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掃除が終わったところで、俺達――俺、名雪、香里とあゆの4人は、連れだって生徒会室に向かった。ちなみにあゆは掃除当番ではないのでずっと外で待っていた。
Fortsetzung folgt
「先に行ってればよかったのに」
「うぐぅ……、祐一くんと行きたかったんだよっ!」
「祐一、あゆちゃんいじめたらダメだよ〜」
のほほんと言いながら、生徒会室の前まで来た俺達の耳に、予想しなかった声が聞こえてきた。
「そんな酷なことはないでしょう」
天野?
一瞬、聞き間違いかと思ったくらいだった。いつもの無愛想な天野からは想像出来ないくらい、怒気を孕んだ声だったからだ。
「な、何も君がそんなに怒る必要はないじゃないか。僕はただ、沢渡さんのように若い娘が身を危険にさらすことはないって言っただけで……。そ、そう。そんなに焦らなくても、まだまだ時間はあるじゃないか……」
「何も知らないくせに。あなたにそんなことを言う権利はありません!」
「ほう? それじゃ、君は何を知ってるって言うんだね?」
嫌みなくらい落ち着き払った声。っていうか嫌みそのものだった。
だが、それに相対する天野の声は、既にいつもの声に戻っていた。
「……この娘がしたいことをしている以上、それを邪魔する権利なんて、誰にもありません。私が言えるのはそれだけです」
ガタッ、と音がする。どうやら、天野が席に着いたらしかった。
久瀬がため息をつく声が聞こえた。
「はぁ。君といい、倉田さんといい、優秀な人が劣った人につくのかね。僕には理解できないな」
「あははーっ。佐祐理には、舞や真琴さんを劣った人と片付けるあなたの方が理解できませんよーっ」
うぉ、佐祐理さんもかなり怒ってるぞ。
舞の感情の動きもわかりにくいが、佐祐理さんの感情の動きもかなりわかりにくかったりする。基本的に舞がいつも無表情なのと同じように、佐祐理さんはいつも笑っているからだ。
それでも、舞の感情の流れが判ってくると同様に、佐祐理さんのあの笑顔の下で、どんな感情が流れているかも、だんだんと読みとれるようになってきているのだ。
「……美坂さん。君なら判ってもらえると思うんだがね。自分がいかに過ちを犯しているかを。君の姉さんは非常に優秀な方だ。残念ながら、君は病気のために長期休学を余儀なくされていたと聞くがね」
久瀬の嫌らしい声が、今度は栞に向けられたようだ。どうやら、1年と3年の該当者は既にこの部屋に中に全員いるらしい。
「……久瀬さん、でしたよね」
「ああ、そうですよ」
「私は……残念ですけど、久瀬さんの言うような優秀な人じゃ無いみたいですから」
「え?」
「だから、間違ったことをしてるとは、思ってません」
栞の声は、はっきりしていた。
「ううっ、栞。立派になったのね……。もうあたしの教えることは何もないわ」
隣で、香里が感動のあまり涙していた。
しかし、生徒会室の中にいる奴はそうは思ってないようだった。
「……はっ。誰も彼も……。どうやら、穏便に事を運んで上げようという僕の心遣いも判ってもらえないようだ。こうなった以上は、法に照らし合わせて厳正な処分を下すしかないようだね」
「コラ待てよ」
俺はドアを開けた。
「俺達がいない席で勝手に物事を進めるんじゃねぇよ」
「祐一さんっ!」
栞と佐祐理さんが同時に振り返る。ううっ、俺って格好いいなぁ。
「ごめんなさい。掃除が長引きまして」
慇懃無礼を絵に描いたように香里が一礼した。俺の態度に文句を言おうとした久瀬が、出鼻をくじかれたように言葉を詰まらせて、それから言う。
「はぁ、そうですか。さぞや丁寧な掃除だったんでしょうね」
せめて嫌みくらいは返したいらしい。
「まぁ、お座りください」
そう言って、俺達に椅子を勧める。
立ったままも疲れるので、俺は素直に座ってやった。
「とりあえず、美坂さん、沢渡さん、川澄さんの話は伺いました」
わざとらしくノートを広げて、久瀬は言った。それから、視線をあゆに向ける。
「それでは、次に月宮さん」
「えっ、ボク、ですか?」
座ろうとしていたあゆがぴょんと立ち上がる。
「ええ」
頷くと、久瀬は訊ねた。
「まず、あなたは現在水瀬家に住んでいる。それは認めますね?」
「う、うん」
あゆはこくりと頷いた。
「それは問題ある行動だということについては、自覚はありますよね?」
「えっ? あの、それはその……」
「認めるんですね?」
「……うん。ボク、秋子さんや名雪さんに迷惑かけてるし……」
あゆは俯いた。
久瀬は満足そうに頷いた。
「なら、話は早い。自ら不純異性交遊の意図ありと認めたわけですね」
「えっ?」
弾かれたように、顔を上げるあゆ。
「ボク、そんなことは……」
「ちょっと待てよ、おい」
たまりかねて俺は口を挟んだ。
「何かね、相沢くん。まだ君には質問はしてないが」
「てめぇ、あゆの言うことを自分勝手にねじ曲げてんじゃねぇよ」
「相沢くん、やめなさいよ」
横から俺を制したのは香里だった。満足げに頷く久瀬。
「さすが美坂くん。妹はともかく、姉の方はやはり道理がわかってるようだね」
「……あたしはともかく、栞を侮辱した罪は万死に値するわ」
小さな声で呟いたので、多分久瀬には聞こえなかっただろう。だが、俺はその声を聞いて思わず鳥肌が立った。
マジだ。ありゃマジでやる気だ。
香里は、視線を上げて、久瀬を見た。というよりも、視線の圧力をそのまま久瀬にぶつけたように見えた。
「な、なにかね? 美坂くん」
「今の久瀬さんの質問に対する月宮さんの返答につきまして、僭越とは思いますが、私が補足させていただきますわ。よろしいかしら?」
「あ、ああ……」
かくかくと頷く久瀬に、香里はこつんと机を軽く叩いた。それからよどみなく喋り始める。
「ただいまの月宮さんの返答は、あくまでも現在寄宿している水瀬家の、本来の住人。つまり世帯主である水瀬秋子さんと、その扶養家族である水瀬名雪、この両名に対して、世間一般的な迷惑を掛けていると述べたに過ぎません。この返答をもって、月宮さんに相沢くんに対する好意のありなし、まして不純な意図があるかどうかを判定することは出来ないのではないでしょうか?」
「そ、それは……」
むぅ。完璧な論理だ。さすがクラス委員で学年トップだけのことはある。
「しかし、月宮さんが相沢くんと、そう、仲良くなりたいという意図のもとに、水瀬家に入り込んだのは間違いないのではないか?」
「えっ? あの、ボクは……」
「久瀬さんは、何か誤解していらっしゃるようですね」
香里は肩をすくめた。
「そもそも、月宮さんを最初に水瀬家に誘ったのは名雪です」
「うん、そうだよ。わたしが誘ったの」
こくりと頷く名雪。
「しかし、世間一般の常識から言って、かなり問題があるとは思わないかね? 同じ屋根の下に同じ歳頃の男女が……」
「それなら、学校で行われる夏合宿もかなり問題があるのじゃないかしら? 同じ屋根の下に同じ年頃の男女がいっぱいいるわよ」
「それは問題のすり替えに過ぎないっ!」
「そうかしら?」
冷笑する香里。どうみても久瀬の負けだった。
「それじゃ、月宮さんはもういいですよ」
はぁ、と大きく息をついて、あゆが座る。
「それじゃ、最後に相沢くん。君に聞きたいんだがね」
「なんでもどうぞ」
俺は余裕をもって答えた。
久瀬は嫌らしい笑みを浮かべた。
「君と水瀬さんの関係について聞きたいんだがね。その、体の関係というのがあるという噂は……」
ガッシャァン
派手な音がした。
俺は立ち上がると、言った。
「さて、帰ろうぜ、みんな」
「き、貴様っ!」
机の下敷きになった久瀬が、裏返った声で叫んだ。
「何をするっ! この暴力魔」
「俺のことは何て言おうとかまわねぇよ。暴力魔だろうがおかしな人間だろうが好きに呼べばいい。だけどな、名雪やあゆや、他のみんなのことを侮辱するのだけはゆるさねぇ」
「こんな事をしてただで済むと思ってるのかっ! 僕を誰だと思ってる!?」
「ああ、ただで済むとは思ってねぇよ。停学でも退学でも好きにすればいいだろっ!」
「祐一っ!」
「祐一さんっ!」
周りから声が飛ぶが、俺は倒れた机の下から久瀬を引きずり出した。
久瀬は、俺に襟首を掴まれながら尋ねた。
「本気なのかっ!?」
「ああ。ただし、俺以外の奴に何かあってみろ。てめぇは夜ゆっくり眠ることは出来ねぇぞ」
そう言いながら、右腕を振り上げ、そして……。
パァン
乾いた音がした。
俺の右頬で。
「……馬鹿なことは、やめてください」
佐祐理さんは、そう言うと、右手を降ろした。
「祐一さん……。佐祐理は、そんな祐一さんは、嫌いですよ」
「……悪い」
そう言うと、俺は久瀬の襟首を掴んでいた手を放した。
ガシャン
久瀬が机の間に尻餅をついた。そしてヒステリックに叫ぶ。
「退学だっ! 相沢祐一、お前は退学にしてやるっ!」
「そんなっ! 祐一は……」
「名雪」
俺は久瀬に何か言おうとした名雪を止めた。
「祐一っ! でもっ!」
「俺、帰るわ。処分でも何でも好きにしてくれ」
そう言い残して、俺は生徒会室を出た。
校門を出ると、振り返る。
学校は、夕焼けに赤く染まっていた。
「……くそっ」
小さく呟く。
自己嫌悪だけが、残っていた。
空を見上げる。
赤い雲。
赤い空。
そして……。
「……祐一くん」
俺を呼ぶ声に、視線を戻す。
「……祐一くん」
もう一度、俺を呼ぶ、赤く染まった少女。
「あゆか。どうした? 他の連中は?」
わざと明るく声を掛ける。
「まだ、残ってる。ボクは、この学校の生徒じゃないから……」
「真琴だって違うだろ?」
「真琴さんは、天野さんと一緒にいるよ」
「ま、そうだな」
「……これから、どうするの?」
あゆが訊ねる。
俺は肩をすくめた。
「この街を出ていくかな。これ以上、秋子さんにも迷惑を掛けられないし……」
「……それじゃ、ボクも一緒に行くよ」
そう言うと、あゆは数歩、俺の前を歩いた。
「何言ってんだ、お前は?」
「だって、祐一くんがいないこの街なんて、ボク……」
「冗談だ、冗談。しがない高校生が一人でどう生きていくっていうんだ?」
「……うぐぅ、意地悪っ」
あゆが、泣き笑いのような顔をして、俺に駆け寄ってくる。そして、そのままの勢いで抱きついた。
「わっ、こら、何をするっ!?」
「冗談ばっかり言うからだよっ!」
そのまま、俺の胸に顔を埋めるあゆ。
「……悪い」
俺は、そのあゆの背中に腕を回した。
びくっと震え、顔を上げるあゆ。
「……祐一くん……、ボク……祐一くんのことが……だいす……ん……」
俺とあゆの影が、一つになって長く伸びていた。
「ただいま……」
「あら、お帰りなさい。遅かったのね」
すっかり暗くなってから、おそるおそる水瀬家に帰ってくると(やっぱり帰り辛かったので、ゲーセンでそれとなく時間を潰してしまった……)、いつもと同じように秋子さんがキッチンから顔を出して返事をしてくれた。
「ええ、まぁ……」
「あら、あゆちゃんも一緒ね。それじゃ、全員揃ったことだし、すぐに夕ご飯にしましょうか」
……ってことは、他のみんなはもう帰ってきてたわけか。
「あの、秋子さん……。俺……」
「話は、後で聞きますから。まず手を洗って、着替えていらっしゃい」
秋子さんは静かに言った。俺は頷いた。
「そうします」
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