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とりあえず、皆は風呂で汗と雪を洗い流してから、リビングに再集合した。ちなみに俺の入浴の順番は最後だった。おまけに風呂の湯は、俺が入る前にもう一度、全部張り替えられてしまった。くそぉ。……いや、みんなの入ったお湯を採取して北川あたりに高値で売りつけようと思ったわけではないが。
Fortsetzung folgt
「うぐぅ、祐一くんのえっちぃ」
「なんだよいきなりっ!」
「あーっ、祐一また変態じみたこと考えてたんでしょっ!」
あゆに続いて真琴が俺を指さして糾弾する。
俺はソファに座りながら、落ち着いて大人の対応をする。
「また、とはなにかね真琴。俺がいつそんなことをした?」
「前に真琴にエロ本買わせようとしたくせにぃっ!」
うわ、そんな昔のことを持ち出してくるか!
そう思って周りを見回すと、皆の視線が白かった。
「いや、それはだな、真琴が子供だからじゃないか」
「そんなことないわようっ! ティーバッグとか履いたら十分みりきてきなんだからねっ!」
「魅力的、だ、この馬鹿」
「また馬鹿って言ったぁっ! 馬鹿って言う方が馬鹿なんだからねっ、このばかーっ」
「……お前こそ馬鹿馬鹿って連呼してるじゃないか」
「あう……」
慌てて口を押さえる真琴。
俺はため息をついて、部屋を見回した。さすがに10人近くが入っていると、普段は広く感じるリビングも、立錐の余地無しってやつだ。
と、秋子さんがお盆になにやら乗せてキッチンから入ってきた。
「はい、スコーンを焼いたから、皆さんどうぞ」
……焼いた? 俺達が風呂に入っている間にか? さすが秋子さん。
「わぁい、すこーんすこーん」
なんだか頭の悪そうな喜び方をするあゆ。
秋子さんは、続いて色とりどりのジャムの瓶を運んできた。
「お好きなジャムをつけてくださいね」
「イチゴっ、イチゴっ」
速攻で赤い瓶を取って、幸せそうにスコーンに塗りたくる名雪。……似たような色のジャム(ラズベリーだそうだ)もあるうえにラベルも貼ってないのに、どうやって見分けているのだろう。本能だろうか?
皆もそれぞれジャムを塗って頬張る。
佐祐理さんがほっぺたに手を当ててうっとりとしていた。
「はぇ〜。おいしいですね〜。ね、舞?」
「相当に嫌いじゃない」
青紫のジャムを塗りながら答える舞。
続いて紅茶をいれていた秋子さんが、不意に俺に訊ねる。
「祐一さんは食べないんですか?」
「ええっと、甘いのは苦手ですから……」
そう答えたとき、秋子さんの目が光ったような気がした。
「甘くないジャムもありますよ」
「ごちそうさまっ!!」
「うぐぅっ、ボクもっ!」
「真琴も終わり!」
「ええっと、もうお腹いっぱいです」
バタバタッ
あっという間にリビングから人が消え、残ったのは舞と佐祐理さん、そして天野だけだった。
「はぇ〜。皆さん、どうしたんでしょうか?」
「……みまみま」
……それと、逃げ遅れた俺。
「あ、えっと」
「今、持ってきますね」
あくまでも静かに立ち上がる秋子さん。
俺は慌てて、名雪が置いていったジャムをスコーンに塗りたくった。
「あ、いやっ、俺はこれで十分ですからっ! どうかおかまいなくっ!!」
「そうですか?」
秋子さんは残念そうに腰を下ろした。そして天井を見上げる。
「それにしても、みんなどうしたのかしら?」
「さ、さぁ」
背中に冷たい汗を感じながら答える俺。
「ほ、ほら、昼に餅食い過ぎて、あんまり食べられないんじゃないですか?」
「そうですね」
納得したように頷く秋子さん。もっとも、本当に納得してるかどうかは疑わしいものだが。
「でも、せっかくスコーンをいっぱい焼いたのに」
「御安心下さい。そのための川澄舞です」
「あはは〜。舞、期待されてるよ〜」
嬉しそうに舞の肩を叩く佐祐理さん。
秋子さんは目を閉じて、呟いた。
「でも、ちょうどよかったわ」
「……は?」
「天野さん」
視線を天野に向ける秋子さん。
「はい」
天野は、囓っていたスコーンを皿に置いて、秋子さんの視線を受け止めた。
「真琴のことで、お話しがあるんだけど、いいかしら?」
無言で俺を見る天野。俺は頷いた。
「ああ、秋子さんには全てを聞いてもらった。あと、ここにいる舞や佐祐理さんにも」
「はい。夕べ祐一さんに伺いました」
真面目な顔で頷く佐祐理さん。
天野は「そうですか」と呟くと、秋子さんに向き直る。
「それで、何ですか?」
「あの子が、ものみの丘に住む妖狐で、昔一緒に過ごした祐一さんに逢うために、人間になってやって来た……」
「はい」
秋子さんの言葉に、天野はこくりと頷いた。
「あの子は……ただ逢いに来たんだと思います」
「私の聞いた話だと、多くの歳を経た狐が、妖狐になるっていうことだけど、真琴もそうなの?」
「……いえ」
首を振る天野。
「私の知っている限り、あの子達は最初からそういう力を持って産まれて来た存在です」
天野は、極力感情を抑えるように喋っている。そんな感じがした。
「やっぱり、そうなのね」
秋子さんは微笑んだ。
「昔、この家にいた狐の子は、本当に子供だったものね」
遠くを見るように呟くと、秋子さんは天野に尋ねた。
「昨日、祐一さんに聞いた話では、あの子が人間でいるためには、記憶と命を引き替えにする必要があるということなんだけど、それも間違いないのね?」
「……はい」
「もし、その引き替えにしたはずの記憶を取り戻したら、どうなるのかしら?」
「……」
ちょっとびっくりしたように目を丸くしてから、天野はいつもの表情に戻って、首を振った。
「判りません。そもそも、私の聞いた話の中で、そういうことは一度もありませんでしたから」
「一度も?」
「正確に言えば……、一度もそういうことを試みた人はいなかったんです。そもそも、妖狐が人間になったという話も、そうざらにあるようなことではありませんし」
「さらに、その人が実は妖狐だと事前に知っていた例は、皆無に等しかった。そうなのね?」
「はい」
秋子さんの言葉に、天野は頷いた。そして、視線を床に向けたまま呟く。
「その人が消えて、初めて気付くんです。その人が実は妖狐だったんだ……って。でも、その時にはもう、全てが終わった後なんです……」
その肩が微かに震えていたように見えたのは、俺の気のせいだったか。
秋子さんは微笑んだ。
「わかったわ。ありがとう」
「いえ……」
天野は顔を上げた。
「結果は、何も変わらないかもしれません。そうだとしたら、私はあの子にひどいことをしてしまいました……」
「それは、違うと思います」
佐祐理さんが静かに言った。
「ひとは、ひとを幸せにして、幸せになれるって、佐祐理は思います。真琴ちゃんが今のままでは、そのまま消えてしまうのだとしたら、それは幸せなんでしょうか? 祐一さんは幸せですか?」
「……いや」
俺は首を振った。
「まぁ、うるさい奴がいなくなって、せいせいするかも知れないけど、でもやっぱり寂しいと思うな。それは幸せって事じゃないと思う」
「そうですよね」
佐祐理さんは頷いた。
「だとしたら、やっぱり幸せになれる道を捜すべきだと思います。それが正しいことだって佐祐理は思いますよ。だから、佐祐理は、天野さんは正しいって思います」
「……はい」
天野は頭を下げた。
微笑んでそれを見守っていた秋子さんは、言葉を続けた。
「それでね、私たちはやってみることにしたの」
「あの子の記憶を、取り戻すことですか?」
「ええ。何も変わらないかもしれない。もっと悪い結果になるかもしれない。でも、何もせずにただ過ごして、確実に近づく終わりの日を座ったまま待っているよりはずっとまし。私はそう思うわ」
「で、具体的には、だ」
俺は口を挟んだ。
「あいつをものみの丘に連れて行ってやろうと思うんだが」
「良い考えだと思います。あそこは、あの子の故郷ですし」
頷くと、天野は俺を見つめた。
「相沢さん」
「ん?」
「……あの子を、よろしくお願いします」
深々と頭を下げる天野。俺はその頭にぽんと手を乗せた。
「出来る限りのことはするさ」
「ありがとうございます」
もう一度頭を下げると、天野は立ち上がった。
「それでは、そろそろ失礼させていただきます」
時計を見ると、4時を回っていた。
秋子さんが微笑んで声をかける。
「遠慮しないで、もっとゆっくりしていってもいいのよ」
「これ以上お邪魔していましたら、家に帰れなくなりますから」
「それなら、ここに泊まっていってもいいわよ」
「そこまでお世話になるわけには……」
「天野、俺からも頼むよ。真琴とゆっくり話しをしてやってくれないか?」
「……」
まだ躊躇う天野。
かつて、天野が妖狐との辛い別れを経験して、そのために余り人と関わろうとしない、今の天野になってしまったのだとしたら、そんな天野に真琴と仲良くしてくれというのは、それこそ傷口に塩を塗り込むようなことなんだろう。
でも、天野だって、同じところで立ち止まっていていいはずがない。
「天野」
俺の言葉に、天野はゆっくり頷いた。
「わかりました。電話、お借りします」
「ええ、どうぞ」
天野は子機を手にして、ボタンを押した。
俺は佐祐理さんの方を見た。
「佐祐理さんはどうする?」
「あはは〜、この雪じゃ、今日も帰れないですよ〜」
笑って答える佐祐理さん。確かにまだ積雪は2メートルオーバーだ。
俺は天井を見上げた。
「栞や香里はどうするんだろ? 秋子さん……」
「了承」
相変わらず1秒だった。俺は頷いた。
「ちょっと聞いてきます」
2階に上がって、名雪の部屋をノックすると、中から名雪の声が聞こえた。
「わたしはいないよっ!」
「安心しろ、ジャムは持ってきてないから」
俺が呆れながら答えると、ゆっくりとドアが開いて、名雪がおそるおそる顔を出す。
「本当?」
「ああ、うぐぅにかけて誓う。ところで、栞と香里もいるか?」
「いるけど、どうかしたの?」
香里が顔を出す。
「いや、こんな時間だし、帰るならそろそろ帰らないと、暗くなってからじゃ遭難するぞ」
「それもそうね。栞は置いていくとして、あたしはそろそろ帰ろうかしら」
「えーっ? 香里も泊まっていけばいいのに〜」
名雪が言うと、香里は肩をすくめた。
「あたし、名雪を起こす気力はないわ」
「大丈夫だよ」
名雪が自信たっぷりに言うと、窓の方を指した。
「きっと、明日も休校だよ」
……そういう問題か?
「お姉ちゃん……」
栞が香里に声を掛けた。香里は「やれやれ」という顔をして頷いた。
「名雪、今夜は泊めてもらってもいいかしら?」
「うん。大歓迎だよ」
笑顔で頷く名雪。
と、そこで俺ははたと気付いた。
「ところで名雪、この家ってそんなに大人数で泊まり込めるのか?」
「くー」
「寝るなぁっ!」
「冗談だよ」
名雪はそう言ってから考え込んだ。
「わたしの部屋はあと2人が限度だし、真琴の部屋は家具が少ないから4人は寝られるよね」
「あうーっ」
「んじゃ、天野は真琴の部屋に入れるとして……」
「あたしは、栞と同じ部屋がいいわ。何かあったら困るし」
香里が言う。名雪は「うーんと」と呟いてから、あゆに視線を向けた。
「あゆちゃん、今日はベランダで寝てよ」
「……祐一、わたしの口調、真似しないで」
「いや、冗談だけど。それじゃあゆ、俺の部屋使うか? 俺はリビングのソファで寝てもいいし」
「祐一くんに悪いよ。ボクがソファで寝るから」
「いいのか?」
「えっ?」
「いや、リビングには出るんだが……」
「うぐぅぅぅっ!!」
あゆは慌てて両耳を押さえてしゃがみ込んだ。
「幽霊の話をすると幽霊は出るっていうから幽霊の話をしちゃだめだよっ!」
「……お前、連呼してるぞ」
指摘してやったが、両耳を押さえているあゆには聞こえないらしい。
俺は苦笑して、名雪に言った。
「ま、部屋割りは全員で決めた方がいいな。……あれ?」
ふと気付いて、俺は名雪の部屋を見回した。
「全員って言えば、真琴がいないみたいだけど、部屋で漫画でも読んでるのか?」
「あれ? そういえばいないね」
名雪も、今気付いたように部屋を見回す。
「……ったく、しょうがねぇな」
俺はため息をついて、名雪の部屋を出て、真琴の部屋のドアを叩く。
ドンドン
「おーい、マコピーっ!」
返事がない。
「開けるぞっ!」
そう宣言して、俺はドアを開けた。
「真琴……」
いつも、無防備に床に転がっている真琴の姿がなかった。しん、と冷えた空気が、この部屋にはしばらく誰も入っていないことを示している。
俺の後ろから部屋をのぞき込んだ名雪が、首を傾げた。
「あれ? 真琴いないね」
胸の中で、妙な焦燥感だけが次第に大きくなろうとしていた。
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あとがき
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