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Kanon Short Story #13
プールに行こう3 Episode 16

「よし、億万長者っ!」
「あら、こんな時間ね。そろそろ寝ましょうか」
 香里が壁の時計を見上げてそう言うと、コマをさっさと片付け始めた。
「ああーっ、きたねぇぞ! いくら株の運用に失敗して破産したからってっ!」
「いいの」
 そうピシャリと言われると、いつも北川の惨状を見ている俺としては強く出ることも出来ないわけで。
「……はぁ。それじゃお休み」
 俺はため息を付きながら、真琴の部屋を出た。

 自分の部屋に戻って、寝間着代わりのスゥエットに着替えて出てくると、ちょうど香里と栞が真琴の部屋から廊下に出てきたところだった。
「お、片づけは終わったのか?」
「倉田先輩が、後はやっておきますからって言ってくれたのよ」
「そうなんです。いい人です」
 香里に続いて栞がにこにこしながら頷く。
 と、そこにパジャマ姿にカーディガンを引っかけた格好の秋子さんが、階段を上がってくる。
「あ、香里さん、栞ちゃん。お風呂の種火、付いたままだから、入ったら消しておいてくれるかしら?」
「はい。すみません」
「いいえ。それではお休みなさい」
 秋子さんは軽く頭を下げて、自室に戻っていった。それを見送ってから、香里は栞に訊ねた。
「栞、お風呂は先に入る?」
「えっと……」
 栞は、唇に指を当てて、上目遣いに姉を見た。
「お姉ちゃんと一緒がいいです」
「え?」
 香里はしばし考え込んでから頷いた。
「そうね。たまにはいいかもね」
「はい」
 嬉しそうに頷く栞。
「それじゃ、先に行っててくれるかしら? あ、着替えは……」
「私は持ってますから」
「そう。それじゃ先に行ってて。私は名雪のを借りるから」
「はい」
 頷いて、とてとてと階段を降りていく栞。……手ぶらに見えるんだが、どこに持ってるんだ? やっぱりポケットなのか?
「さて、と」
 香里は、方向を変えて俺をじろりと睨んだ。
「相沢くん。判ってると思うけど、覗いたりしようなんて考えないように」
「考えるだけでもダメなのか?」
「ダメ」
 そう言い切られてしまうと、俺としても対処のしようがない。
「さてと」
 一転して嬉しそうな顔になって、香里は名雪の部屋のドアを開けた。ほとんど、勝手知ったるなんとやらという感じだ。
 俺は肩をすくめて、1階に降りていった。

 リビングで、ソファーを動かしてとりあえずベッドらしいものを作ると、香里が風呂に入るのを待つことにする。
 テレビを付けてみたが、大して面白くもないのですぐに消し、ベッドに寝転がっていると、階段を降りていく足音が聞こえて、風呂場の方に消えていく。
 ……ふむ。
 時、来たれり。
 俺は身体を起こした。
 昨日の舞と佐祐理さんのときはうぐぅに邪魔されて未遂に終わったが、今度こそ全国5人の読者の為にもスピリチアパラダイスの探求をしなければなるまい。
 とりあえず、手近にあった手ぬぐいでほっかむりをすると、つま先立ちになってリビングを横断し、ドアにピタリと身を寄せて様子を窺う。
 ……人の気配、なし。
 そっとドアを開けて、細い隙間から廊下を見る。廊下には灯りがついていて、人影はない。
 右よし左よし。前進。
 音もなく廊下に忍び出ると、そのまま再びつま先立ちで脱衣場まで走ると、さすがにそこのドアは閉まっていたので、耳を当てて様子を窺う。
 パシャン
「きゃっ。もう、栞ったら」
「あはっ」
 くぐもった水音と笑い声が聞こえてくる。さすがにどっかのエロ本のようにあえぎ声が聞こえてくるわけではないが、向こうにいるのは栞と香里だと思うと……。
「やっぱりちょっと違うよな……」
「何が違うの?」
「そりゃ知ってる人だと興奮の……」
 そこではたと気付いて、顔を上げると、俺と同じような格好でドアに耳を当てているあゆがいた。
「……!!」
 俺は慌ててあゆを抱えてリビングに撤退した。

「〜っ! 〜〜っ!!」
「ぜいぜい……。気付かれてないな……」
 リビングのドア越しに様子を窺って、ほっと一息をつくと、俺はあゆの口を押さえていた手を離した。
「ぷはぁっ。ぜいぜいぜい……し、死ぬかと思った……」
 どうやら口を押さえていたせいで息が出来なかったらしく、あゆははぁはぁと深呼吸をしてから、うぐぅと俺を睨んだ。
「ひどいよ、祐一くん」
「ひどいのはお前だっ! 一度ならず二度までも漢の浪漫を……くぅっ」
 俺はがくっとその場に膝を付くと、はたはたと涙をこぼした。
「くそぉ、俺には輝く季節は巡ってこないのかぁっ」
「何のことかわからないけど……」
 おどおどと俺を見上げるあゆ。
「ボク、何か悪いコトした?」
「お前、何しに来たんだ?」
「歯を磨いてなかったから、磨こうと思って下に降りてきたんだよ。そしたら、祐一くんが変な格好してるから……」
 そういえば、ほおかむりしたままだった。
 俺は手ぬぐいを取ると、ため息をついた。
「とりあえず、客観的にあゆは悪くないんだが……」
「うん、良かった」
 にこっと笑うあゆを見て、俺はさらに脱力した。
「……もういい。歯でもなんでも死ぬまで磨いてくれ」
「うぐぅ、それは難しいよ」
 真面目に悩むあゆ。
「そんなに磨いたら、歯磨き粉が全部無くなっちゃうよ」
「……冗談だ」
「ええっ? うぐぅ、ひどいよ……」
 そのまま、沈黙が広いリビングを包む。時計のカチカチという音だけが聞こえていた。
「……あのね、祐一くん」
 不意に、あゆが口を開いた。
「ん?」
「真琴ちゃんの話を聞いてて思ったんだけど……」
「唐突な奴だな」
「うぐぅ……。祐一くんよりはマシだもん」

 そこで言葉を切ると、あゆは俺の顔を真剣な眼差しで見つめた。
「祐一くん、7年前のことって覚えてる?」
「7年前って、あゆと遊んでいた頃のことか?」
「うん」
 あゆはこくりと頷いた。そして、視線を床に落とす。
「ボク、祐一くんと遊んだこと、覚えてる。商店街や、森の中の学校で……」
「……ああ」
 俺も頷いた。
「特にあの碁石のようなクッキーは覚えてるぞ」
「うぐぅ……。今はちゃんと出来るもん」
「まぁ、それはいいけどな」
 またあゆの手料理を食わされる羽目になったらたまらないので、俺は先を促した。
 あゆは「うん」と頷いて話を続けた。
「でもね、祐一くん。……ボク、どうしても思い出せないんだよ」
「何を?」
「祐一くんと遊んだ最後の日」
「最後の……日?」
 俺は、中空を見上げた。
 最後の日。
 ……。
 ダメだ。
 なんだかその辺りが、霞がかかったように思い出せない。
 俺の表情を読んで、あゆが寂しげに笑った。
「祐一くんも、思い出せないんだ」
「……悪い」
「ううん」
 あゆは首を振って、いつもの笑顔になった。
「きっと、大したことじゃなかったんだよ」
「……あゆ」
 俺はきゅっとあゆの頭を腕で抱えた。
「お前はそう思ってないんだろ?」
「えっ? えっ?」
「お前は嘘が下手だからな」
 もう一度ぐいっと締めてから解放すると、あゆは、ずれたカチューシャを片手で直しながら声をあげる。
「うぐぅ、痛いよ……」
「心配すんな」
「えっ?」
「真琴の記憶を戻すことに比べたら、俺やあゆが7年前のことを思い出すなんて、なんでもないだろ。大丈夫、絶対に思い出せるって」
 俺は笑って言った。
 あゆは、こくりと頷いた。
「そうだよね。うん……」
 そう呟いてから、笑う。
「祐一くんって、時々優しいよね」
「時々は余計だ」
 ぶ然として言うと、あゆは笑いながら立ち上がった。
「それじゃ、ボク、歯を磨いてくるねっ」
「おう」
 俺が片手を上げて答えると、あゆはパタパタとリビングを出ていった。
 ……しかし、7年前、か。
 あゆと出逢った冬。そして、ここで過ごした、最後の冬。
 確かに、気にはなっていた。
 何故か、その時のことが思い出せないことが。
 でも、ここで名雪や秋子さんと暮らし、あゆと再会して、次第にその時のことを思い出せるようになってきていた。
 だから、単なる物忘れだと思っていた。
 だけど、あゆが言った通り、最後の日の出来事が思い出せなかった。
 ……まぁ、そのうちに思い出すだろう。
 俺はソファーに寝ころびながら、頭の中で呟いた。
 あゆに言った通り、真琴の記憶に比べりゃ大したことないんだし。
 と、リビングのドアが開いて、パジャマ姿の栞が顔を出した。
「祐一さん、もうお休みですか?」
「いや、まだ起きてる」
 俺が声を出すと、栞はほっと一息ついた。
「よかったです」
 半身を起こして、俺は訊ねた。
「どうした?」
「あ、はい。お休みなさいを言おうと思って」
 風呂上がりの栞は、いつもは色白の頬をほんのりと赤く染めていた。
「わざわざ言いに来ること無いのに」
 そう言いながら立ち上がると、栞のところまで行って、何げに見下ろす。
「……ノーブラ?」
「わわっ!!」
 栞は慌てふためいて飛びすさると、胸元を押さえて真っ赤になった。
「そっ、そんなこと言う人、大っ嫌いですっ」
「冗談だ、冗談。見えてないって」
「冗談でもセクハラですっ!」
 ぷんと膨れる栞。
「やっぱり祐一さん嫌いですっ」
「……そっか、嫌われてしまったのか」
「えっ?」
 俺は頭を抱えた。
「ああっ、栞に嫌われてしまったら、この先俺はどうすればいいんだっ! もう駄目だ、おしまいだぁ〜」
 そのまま、力無くうずくまる。
「あっ、あのっ、えっと、嘘ですっ。私、祐一さんのこと、その、嫌いじゃないですからっ。だから、えっと……」
「……なに莫迦やってるの、相沢くん」
 香里の冷静な声が、割って入ってきた。
「お姉ちゃん?」
「なかなか栞が戻ってこないから来てみれば、案の定ね。ホントに、もう……」
「ええい、いいところだったのに」
 俺が顔を上げると、栞はぷぅっと膨れた。
「やっぱり、嫌いですっ!」
 そのまま、踵を返して階段をたたっと駆け上がっていく栞。
 それを苦笑しながら見送っていた俺に、香里が言った。
「相沢くん」
「なんだ、香里?」
「……栞のことだけど……」

Fortsetzung folgt

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あとがき
 色々と考えたんですが、やっぱり自分に出来ることをやることしかできないわけですから、このまま続行することにします。
 趣味が合わなければごめんなさい、としか言えない自分が歯痒いです。
 なお、このままで続けてくれと言ってくれた皆さん、ありがとうございました。完結させることが出来たとしたら、あなた方のおかげです。

 なお、真琴の将来についても皆さん心配してくださいましたが、こちらについては、どうなるとは言いませんが、少なくとも皆さんのご意見で自分の方針を変えることはないです。ええ。
 まぁ、どうなるかは、気長に先を待ってください。

 プールに行こう3 Episode 16 00/5/22 Up

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