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Kanon Short Story #9
プールに行こう2 Episode 24

 トントン
 不意に後ろから戸を叩く音がした。
 振り替えると、天野が開きっぱなしのドアを叩いていた。
「どうした、天野?」
「あの子の熱が下がりました」
 妙に抑揚のない口調で、天野は言った。
「真琴の?」
「はい。私はもう帰ります。お邪魔しました」
 天野は軽く頭を下げると、そのままぱたぱたと廊下を歩いていく。
 名雪が俺の後ろから顔を出して、声を掛けた。
「天野さん、お茶くらい出すから……」
「いえ、遅くなりますから」
 そう答え、もう一度軽く頭を下げると、天野は階段を降りていった。
 相変わらず無愛想な奴だ。

 俺は真琴の部屋のドアを開けて、中に入った。
 確かに、真琴はさっきから比べると、顔の赤みも引いているようだった。
 屈み込んで、額に手を当ててみた。
 うん、熱も下がってる。それに呼吸も穏やかになってる。
 どうやら、峠は越えたってやつかな。
「真琴、良くなった?」
 俺の後ろから、名雪が真琴の顔をのぞき込んだ。
「ああ、どうやらな」
「良かったね、祐一」
 名雪はにこっと笑うと、ふわぁとあくびをした。
「今日は色々と心配してたから、疲れたよ」
「そういえば、お前のベッドは栞に占領されてるだろ? どこで寝るんだ?」
「……くー」
 俺の返事も待たずに、名雪は立ったまま眠っていた。
 やれやれ、だ。
 俺は名雪をそのままにして、真琴の部屋を出ると、大きく伸びをした。
 と、
「お邪魔しますね〜」
 玄関の方で明るい声が聞こえた。
 俺は階段を降りて、玄関に出た。
「やぁ、佐祐理さん、舞」
「あ、祐一さん。こんにちわ〜。今日は逢えなかったから佐祐理は寂しかったですよ〜」
 玄関で靴を脱いでいた佐祐理さんが、俺を見て微笑んだ。
「でも、もう大丈夫ですよ。明日からはまた一緒に学校に行けますから」
「……は?」
 俺は首を傾げた。
「でも、俺って、停学6ヶ月なんだろ?」
「まぁ、玄関先でお話しするのもなんですから。ね、舞?」
「……」
 舞はいつものように仏頂面だった。

 俺達はリビングに移動した。
「それで、真琴さんや栞さんの容態はいかがですか?」
 ソファに腰掛けた佐祐理さんが訊ねる。
「ああ、2人とも熱も下がって今は落ち着いてるよ」
「良かったです」
 こくりと頷くと、佐祐理さんは立ち上がった。
「祐一さん、お茶いれますね」
「え?」
「お台所、お借りします。舞は何がいい?」
「何でもいい」
「はい。それじゃ待っててくださいね〜」
 そう言いながら、佐祐理さんはキッチンに入っていった。既に勝手知ったる他人の家というところか。
 俺は、舞に訊ねた。
「舞、佐祐理さんと生徒会の連中の間で何があったんだ?」
「……」
 舞は、黙っていた。そして、いい加減じれた俺が口を開こうとしたとき、ぽつりと呟く。
「判らない」
「何でだ? そばにいたんじゃなかったのか?」
「……ずっとそばにいた」
「だったら……」
「おまたせしました〜」
 制服の上にエプロンを締めた佐祐理さんが、お盆にティーカップを乗せて戻ってきた。
「紅茶いれてきましたよ〜」
 そう言いながら、テーブルにティーカップを置くと、俺に尋ねる。
「お砂糖はいくつですか?」
「あ、2つ」
「はい。舞も2つだよね」
 こくりと頷く舞。
 佐祐理さんは、自分のカップには1つ落として、軽くかき混ぜた。
 俺は佐祐理さんが一口紅茶を飲むのを待ってから、声をかけた。
「佐祐理さん」
「はい、なんでしょう? あ、さっきのことですね。大丈夫ですよ。佐祐理が久瀬さんとお話しして、祐一さんが悪くないんだって判ってもらいましたから」
 笑顔で言う佐祐理さん。
 俺は思わず立ち上がっていた。
「あの久瀬が、そんなこと言うわけないだろっ!」
「祐一さん」
 佐祐理さんは、ティーカップをテーブルに置いた。そして顔を上げる。
「祐一さんはおとがめなし。それでいいじゃないですか」
「佐祐理さん……」
 俺は座り直して、言った。
「昨日も言ったけど、俺は佐祐理さんが犠牲になったうえで自分が幸せになっても、嬉しくもなんともないんだ。舞だって同じだろ?」
「……」
 舞は無言のままだった。俺はその無言を肯定と取って、もう一度立ち上がった。
「まだ、久瀬の奴は学校にいるかな?」
「えっ?」
「今から、もう一度久瀬の奴をぶん殴ってくる」
 そう言い残して、リビングを出ようとした。
「でも、佐祐理は頭が悪いから、こんな方法しか思いつかないんです……」
 振り返ると、佐祐理さんはしょんぼりとうなだれていた。
「ごめんなさい、祐一さん。でも、やっぱり佐祐理は、祐一さんや舞と一緒に学校で楽しく暮らしたいんです」
「佐祐理さん……」
「それだけのことなのに……」
 俺は、初めて見た。
 佐祐理さんが、泣いているのを。
 何とも形容しがたい無力感に襲われ、俺はただ、その場に立ち尽くすことしかできなかった。

「それじゃ、佐祐理は、今日は帰ります」
 どれくらいたったのか。
 顔を上げた佐祐理さんは、もういつもの笑顔を浮かべていた。
「舞、ちゃんと祐一さんに可愛がってもらってね」
 ポカッ
 舞が佐祐理さんの額にチョップをすると、佐祐理さんは「あははーっ」と笑い、そして鞄を持って立ち上がった。
「それじゃ、祐一さん。また明日」
「……」
 俺は返事をしなかった。
 佐祐理さんは、一瞬寂しそうな表情を浮かべたが、もう一度ぺこりと頭を下げて、そして俺の横を通り抜けていった。
 ふわりと、残り香が鼻をくすぐり、そして霧散していった。
 ややあって、玄関から「お邪魔しました」と声が聞こえ、そしてドアが閉まる音がした。
 ガツッ
 俺は、無言で壁を殴りつけた。それから、舞に視線を向ける。
「舞、これでいいのかっ!?」
「……佐祐理の決めたことだから」
 冷静な言葉に、俺はかっとした。舞につかつかと歩み寄る。
「お前はそれでも親友なのかっ! 佐祐理さんが俺なんかのために犠牲になろうとしてるのに、それで黙って見てるだけなのかよっ!」
「……佐祐理は……」
 舞は、ぼそっと呟いた。
「大切な、友達だから……」
 俺は、再び脱力感に襲われた。
 その程度のものだったのか、と、裏切られたような気持ちだった。
「そうかよ」
 そう言い捨てて、俺はリビングを出た。

 リビングを出たところで、名雪にぶつかった。
「祐一……」
「……」
 俺は無言で、その脇を通り抜けた。そのまま玄関に向かう。
「どこ行くの?」
「散歩だ、散歩」
「着いていってもいいかな?」
 後ろから声が聞こえた。
「……勝手にしろ」
 俺がそう言うと、名雪は嬉しそうに「うん」と頷くと、俺の隣で一緒に靴を履き始めた。
「狭いよ、祐一」
「一緒に履こうとするからだろうが」
 玄関はそれなりの広さだが、2人が並んで靴を履くのは結構難しかった。
 それでも靴を履き終わると、俺達は並んで外に出た。
 外はもう夕暮れだった。空がオレンジ色に染まり、蝉がカナカナと鳴いている。
「あ、ちょっとは涼しいね」
「夕方になっても涼しくならないのはいやだ」
 だが、名雪はそう言うが、滅茶苦茶暑かった。
 一日中家の中にいたせいかもしれない。
「帰るか」
「まだ2歩しか歩いてないよ」
「暑いのは苦手なんだ」
「寒いのも苦手なんでしょ?」
「22度からプラスマイナス2度くらいでないといやだ」
「贅沢だよ、祐一」
 穏やかに微笑む名雪を見ていると、なんだか今までの出来事が嘘のように思えてくる。
「さて、どこに行こうかな」
「それじゃ……」
「商店街は嫌だ」
「どうして?」
「何となく、人の多いところには行きたくないんだ」
 本当は、商店街に行ったが最後、必ず名雪にストロベリーサンデーをおごる羽目になるからだが。
 名雪はしばらく考えていたが、ぽんと手を打った。
「それじゃ、公園に行こうよ」
「公園って、噴水のあるあの公園か?」
「あ、祐一も行ったことあるんだ。あの公園、わたし好きなんだ」
 そう言って、名雪は歩き出した。それから振り返る。
「どうしたの?」
「……いや」
 噴水のそばなら、少しは涼しいかな。
 俺は名雪の後を追って、歩き出した。

「祐一っ」
 名雪が微笑んでいた。
 屋台のアイスクリーム屋の前で。
 アイスクリーム屋のメニューには、ちゃんと『ストロベリー』があった。
「……くわっ」
 よく考えてみれば、十分予想できた事態だった。
「まだ、イチゴサンデー8つの貸しが残ってるよねっ?」
「……そんなにあったか?」
 もはや、俺もよく覚えていないが、なんとなく増えてるような気がする。
「アイスっ、アイスっ」
「お前は栞かっ!」
「あ、栞ちゃんアイス好きだもんね」
 俺はため息をついて、ポケットを探った。それから、おもむろに言う。
「名雪」
「なぁに?」
「すまん、財布忘れた」
「大丈夫だよっ」
 何が大丈夫なのか判らないが、名雪は大きく頷いて、肩から提げていたポシェットから自分の財布を出す。
「貸しにしとくから」
「ちょっと待てぃ!」
「あ、祐一も食べる?」
「……チョコミントにしてくれ」
 暑さには勝てなかった。

 アイスを舐めながら、他愛のない話をして、すっかり日も暮れたところで帰途についた。
 並んで帰ってくると、どうやら秋子さんも帰ってきているらしく、キッチンからは灯りが漏れていた。
「ただいまぁ〜」
 声をかけると、キッチンから香里が顔を出した。
「あ、お帰り」
「うん。お母さんは?」
「上じゃない?」
「そっか。ありがと、香里」
「……あのな、香里がなんでうちのキッチンにいるんだ? しかもたれぱんだエプロンつけてっ!」
「これしかなかったのよ」
 香里は、制服の上から締めているエプロンをひらひらさせて言った。
「あれっ? もう一つ無かった? わたしの使ってるやつ」
「名雪も、平然としてるんじゃないっ! ちょっとは事情を聞くくらいしろっ!」
「だって、香里って、ああ見えてお料理上手いんだよ〜」
「そういう問題か?」
「栞がお世話になったから、ちょっと恩返しってところよ。あ、お鍋吹いてる」
 慌ててキッチンに引っ込む香里。
「あ、わたしも手伝うよ〜」  ……やれやれ。
 俺は肩をすくめると、キッチンに入っていく名雪と別れて、一人階段を上がっていった。

 俺の部屋に戻る途中で、ふと思いついて、真琴の様子を見ようと部屋に寄ってみることにした。
 トントン
「真琴〜、入るぞ〜」
 声を掛けてから、ドアを開く。
「どうだ? 良くなった……」
 布団は綺麗に畳んであった。散らばっていた漫画もまとめて隅に積んで置いてある。
 そして、真琴の姿はなかった。
「……祐一さん?」
 突っ立っていた俺に声をかけたのは、秋子さんだった。
「お帰りなさい。シーツ洗っておいたから。はい」
「……秋子さん」
「なに?」
「この部屋はずっとこのままにしておいて欲しいんだ。あいつがいつ戻ってきてもいいようにさ」
 俺は、一気に生活感の無くなった部屋を見回しながら、秋子さんに言った。
「それはかまわないけど……」
「……しかし、いなくなっちまえば、それはそれで寂しいもんだな……」
 俺は呟いた。
 今までが騒がしすぎたのだろう。部屋はひときわ、静寂に包まれているような気がした。

Fortsetzung folgt

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あとがき
 マコピーを救えキャンペーンに賛成していただいたみなさん、ありがとうございました。
 結果につきましては、まぁ本編の通りです。
 栞曰く「起きないから、奇跡って言うんですよ」ってことですね。
 マコピーも一段落ついたところで、次は、「佐祐理さんを久瀬から救えキャンペーン」?(笑)
 ま、そういうことで。

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