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Kanon Short Story #9
プールに行こう2 Episode 30

「さて、これからどうしよう?」
 廊下を歩きながら、誰にともなく呟くと、後ろから香里が言った。
「とりあえず、これ以上学校でやることもないんだから、帰ってもいいんじゃない?」
「ま、それもそうだな。それじゃ帰るか」
 俺は頷いた。と、その腕がぐいっと引っ張られた。
「それじゃ、帰りに百花屋に寄っていこうよ。まだ貸しあるもんね」
 名雪が嬉しそうに俺の腕に自分の腕を絡めていた。
 ま、いいか。
「それじゃ真琴はチョコパフェ」
「それよりこれだけ人数がいるんですから、ジャンボミックスパフェデラックスにしませんか?」
「あのな、誰がお前らにおごるって言ったっ!?」
「はいはい。それじゃ百花屋に行くって事でいいのね」
「おう、俺は構わないぞっ!」
 後ろで北川が拳を突き上げて言った。香里はじろっとそっちを見た。
「北川君、いたの?」
「美坂ぁ〜」
 涙をだぁーっと流しながら香里にすがりつく北川。だが、俺も北川がいるのを今まで忘れていた。
「そりゃないだろぉ、美坂ぁ〜、美坂よぉ〜」
「あーっ、もううっとおしいわねっ! 判ったわよ。あなたも連れて行ってあげるわよ。ただしあなたは自費ね」
 ……ちょっとまて。北川が自費なのは当然として、もしかしてそれ以外は全部俺持ちか?
 と、今まで俺の隣を黙って歩いていた佐祐理さんが、不意に立ち止まった。
 俺も立ち止まって、その視線を追った。
「……舞」
 廊下の影から、舞がふらっと姿を現したのだった。
 佐祐理さんは、たたっと舞に駆け寄った。
「舞、佐祐理は……」
 舞は、ぶっきらぼうに一言だけ、呟いた。
「……おかえり」
 佐祐理さんの顔に、ぱっと花が咲いたように、いつもの微笑みが広がった。そして、佐祐理さんは舞を抱きしめた。
「ただいま、舞」
 うん、いいシーンだな。
「おっ、レズ……」
 ぶしゃぁっ
 言わなくても良いことを言った北川が後ろで香里に黙らされていたが、まぁ自業自得ってもんだ。

 とりあえず、靴を履き替えるべく昇降口に向かって歩く。
「で、舞はずっとなにしてたんだ?」
 そういえば、今日は舞の姿を全然見なかったな、と思って訊ねてみた。
「なにもしてなかった」
「佐祐理は、舞に絶交されてたんですよ」
 舞の手を握ったまま、その隣を歩いていた佐祐理さんが言う。
「絶交? 舞と佐祐理さんが?」
 信じられないが、でも舞ならそうしたかも、とも思う。
「佐祐理が生徒会にいる間は口もきかないって言われてたんですよ〜」
「そりゃまた思い切ったことしたな、舞も」
 俺が言うと、舞はそっぽを向いて言った。
「祐一が何とかしてくれるって言ったから」
「……そっか」
 そこまで信じられてたとはな。裏切ることにならなくて良かった。
「でも、仲直り出来て良かったです〜」
「……私も、嬉しいから」
 舞はぼそっと言った。お、照れてるな。
「うんっ」
 こっちは嬉しさを隠そうともしない佐祐理さんだった。

 昇降口を出て、雑談など交わしながら校庭を歩いていると、不意に栞が俺の袖を引っ張った。
「祐一さん、祐一さん」
「ん? なんだ?」
 振り返ると、栞が校門を指さした。
「あそこにいるの、あゆさんじゃないですか?」
「え?」
 そう言われてみると、あゆがいなかった。
 改めて校門を見てみる。うん、間違いない。あのうぐぅな姿はあゆだ。
「おーい、あゆあゆ〜っ!」
 声を掛けると、あゆはびくっとこっちを見た。そして駆け寄ってくる。
「祐一くーんっ!」
 ま、いつも避けてばかりだから、たまには受け止めてやろうか。
 俺は大きく両手を広げた。
「あゆ〜っ!」
「祐一く〜んっ!」
 タタタタタタッ……。
「あっ!」
 ずべしぃん
 あゆは、俺の手前50センチというところで、豪快にヘッドスライディングをかましていた。
 もうもうと上がった土埃が、ゆっくりと風に流されていく。
「……さて、それじゃみんな行こうか」
「何事も無かったかのように行こうとしないでよおっ!」
 あゆが砂埃まみれになって顔を上げた。
「今のは俺のせいじゃないぞ」
「うぐぅ……。それはそうだけど、痛かったよぉ……」
 泣きそうな顔をしながら立ち上がるあゆ。
「大丈夫ですか、あゆさん?」
 栞がポケットからハンカチを出して、あゆの顔を拭っていた。
「うん、ありがとう、栞ちゃん」
 そう言いながら、パタパタと制服から土を払い落とすと、あゆは泣きそうな顔で俺に言った。
「うぐぅ、久瀬も倉田さんもどこにもいないんだよ〜」
「はぇ〜、佐祐理がどうかしたんですか〜?」
 俺の後ろから佐祐理さんがひょこっと顔を出す。
「……あれ? 倉田さん? どこにいたんですか?」
「ずっと祐一さんと一緒にいましたよ」
「……うぐぅ、祐一くんの意地悪うっ!」
「ま、待て、誤解だぞあゆ。俺がお前に頼んだ時にはまだ佐祐理さんは来てなかったんだ!」
「いいから、イチゴサンデーに行こうよぉ〜」
 とっくに先に行っていた名雪が戻ってきた。どうでもいいが、イチゴサンデーじゃなくて百花屋だろうが?
 俺はため息をつくと、あゆに声をかけた。
「あゆ、とりあえず商店街に行くぞっ!」
「う、うん……」
 頷くと、あゆはぱたぱたと俺の後を追ってきた。
 えーと、結局何人いるんだ?
 歩きながら数えてみる。
「なぁ、相沢。これって、こないだの海に行ったときのメンツじゃないか?」
 北川に先に言われた。
「ああ。あと秋子さんがいれば完全に揃うな」
 俺の財布はどれだけ軽くなるのだろうか。
 それを考えると、どうしても足取りが重くなるのだった。

 百花屋は、珍しくそれほど混んでなかったので、俺達は3つテーブルをひっつけて、全員がそれを囲む形で座ることができた。
 ウェイトレスが注文を取って引っ込んだあとで、名雪が俺に尋ねた。
「それで、どうなったの?」
「何がだ?」
「倉田先輩のことだよ、祐一」
 ……どうやら、また寝ていたらしい。
 俺はとりあえず、リコール選挙のことを名雪に話して聞かせた。
「……というわけで、とりあえず生徒会はこの後リコール選挙をやるだろうから、少なくとも選挙期間中は佐祐理さんは安全ってことだ」
「はぇ〜、そうなんですか?」
 佐祐理さんが驚いていた。
「佐祐理のためにみんなに迷惑かけてしまったんですね〜」
「倉田先輩のため、っていうより、生徒会に一泡吹かせたいって思ってた人がそれだけ多かったってだけよ」
 香里がナイスフォローを入れる。俺も力を込めて言った。
「そういうこと。だから佐祐理さんがこの件で責任を感じる必要はないってことだ。な、舞?」
「……よくわからない」
 ううっ、俺の配慮、台無し。
 と、それまで黙っていた天野が、ぼそっと呟いた。
「本当に選挙は行われるんでしょうか?」
「何言ってんだよ、天野は。ちゃんと署名も正式なものだったんだぜ」
 俺が苦笑して天野の頭をぽんぽんと叩くと、天野は俺に視線を向けた。
「私は、選挙は実施されないと思います」
「……生徒会が、あの署名を握りつぶすっていうのか?」
「元々、倉田先輩を、あんな強引な手段までとって生徒会に迎え入れようとしたんです。生徒会は……」
 天野がそう言いかけたとき、ウェイターが重そうにバケツのような容器に入ったパフェを運んできた。
「ジャンボミックスパフェをご注文のお客様?」
「あ、こっちです」
 栞が手を上げた。それから、隣に座っていたあゆに笑顔で言う。
「ご協力お願いしますね」
「うん。ボク頑張るよ」
 あゆは既にスプーンを構えて臨戦態勢だった。それはその向かい側に座っている真琴も同様である。
「うわ、すごいっ! 真琴食べ切れるかなぁ……」
「そう簡単には無くなりませんよ」
 天野がそのパフェの威容を見て、真琴に声を掛ける。
「でも……」
「あ、わたし、イチゴだけでいいからちょうだい」
「うぐうぐ、美味しいねっ」
「あっ、あゆさんずるいですっ!」
「真琴も食べるっ! えいっ!」
 たちまち、テーブルの上は戦場となった。

 さしものジャンボミックスパフェも、あゆや真琴の猛攻を支えきれず、30分後あえなく陥落した。
「うぐぅ、美味しかったよぉ」
「真琴、もう食べられない……」
「お腹一杯です」
 下級生3人の感想である。
「……うぐぅ、ボクは下級生じゃないよ〜」
「黙れうぐぅ」
「うぐぅ〜」
 不満そうなあゆだが、とりあえず満腹したせいか、それ以上は何も言わなかった。
「そういえば天野」
「はい、なんですか?」
 真琴の口元を紙ナプキンで拭ってやりながら、天野が俺の方に視線を向ける。
「さっき、気になること言ってなかったか? 生徒会が選挙をしないとかなんとか」
 俺には答えず、天野は香里に視線を向けた。
「美坂先輩。お昼に校史を調べましたよね?」
「え? ええ、調べたわよ」
「リコール選挙は、いままで4回実施され、そのうち2回がリコール成立となりました」
「ええ、そうよ。……あなたも調べたの?」
「さぁ」
 天野は軽く肩をすくめた。
「でも、今頃生徒会の人達は調べてるでしょうね」
 そう言って、天野は壁に掛かっている時計をちらっと見て、立ち上がった。
「それでは、私はそろそろ失礼します。遅くなりますから」
 軽く頭を下げて、真琴の頭を撫でてから、天野は店から出ていった。
 俺は香里に尋ねた。
「天野の奴、何が言いたかったんだ?」
「……さぁ」
 香里も首を傾げていた。
「あ!」
 不意に栞が声を上げた。
「天野さんの言うとおり、選挙はしないことになったみたいです」
「……なんだ、いきなり?」
「会長さんがそう言ってますよ」
 そう言う栞の耳に、黒いイヤホンがはまっている。そのコードの先は、ポケットの中に消えていた。
「……栞、何を聞いてる?」
「生徒会室の会話です」
 平然と答える栞。
「今日はすぐ帰る事になってたので、テープレコーダーで録音は出来ないなと思って、盗聴マイクを仕掛けてきたんです」
 ……盗聴マイクって、栞……。
「ちゃんと録音してますから、あとで教えてあげますね」
 指を唇に当てて、にこっと笑う栞。さすが香里の妹だ。誉めて良いかはともかくとして。

 ※警察ではない一般市民の盗聴行為は違法です。

「で、なんで選挙は行わないって?」
「それはあとでテープを巻き戻してみないと判らないです。あっ……」
 栞は一瞬顔を顰めると、イヤホンを耳から外した。
「どうかしたのか?」
「いえ」
 首を振って、栞はいつもの笑顔を浮かべた。
「それじゃ、帰りましょうか。祐一さん、レシートお願いしますね」
「ごちそうさま〜」
「うぐぅ……」
 あゆの真似をしたけど、誰もツッコミを入れてくれなかった。

 俺達は、場所を水瀬家のリビングに移して、栞が録音した生徒会室の会話を聞くことにした。いくら何でも喫茶店で聞くような内容でもないし。
「それじゃ、始めますね」
 テープを巻き戻していた栞が、スイッチを入れると、声が聞こえてきた。

「困った事になったね、久瀬くん。リコール選挙とはね」
 最初に聞こえたのは、会長の声だった。
「反体制派に格好の攻撃の口実を与えるでしょうね」
 今度は女生徒の声。多分、会長の隣りに座ってた奴だろう。
「どうするね、久瀬くん? 倉田嬢の処遇は、確か君に一任していたと思うが……」
「……少し、考える時間を下さいますか?」
 久瀬が苦々しげに言った。
「まぁ、良いだろう。いい案を期待しているよ」

 栞は一度再生を止めると、テープを早送りした。
「えっと、……ここからですね」
 そう言ってスイッチを再度入れる。
「結論は出たかな、久瀬くん?」
 会長の問いかけの言葉に、答える久瀬の声が聞こえた。
「……生徒会にも、風紀委員会にも、倉田佐祐理という人物はおりません。従って、このリコール選挙の要請は、該当者がいないので無効です」
「そうだな。それが一番良いだろう。だが、久瀬くん。これは生徒会にとって失点だ。それは判ってるな?」
「……はい」
「君への処分は追って出す。今は下がってよろしい」
「しかし、会長! 僕はっ……!」
「下がれ、と言ったよ」
「……判りました」
 足音が小さくなり、そしてしばらくしてドアの閉まる音。
 そして、会長の声。
「まぁ、そういうことに決まりましたので。それから、今回は不問に付しますが、以後はこのようなものを仕掛けていくのはご遠慮して頂きたいですね」
 バリバリッ
 鈍い音がした。

 カチャ
 栞はテープを止めて、苦笑いをした。
「これで終わりです。どうやらマイクは見つかってたみたいですし……」
「やれやれ」
 俺は肩をすくめた。それから香里に尋ねた。
「解説してくれるか? 俺にはいまいちよく判らないんだ」
「しょうがないわね」
 香里は同じようにちんぷんかんぷんという顔をしているあゆと名雪を見て、ため息をついた。ちなみに真琴は初めから聞く気もないらしく、さっきからアニメの再放送を見ている。
「要するに、倉田先輩に対してリコール選挙を開かせないように、倉田先輩を生徒会から外したのよ。リコール選挙の対象となるのは、生徒会およびその構成員。倉田先輩を生徒会から外した時点で、リコール選挙は、選挙対象者がいなくなって自然消滅ってわけよ」
 香里は腕組みして、ソファに身を沈めた。
「生徒会側としては、多分リコール選挙を実施することで屋台骨まで揺らぎかねないってことを恐れたんだと思うわ」
「それが、天野の言ってた“あのこと”か?」
「多分ね。……リコール選挙は過去4回行われ、そのうち2回が成功した。でも、リコール選挙の成功失敗に関係なく、その時の生徒会は、全て、任期を全うすることなく途中で辞職してるのよ」
「つまり、今までリコール選挙が行われると、必ず途中で生徒会も潰れてる、と?」
「そういうこと」
 香里は肩をすくめた。
「リコール選挙された、ってことは、要するに生徒会が不適格な人を選んだってことだから、まぁいい恥さらしになることは違いないわね。相対的に生徒会の権力は低下するわ。倉田先輩が本当に生徒会にとって必要な人材なら、リコール選挙を実施するだろうけど、生徒会自体が空中分解するリスクを負ってまで倉田先輩を抱え込もうとはしなかった、というわけよ」
「はぇ〜、佐祐理は必要なかったんですね〜」
「そ。でも、俺達に取っちゃ必要だぜ。な、舞?」
 俺の言葉に、今度は舞は大きく頷いた。
「佐祐理は必要だから……」
 佐祐理さんは、涙ぐみながら微笑んだ。
「ありがとう、舞、祐一さん、それに皆さんも……」

Fortsetzung folgt

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