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Kanon Short Story #13
プールに行こう3 Episode 17

「栞のことなんだけど……」
 香里は静かに言った。
 その表情からして、どうやら真面目な話らしい。
「……立ち話もなんだ。座れよ」
「……ええ」
 頷いて、香里はソファーに腰を下ろした。
「ちょっと待ってな。何か飲み物でもいれるから」
「いいわよ、そんなの」
「まぁ、そう言うな」
 そう言ってキッチンに入ったが、さて困った。
 とりあえず手軽に入れられそうなのは紅茶だが、あいにくティーバッグは昨日うぐぅが使い切ってしまって無くなっている。日本茶……はどこだ? コーヒー……もわからん。
「……何してるのよ?」
 キッチンで右往左往していると、呆れたような声を上げながら、香里が入ってきた。
「人が真面目な話をしようっていうのに……」
「悪い。でも、やっぱり飲み物くらいは欲しくないか?」
「あたしはいらないわ」
「俺は欲しい」
 きっぱりと言うと、香里はため息をついた。
「はぁ……。まったく、栞も趣味が悪いわね」
 余計なお世話だ。
 香里は俺を押しのけるようにして流しの前に立つと、振り返る。
「コーヒーと日本茶、どっちにするの?」
「そうだな。日本茶」
「煎茶? 番茶? 玄米茶? 梅こぶ茶も烏龍茶もあるし、なんなら玉露にしてみる?」
「……抹茶は?」
 まさか、と思って聞いてみると、香里はあっさり答える。
「あるわよ。あたしは入れられないけど」
 さすが秋子さんの支配するキッチン。なんでもあるらしい。
 あ、そうすると……。
「もしかして、コーヒーも色々と取りそろえてるのか、ここは?」
「ええ」
 簡潔に答える香里。まぁ、ここでコーヒー豆の名前をずらずらと並べられても、俺もわからんしな。
「……とりあえず玄米茶でいいです」

 こぽこぽこぽ
「……はい、どうぞ」
「サンキュ」
 テーブルに湯気の立つ湯飲みを置いて、香里は俺の正面に座った。
 俺はずずーっとお茶を飲む。うむ、なかなか美味い。
「……あれ? 香里は飲まないの?」
「気分じゃないのよ。それよりも……」
「ああ」
 湯飲みを置いて、俺は頷いた。
「栞のことか」
「あの子、病気なのは知ってるわよね」
「ああ。何度か倒れたし、そもそも俺が知り合ったときはまだ学校を休んでたしな。でも別に命に関わるとかそんな重いやつじゃないんだろ?」
 俺が言うと、香里は静かに首を振った。そして、顔を上げた。
「あの子、もう長くないのよ」
「……」
 一瞬、香里が何を言ったのか、把握できなかった。
「長くないって、何が?」
「長くは生きられない、ってことよ」
 こともなげに言う香里。だけど、その膝の上に置かれた拳は堅く握られて、小刻みに震えていた。
「そんな……。でも、だって……」
「ええ、確かに普段はそんな風に見えないわ。でも……」
 香里は、テーブルに顔を伏せた。
「それは、変えようのない事実よ……」
「……」
 言葉を失う俺。
 顔を伏せたまま、香里は続けた。
「相沢くん。あの子が泣いたところ、見たことないでしょう?」
「……ああ」
 確かに、そうだ。
 笑って、怒って、拗ねて膨れて、でも次の瞬間には笑って……。
 でも、泣いたのを見たことはなかった……。
「そう。あの子は泣かなくなったの。……あたしが、あの子にそれを教えた日から……」
「教えたって……香里がか?」
「……」
 無言が、それを肯定していた。
「……どうしてだ? どうして……」
「そんなのこっちが聞きたいわよっ!!」
 香里が初めて声をあらげた。
「あの子が何をしたっていうのっ! あの子がどうして、こんな目に遭わなくちゃいけないっていうのよっ!」
 そう叫んで、顔を上げる香里。その瞳からは、今まで押さえていた感情そのもののように、涙があふれ出していた。
「……香里……」
「ううっ……」
 そのまま、テーブルに突っ伏すように泣き崩れる香里。
 夜のリビングに、香里の嗚咽だけが、時計の音を伴奏に流れていた。
 やがて、香里はしゃくり上げながら、呟いた。
「あの子……何のために生まれて来たの……?」
「お姉ちゃんや祐一さんに逢うためですよ」
 不意に後ろから声がして、俺達は同時に振り返った。
「今の、ちょっと格好いいセリフですよね」
 ドアの所に立っていたのは、栞だった。パジャマの上から、いつも身につけているストールを肩にかけて。
「栞……」
「なかなかお姉ちゃんが戻ってこないから、捜しに来たんですよ」
 笑顔で告げる栞。
 そして、俺に視線を向ける。
「祐一さん、ごめんなさいです。今まで黙ってて……」
「それって……」
「はい」
 頷いて、淡々と言葉を続ける。
「お姉ちゃんの言ったことは、本当です」
「……そうか」
 どうして、そう淡々としていられるのだろう?
 どうしようもないことを悟ってしまったから、なのだろうか?
 でも……。
「本当に、どうしようもないのか?」
 俺の質問に、栞はこくりと頷く。
「なんだかよく判らない難しい病気らしいんです」
「……ええ」
 泣き疲れた、どこかぼんやりとうつろな表情で、香里も頷いた。
「何度も、何度も聞いたけれど、同じことしか言われなかったわ。……現代の医学では、限界があります、としか……」
 段々、水が染みこんでくるように、2人の言葉が俺の頭で理解されていく。
 それはつまり、栞が死ぬということだ。
 ……真琴に続いて、栞も、なのか?
 なんで、こんなに次々と……。
 俺はテーブルに拳を打ち付けた。
 ガシャン
 テーブルに乗っていた湯飲みが跳ねて、音を立てる。
「きゃっ! び、びっくりしました……」
 栞が胸に手を当てて、俺を睨む。
「そんなことする祐一さん、嫌いですっ」
「……」
 俺を嫌って、栞が死ななくて済むんなら、いくらでも嫌ってもらって構わない。だけど……。
「……本当に、どうしようもないのか……」
「そうですね……」
 栞は、唇に指を当てて考えてから、微笑んだ。
「奇跡でも起これば、何とかなりますよ」
「……」
 そうか。
 もう、栞は、自分の運命を受け入れているのか……。
 穏やかに微笑みながら、白い肌の少女は言葉を続けた。
「でも……、起きないから、奇跡っていうんですよ」

 電気が消え、真っ暗になったリビングで、ソファーに横になったまま、俺は天井を見上げていた。
 あれから、栞は言った。
「祐一さん、ひとつだけお願いを聞いてくれますか?」
「お願い……?」
「はい、お願いです」
 こくりと頷くと、栞は続けた。
「私を、普通の女の子として扱ってください」
「……わかった。約束する」
「よかったです」
 胸に手を当ててほっとため息をつく。
「断られたらどうしようかと思いました」
「そんなこと……」
 するわけないだろ。
「あ、それから、私のことは、他の皆さんには内緒ですよ」
 言葉を続ける栞。
「それで……いいのか?」
「はい。……皆さん、優しいですから」
 一瞬、ほんの一瞬だけ、栞の顔が歪んだように見えたが、瞬く間に元の微笑みに戻った。
「不治の病を持つヒロインなんて、ちょっと格好いいですよね」
「……全然、格好良く無いな……」
「わっ、ひどいですっ」
 もう、いつも通りの栞だった。
 でも、今までその裏にどんな思いを隠していたのか。
 全然気付かなかった自分が嫌になった。
 闇に慣れてきたせいか、天井の化粧板が見分けられるようになっていた。それを眺めながら呟く。
「……奇跡、か……」
 視線を横に向け、ビデオの青白い光を放つデジタル時計を見る。
 3:12
 とんでもない時間だが、全然眠れなかった。
 ひどく喉が乾いていることに気付いて、俺は起き上がった。

 廊下に出ると、香里が階段を降りてきたところに出くわした。
「あ、ちょうど良かったわ。言い忘れたことがあったのよ」
「俺にか?」
「ええ」
 香里は、暗い廊下の壁に寄りかかるようにして、俺に視線を向けた。
「こんな時間に俺に言いたいことって、もしかして告白?」
「馬鹿。栞が寝付くまで色々とおしゃべりしてたら、こんな時間になっちゃっただけよ」
 そう言って、肩をすくめる。
「自分でも落ち着くまで時間がかかったし」
「確かにすごい取り乱しようだったな」
「忘れなさい」
 じろりと睨まれたので、俺は慌てて話を変えた。
「で、なんだ?」
「うん。……初めて相沢くんに逢った頃、あたし、栞のこと妹だって認めなかったでしょう?」
 そういえば、栞と初めて逢った頃、香里は栞を妹として認めようとしなかった。と言うより、栞の存在自体を否定しようとしていたようだった。
 あの時までは……。
「それは、やっぱり栞の病気のせいだったのか?」
「……ええ」
 香里はぽつりと呟いた。
「あたし、あの子のことを見ないようにしてた。……もうすぐいなくなるんだって、知ってしまったから。あたしのたったひとりの妹が、もうすぐ永遠にいなくなるんだって。……だったら、最初からいなければ良かった……。そうしたら、辛い思いをすることも、なかったから……」
 だから、か。
「あの子も、そんなあたしの気持ちを知ってたのね。あたしから距離を置くようになったの」
 不意に、栞の言葉を思い出す。

「その人が違うと言っているんですから、違うんですよ…」

「……でも、駄目だったわ」
 香里は自嘲するように笑った。
「本当に駄目な姉ね、あたしって。最初から気付いてなければいけなかったことに、他の人に教えられるまで気付かなかったなんて……」
「他の人って?」
「名雪と、あなたよ」
 ……俺? 俺が一体何をした?
「なぁ、香里。結局何が言いたいんだ?」
「ふふっ」
 香里は微笑んだ。
「ありがとう、相沢くん」
「……え?」
「それじゃ、お休み」
 そう言って、香里は身を翻して、トントンと階段を上がっていった。

 キッチンに行くと、ガラスコップに水を注いで飲み干す。
 そのコップを置いて、一息つく。
 栞と、香里……か。
 と、不意に後ろから声を掛けられた。
「あら、祐一さん。まだ起きていたんですか?」
 振り返ると、カーディガンを羽織った秋子さんが、キッチンをのぞき込んでいた。
「秋子さん……」
「……なにか、あったんですか?」
 俺の表情から何かを読み取ったらしく、秋子さんは訊ねた。
「……いえ」
 ただでさえ、秋子さんには真琴のことで迷惑をかけてるんだ。これ以上、さらに迷惑をかけるわけにはいかないだろう。
 そう思った俺は、首を振った。
 秋子さんは目を伏せた。
「そうですか」
 暫し、沈黙が流れる。
 不意に、秋子さんが言った。
「祐一さん」
「……はい?」
「みんな、いい子ね」
 秋子さんは、みんなが寝ている2階の方を見上げていた。
「……そうですね」
 それには同感だ。
 でも……。
「だから、辛くて悲しい……」
 まるで、全てを知ってるかのように、秋子さんは静かに言った。そして、俺を見る。
「どんなことになるかわからないけど、どんなことになっても、あの子たちは、あなたを恨んだりすることはないでしょうね」
「……」
「祐一さん。だから、あなたは、自分の思う通りにすればいいわ。自分が後悔しないように」
 その時、何の根拠もなく確信していた。
 秋子さんは、全てを知っているんだと。
 俺は、秋子さんに向き直って、言った。
「秋子さん。俺に何ができるか判らないけど、やってみます」
「了承」
 やはり、1秒だった。

 秋子さんと会話を交わして、リビングに戻った俺は、ソファーに横になって目を閉じた。
 今度はなんだか眠れそうだった。

 そして翌朝。
「……なんだ、こりゃ?」
 目を覚ました俺は、リビングの状況に、そう呟くのが精一杯だった。

Fortsetzung folgt

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あとがき
 タバスコは、人類の敵です。

 ま、それはおいといて。
 プール3でいきなりシリアスな展開を始めたのは、やっぱり本編の境遇に一通りの決着を付けておかないと、安心して脳天気な話を出来ないからです。
 既に原作から大幅に逸脱しておきながらこういうことをするから文句を言われてしまうんだろうとジョニーにも言われましたが、気になるものは気になるんで。
 ONEとKanonの私にとっての最大の違いがこの辺りにあるんで。ONEは、例えばみさきEDになっても七瀬は雄々しく生きていくでしょうけど、Kanonは栞EDになったら真琴は消滅うぐぅも消滅とえらいことになりますからねぇ。
 で、どうにか自分の中で整合性をつけるためにシリアスな展開に入ってきたということです。

PS
 体調崩して、正しく2014の23話の恭一状態です。でも看病してくれるかぁるちゃんはいませんでした(苦笑)

 プールに行こう3 Episode 17 00/5/23 Up

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