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Kanon Short Story #9
プールに行こう2 Episode 23

 雑炊を食って人心地ついた俺は、土鍋を天野に返した。
「ごちそうさん」
「私が作ったわけじゃないですけれど」
 天野が済まして答えたとき、玄関の方から騒がしい声が聞こえた。
「祐一くんっ! 祐一くーんっ!」
 あゆの声だった。
 ばたばたっと足音が、部屋の前を通り過ぎる。
 バタン
「うぐぅっ、いない……。祐一くんっ、どこにいっちゃたんだろ……。祐一くーん、どこー?」
 俺はため息をついて、ドアを開けて呼んだ。
「こっちだ、あゆあゆ」
「祐一くんっ!!」
 俺の部屋のドアを開けて中をのぞき込んでいたあゆが、ぱっとこっちを振り返った。そして、慌てた様子で駆け寄ってくる。
「祐一くん、大変なんだよっ!」
 切迫した声だった。
「何が大変なんだ?」
 学校から駆け通しで家まで戻ってきたのか、あゆは汗びっしょりになっていた。そのまま俺に飛びついてくる。
「栞ちゃんがっ、栞ちゃんがっ!」
 一瞬、よけようかとも思ったが、あゆの様子が切迫してるようだし、後ろにいる天野に白い目で見られるのも嫌だったので、とりあえずあゆのタックルを受け止めてから訊ねた。
「栞がどうした?」
「うぐぅ……栞ちゃんがぁ……」
 目に涙を溜めて、あゆは俺の服にすがりついた。
「栞ちゃんが、お母さんみたいに……うぐぅ……」
 要領を得ない言葉。だが、栞に何かがあったらしいのはとりあえず判った。
 栞に何かあった?
「あゆっ、栞になにかあったのかっ!?」
「相沢さんも落ち着いた方がいいと思います」
 後ろから天野に言われて、俺はあゆの肩を掴んで揺さぶっていたのに気付く。
「す、すまん」
 慌ててその手を離すと、あゆはうぐぅ、と俯いた。
「放課後になって、生徒会の人に呼ばれて、栞ちゃん倒れちゃったんだよ……」
「栞が、生徒会に呼ばれて倒れた?」
 あの久瀬とかいう野郎が、栞になにかしたってのか?
 と、玄関の方から声が聞こえてきた。
「とりあえず、わたしの部屋に寝かせればいいよ」
「ごめんね、名雪。栞、しっかり!」
 それからしばらくして、栞を背負った名雪が階段をトントンと上がってきた。その後から、心配そうな顔で香里もやってくる。
 階段を上がったところで、名雪は俺に気付いて笑顔で頭を下げる。
「あ、祐一。ただいま」
「おかえり、名雪。……なんてほのぼの挨拶してる場合か!」
「挨拶は大事だよ」
 そう言いながら、名雪は自分の部屋に入っていった。後から香里も名雪の部屋に入ると、バタンとドアを閉める。
「祐一くんっ、どうしようっ!」
「いいから、お前も落ち着け」
「だって、うぐぅ……」
 涙目で俺に取りすがるあゆ。その手が震えていた。
「栞ちゃんも……。もしそうなったら、ボクどうすれば……。ボク、もう誰もいなくなるのは嫌だよっ!」
「あゆ……」
 と、ぱたんと名雪の部屋のドアが開いて、名雪が出てきた。
「名雪……」
「とりあえず、寝かせておいたよ。今、香里がついてるから」
「まぁ、立ち話もなんだから、こっちで話そうぜ」
 俺は、そう言って真琴の部屋の中に戻った。

「で、どうしたんだ、栞は?」
 結局、真琴の枕元で4人が座って話すというよく判らないシチュエーションになってしまった。
「うん……。わたしは半分寝てたからよく判らないんだよ」
 ……あのな。
 俺はとりあえず名雪の頭を叩いておく。
「……痛いよ、祐一」
「あゆ、どういう状況で……」
「うぐぅ……」
 あゆは話が出来る状態ではなかった。
 俺は最後の望みに賭けた。
「天野、説明してくれ」
「私はその場にいませんでしたから判りません」
 最後の望みは容易く砕け散った。
「役に立たない奴だな」
「無茶を言わないでください」
「いや、天野のことだから、生徒会室に盗聴マイクくらい仕掛けてないかと思ったんだが」
「相沢さんは私をなんだと思ってるんですか」
「天野美汐の名をかたる天野美汐」
 俺が答えると、呆れたのか、天野は無言で真琴の額のタオルを取り替え始めてしまった。
「もう、祐一ってば。ふざけてる場合じゃないよ〜」
 名雪が口を挟んだ。
「とにかく、栞ちゃんが急に倒れたのは確かなんだよ。それで、とりあえずわたし達が栞ちゃんを連れて帰ってきたんだよ」
「そういえば、舞は一緒じゃなかったのか?」
 俺が訊ねると、名雪はきょとんとして、それから辺りを見回した。
「わ。川澄先輩がいないよ〜」
「今まで気付いてなかったのか!」
「だって、栞ちゃん苦しそうだったし、熱あったし……」
 名雪がなぜか身振り手振りも交えて語る。
「すごく熱あったんだよ。わたし、びっくりしたもん」
「真琴の風邪が移ったのかなぁ……」
 俺は考え込んだ。そして立ち上がる。
「とりあえず医者を呼ぶことにしよう」
「待って」
 真琴の時に続いて、また止められてしまった。
 俺達はドアの方に視線を向けた。そこには、香里が硬い表情で立っていた。
「香里、栞ちゃんは?」
「眠ってるわ」
 そう言うと、香里は部屋に入ってきて、ドアを閉めた。
「で、医者を呼ぶなってどういうことなんだ? 天野といい香里といい……」
「多分、私の理由と美坂先輩の理由は全然違うと思います」
 天野は、真琴の顔を見つめたまま、ぼそっと言った。
 俺は、天野から香里に視線を移した。
「とりあえず、その訳とやらをちゃんとわかるように説明してくれないか、香里?」
「あの子は……」
 言いかけて、香里は言葉を切り、力無く首を振った。
「……病弱なのよ」
「そりゃ知ってる。でも、今までそんな風には見えなかったぞ」
 確かに、病的なまでに白いな、とは思うこともあるけど、でも、アイスが好きで、いつだって笑っていた少女は、とても病弱という風には見えなかった。
「栞のどこがどう病弱なんだ?」
「……」
 香里は何も答えなかった。
 名雪がその香里の肩にぽんと手を置いて、俺に向かって首を振った。
 これ以上は追求してもむだだよ、ってことか。
 俺はため息をついた。どいつもこいつも、まったく。
「2人とも、熱を出して苦しんでいるっていうのに、医者にも診せるなって、お前ら何を考えてるんだ!?」
「……この子は、医者に診せても治らないからです。さっき、そう言ったはずです」
 天野は、きつい視線を俺に向けた。
「それに、これはこの子が望んだ結果なのですから」
「……」
 相変わらず、天野の言うことはよくわからん。
 さっきからの振る舞いを見てると、錯乱してるってわけでもなさそうだが、だとするとどういうことなんだ?
 俺はわけがわからなくなってきたので、香里に視線を向けた。
 と、不意に、その香里が立ち上がった。
「あの子が呼んでるわ」
 思わず顔を見合わす俺達。
「名雪、聞こえたか?」
「ううん。何も聞こえないよ」
 首を振る名雪。
 香里は、そんな俺達に構わずに、慌てて部屋を出ていった。
「すまん、天野。真琴をちょっと頼む」
 俺もそう言って、香里の後を追った。

 名雪の部屋に入ると、ベッドに横になった栞が、香里と何か話していた。入ってきた俺達に気付いて、視線を上げる。
 その表情は、いつもの栞だった。顔色もちょっと赤いくらいで、普段と変わりないように見える。
 ちなみに、香里が着替えさせたのか、制服ではなくパジャマ姿になっていた。
「よう、栞。倒れたんだって? もう大丈夫なのか?」
「はい、大丈夫ですよ」
 そう言って、体を起こす栞。香里がその背を支えながら言う。
「もう。いきなり倒れたから、びっくりしたわよ」
「ごめんなさい、お姉ちゃん。でも、もう平気ですよ」
 香里は、栞の額に手を置いて、一つ頷く。
「うん、熱もだいぶ下がったわね」
「本当に大丈夫か?」
 俺は念を押した。
「はい。……ところで、どうして部屋の入り口に立ったままで、近づいて来ないんですか?」
「いや、近づくと病気が移るかもしれんと……」
「わっ、ひどいです」
 栞は途端にむくれた。
「そんなこと言う人は嫌いです」
「冗談だ、冗談」
「冗談でも嫌いですよ」
 そう言って、栞は笑顔になった。
「でも、許してあげます」
「そりゃ助かる」
「あのお菓子屋さんのアイスクリーム、おいしかったですよね?」
「……」
「シュークリームもおいしいって評判ですよ〜」
「……なぁ、栞。念のために聞きたいんだが、もしかして遠回しに買ってこいって言ってるのか?」
「チョコチップがいいです」
「ストロベリー」
「……誰が名雪にまで買ってきてやるって言ったんだ?」
「それじゃ、ボクは……」
「却下だ」
「……うぐぅ、意地悪……」
 栞が元気そうにしているのを見て、あゆもすっかりいつものペースに戻った様子だった。
「じゃ、しっかり養生しろよ」
 そう言って、俺は部屋を出ようとして、振り返った。
「あ、そうだ。結局生徒会はなんて言ってたんだ?」
「……」
 皆は顔を見合わせていた。
「……もしかして、誰も聞いてなかったのか?」
「そういえば、久瀬が何か言ってたような気がしたけど……」
 香里が腕組みして言った。
「栞が倒れたもんだから、あいつが何言ってたかなんて忘れちゃったわ」
 俺は名雪に視線を向けた。名雪は笑顔で答えた。
「わたし? 寝てたよ」
 あゆ、栞と視線を巡らせる。
「うぐぅ、ちゃんと聞いてなかった……」
「私は、気分が悪かったので……」
 ……誰も聞いてなかったのかよ?
 と、栞がぽんと手を打った。
「あっ、そういえば、今日も録音しておいたんでした。それを聞けば判りますよ」
「用意のいい奴だな」
「はい。向こうが暴言を吐いたら、ホームページにのせて全世界に公開しちゃおうかなって思って」
 恐ろしいことをしゃらっと言いながら、栞はベッドから降りると、ベッド脇のハンガーに掛かっていた制服のポケットを探って、テープレコーダーを取り出した。
「はい、どうぞ」  俺は、手渡されたテープレコーダーをしげしげと見つめてから、栞に尋ねた。
「……なぁ、栞」
「なんですか?」
「その制服のポケットに、一度手を入れさせてくれないか?」
「わっ、ダメですっ」
 慌てて制服を後ろに隠す栞。
「ええやんええやん。見せてぇなぁ〜」
「きゃぁ、お姉ちゃん助けてぇ」
 香里の後ろに回り込む栞。香里はふぅとため息を付くと、俺を睨んだ。
「相沢くん、病人相手にふざけてる場合じゃないでしょ?」
 ……香里が冷静に対応しているうちにやめた方が安全だよな。
 俺は栞のポケットの謎を追求するのは後にして、テープレコーダーのスイッチを入れた。
 久瀬の声が聞こえてくる。

「今日は、沢渡君は休みだということだね。それでは、これで全員揃ったわけかな?」
「そうよ。それで、今日は何の用なの?」
「美坂くん。関係者以外は、本来はこの場から出ていってもらってもいいんだがね」
「……」
「まぁ、いいだろう。まず、昨日僕に対して狼藉を働いた相沢祐一に対する処分だが、本来生徒会役員である僕に対する暴言と暴力は退学に値するが、僕だって鬼ではない。本人の将来も鑑みて、停学6ヶ月という極めて軽い処分が妥当だと判断している」
「そう……。名雪っ!」
「……うにゃ?」
「うにゃじゃないでしょ!? 何寝てるのよ! ……はぁ、まぁ相沢くんだからいいか」
「はぇ〜。それは困ります〜」
「どうしました、倉田さん?」
「祐一さん、半年も停学なんてひどいですよ」
「そうですか? 僕は非常に寛大な処分だと思いますがね。あいてて、まだ背中が痛むんですよ」
「それは、佐祐理からも謝ります。でも……」
「ちょ、ちょっと栞? 大丈夫?」
「……」
 ガシャン
「栞っ!!」
「栞ちゃん! た、大変っ!!」
「美坂さん! 大丈夫ですか!?」
「やれやれ。美坂くん、妹さんをさっさと連れて行ってくれないか? まだ話し合わないとならないことが色々とあるのに、議事進行を邪魔されると迷惑だ」
「……くっ! く、久瀬、あんたって人は……」
「お、お姉ちゃん……」
「……判ったわ。それじゃ、私たちは失礼させていただくわね」
「あ、わたしも帰るよ」
「栞ちゃん、しっかりしてっ。あ、ボク祐一くんに報せてくるっ!」
「き、君たちは何を考えてるんだ!? 生徒会に呼び出されているんだぞ。それを勝手に帰るなどと……」
「ここには、佐祐理が残りますから、他の人は帰してあげていただけませんか?」
「倉田さんが? なら、いいでしょう。では、お大事に」
 ガラッ、とドアが開く音。

 カチャ
 俺はテープレコーダーを止めて、ため息を一つついた。
「停学6ヶ月、か……」

Fortsetzung folgt

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あとがき
 はい。これ書いてる時点では、まだ『マコピーを救えキャンペーン』の結果は見てないです。
 一体、どうなってるんだろ?

 話の方は、とりあえず生徒会側の祐一への処分も決定しましたので、一段落着いたって感じですか。

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