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Kanon Short Story #13
プールに行こう3 Episode 14

 飯を食って一段落したところで、部屋に戻ってベッドに寝転がっていると、トントン、とノックの音がした。
「ふわぁい」
「……行くから」
 無愛想な声がした。俺はベッドから跳ね起きた。
「舞か?」
「そう」
 ドアを開けると、また律儀に制服を着た舞がそこに立っていた。
 やれやれ、だな。
 俺は苦笑すると、訊ねた。
「でも、玄関からは出られないだろ? どこから行くんだ?」
「……考えてなかった」
 ぼそっと呟く舞。
「でも、行く」
「そうだと思ったよ」
 俺は肩をすくめると、舞に言った。
「靴取って来いよ。窓から出られるだろ?」

 さすがに積雪2メートルを越える状態では、多少は慣れてきた街並みもすっかり異世界になっていた。
 白い月が、その世界を煌々と照らし、さらに異世界ぶりに拍車を掛けている。
 その中を黙々と歩いていく舞。
 俺はやっとその背中に追いつくと、訊ねた。
「なぁ、舞。こんな日でも、魔物は出るのか?」
「出る」
 そう言ってから、さすがにそれだけでは言葉が足りないと思ったのか、舞は続けた。
「最近は特に」
「よく出てくる、ってことか。はた迷惑な魔物だな」
 俺は嘆息した。白い息が流れる。
 いつもよりは時間がかかったが、吹雪の中を行軍する羽目になった昨日よりは早く、校舎に着く。
 積もった雪のおかげで塀を乗り越える手間が省けたのが、唯一の救い、と言ったところか。
 いつもの非常口も埋まっていたので、2階の窓を調べて回るが、片っ端から鍵がかかっていた。
「舞、これじゃ今日は中に入れないな。諦めて帰るか?」
 そう言いかけて、俺は慌てて舞の腕に飛びついた。
「待てっ! 何しようとしてたっ!」
「窓を割ろうと……」
「そりゃ犯罪だっ! いつもみたいに退治しようとして仕方なくっていうならともかくっ」
「退治しようとして仕方なくだけど」
「とにかくそれはまずいだろっ!」
 俺がそう言うと、舞は渋々、剣を振り上げていた手を下ろした。
「それじゃ、どうするの?」
「……」
 さりとて、代案もない。
「もうちょっと調べてみよう。開いてる窓がどこかにあるに違いない」
「……はちみつくまさん」
 と、その時だった。
 ガッシャァァン
 派手な音と共に、少し離れた所の窓ガラスが砕けた。
 俺達は、思わず顔を見合わせた。
「なっ!?」
「私じゃない」
 がくっとつんのめって、雪の中に倒れ込んでしまった。
「じゃ」
 舞はそう言い残し、そっちに走っていくと、校舎の中にひらりと飛び込んでしまった。
「あっ、こらっ!!」
 俺は慌てて起き上がると、必死になってそれを追いかけた。でも、窓ガラスの割れた所に俺が着いたときには、もう舞の姿は見えなかった。
「……ったく」
 ぶつぶつ言いながら、窓の所を見て、俺ははっとした。
 窓枠には、まだガラスの破片が残っていた。そこに血がついていたのだ。
 多分、舞は手を怪我することも厭わずに、そこを掴んで飛び越えたんだろう。
「あの馬鹿……」
 俺は注意深くそこをくぐると、校舎の中に降りた。そして、改めて破片が内側にはほとんど落ちていないことに気付く。それは、とりもなおさず、窓ガラスが内側から割られたことを示していた。
「やっぱり、魔物かよ」
 舌打ちして、俺は駆け出そうとした。
 窓の方から小さな声が聞こえて、その足を止めた。
「祐一さん」
「えっ!?」
 その声の方を見ると、そこには月明かりに照らされて、佐祐理さんが立っていた。

「ど、どうして……?」
「二人が出ていくのが見えたから、今日は仲間はずれにされないようにこっそりと追いかけてきたんですよ」
 そう言いながら、窓ガラスの割れた所に近づく佐祐理さん。
「わっ、割れちゃってますね〜」
「ちょ、ちょっと、危ないって」
 俺は仕方なく、別の場所の窓を開けて、佐祐理さんを引っ張り込んだ。
 廊下にトン、と足をつけて、佐祐理さんはにこっと微笑んだ。
「すみません、祐一さん。でも、窓から入るのって、悪いことですけど、ドキドキしますね〜」
「いや、そうじゃなくて……」
「それで、舞はどこに行ったんですか?」
「えーっと、それはその……」
 説明に窮する俺。
「と、とにかく、帰ろう、佐祐理さん!」
「えっ? どうしてですか?」
「あーっと、それはその……」
「それに、舞がまだいるんじゃないですか? 帰るのなら、3人一緒でないとだめですよ」
 にこにこしながらも、強情な佐祐理さんである。
 よく考えてみると、いつもにこにこして人当たりこそ良いのだが、佐祐理さんは結構マイペースな上に強情なのである。いつもその隣りに、それ以上にマイペースで強情なやつがいるから目立たないのだが。
 それに、こと舞が絡むと、その強情さに拍車がかかるのだ。
 俺は覚悟を決めた。
「佐祐理さん。信じられない事かも知れないけど、聞いて欲しいんだ」
「はぇ〜。ごめんなさい」
 いきなり謝られてしまった。
「佐祐理は、祐一さんとお付き合いすることは出来ないんです〜」
「だーっ!」
 俺は盛大に廊下の床にヘッドスライディングしてしまった。
「いや、そうじゃなくて……」
「ですから、舞と付き合ってあげてくださいね〜」
「だからっ」
「ひゃっ」
 俺が声をあげると、佐祐理さんはびくっと跳ねた。
「び、びっくりしました……」
「ご、ごめん。とにかく、聞いてくれないか? 舞のことなんだ」
「舞の、ですか?」
「ああ。……っと、立ち話もなんだな」
 俺は左右を見回し、近くの教室のドアに手を掛けて引いた。運良く鍵がかかっておらず、ドアはすーっと開いた。
「こっちへ来てくれないか?」
「あ、はい」
 頷いて、佐祐理さんはこっちに歩いて……。
 パシッ
 微かな音がした。
「!!」
 振り返った俺が見たものは、何かにはじき飛ばされて、廊下の壁に叩きつけられる瞬間の佐祐理さんだった。

「佐祐理さんっ!!!」
 俺が佐祐理さんに駆け寄ったとき、その背後で何かが動く気配がした。
 まだいる!
 振り返ったが、そこには何もない。
 だが、間違いなくそこには、なにかがいた。
「くそっ、舞っ、来てくれぇっ!!」
 大声で叫んだが、どう考えても、舞が駆けつけるよりもそいつが俺達にとどめを刺す方が早そうだった。
「ゆ、祐一……さん……」
 苦しそうな佐祐理さんの声が背中から聞こえた。
「あは……、悪いこと……したから、ばちが……当たったんですね……」
「佐祐理さ……」
 ずわっ
 目の前の殺気が膨れあがったのが判った。
 やられるっ。
 ずばぁぁぁっ
 思わず目を伏せた俺の目の前を、風が薙いだ。
 タタタタッ
 足音が駆け寄ってくるのが聞こえる。
 顔を上げると、廊下の向こうから素手の舞が走ってくる。……剣は、と思って反対側を見ると、ずっと向こう、廊下の端の壁に何かが見える。
 月明かりに目を凝らしてそれを見ると、剣が壁に突き刺さっているのが判った。
 とすると、今の風は、舞が投げつけた剣なのか?
 舞が俺の前まで来て、足を止める。
「さ……ゆり……」
 そうだ!
 俺は慌てて振り返った。
 佐祐理さんは、壁に寄りかかって座ったまま、目を閉じていた。まるで眠っているかのように。
「……また」
 どさっ
 舞が、床に膝を付いた。
「私が、佐祐理を……」
「舞、惚けてる場合じゃないだろっ!」
 大声で叱りながら、俺は佐祐理さんを抱き起こした。
「佐祐理さんっ! 佐祐理さんっ!」
 耳元で声を上げると、佐祐理さんはゆっくりと目を開けた。
「……祐一……さん?」
「おうっ! 舞もいるぞっ!」
「佐祐理……」
 舞が顔を上げて、泣きそうな声を出す。
 佐祐理さんは微笑んだ。
「大丈夫だよ、舞。こう見えても、佐祐理は頑丈だから」
「……ごめんなさい」
 舞は、ぽろぽろと泣きながら頭を下げた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「舞、佐祐理の方が悪いんだから、そんなに泣いちゃだめだよ」
 そう言うと、佐祐理さんは舞の頭をぎゅっと抱きしめた。

 舞が落ち着いて泣きやむのを待って、俺達はとりあえず帰ることにした。大事をとって、佐祐理さんは俺が背負っている。
「でも、舞があんなにぼろぼろ泣くのは初めて見たなぁ」
「あはは〜。でも、可愛かったですよね〜」
「そうだな」
 俺と佐祐理さんがそんな会話をしていると、照れくさくなったのか、舞は1人でずんずんと先に歩いていってしまった。と言ってもやっぱりこっちが気になるのか、一定の距離以上には離れようとしなかったけれど。
 俺は、深呼吸を一つして、佐祐理さんに言った。
「佐祐理さん、舞のことだけど、あいつが毎晩……」
「祐一さん」
 俺の言葉を遮るように、佐祐理さんが囁いた。
「ごめんなさい。でも、舞が話してくれないことなら、佐祐理は聞かない事にします」
「えっ?」
「舞が秘密にしておきたいことなら、それを無理に知ろうとは思いません。今日の佐祐理は、悪い子だったんですよ。舞の秘密をこっそり知ろうとしたから、それでばちが当たったんですよ……」
 そう言うと、佐祐理さんは俺の背中に顔を埋めた。
「だから……、佐祐理は舞が話してくれるまで、待つことにします」
「……わかりました」
 俺は頷いた。
 佐祐理さんは顔を上げた。
 不意に起こった風が、道ばたの雪を舞い上げ、佐祐理さんの長い髪がふわりとなびく。
「祐一さん。舞のこと、お願いしますね」
「えっ?」
「佐祐理には、舞のやってることのお手伝いはできないみたいです。でも、祐一さんにはそれができるんですよね」
「足を引っ張ってるだけかもしれないけどな」
 俺は自嘲したが、佐祐理さんは首を振った。
「舞は、祐一さんを頼りにしてますよ。佐祐理には、わかります」
「……そうかな?」
「はい」
 佐祐理さんが頷いたとき、前の方に水瀬家が見えてきた。そのベランダの前に舞が立っている。
「……なにやってんだろ。さっさと家に入ればいいのに」
「待ってるんですよ、佐祐理達を」
 そう言って、佐祐理さんは手を振った。
「舞〜」
「……」
 舞は、相変わらず微動だにせずにこっちを見ていた。
 俺は苦笑した。
「佐祐理さん」
「はい?」
「……俺ができるかぎりのことは、するつもりだ」
 いつか、舞が魔物を退治して、普通の女の子として、佐祐理さんと笑って暮らせるようになるまで……。
 佐祐理さんの吐息が、首筋にかかった。
「……ありがとうございます、祐一さん」
 月の光は、辺りを静かに照らしていた。

Fortsetzung folgt

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あとがき

 プールに行こう3 Episode 14 00/5/18 Up

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