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Kanon Short Story #9
プールに行こう2 Episode 32(Director's Cut Ver.)

「……奇跡だな」
「そうだねっ、祐一くん!」
「おうっ、そうだなあゆっ!」
「あんた達の会話を聞いてると、奇跡が安っぽいものに思えてくるわ」
 校門の前であゆとパンパンと手を打ち合って喜んでいると、香里がしかめっ面をして言った。
「何をいう、香里。ちゃんと間に合ったんだぞ!」
 俺は自分の腕時計を指した。
 予鈴が鳴るまであと5分はありそうな時間だ。
「……どこかで時間軸がねじくれたみたいですよね」
 栞が頬に指を当てて言った。
 確かに。
 あれから、真琴にぴろを置いてくるように説得し、しぶしぶ家に戻っていく真琴を追いかけようとする名雪を引っ張って、という作業工程をこなして、この時間なのだ。
「でも、事実だぞ」
「ねこ〜」
 名雪はすごく悲しそうだった。
 と。
「祐一ーーっ!!」
 後ろから俺の名を呼ぶ声が聞こえた。振り返ると、真琴が全速で走ってくる。
 ……って、おいっ!!
 どすーーーん
 そのまま減速しようともせずに、俺に体当たりしてくる真琴。
「うぐわぁっ!」
 油断していたので、もろに鳩尾にくらってしまった。
「はぁはぁはぁ、ど、どう? 思い、知ったわよねっ! ぶいっ!」
 荒い息を付きながらVサインをする真琴。
「祐一くん、すごく苦しそうだね……」
 心配そうに俺の顔をのぞき込むあゆ。
「こ、こ、このくそがぎゃぁ……」
「なにようっ! 待っててくれなかったくせにぃっ!」
 どうやら、ぴろを置きに帰らせた後、俺がその場で待たずにさっさと学校に行ってしまったので怒っているらしい。
「そんなこと言った覚えはないぞっ! それに他のみんなだって待ってなかっただろうがっ!」
「でも、漫画だとこういうときは男の子は待っててくれるものようっ!」
 ごごごごご、と背後に炎を立ちのぼらせながらにらみ合う俺と真琴。
「ど、どうしようっ! 喧嘩しちゃだめだよっ!」
 おろおろしながらそんな2人の周りをぐるぐる回っているあゆ。
 と、そこに後ろから声が聞こえた。
「おはようございます」
「ん? おお、天野か」
「おっはよー、美汐」
 真琴がそう言って駆け寄る。
「ねぇねぇ聞いてよ美汐〜」
 天野は真琴の頭を撫でながら言った。
「はいはい。相沢さんは悪い人ですね」
「そーよねー。美汐もそう思うわよね〜」
 ……なんでそうなるんだ?
「あははー。みんな仲が良いですね〜。ねぇ、舞?」
「相当に嫌いじゃない」
 佐祐理さんと舞は楽しそうだった。舞だけを見てるととても楽しそうには見えないが。
「どうでもいいけど、遅刻するわよ。あたしは先に行きますからね」
 香里がため息混じりに言って、すたすたと歩き出す。
「あっ、お姉ちゃん待ってよ」
 栞がその後を追いかけ、そして俺達も学校に入っていった。

 キーンコーンカーンコーン
 チャイムが1時間目の終わりを告げ、休み時間になった。
 俺は、教師が出ていった後、くるっと振り返って北川に訊ねた。
「なぁ、北川」
「どうした、相沢?」
「一つ聞きたいんだが……」
「ああ、生徒会の話だな?」
「いや、それじゃないけど、それも聞きたい」
 北川は、俺の答えに首を傾げながらも、言った。
「どうせお前らのことだから、『生徒会のお知らせ』なんて見てこなかっただろうからな」
「なんだそりゃ?」
「職員室前にある生徒会専用の掲示板よ」
 香里が口を挟んだ。それから北川に尋ねる。
「リコール選挙の件でしょ?」
「ああ。それがな……」
 北川はもったいぶって胸を張った。
「聞いて驚けっ! なんとっ、リコール選挙がっ……」
「行われなくなったんだろ? 佐祐理さんが生徒会から外されたんで」
「昨日、喫茶店にあなたもいたじゃない」
 呆れたように言う香里。北川は頭を掻いた。
「まぁそうなんだが、それが公式発表されたってことだ」
「それだけか?」
「いや、もう一つ。こいつはスクープだぜ」
 にやりと笑う北川。
「あの久瀬の奴が、風紀委員長を辞めたとさ」
「ほう?」
 そう言えば、昨日生徒会長が「責任をとってもらう」とか言ってたっけ。
「広報じゃ、一身上の都合により、とかなんとか書いてたけどな。間違いなくこうそうだ」
「……もしかして更迭って言いたかったの?」
 香里が呆れたように訊ねると、北川は馴れ馴れしく香里の肩をぽんぽんと叩いた。
「そうそう。さすがだ、マイハニー。ところで……」
「ところで何よ?」
 その手を払いながら聞き返す香里に、北川は真面目な顔で尋ねた。
「こうてつってなんのことだ?」

「ま、久瀬なんかが風紀委員長を降ろされようと路頭に迷おうと、そんなことはどうでもいいとして、だ」
 一瞬流れた白い空気を振り払うように、俺は首を振ってから、廊下側の席の方を指さした。
「あれは何だ?」
「あれって、人だかりだな」
 北川は頷いた。
 廊下側の席の一つの周りが、まさに黒山の人だかり……いや、制服の色からいえば青山の人だかりになっている。ちなみに女子生徒だと赤山の人だかりになるだろう。つまり男子生徒ばかりなのだ。
 その山の中から時々「うぐぅ」だの「うぐうぐ」だのという声が聞こえてくる。
「俺の予感が正しければ、あの人だかりはあゆを中心に形成されているように見えるんだが」
「その通りだ。さすが相沢、我が友よ」
 北川は俺の肩を叩いた。
 俺は首を傾げた。
「それがわからん」
「なにがだ?」
「なんであゆの周りに男子生徒が群れてるんだ? あいつ、食い逃げ方法の講習会でもしてるのか?」
「うぐぅ、ボクそんなことしてないもん」
 非難の声が聞こえたので、首をねじってそっちを見る。
 そこには全身ぼろぼろになったあゆが泣きそうな顔をしていた。
「うぐぅ、祐一くん……、怖かったよう……」
「ああっ、いつの間にかあそこにいるぞっ!」
 男子生徒の一人がこっちを指して叫ぶ。と同時に、人だかりがこっちに向かって突っ込んでくる。
「うぐぅっ!」
 あゆが顔を引きつらせて悲鳴を上げると、俺にしがみついてきた。
「うぐぅ、うぐぅっ!」
「どわあぁぁっ!」
 おかげで逃げ遅れて、俺まで人の波に呑み込まれてしまった。
「月宮さんっ、これ受け取ってくださいっ!」
「今日でお別れなんて嫌ですっ!」
「お、俺の胸に飛び込んで来いっ!」
「あ、てめぇ抜け駆けをっ! 月宮さん、俺の方が……」
「俺の月宮さんになんてことをっ!」
「あゆちゃ〜ん、萌え萌え〜」

 結局、俺とあゆはチャイムが鳴って2時間目の担当の教師が来るまで、人混みの中でもみくちゃにされていた。

「……ぜぇぜぇぜぇ」
「大丈夫、祐一?」
 2時間目が始まってから、隣の席から名雪が小声で訊ねて来た。
「た、大丈夫に、見えるか?」
「あまり見えないよ」
「良かったな、名雪。お前の目は正常だ」
「うん。両方とも2.0だよ」
 嬉しそうに言う名雪。
 俺はちらっと前を見た。運良く、2時間目は寝ていても大丈夫な教師だ。
「とりあえず、話は次の休み時間だな」
「うん、そうだね。……あふぅ、お休み」
 そのまま、名雪はかくんと首を下げて、うつらうつらし始めた。器用な奴だ。
 俺もとりあえず体力の回復に勤めることにした。

 次の休み時間。
 俺はさっきの二の舞は踏むまいと、休み時間になるやいなや速攻で北川を誘って、紳士の社交場、男子トイレに連れ出した。
「で、あれはなんだったんだ?」
「ああ、さっきのあれか?」
 北川は、肩をすくめた。
「今日で月宮さんがこの学校に来るのも終わりだからな。奴らがラストチャンスに賭けるのも、同じ男として判らなくもない」
「……もしかして、あれはあゆに告白しようとしている男どもなのか?」
 俺が聞き返すと、北川はまじまじと俺を見返した。
「なんだと思ってたんだ?」
「いや、食い逃げされた店から頼まれた取り立て屋には見えなかったが……。それにしてもあゆ目当てとは、よほど女に縁のない生活をしてる連中なんだろうなぁ」
 ため息を付くと、北川が笑って言い返した。
「お前、あんまりハーレム生活してるから、感覚が麻痺してるな?」
「なんだよ、そのハーレム生活って。いや答えなくてもいい。それよりあゆが人気あるって本当か?」
「ああ。月宮さん、あれでなかなか男子生徒の人気は高いんだぞ」
 北川はふっと笑って答えた。
「あんな、自分の事をボクボク言ってる未発達なガキがか?」
「ん〜、ま、確かに今はそうかも知れないけどな、でもなかなか将来性は見込み溢れてると思うぞ。それに全国1209万人のボク娘ファンなら感涙ものだしな」
「……なんだよ、それは?」
 呆れながらも、ふと俺は気になったことを訊ねてみた。
「あゆがあの有様ってことは、もしかして真琴も今頃……?」
「ああ、1年の沢渡さんね。ま、あの娘は性格がちょっときついから、月宮さんよりはファンは少ないだろうけど、でも、じゃじゃ馬慣らしに萌えるって変わり者も意外に多いらしいし、ハイヒールで踏まれてみたいっていうコアなファンもいるって噂だしなぁ」
 北川は肩をすくめた。
「ま、それなりに大変な事になってるんじゃねぇのか?」
 と、そこに男子生徒が駆け込んできた。
「お、こんな所にいたのか、相沢」
「おお、誰かと思えばブッシュ斉藤」
「ブッシュは余計だ。それより教室が大変だぞ」
 ようやく登場した斉藤が慌てた声で言う。
「どうしたんだ?」
 聞き返しながら、俺達は斉藤の後について教室に向かって歩き出した。
 歩きながら斉藤が言う。
「それがな、あの1年の今日で最後の娘……」
「殺村凶子か?」
「そんな名前だったか?」
 殺村ネタはローカルだった。
「……いや、沢渡真琴と自分では名乗ってる奴だ」
「ああ、それそれ。その沢渡さんがうちの教室に来たんだ」
「殴り込みか? まぁ、あいつならやりかねんが……」
「いや、そうじゃなくて、単にお前を捜しに来ただけらしいんだが、その沢渡さんを追いかけてきた男子生徒連中が、あゆちゃんの周りの男子生徒達と口論になってな」
「斉藤、いま『あゆちゃん』って言わなかったか?」
「あ、ええっと、それはそれとしてだ」
 赤くなって、話題を逸らそうとする斉藤。そうか、こいつはロリ趣味だったのか。
「ボク、ロリじゃないよっ!」
 俺はため息混じりに立ち止まった。
「もはや特技だな、あゆあゆ」
「あゆあゆじゃないようっ! それに特技って何?」
「俺の考えを読むことだっ!」
「だって、すぐに判っちゃうんだもん。あっ、それより大変だよっ! 教室で大喧嘩だよっ!」
 大慌てで両手を振り回すあゆ。
 俺は振り返って北川に言った。
「なぁ、北川。俺としては、このままチャイムが鳴るまで教室には近寄らないことを提案するぞ」
「俺もそれには賛成だ。斉藤は?」
「あゆちゃんがここにいるから、戻るまでもないな」
「えっ?」
 自分の名前を呼ばれて小首を傾げるあゆ。慌てて咳払いをして誤魔化す斉藤。
「あ、いや、俺もそう思うぞ相沢っ」
「どうしたんだブッシュ斉藤? 顔が赤いぞ」
「ブッシュ斉藤くん?」
「違うっ!」
 慌てて否定すると、斉藤は俺に情けない顔を向けた。
「あ〜い〜ざ〜わ〜」
「まぁ、そう言うなブッシュ斉藤」
「貴様ぁっ! 殺す、ぜってー殺す! 殺した後酔わせて外人部隊の入隊書にサインさせて中東某国に送り込んでやるっ!」
「うるさいぞ神崎」
 ……エリア88ネタなんて判る奴もそうそういないだろうが。

 とりあえず、俺達は3時間目の担当教師と一緒に教室をくぐった。そして絶句した。
 教室の中が無茶苦茶になっていたからだ。
 一言で例えるなら、それはまさに「戦場」だった。

das Ende

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