」
「えっ?」
のぞき込んでみると、確かに右足のすねに、白い傷痕があった。
「あっ」
俺の中で何かがカチリとつながった。
あの時、俺が助けた子狐も足に怪我をしていたのだ。
「あの時の子も、怪我、してた……よね?」
名雪も、同じ事を思い出したようだった。
俺は真琴に尋ねた。
「この傷のこと、覚えてるか?」
「……」
真琴は、じっとその傷を見つめていた。
その瞳は、いつもの瞳とは違っていた。
何の感情も浮かべていない、無表情な……、あの時の子狐のしていた瞳だった。
「……まこ……」
思わず延ばしかけた手が、横から押さえられた。そっちを見ると、天野が首を振った。
真琴は、無表情のまま呟いた。
「この傷は……、きず……は……」
ちりん
手首に巻かれたリボンについた鈴が、音を鳴らした。
真琴は、手首の鈴を見て、そしてもう一度傷痕を見る。
「ゆ……いち……や……だよ」
「真琴?」
真琴はゆっくりと顔を上げた。
その瞳にうつっているものは、何なのか……。
「あ……う……」
ろれつが回らないようなうめき声を上げ、真琴は俺に手を伸ばす。
俺は、天野を押しのけるようにしてその手を取った。
「真琴っ!」
「真琴!」
「真琴さんっ」
「真琴ちゃんっ」
皆が口々にその名を呼ぶ。
真琴は、もう一度何か言おうと口を動かした。でも、その口から言葉は出ることなく。
不意に、握っている手がものすごく熱くなった。
「なっ!?」
ごぉうっ
その刹那、冷たい風がどっと吹き寄せ、一瞬目をつぶってしまう。
そして、握っていたはずの真琴の手の感触が消えた。
慌てて目を開けたとき、真琴の姿は、そこにはなかった。
ちりん
リボンのついた鈴が、シートの上に転がって、とまった。
「……まこ……と?」
左右を見回す。でも、どこにもあいつの姿は無かった。
ざっ
天野が膝をついた。放心したように呟く。
「やっぱり……」
「そんな。消えちゃうなんて……。ねぇ、どうして? 祐一、どうしてっ!?」
名雪が声を上げる。
俺は、シートに落ちていた鈴を拾い上げ、空を仰いだ。
澄み切った青い空。
そこに向かって、俺は絶叫していた。
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あとがき
ええと。なんか書いてるうちにこうなってしまいました。勢いっていうのは怖いものです。
PS
横浜Fマリノス、1stステージ優勝おめでとうございます。
プールに行こう3 Episode 19 00/5/25 Up 00/5/27 Update