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Kanon Short Story #13
プールに行こう3 Episode 3

 特に何事もなく、昼休みになった。
 前のドアから教師が出ていくとほぼ同時に、後ろのドアから食堂に向かって飛び出していく男子生徒達。昼休みの風物詩とでも言うべきものである。
「あっ、あの〜」
 その津波が一段落してから、それと入れ替わるように、半開きになったドアから少女が首を出していた。
「相沢さん、いらっしゃいますか?」
「あれ? どうしたの、栞?」
 俺よりも早く、香里が駆け寄っていた。
 栞の表情がぱっと明るくなる。
「あ、お姉ちゃん」
「相沢くんなら……そこの机の陰に隠れてるわ」
「わっ、ばらすなっ!」
 思わず立ち上がってしまった俺を見て、栞が駆け寄ってきた。
「祐一さん、こんにちわ」
 その手にした包みを見て、俺はため息をついた。
「やっぱり弁当か」
「はい。今日も一杯作ってきました」
「畜生、うらやましいぜ。俺も香里に手作り弁当を作ってきてもらいたいもんだぜ」
 それをのぞき込んで、なぜかだぁーっと涙を流す北川。
 香里は肩をすくめた。
「ストリキニーネとかテトロドトキシン入りならいつでもいいわよ」
「おおっ、なんだか知らんが美味そうな調味料じゃないかっ! 是非頼むっ! いやっほぉい!」
 小躍りして喜ぶ北川。
 その喜びぶりがあまりに嬉しそうだったので、俺はどっちも猛毒だとツッコミをいれるのはやめておいてやることにした。
 それよりも問題は、だ。
「それじゃ、食堂に行きましょう、祐一さん」
 笑顔で言う栞。
「しょ、食堂か?」
「あ、ここでもいいですよ」
 さらに笑顔で言う栞。
 まぁ、食堂で大勢に好奇の目で見られながら食うよりは、ここで食う方がまだましかもしれない。
 と、香里が栞に囁いている。
「……じゃないの」
「ええっ? で、でも、その……」
 俺をちらっと見て、ぽっと赤くなる栞。
 ……何を入れ知恵してるんだ、香里?
 と、名雪がむくりと顔を上げ、ふわぁとあくびをしてから言った。
「でも、香里。中庭も屋上も寒いと思うよ」
 香里のやつ、そんなこと勧めてたのか?
 反射的に外を見て、俺は思わず震え上がった。灰色の空からひっきりなしに舞い落ちる雪。
「残念。お弁当を二人っきりで食べるには中庭か屋上は絶好のスポットなのにね」
「……頼むから、季節を考えてくれ、季節を」
 俺は怒るのを通り越して疲れを覚えながら言った。
 栞が訊ねる。
「それで、どうします?」
「……ここでいいです」
「よかった。ふぅ、もう持ってるだけで疲れちゃいました」
 一息つきながら、栞は手にした包みをドンと机に置いた。
「しまった。やっぱり食堂って言えばよかった」
「そんなこと言う人嫌いですっ」
 そう言いながらも、栞は笑顔だった。
「よし、それじゃ俺達は食堂でパンでも買ってくるか。なぁ、美坂」
「まぁ、仕方ないわね」
 嬉しそうな北川に渋々頷くと、香里は名雪に言った。
「それじゃ名雪、相沢くんを見張っててね。栞に変なコトしないように」
「まさか。俺だって命は惜しい」
 俺が真面目な顔で言うと、栞がむっとしたように言う。
「それって私に命を賭けるくらいの魅力が無いって事ですか?」
「あの、栞さん?」
 思わず引きそうになる俺を見て、栞はくすっと笑った。
「なんて、ちょっと格好良いセリフですよね」
 ……いつもの栞だった。
「あのなぁ……。またドラマか何かのセリフか?」
「あ、香里。それじゃわたしにもパン買ってきてね。イチゴの入ったやつ〜」
 相変わらずマイペースな名雪だった。

 買い出しに行った二人を待っている間に、俺と名雪と北川と香里、計4人分の机をくっつけておく。そうしておいて、その上に栞が弁当を広げた。
 ……またしても、重箱2つである。
「すごい量だねぇ」
「あの名雪を絶句させるとは、やるな栞」
「そんなことで誉められても嬉しくないです」
 ぷんっとふくれた栞が、俺を上目遣いに見る。
「そんなこと言った罰です。全部食べてくださいね」
「いや、全部は無理だろ」
「そうですか?」
「ああ。栞がカレーを食えないのと同じくらい無理だ」
「そんな絶対に無理だって言わないでください。傷つきます」
 胸に手を当てて言う栞。
「それじゃ、栞の胸が小さいのと同じくらい無理だっていうのは?」
「わっ、それセクハラですっ」
「そうだよ、祐一」
 名雪にまで言われてしまったので、とりあえず白旗を振っておく。
「悪かった、栞」
「やっぱり、全部食べてくださいね」
「うっ」
 これは怒ってるな。
「まぁ、3分もすれば忘れてるだろうけどな」
「聞こえてますよ」
 と、そこに香里と北川が戻ってきた。
「ただいま、栞」
「あ、お姉ちゃん、北川さん、お帰りなさい」
「ああ、栞ちゃん。俺のことはお兄ちゃんと……」
「目からびぃぃむっ!!」
 チュドン
 ……ますます人間離れし始めてるんじゃないか、香里のやつ。
 なんか北川が黒こげになってるような気もするが、奴のことだ、5分もすれば復活するだろう。
「それじゃ、いただきます」
 名雪の声で、昼飯は始まった。

「……もう……食えない」
「まだ半分以上残ってますよ」
「そう……言われ……ても……、俺の……胃にも……許容……量が……」
 俺はげんなりした表情で、まだ半分以上残っている重箱を眺めた。
 と、栞がぽんと手を打つ。
「忘れてました。こっちにデザートが……」
「……おい」
 いや、俺だって必死になって食った。食って食って食いまくったあげくがこの有様なんだ。
 確かにここで拒否すると香里に殺されるかもしれんが、これ以上食っても死んでしまう。
「……仕方ないです」
 栞がふぅ、とため息をついた。そして、取り出したタッパーを開けた。
「でも、せめてこれだけは食べてください」
 タッパーの中には、うさぎの耳に見立てて包丁が入れられたリンゴが並んでいた。
「わぁ、うさぎさんだね」
 イチゴクリームサンドを食べていた名雪が、そのタッパーをのぞき込んで言う。
 栞は頷いた。
「はい。一生懸命作りました」
「すごいね、栞ちゃん」
 ……名雪、頼むから栞をたきつけるのはやめてくれ……。
「あ、これじゃ食べられませんね。ちょっと待ってください」
 栞は、カラフルなプラスチックの楊枝を取り出すと、リンゴに突き刺した。そして俺に差し出す。
「はい、あーんしてください」
 ちょっと恥ずかしそうに、頬を染めて言う栞。
 いや、嬉しいのは嬉しいが……。
「……無理」
 と、いきなりドアの方から声が聞こえた。
「はぇ〜、祐一さん、お弁当食べてたんですか〜。佐祐理達も誘ってくれれば良かったのに。ねぇ、舞?」
「……はちみつくまさん」
 うぉ、忘れてたわけじゃないんだが、頭の隅に追いやって考えないようにしてたのに……。
 そっちを見るよりも早く、佐祐理さんが駆け寄ってきた。そして、俺の様子に気付いて、顔をのぞき込む。
「あら? どうしたんですか? 顔色が悪いみたいですけど」
「……食べ過ぎ」
 後ろでぼそっと言う舞。佐祐理さんがぽんと手を打つ。
「食べ過ぎだったんですか〜。祐一さん、大丈夫ですか?」
「……あまり、大丈夫じゃ……ないかも……」
「祐一さんひどいですっ。そんなこと言う人は嫌いですっ」
 栞がぷっと膨れてそっぽを向く。
「まるで私のお弁当が悪いみたいじゃないですかっ」
「まるで、……じゃ、ないだろ……」
「まぁまぁ」
 そこに、ようやくイチゴクリームサンドを食べ終わった名雪が割って入ってきた。
「栞ちゃん、いくら祐一でも、これだけの量は食べきれないと思うよ」
「そうですか? 残念です……」
 俯く栞に、名雪は笑顔で言った。
「それに、栞ちゃんはずっとうちにいるんだから、いつでも祐一にご飯作ってあげられるんだよ」
「あ、それもそうですね」
 栞も笑顔を浮かべて頷いた。それから、ポケットをごそごそと探ると、薬瓶を出した。
「そうと決まれば……。はい、これをどうぞ」
「……なんだ、それ?」
「強力消化剤です」
「……とりあえず、くれ」
「はぇ〜。なんだか中世のフランス貴族を思い出しますね〜」
 佐祐理さんが、粉薬を飲む俺を見て言った。
「フランス貴族?」
「はい。なんでも、佐祐理の聞いた話だと、グルメだった貴族の皆さんは、食事をしてはそれを吐いて、また食べて、っていうことを繰り返していたんだそうですよ」
 ……お願いだから、そういうことを笑顔で言わないで欲しい。

 キーンコーンカーンコーン
 チャイムが鳴って、授業が全部終わった。
「祐一っ。今日の授業は終わったよっ」
 名雪がやってくる。
「まぁ、そうだろうな。で、今日は部活か?」
「うん。先週ずっと休んじゃったからね」
 頷いて、名雪はふぅとため息をついた。
「郁未ちゃんには叱られるし、もう踏んだり蹴ったりだよ」
 郁未ちゃんっていうのは、確か陸上部の副部長だ。
「あれ? でもそいつに休んでもいいって言われたんだろ?」
「うん。休んだことじゃないんだけどね」
「名雪ーっ」
 噂をすればなんとやらで、その副部長が出入り口から顔を出して名雪を呼んでいた。
「あ、郁未ちゃん、今行くよ〜。それじゃ、祐一……」
「おう、それじゃ明日な」
「家でまた逢うよ〜」
 笑いながら名雪は鞄を手にして走っていった。
 俺は一つ伸びをして、立ち上がった。
「さて、と……」
「おい、相沢」
 後から北川が俺の肩をつついた。
「なんだ?」
「あれ……」
 窓越しに中庭を指す北川。
「ん?」
 俺もそっちを見る。
 中庭に誰かが立って、こっちを見上げている。デニムのジャンパーに栗色の長い髪。
 ……って、ありゃ真琴じゃないか。
「真琴ちゃんだよな、あれ」
「……そうだな。にしても、何してんだ、あれ?」
 言うまでもなく、外は雪が舞い風が吹きすさんでいる。はっきり言って吹雪に近い。
「栞ならともかく、普通の人間がぼーっと立っていられる状況じゃないぞ」
「わっ、ひどいですっ」
「うわっ、いたのか栞っ!」
 反射的に振り返ると、そこには香里がにまーっと笑っていた。
「似てた?」
「……お前なぁ」
 俺がため息を付くと、香里は肩をすくめた。
「栞なら、今日は医者に寄ってからそっちに行くことになってるから」
「そうなのか?」
「ええ。それじゃ、私も部活に行くわね。相沢くん……」
 香里は鞄を手にして、俺に視線を向けた。
「栞のこと、頼むわよ」
「将来の義弟になること以外なら、頼まれておく」
「……まぁ、今はまだ、ね」
 ふっと笑って、香里は教室を出ていった。
 それを見送ってから、俺はやれやれとため息を付きながら、鞄を手にした。
「どうするんだ、相沢?」
「どうするって、しょうがないだろ? 置いていくとまたうるさいからな」
 俺は肩をすくめた。

「おい、マコピー!」
 俺の声に、ぼーっと俺の教室を見上げていた真琴は、ざっと肩に積もった雪を跳ね飛ばしながらこっちに向き直った。
「ゆ、祐一っ! な、なによっ」
「そりゃこっちのセリフだ。なにしに来たんだ、お前は?」
「えっと、それはその……、そう、散歩よ散歩っ!」
「そっか。じゃ、ゆっくり散歩してくれ。俺は帰る」
 そう言って背を向けると、真琴が慌てて雪を蹴立てながら追いかけてくる。
「わーっ、待ちなさいようっ!」
「……っと」
 俺は立ち止まった。別に真琴に言われたからじゃなく、前に人影が現れたから。
「……天野」
「相沢さん」
 横殴りの雪が吹き付ける中、天野は顔にかかる髪を手で押さえながら、言った。
「お話が、あります」
「え?」

Fortsetzung folgt

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あとがき

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