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静まりかえった喫茶店の中は、ゆったりとした音楽が流れ続けていた。それに混じるように、風の吹きすさぶ音が、窓から漏れてきている。
Fortsetzung folgt
その沈黙を破ったのは、天野だった。
「……相沢さん」
「ん?」
「それは変わらない運命なのかもしれません。ですけれど……」
目を伏せ、言葉を続ける。
「もう、悲しい思いをするのは嫌ですから……」
「天野……」
「……大丈夫だよ」
今まで黙っていたあゆが、不意に口を開いた。
「あゆ?」
「真琴ちゃんがここにいるっていうことは、奇跡なんだってさっき言ったよね」
「……はい」
天野は頷く。
あゆは笑顔で言った。
「だったら、大丈夫」
「……どうしてですか?」
「ボクは信じてるよ。奇跡は何度だって起こるんだって」
言い切るあゆ。
天野の表情が微かに歪んだ。まるで泣き笑いのような表情。
「……そうなら、いいですね……」
呟きが、微かに俺の耳に届いた。
「そうだね、あゆちゃん」
名雪がのんびりと言うと、真琴の肩を抱くようにして言った。
「奇跡は何度でも起きるよね」
なんだか名雪がいつもの口調でそう言うと、本当にそうなるような気がした。
真琴もこくりと頷いた。
「うん……。でも……」
「大丈夫。俺を信じろ」
「わぁっ、急になんだか全然信じられなくなったぁっ」
「……なんでだ?」
まったく、こいつは……。
でも、とりあえず、表面上だけでもいつものペースに戻ったことに、俺は内心でほっとしていた。
少なくとも、表面上は取り繕おうというのは、それだけ余裕があるっていうことなんだろうから。
だけど、まだよく判らない事が多すぎる。
俺は天野に向き直った。
「……天野、悪い。もう一度整理させてくれないか?」
「……はい」
天野は頷いた。
「とりあえず、こいつがどうやら俺が7年前に至れり尽くせりの世話をしてやった狐だとしよう。で、その恩を感じて、人間の姿になって逢いに来た、と」
「恩なんて感じてないわようっ!!」
小さな拳を突き上げる真琴。名雪も頷いた。
「そうだよね。恩を感じて、っていうんなら、逢った途端に襲いかかったりしないもんね」
「……うーむ」
俺は腕組みして、真琴に尋ねた。
「どういうつもりだ?」
「そんなのわかんないわようっ! でも……」
そこで一度言葉を切り、真琴は視線を宙に泳がせた。
「でも……、祐一が憎かったのはホント」
「……迷惑な奴だ。第一、俺はお前に恨まれる覚えなんて……」
その瞬間、閃光のように、ある風景が俺の脳裏を過ぎった。
夕日に照らされ、金色の海のように見えた草原。
その中に取り残され、じっと俺を見つめ続けていた小さな獣。
ガツゥン
いきなり殴られて、俺は現実に引き戻された。
「いてぇっ!」
「心当たりがあるのねっ! 真琴になにしたのようっ! さぁ白状しなさいっ!!」
勝ち誇ったように言う真琴。
そう。確かにあいつからすれば、理不尽極まりない行動だっただろう。
だから、俺は真琴に何も言い返せなかった。
天野が、つと立ち上がると、もう一発殴ろうと身構えていた真琴の手を取った。そして俺に言う。
「でも、憎んでいるばかりではないですよ。それなら、こんな事までしませんから」
それは、人間の姿となって逢いに来たことを指しているのだろう。
「それじゃどうして……?」
「きっと、あの子はね、祐一のことが好きだったんだよ」
あっさりと名雪が言う。と、見る間に真琴はかぁっと真っ赤になって喚いた。
「ななななに言ってんのっ、名雪はっ! そ、そ、そんなことあるわけないわようっ!!」
「ほら、落ち着いて」
天野が言うと、真琴はまるで呪文でもかけられたように大人しくなったが、代わりに「あうーっ」と呻いて椅子に座り込んでしまった。
俺も、何てコメントすればいいのかよく判らなくなったので、とりあえず咳払いをした。
「ゴホン。ま、まぁ、それはそれとして、だ。理由はともかく、こいつは人間になった、と」
「はい」
天野は頷く。そして、真琴を見つめながら静かに言った。
「そして、その代償は、記憶と命です」
「でも、こいつは生きてるじゃないか」
俺は真琴を指した。天野は静かに首を振る。
「でも、長くはないんです」
「どれくらいだ?」
「……判りません。元々、妖弧がどれくらいの寿命を持っているのかもわからないわけですし……」
「それなら……」
「でも」
俺の希望を砕くように、ことさら天野は無表情を装って言った。
「いつかは、消えます」
「……消える?」
「はい。……まるで、最初から存在しなかったように」
そう言う天野の瞳は、どこか遠くを見ているようだった。
「相沢さん、それに水瀬さん、月宮さん」
視線を戻して、天野は言った。
「別れの訪れは、みなさんがこの子に情を移せば移すほど、辛くなります。……悲しくなります。それは、覚悟してください」
「……悲しいお別れは、ボク、いやだよ」
あゆがぽつりと呟いた。
俺は訊ねた。
「何か、方法はないのか? こいつが助かるような方法は……?」
「……」
黙って首を振ると、天野は言葉を続けた。
「命の力が弱まる予兆として、記憶が失われることがあります」
「記憶が……?」
「はい。……いろいろなことを忘れていくのです」
「真琴っ! 俺の名前はっ!?」
「馬鹿っ!! そんなことくらい憶えてるわようっ!」
拳を振り上げる真琴。
「よし、えらいぞマコピー」
「マコピーって呼ぶなぁ!」
「もう、祐一はすぐにふざけるんだから」
名雪が俺をたしなめる。でも、ふざけでもしないとやってられなかった。
天野はそんな俺達を見て、さらに続けた。
「そして、最後に熱を出します」
「熱を……?」
「……はい。蝋燭が、消える直前に明るく燃え上がるように……」
「……」
俺達が言葉を失っていると、天野がつと立ち上がった。
「コーヒー代は、ここに置きます。では」
レシートのところに500円玉を置くと、軽く会釈して、そのまま店を出ていく。
カラン
ドアに付いたカウベルが、天野の退場を告げた。
その時に初めて気が付いたが、店内に残っているのは俺達だけだった。
俺はため息をついた。
「……帰ろうぜ」
「まだイチゴサンデー1つしか食べてないけど……、うん、そうだね」
名雪も時計を見て頷く。
「帰ろう。ね、真琴」
「う……ん」
ためらいながらも、頷く真琴。
支払いを終えて、俺はドアを開けて外に出た。
すぐに中に戻った。
「もうしばらく時間潰した方が良くないか?」
外は猛吹雪だった。
「ダメだよ。もうすぐ暗くなるよ」
名雪が言う。なるほど、これで暗くなったら、マジに遭難するかもしれん。
「そ、そうだよっ。今のうちに行こうよっ! 暗くなったらきっとみんな帰れなくなるよっ!」
不自然なほど力説するあゆ。そういえばこいつは怖がりだったな。
ま、いいか。
「よし、行くぞマコピー!」
「う、うん」
頷く真琴の頭を、俺はぽんと叩いた。
「な、なにようっ!」
「心配するなって。何とかなるさ」
別にあてがあるわけじゃない。でも、希望まで失ったらおしまいだ。
俺はそう思った。
「べ、べつに心配なんてしてないわよう! それに美汐が言ったことが全部ホントだとは限らないじゃない」
「それもそうだな。ま、家に帰って秋子さんにも話してみよう」
「えっ?」
びくっと身を震わせて、真琴は一歩下がった。そして上目遣いに訊ねる。
「真琴、捨てられないかな?」
「秋子さんのことだ。きっと1秒で了承だ」
「うん、そうだよ」
「秋子さん、すごいもんね」
俺の言葉に、名雪とあゆもうんうんと頷き、やっと真琴は安心したように頷いた。
「そ、そうだよねっ」
「というわけで、帰るぞ」
俺はそう言って、悲壮な覚悟で喫茶店のドアを開けて、外に踏み出した。
水瀬家にたどり着いたのは、それから30分後だった。ちなみに、いつもの朝なら10分で駆け抜けている距離である。
「ただいま、お母さん」
「お帰りなさい。雪はちゃんと払って上がってね」
名雪の声に、キッチンの方からから秋子さんの声が返ってきた。
言われたとおりに、体中についた雪を玄関で払い落としてから靴を脱ぐ。
俺はそのままキッチンに顔を出した。
「秋子さん、後でちょっと話があるんですけど」
「ええ、構わないわよ。長くなるの?」
「はい」
「それじゃ、先に着替えていらっしゃい。暖かいものでも用意しますから」
秋子さんは微笑んだ。俺は頷いた。
「わかりました」
着替えて1階に降りた俺は、そのままリビングに入った。
ちょうど秋子さんが、湯気の立っている湯飲みをお盆に乗せて入ってきたところだった。
「あら、もう着替えたの?」
「ええ。名雪達もすぐに来ますから」
「名雪も関係ある話なの?」
「ここに住んでいる全員に関係ある話なんです」
俺が言うと、秋子さんは頬に手を当てた。
「困ったわね」
「え?」
もう言いたいことを見破られて先手を打たれたのか、と思わず心臓が大きく跳ねたが、秋子さんは別のことを言った。
「さっき、美坂さんからお電話があったのよ。今日はこの吹雪だから、栞さんが来られないって」
「栞が? まぁ、それは仕方ないですけど……」
俺は外に視線を向けた。もう、辺りは薄暗くなりかけている。
「でも、なぜ困るんです?」
「だって、栞ちゃんも、今はこの家族の一員でしょう?」
当たり前のことのようにさらっと言う秋子さん。
「……そうですね」
俺は頷いた。ちょうどそこに名雪、あゆ、真琴と、さらに舞も降りてきた。
「あ、祐一。川澄先輩も部屋にいたから連れてきたよ」
名雪が俺に言う。確かに舞は、今は真琴と同じ部屋にいるわけだから、余計に知っていてもらわないといけないだろうな。
「ナイス判断だ、名雪」
「イチゴサンデー」
「それは高い。イチゴクレープだ」
「うん、それでいいよ」
交渉がまとまったところで、俺は秋子さんに向き直った。
「実は……」
「……というわけなんです。信じられないかも知れませんけど、俺は事実だって思ってます」
俺は天野から聞いた話、そして7年前の思い出、そこから俺が推測したことを全て話した。
「……そう」
秋子さんは、一つ頷いてから、俺を真っ直ぐに見つめた。
「それで、私は何をすればいいのかしら?」
俺も真っ直ぐに秋子さんを見返して、言った。
「……秋子さん、こいつを今まで通り、ここに住まわせてやってくれませんか?」
「了承」
秋子さんは微笑んで頷いた。気のせいか、いつもよりもさらに早い“了承”だったような気がした。
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あとがき
うーん、困った。
プールに行こう3 Episode 6 00/5/8 Up