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Kanon Short Story #13
プールに行こう3 Episode 7

 秋子さんの“了承”を得て、俺は舞に向き直った。
「舞、話は聞いていた?」
「聞いた」
 舞はこくりと頷いた。それから、ぽつりと呟く。
「きつねさんは、相当に嫌いじゃない」
「舞は動物さん、好きだものね〜」
 ……そういえば、真琴が今朝、やたらと舞に撫でられるのを嫌がってたな。
 もしかしたら、舞は真琴の正体を知っていたのかもしれない。深夜の校舎を徘徊する魔物を狩っているような奴だから、それくらいは実は朝飯前なのかも。
「よかったな、真琴。安心して舞に可愛がってもらえ」
「あうーっ」
 心底嫌そうな顔をする真琴。
「我慢しろ、肉まんやるから」
「ほんとっ!?」
「それじゃボクたい焼き!」
「わたしはイチゴサンデー」
「牛丼」
「あはは〜」
「誰もお前らには言ってないっ!!」
 一同でお約束のボケツッコミをやってから、俺は咳払いをひとつして、秋子さんに尋ねた。
「秋子さん、それで、真琴のことなんですけど……」
 俺達のやりとりを笑顔で聞いていた秋子さんも、真面目な顔に戻る。
「何か、くい止める方法はないか、ということね?」
「ええ」
 秋子さんは真琴に視線を向ける。
「真琴は、まだそのことを思いだしたわけじゃないのね」
「……うん」
 真琴はこくりと頷いた。
「祐一を見つけるより前のことは、やっぱり思い出せない……」
「……祐一さん。天野さんは、妖狐が人間になる条件は二つあるって言っていたのね?」
「ええ。記憶と、……命だって」
「だとしたら、もし真琴が記憶を取り戻したら、どうなるかしら?」
 秋子さんは、頬に手を当てて呟いた。
「それでも、命は失われるのかしら?」
「……わかりません」
 俺は首を振った。
「どうなるかなんて、全然判らないんです」
「それなら、やってみたらいいんじゃないかしら?」
「えっ?」
「やらないで後悔するよりも、やってみて後悔したほうがいい。……違うかしら?」
 秋子さんは微笑んだ。
 ……確かに、その通りかもしれない。それに、さしあたって他に有効な方法があるとも思えなかった。
「そうですね。よし、真琴! 俺はあの星に誓う! お前の記憶を取り戻させてみせるとっ!」
 とりあえず、真琴好みの少女漫画の主人公風に見栄を切ってみせる。
「祐一くん、星なんて見えないよ」
 ボコン
「いらんツッコミを入れるな」
「うぐぅ……、ひどいよ祐一くん」
「さぁ、それじゃ夕ご飯の支度をするわね」
 秋子さんが立ち上がった。名雪も立ち上がる。
「あっ、わたしも手伝うよ」
「ボクも……」
「あゆは手伝うなっ」
 俺は慌てて止めた。
「うぐぅ、意地悪ぅ」
「真琴ね、肉まんが食べたいっ」
 とりあえず、真琴はいつも通りに元気になったようだった。
 俺はそのまま秋子さんについて台所に入っていこうとした真琴の襟を掴む。
「こら、お前」
「わっ、なにするのようっ!」
 じたばたもがく真琴を引っ張ってソファに座らせると、俺は訊ねた。
「で、だ。具体的にどうすればいいと思う?」
「あ、真琴ちゃんの記憶を甦らせる方法だね」
 あゆが腕組みしてもっともらしく頷く。
「そうだ! じんかいせんじゅつなんてどうかな?」
「……あゆ、言葉の意味が判って言ってるのか?」
「ううん。何となく格好良かったから」
 俺はため息をついた。それから、じーっと話を聞いていた(と思う)舞の方に視線を向ける。
「舞は、何かいい方法思いつかないか?」
「……判らない」
「記憶喪失といえば、ショック療法がお約束ですけどね〜」
「やっぱり佐祐理さんもそう思うか?」
「はい」
 うん、そうだろうな。
 腕組みしてうんうんと頷いてから、俺はソファの舞の隣りにちょこんと腰掛けている佐祐理さんに……。
 あれ?
「佐祐理さん?」
「はい、なんですか、祐一さん?」
 にこにこしながら返事をする佐祐理さん。
「いつからそこにいたんだ?」
「ええっと……」
 佐祐理さんはほっぺたに指を当てて考え込んだ。
「チャイムを何回か鳴らしたんですけれども、誰も出てこなかったんですよ。それで、以前水瀬さんのお母様には、自由に上がってくれていいと言われてましたから、上がらせてもらったんです。そうしたら、こちらで皆さんが祐一さんのお話を聞いてるところだったので、佐祐理も聞かせてもらいました」
「聞かせてって……。それじゃ、全部聞いたわけ?」
「はい」
 こくりと頷くと、佐祐理さんは笑顔で言った。
「佐祐理にも何か協力できそうなことがあるなら、遠慮なく言ってくださいね」
 ……一蓮托生という言葉を思い出さずにはいられない俺だった。

 とりあえず、佐祐理さんも加えて対策会議は再開された。
「記憶喪失といえばショック療法だって佐祐理さんは言ったよな?」
「はい」
「あっ、真琴、それ知ってる!」
 しゅたっと手を挙げる真琴。
「確か、100トンとか書いてある大きなハンマーで思いっきり頭を殴るやつでしょっ!」
 どうやら、どこかの漫画で読んだらしい。
 俺はぽきぽきと指を鳴らした。
「ほうほう。知っているなら話は早いな」
「やだっ!!」
 ピョンと座っていたソファから飛び降りると、その後ろに回って真琴は俺を睨んだ。
「あんなもので殴られたら思い出す前に死んじゃうわようっ!」
「でも、このまま放っておいても……」
「痛いのはいやなのっ!!」
 わがままな奴である。
「あ、でも、それは普通の記憶喪失のときの話ですから、この場合の真琴さんに当てはまるとは言えないかも」
「そう! そうだよねっ!」
 佐祐理さんの一言に飛びついた真琴は、俺にべーっと舌を出した。
「そんなので思い出せるわけないでしょっ、祐一のばーか」
「……しばくぞ、こら」
「わぁーっ、祐一が真琴のこといじめる〜」
「祐一さん、いじめちゃダメですよ」
「……佐祐理さんもいちいちこいつをかばわないでくれ」
 俺はため息をついた。
 と、あゆが不意にポンと手を打った。
「そうだ!」
「却下」
 間髪入れずに俺が言うと、あゆは泣きそうな顔をした。
「うぐぅ……、話くらい聞いてから判定してよ〜」
 佐祐理さんがフォローを入れてくれる。
「話を聞いてから判断した方がいいと、佐祐理は思いますよ」
「まぁ、佐祐理さんがそう言うなら」
 俺はあゆに向き直った。
「で?」
「うん。あのね、祐一くんが7年前にその狐さんと一緒にいたところに行ってみれば、何か思い出すかもしれないよ」
 一緒にいたところ……。天野の言っていた、ものみの丘か……。
 なるほど、行ってみる価値はあるかもな。
「でも、もう今日は遅いですから、行くなら明日ですね〜」
 佐祐理さんがそう言った。
 確かに、窓の外はもう真っ暗になっている。しかも、耳を澄ますと風のうなりがリビングの中にまで聞こえるほど、外は荒れ模様だった。これじゃ誰も外に出られないだろうな。
 ……ちょっと待て。誰も外に出られないってことは……。
「佐祐理さん、家に帰れそう?」
「……」
 佐祐理さんは窓の外を見て、あはは〜と笑った。
「いくら佐祐理でも、これではちょっと帰れないかもしれませんね〜」
「うわ、どうするんだよ?」
「仕方ないです。今夜はこちらに泊めてもらってもいいでしょうか?」
 ま、秋子さんに聞けば1秒で了承されるだろう。今夜は幸か不幸か栞がいないわけだから、水瀬家の宿泊人数はプラスマイナス変わりなしってわけだ。
 と、そこに名雪が顔を出した。
「もうすぐご飯できるよ〜。あれ? 倉田先輩?」
「あ、お邪魔してますね〜」
「こんなお天気だし、今から帰るのも大変ですよね。今夜はうちに泊まりますか?」
「ありがとうございます〜。そうさせていただければ助かります〜」
「それじゃ、お母さんに伝えてきますね〜」
 パタパタとキッチンに戻っていく名雪。2人ともなんともマイペースだった。

 予想通り佐祐理さんの宿泊が1秒で了承され、佐祐理さんが家に連絡を取った後、皆で夕食を取ることになった。
 テーブルの真ん中には、天ぷらを盛った大きな皿が3つ並んでいた。
「今日は天ぷらですか?」
「お口にあえばいいんですけど」
 秋子さんがそう言いながら天つゆの入った器を並べる。この天つゆも自家製に違いない。
「それじゃ、いただきます」
「いただきま〜す」
 なんとなく、名雪が音頭をとって、皆は一斉に、天ぷらが盛りつけられた器に手を伸ばした。
 佐祐理さんが一口食べて、笑顔で舞に話しかける。
「はぇ〜、美味しいですね〜。ねぇ、舞?」
「相当に嫌いじゃない」
 もぐもぐと口を動かしながら答える舞。
「今日もちょっと張り切りましたから」
 ご飯をお茶碗によそいながら言う秋子さん。
「あーっ、祐一が真琴のエビ取った〜っ!」
「こら、真琴。食事は静かに……、うわぁっ! 俺の狙っていたやつを取ったなっ!!」
「うぐぅ、熱くて食べられない……」
「いちご、いちごっ、いちごの天ぷらっ」
 相変わらず、賑やかな食卓だった。

 賑やかな食事も終わり、女性陣はそのままリビングでテレビを見ていた。俺は早々に引き取って自分の部屋に戻ると、ベッドに寝ころんでいた。
 と、ドアの外で軽い足音がした。そして、声が聞こえる。
「行くから……」
「舞か?」
 俺は体を起こして時計を見た。午後8時。
「そっか。もうそんな時間だなぁ。それじゃ俺も……」
 ……って、ちょっと待て!
 慌ててベッドから飛び降りると、ドアを開ける。
 ちょうど、制服姿の舞が階段を降りようとしているところだった。
「待てっ、舞!」
「……」
 無言で立ち止まる舞。
 その舞の所に駆け寄ると、俺は腕を掴んだ。
「外は吹雪だろっ! それでも出かけるつもりか?」
 こくりと頷くと、舞は言った。
「天気には、関係ないから」
「魔物に天気が関係なくても、こっちが関係あるっ! いくら何でも無茶だ! ……って言っても無駄なんだろうな」
 俺はため息をついた。と、不意にある考えがひらめいた。
「ちょっと待っててくれ」
 そう言って、舞の返事も聞かずに俺は階段を駆け降りると、リビングのドアを開けた。
 リビングでは、女性陣がバラエティ番組を見ているところだった。俺はドアのところから佐祐理さんを手招きした。
「佐祐理さん、ちょっといい?」
「はい?」
 顔を上げた佐祐理さんは、すぐに俺のところまでやって来てくれた。
「なんですか、祐一さん?」
「実は、舞のことなんだけど……」
 やっぱり、いくらなんでもこんな夜に学校に行くなんて無茶を通り越して無謀だ。と言っても、普通に説得しても舞が聞き入れそうにないことは、これまでの付き合いから判っていた。
 舞が聞き入れるとしたら、それは佐祐理さんの説得しかない。それが俺の考えた作戦だった。
「舞が、どうかしたんですか?」
 案の定、舞の名前を出すと、佐祐理さんは心配そうに俺に訊ねた。
「いや、なんか学校に忘れ物したらしくて、今から行くって聞かないんだよ。ほら、普通ならともかく、今夜はこんな天気だろ?」
 ただ、佐祐理さんに説得してもらうとしても、舞の魔物退治の話を佐祐理さんにするわけにもいかない。というわけで、俺はちょっとやましいものを感じつつも、舞が学校に行く理由をでっち上げた。
「はぇ〜、舞ったら真面目なんだから〜」
 素直に俺の言ったことを信じる佐祐理さん。ううっ、良心が痛むが、これも舞のためだ。
「というわけで、佐祐理さんから舞を説得してくれないか?」
「わかりました。佐祐理に任せてください」
 小さくガッツポーズをして見せると、佐祐理さんは階段の方に歩いていった。その後を俺も追いかける。

 舞は、俺の言った通りに階段の上で待っていた。
 佐祐理さんは、たたっと階段を駆け上がると、舞に声をかける。
「今から学校に行くの?」
「佐祐理?」
 佐祐理さんの登場に、意外そうな顔をする舞。
 その腕を掴む佐祐理さん。
「宿題だったら、明日佐祐理が見せてあげますよ」
「……?」
 無表情だからわかりにくいが、多分舞はきょとんとしているんだろう。
「だから、今夜は出かけるのはやめませんか?」
「……」
 首を振る舞。

 それから約10分。
 俺の予想は外れ、佐祐理さんの情理を尽くした説得にも、舞は耳を貸そうともしなかった。
 とうとう諦めたように、佐祐理さんはうなだれる。
「舞、佐祐理のお願い、聞いてくれないんだね……」
「……ごめんなさい」
 静かに告げる舞。言葉こそ謝っているが、それは自分の意志は曲げないという舞の宣言だった。
 佐祐理さんは、静かに頷いて、顔を上げた。
「わかったよ。それなら、佐祐理も一緒に行くねっ」
 ……なんか、予想外の方向に話が展開しているようだった。

Fortsetzung folgt

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あとがき

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