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「ねっ、それくらいならいいでしょ、舞?」
Fortsetzung folgt
舞の顔をのぞき込む佐祐理さん。
舞はにべもなく答えた。
「邪魔」
「ふぇ……」
容赦ない言い方に、佐祐理さんの表情が歪む。
そんな佐祐理さんを見ようともせずに、舞はそのまま階段を降りてきた。そして、俺の隣をすり抜けて玄関に向かう。
「ちょ、ちょっと待てよ! 今のはいくらなんでも……」
「祐一さん」
舞の背を追いかけようとした足を、階段の上から聞こえてきた佐祐理さんの声が止めた。
「ごめんなさい。佐祐理には止められませんでした」
佐祐理さんは笑っていた。つい直前に、舞に邪険に扱われたことなど微塵も感じさせない様子で。
「でも、あんな言い方で……」
「いいんですよ。佐祐理の方が悪かったんです」
トントンと階段を降りてきながら、佐祐理さんは言った。
と、玄関の方でガチャリとドアが開く音がした。一瞬、風の吹き込む音がして、すぐにパタンと閉まる音が続き、静かになる。
「はぇ〜、舞、行っちゃいましたね〜」
「マジかよ」
俺は慌てて玄関に飛び出した。
三和土の上に、おそらく秋子さんが並べたんだろう、靴が綺麗に並べられている。そしてその靴と靴の間に不自然に空間が空いていた。
舞の靴があったところだろう。
ドアの鍵は開けたままになっていた。舞はこの家の合い鍵を持っていないんだから、当たり前だ。
ドアを開くと、白い風が吹き込んでくる。
そのまま左右を見たが、既に舞の姿は、白い闇にとけ込んで見えなくなっていた。
「祐一さん」
後ろから、佐祐理さんが声をかけた。
「そんなことしてると、身体が冷えますよ」
「でも、舞が……」
「舞なら、大丈夫ですよ」
こともなげに言う佐祐理さん。
「忘れ物を取りに行っただけなんですから」
俺は、振り返った。
「佐祐理さんは、知ってるのか? 舞が……」
「はぇ?」
小首を傾げる佐祐理さん。
と、そこに猫の半纏を着た名雪がとてとてと歩いてきた。
「倉田先輩も祐一も、こんな所にいたんだ〜」
「名雪……」
「お風呂空きましたから、どうぞ」
「あ、すみません」
ぺこりと頭を下げると、佐祐理さんは俺に訊ねた。
「祐一さんが、先にお風呂に入りますか?」
「あ、いえ。お先にどうぞ」
俺が答えると、佐祐理さんは笑顔で頷いた。
「それじゃ、先に入らせてもらいますね〜」
「タオルと着替え、用意しますね。こっちです」
「あ、すみません」
名雪の後について、佐祐理さんが戻っていくのを見送って、俺はため息をつくと、玄関にかけてあったコートを羽織った。
「……つ、ついたのは、いいけど」
這々の体で、非常口から校舎の中に飛び込むと、俺はぜいぜいと息を付きながら、真っ白になって凍り付いたコートを脱ぎ捨てた。
しかし、帰れるだろうか?
とにかく、すべては舞を見つけてからだな。
俺は頭を振ってから、コートを片手に歩き出した。
もしこれで、舞がいなかったら……。
明日の朝、俺の凍死体が廊下に転がってるところが発見されるかもな。
ある意味、ミステリーかもしれん。
馬鹿なことを考えながら、非常口の灯りと、消火栓の赤いランプの光だけをたよりに、廊下を歩く。
そして、その廊下の先に、いつものように剣を携えた舞の姿をがあった。
俺の足音に、視線をちらっとこっちに向ける。
「……来たの?」
「ああ」
それだけ言って、舞の傍らに立つ。
と、すっと舞が、剣を持っていない方の手を、掌を開いて俺に差し出した。
「え?」
「差入れ」
ぼそっと言う。
「あのなっ! この吹雪でコンビニに寄ってるような余裕があるかっ!」
「そう……」
手を戻す舞。
俺はため息をついた。
「……俺、何しに来たんだろうな」
「さぁ」
と。
ぴしっ
微かな音がした。その瞬間、うるさいくらいだった風の音が消えた。
「き、来たのか?」
チャキッ
舞が、手の中の剣を持ち直すと、駆け出した。
「ここにいて」
その言葉だけを残し、舞はそのまま廊下を曲がっていった。
姿が見えなくなると同時に、風の音が聞こえてくる。
「……何もできないっていうのに……」
俺は、壁をだんと叩いた。そして、もう一度呟く。
「……俺、何しに来たんだろうな」
風も雪もないが、寒さだけはどうしようもない廊下で、俺はもう一度コートを羽織って、舞を待った。
しばらくして、唐突に反対側の角を曲がって舞が戻ってきた。
「よう、お帰り」
「……」
「その様子だと、逃げられたみたいだな」
「……ただいま」
「反応が遅いっ!」
びしっとツッコミを入れてから、俺はため息をついた。
「どうする? まだしばらくやるのか?」
「……」
舞はしばらく、じっと虚空を見つめていたが、ぼそっと言った。
「今日はもう来ない」
「そっか。それじゃ帰るか? 佐祐理さんも待ってるしな」
「……」
頷くと、舞は不意に振り返った。
「……どうした?」
「……気のせい」
そう言って、そのまますたすたと歩いていく。
「あ、こら待てっ」
「佐祐理が待ってるから」
「俺のことも少しは待てよっ!」
校舎から外に出ると、途端に風と雪が襲いかかってきた。
「ぐはっ」
瞬時に、風の吹き付けてくる方向が真っ白になる。
そんな中を、舞は平然とすたすた歩いていく。
「こら、舞っ! さっさと行くなっ」
俺が声を掛けると、立ち止まって振り返る舞。
「祐一、遅い」
「こんな中をさっさと歩けるかっ!」
「そう」
それだけ言い残して、さっさと歩いていく。
……どうやったら、この天気の中でいつもと同じように歩いていけるんだろうか?
長い髪が風になびいているし、身体に雪だって積もってるから、別に舞の周りだけ風も雪もないなんて超常現象が起こってるわけでもないんだろうけど……。
馬鹿なこと考えてないで、俺も帰ろう。でないと本当に凍死しそうだ。
ガチャ
ようやく水瀬家に帰り着いて、ドアを開けると、パジャマ姿の佐祐理さんが笑顔で出迎えてくれた。
「あっ、舞、祐一さん。お帰りなさい」
「佐祐理さん?」
思わず時計を確認してしまう。俺が舞の後を追いかけてから、たっぷり3時間は過ぎて、もう日付も変わっているような時間だ。
「とっくに寝たんじゃ……?」
「あはは〜。せっかく舞とお泊まりなのに、そんなもったいないことしませんよ〜」
笑いながら三和土に降りてくると、佐祐理さんは舞の身体に積もった雪を手で払い始めた。
「わっ、冷たいね、舞」
「外にいたから」
「お風呂湧いてるよ。一緒に入ろうか?」
「……」
こくりと頷く舞。
……って、ええっ!?
佐祐理さんは俺に視線を向けた。
「祐一さんも寒かったですよね。一緒に入りますか?」
……そ、それはっ!!
「えっと、それはまずいだろ……」
「あはは〜、そうですよね〜。それじゃお先に入らせてもらいますね〜」
笑いながら、佐祐理さんは舞の背中を押すようにして脱衣場に入っていった。
俺はがばっとその場にしゃがみ込んだ。
うぉぉ、何故あのとき「それじゃ一緒に入りましょう」って言わなかったんだ! 馬鹿馬鹿俺の馬鹿っ!
だがっ!
再びすっくと立ち上がり、俺はぐっと拳を握った。
「やはり、ここは漢の浪漫を追求せねばなるまいっ! それが全国約5人の読者の希望でもあるっ!」
「何が希望なの?」
「そりゃもちろん、二人の……」
「二人って?」
「言うまでもなくま……じゃなくて、なんでこんな所にいるんだっ!?」
「えっ? 誰が?」
パジャマ姿のあゆが、きょとんとして俺を見る。
「お前だっ!」
「ボク?」
「いきなり脈絡もなく独り言に入ってくるんじゃない」
「なんだ、独り言だったんだ。てっきりボクに話しかけてきたのかと思ったよ」
「……何が悲しくて、俺があゆに……」
「コート着てるってことは、もしかして出かけてたの?」
あゆはこっちの話を聞いていなかった。
あゆに言われて、まだコートも脱いでいなかったことに気付いて、おれはそれを脱いで、玄関のコート掛けにひっかけた。
コートに積もっていた雪も家の中の暖かさで溶けて、しっとりと湿っている。
「ちょっと野暮用でな」
「ふぅん。でも、外は寒かったんじゃない?」
「まぁ、そうだけど……」
「そうだ! それじゃ、ボクが何か暖まるものを作ってあげるよっ!」
ぽんと手を叩いてそう言うと、あゆはパタパタとキッチンに入っていった。それから顔だけ廊下に出して、俺を呼ぶ。
「祐一くんはリビングで待っててねっ!」
既に、漢の浪漫を追求できる状況ではなくなってしまったようだった。
もっとも、邪な思いで風呂場を覗いたりして舞に気付かれた日には、そのまま斬り捨てられそうだし、さすがに温厚な佐祐理さんでも「あはは〜」と笑って許してもらえるとは思えない。そのリスクを考えると、ここで断念するのはあるいは正解かも知れなかった。
でも、この熱い血のたぎりをどう鎮めればいいというんだっ!
……はぁ。馬鹿なことしてないで、リビングに行くか。いい加減寒いしな。
リビングに入ると、ちょうどあゆがマグカップを大事そうに運んできたところだった。
「あ、祐一くん。はい、コーヒー入れたよっ!」
「おう、サンキュ」
受け取って口に含む。
「……ぬるい」
「だって、熱いとボク飲めないし……」
「こんなんで俺の冷え切った心と体が温まると思っているのかぁっ」
「うぐぅ……。ごめんなさい」
しょぼんとして謝るあゆ。うーん、なんだか俺が八つ当たりしてるようにしかみえないじゃないか。
「もういい。俺は寝る」
俺は一口だけ飲んだコーヒーをあゆに返して、リビングを出た。
「祐一くん……」
「いいから、あゆもさっさと寝ろって」
「……」
無言のあゆを後に残して階段を上がり、自分の部屋に入る。
ドアを閉めると、窓から風の音だけが聞こえてくる。
「……寝るか」
俺は呟いて、ベッドに横になった。
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あとがき
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