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Kanon Short Story #9
プールに行こう2 Episode 29

「そんな方法があるのか?」
「はい」
 天野は頷いた。
 俺は頭を掻いた。
「まさか、また舞や俺に何か問題起こさせて、その責任取らせるなんて方法じゃないだろうな?」
「それも良いかもしれませんね」
 おいおい。
「でも、他の方法です」
 そう言うと、天野はポケットから手帳を出した。あ、生徒手帳だ。
「ええと……。ああ、ありました。ここです」
 天野はぺらぺらと生徒手帳をめくると、俺に見せた。
「なになに? ……『第27条 リコールについて 生徒会もしくはその構成員が生徒会として不適格である場合、20名以上の請求をもってリコール選挙を行い、リコールの賛成票が総有効票の80%以上あった場合をもって、リコールが成立したものとみなす』」
 俺は顔を上げた。
「天野、これって……」
「倉田先輩は、生徒会の構成員ですから、リコール選挙の対象となるはずですから」
「……でも、選挙しないといけないんだろ? 20人くらいならなんとかなりそうな気がするけど……」
「ここ、読んでください」
 天野の指が、別の場所を指す。
「『補則1 リコール選挙の期間中は、リコール選挙の対象者は、その生徒会構成員としての活動を禁止する』……ってことは、選挙期間中は、佐祐理さんは生徒会に引っぱり出されることはない、ってことか」
「前代未聞のリコール選挙ね」
 後ろから声が聞こえた。俺達が振り返ると、香里と栞がカウンターの前に立っていた。
「あれ? お前らどうしたんだ?」
「やってることは同じですよ」
 栞がにこっと笑った。後ろの閲覧机の上にいくつも本が重なっているのが見える。
「あたしとしては、倉田先輩がどうなっても別に構わないし、生徒会とやりあって睨まれるのもごめんなんだけどね」
 香里は髪を掻き上げた。
「それじゃ、どうして協力してくれるんだ?」
「……それ以上に気に入らないのよ、あの久瀬はね」
 窓の外に視線を向けて、香里は呟いた。
「あたしの栞にあれだけのこと言ってくれたんだもの。この美坂香里を敵に回したこと、後悔させてあげるわ」
 うーむ。やっぱり香里は怒らせないようにしよう。

 俺は、流石にカウンターの中で会議を開くわけにもいかないので、閲覧机に場所を移すことにした。
 書架の方から大きな本を積み重ねて北川が出てくる。
「おーい、美坂。言ってた資料ってこれで全部だぞ」
「北川くん、ご苦労様」
 そう言って、香里は北川の持ってきた本を広げた。
「なんだ、それ?」
「この学校の歴代の生徒会記録よ。今までにリコール選挙が実際に行われたかどうか、そしてその結果はどうだったのか、それを知りたくてね」
「じゃ、そっちは任せる。で、天野」
「……まだ私を働かせるつもりなんですか?」
 これ幸いとカウンターに一人残っていた天野が、嫌そうな顔をする。
「ま、そういうな。乗りかかった泥船だ」
「今にも沈みそうですね」
 そう言いながらも、天野はカウンターに手をついてこっちを見た。
「それで、何ですか?」
「とりあえず、礼をまだ言ってなかったからな。ありがとう」
 天野は意外そうな顔で俺を見てから、視線を伏せた。
「大したことはしてませんよ。私がいなくても、美坂先輩が気付いていたようですし」
「それでも、やっぱり礼は言っておくよ」
「……はい」
 天野は頷いた。その前に、横からにゅっと肉まんが突き出された。
「美汐も食べる?」
「……真琴」
 真琴が、肉まんを天野に差し出していた。
「1つならあげる」
「……ありがとう」
 天野は肉まんを受け取って、かぶりついた。
「……暖かいですね」
「うん。だから真琴は好きなの」
「そうですね」
 俺は、なんとなく微笑ましく2人を見守っていた。

 放課後。
 ホームルームが終わって石橋が出ていくのと入れ替わるように、青いロングヘアの女の子が、ノートを抱えて駆け込んできた。
「名雪〜!」
「あ、郁未ちゃん。こっちだよ〜」
 午後の授業中も寝てたので、元気いっぱいの名雪が手を振ると、その娘は駆け寄ってきて、抱えていたノートを名雪に渡した。
「はい。陸上部のみんなの分の署名よ」
「ありがと、郁未ちゃん」
「部長に頼まれちゃ、嫌とは言えないでしょ? それに生徒会には、活動費を削減された恨みもあるしね〜」
 そう言って笑うと、その少女は俺の方に視線を向けた。
「あなたが相沢くん?」
「ああ、そうだけど……。陸上部関係の人?」
「初めまして。女子陸上部副部長の天沢郁未よ」
 噂には時々聞いてたよな。なるほど。
「七瀬に似てるって言われない?」
「時々ね」
「何よ?」
 声が聞こえたのか、七瀬がやってきた。
「お、七瀬。ちょうど良かった、お前の署名もくれ」
「何の署名よ?」
「それは言えんな」
 ばこっ!
「アホかっ! そんなものに署名できるわけないでしょっ!」
 後頭部を思い切り殴られた。
「もう、祐一無茶苦茶だよ〜。ごめんね、七瀬さん。あのね、実はね……」
 名雪が説明している間にも、他のクラスの連中が続々と署名を届けてくれた。
 俺は、署名を集計している香里に尋ねた。
「どれくらい集まってる?」
「もう100人は越えてるわよ」
「よし、それじゃ生徒会に乗り込むか」
 俺は立ち上がると、名雪に声をかけた。
「あ、もういいぞ。七瀬の署名はいらなくなった」
「なら声をかけるんじゃないわよっ!!」
 ドカァッ
 もう一回殴られた。……いいパンチしてるぜ、七瀬。
「んじゃ、あたしは部活に行くから。頑張りなさいよ、名雪」
 天沢は名雪の肩をぽんと叩いた。
「わたし、本当に部活に出なくてもいいの?」
「っていうか、のんびり出てもらっちゃ困るのよ。なにせ活動費が掛かってるんだからね」
「うん、よくわからないけど頑張るよ」
「その意気その意気。じゃーね!」
 なにやら穏やかならぬ会話を交わして、天沢は教室を出ていった。
「さてと、それじゃあたしも行くわね」
 七瀬が肩をすくめて歩き去っていった。
 それと入れ替わるようにあゆがやってくると、すれ違った七瀬を振り返りながら訊ねた。
「祐一くん、七瀬さんって部活してたの?」
「ああ。あいつの趣味は部活破りでな。毎日放課後になると、強敵を求めてさまよい歩いているんだ。今までに撃破した部活は、茶道部、華道部をはじめ数知れないらしいぞ」
「へぇ〜、すごいんだね〜」
 どすどすどすどすっ
 無言でつかつかっと戻ってきた七瀬に、相撲の突っ張りよろしく廊下まで押し出されてしまった。
「あのねっ! 転校生に適当なこと教えないでっ!」
「む、わかった」
 教室に戻ってきた俺に、あゆが尋ねる。
「何話してたの?」
「いや、次の標的はどこがいいかと相談されてたんだ。俺はやはり魚拓部辺りがいいと……」
 どすどすどすどすっ
「あのねぇっ!!」
「冗談だ、冗談」
「殺人的に面白くないからやめてよねっ!! ……はぁ、転校しようかしら」
 ため息をつきながら、七瀬は廊下を歩いていった。
 再度教室に戻ると、心配そうにあゆが駆け寄ってくる。
「大丈夫、祐一くん?」
「ああ、なんとかな」
 俺は口元にこぼれる血を拭いながら、不敵な笑みを浮かべた。
「祐一くん、血なんか出てないよ」
「……モノローグを読むんじゃないっ!」
「はいはい、漫才してないで生徒会室に行くわよ」
 署名をまとめ終わった香里が、ノートを抱えて立ち上がった。

 トントン
「失礼します」
 ノックをして生徒会室に入ると、中には久瀬も佐祐理さんもいなかった。おおかた外で立ち会い演説会でもやってるんだろう。
「何か用ですか?」
 何か話し合っていた数人の生徒のうち、大人しそうな男子生徒が声をかける。
 香里はその生徒の座っている机の前まで行くと、ノートをその机に置いた。
「これは?」
「倉田佐祐理さん。ご存じですわね、会長?」
 香里が言った。してみると、あの頼りなげな男子生徒が生徒会長なのか?
 その生徒は、机に肘をついて、俺達に視線を向けた。
「倉田さんのことで来たわけ?」
「ええ。率直に言うわ。これは、倉田佐祐理さんのリコール選挙の実施を求める署名よ。104人分あるわ」
 香里はノートに手を置いて言った。
 会長は1つ頷いた。
「そういう手で来たか」
「ええ。あたしとしては生徒会とことを構えたくはないけど、それ以上に生徒会のやり方に我慢できなくなったからね」
 無言で、会長はそのノートを脇の女生徒に渡した。女生徒は頷いてノートのチェックを始める。
「しかし、なんだね。リコール選挙をしたとしても、リコールされるとは限らないよ。それを承知の上だね?」
「もちろんよ」
 にらみ合う香里と会長。
 と、後ろから声が聞こえた。
「相沢さん、お待たせしました」
「祐一ーっ!」
「祐一さん、お姉ちゃんは中ですか?」
 振り返ると、1年生の3人が並んでいた。
「おう、遅かったな」
「一度、そちらの教室に行ったんですけど、もういなかったので」
 天野が淡々と言う間にも、栞は俺の脇をすり抜けて生徒会室に入っていった。
 俺はあゆに声をかけた。
「あゆ、頼みがある」
「なに、祐一くん?」
「久瀬と佐祐理さんがどこにいるか調べてくれ。どうせどこかで演説会してるはずだ」
「うん。ボク行ってくるね!」
 大きく頷いて、あゆは走っていった。
 名雪がぼそっと言う。
「見つけられないと思うよ」
「いや、いくらあゆでも見つけられるだろ?」
「だって、ほら」
 名雪は、あゆが走り去ったのとは反対方向を指す。そっちを見ると、久瀬が佐祐理さんとなにやら話ながら歩いてくるところだった。
「……くぁっ」
 どうやら演説会は上々のうちに終わったらしく、久瀬はやたらにやにやしながら、なれなれしく佐祐理さんに話し掛けていた。
「……相沢さん」
 思わず飛び出そうとした俺を、天野の声が止めた。
「台無しにするつもりですか?」
「……わかってる」
「おやおや、そこにいるのは、確か相沢君、だったね」
 わざとらしく、笑みを浮かべて久瀬が声をかけてきた。それから、隣にいる佐祐理さんの肩をぽんと叩く。
「紹介しよう。我が生徒会の風紀委員会の綱紀委員をしてくれることになった、倉田佐祐理さんだ」
「あははー。なんだか偉そうですね〜」
 佐祐理さんは困ったように笑っていた。
 俺は思わず前に出る。
「佐祐理さん、それでいいのか?」
「いいんですよ」
 佐祐理さんは答えた。
「それで、舞のことも、祐一さんのことも、ちゃんと許してもらえたんですから」
「ま、そういうことだよ、相沢君。さ、そこを通してくれないか?」
「……」
 久瀬は佐祐理さんの背を押すように、生徒会室に入っていった。

「あ、風紀委員長」
 生徒会室に入った久瀬を、会長が手招きした。
「なんでしょう? 僕はこれから、倉田さんに生徒会の仕事を……」
「そうじゃない。ちょっと相談したいことが……」
「はっきり言ったら? 倉田先輩に対するリコール選挙が始まるって」
 香里が振り返った。
「リコール?」
 何のことか判らない、というように首を傾げる久瀬。
 俺は香里に尋ねた。
「どうなった?」
「署名は正式に受理されたわよ。ね、会長さん」
「……拒否する理由がない以上、受理せざるを得まい」
「会長っ! どういうことですかっ!」
 ようやく事情が飲み込めた久瀬が、蒼白になって叫ぶ。
「僕がようやく彼女を生徒会に引っ張り込んだっていうのに!」
「落ち着け、風紀委員長」
 会長はそう言うと、俺達に視線を向けた。
「今からちょっと話し合いをしたいので、生徒会の者以外は全員出ていってくれ」
 俺は生徒会室に入ると、佐祐理さんの傍らに立った。
「それじゃ、佐祐理さんも連れて行かせてもらうぜ。なんせ、この瞬間からもう生徒会のメンバーじゃないからな」
「……」
 苦虫をかみつぶしたような顔で、会長は頷いた。
「はぇ? 祐一さん、何がどうしたんですか?」
「説明は後。さっさとこんな所出ようぜ」
 俺は佐祐理さんの手を引いて、生徒会室から出た。他のメンバーもぞろぞろと部屋から出て、最後に香里が馬鹿丁寧に頭を下げる。
「それでは、おさわがせしました。あ、そうそう。署名のコピーはこちらでも保管してあるから、握りつぶしても無駄よ」
「……そんなことはしない」
「ならいいわよ。じゃね」
 ふっと笑って、香里はぴしゃりとドアを閉めた。そして、肩をすくめた。
「かくて、賽は投げられて、あたし達はルビコン河を渡りました、と……」

Fortsetzung folgt

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あとがき
 ちなみに「ルビコン河を渡る」っていうのは、「賽は投げられた」と同じような意味です。確か、ベトナム戦争のときの話だったような……(うろ覚え)
 季節の変わり目、きっちり風邪引いて体調崩してしまいました。今日は会社を休んでます。でも、とりあえずこれだけは書いているという……。SS書いてないでさっさと寝たほうがいいんだろうけどね(笑)
 皆さんも風邪には気をつけてくださいね。ではでは。

PS
 「ルビコン河を渡る」は、シーザーが元老院の反対を押し切ってローマに入城した故事で、ベトナムとは何の関係もないと、友人のせきじん氏に教えてもらいました。感謝(笑)
 ちなみに「賽は投げられた」も同じ時の話だそうで。さすが香里、学年トップだ(爆笑)

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