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朝の水瀬家は、いつもと同じ騒がしさだった。
Fortsetzung folgt
「はぐはぐはぐ……。パンも美味しいね、秋子さん」
「まぁ、よかった。このパンも私が作ったのよ」
パンを頬張るあゆに、にこやかに返す秋子さん。
「舞さんは、このパン、どうかしら?」
「……相当に嫌いじゃない」
舞の返事を聞いて、嬉しそうに微笑む秋子さん。
と、名雪がリビングに入ってきた。
「おはよぉ……」
相変わらず眠そうである。
「あ、おはようございます、名雪さん」
「……くー」
「……あのぉ、名雪さん?」
「栞、そっとしておいてやれ」
「え? でも、……寝てますよ」
リビングの入り口で立ったまま寝ている名雪をつんつんとつつきながら、栞は言った。
「そいつはそういう奴だから大丈夫」
「そうなんですか?」
秋子さんに尋ねる栞。秋子さんは苦笑して肩をすくめた。
「もうちょっと寝起きが良くなってくれればいいんだけど……」
「……はぁ」
もう一度、名雪をつついてみながら、小首を傾げる栞。
「そういや、栞は夕べはよく眠れたのか?」
コーヒーを飲みながら訊ねると、栞は笑顔で頷いた。
「はい。あゆちゃん、とっても暖かくて柔らかくて気持ちよかったですよ」
ブーッ
思わずコーヒーを吹き出す俺と、ミルクを吹き出すあゆ。
「……祐一、汚い」
顔を顰めて、テーブルに広がったミルクコーヒーを見る舞。
「あらあら、ふきん取ってくるわね」
動じた様子もなく、秋子さんがキッチンに姿を消す。
「なななななな」
「わわわわわわ」
「どうしたんですか? 二人とも」
にこやかに訊ねる栞。
「ボク、違ってて、栞ちゃん、えっと、寝てたけど、うぐっ」
両手だけでなく、両足もバタバタさせながら何か言おうとしているあゆ。その慌てぶりをみて、却って俺は落ち着いた。
「いいから、落ち着けあゆ」
「そうですよ。落ち着いてください、あゆさん」
「オチがつかなくて落ち着かない……くー」
まだ寝惚けてる奴は無視して、俺はあゆの肩を叩いた。
「とりあえず、おめでとうあゆ。俺は男にそういう感情を抱いたことはないが、そういうのもありかなとは思うぞ」
「うぐぅっ! そそんなことないようっ!」
「ねぇねぇ、何の話? 真琴にも教えてっ」
ハムをくわえて真琴が顔を乗り出してきた。俺はその真琴の頭を撫でてやった。
「真琴はまだ子供だから知らなくてもいいんだよ」
「なにようっ! 真琴のことまた子供扱いするっ!」
「うぐぅ……違うもん」
「ごちそうさま」
舞が席を立つ。あいかわらずのマイペースさだ。
ふきんを持って戻ってきた秋子さんが、テーブルを拭きながら訊ねる。
「あら、舞さんはもういいの?」
「構わない」
そう言って、舞はリビングを出ていった。俺は苦笑して言う。
「すみません。舞はああいう奴で……」
「ええ、いい娘ね」
秋子さんはテーブルを拭きながら、呟いた。
「いいわ。ああいう娘は敵に回すと恐ろしいけど、味方につければ頼りになるわね」
……秋子さん、何を?
俺はおそるおそる訊ねてみた。
「あゆは?」
「味方につけると頼りなく、敵に回すとおもしろい、ってところね」
「うぐぅ、秋子さん、ボクのこと本当は嫌いなの?」
「冗談ですよ」
平然と答える秋子さん。いろんな意味で大物だ。
「うぐぅ……」
「そんなにしょげるな、あゆ」
俺はあゆの肩をぽんと叩いた。
「うぐぅ、祐一くん……」
「さて、そろそろ行かないと遅刻するな」
俺は壁に掛かった時計を見上げて呟くと、立ち上がった。
「あっ、祐一くん、待ってよっ!」
慌ててあゆも立ち上がる。
外に出ると、相変わらずの熱波と蝉の声が俺を出迎えた。
「わぁ、今日も暑いね〜」
「暑いです」
後ろから出てきたあゆと栞も、同じように額に手をかざして、太陽の方を見る。
「さて、舞は?」
「ここ」
「うわぉう」
後ろから声をかけられて、大げさに驚いて見せたが、舞は相変わらずのポーカーフェイスだった。
「早く行こう」
「まぁ待てって。まだ真琴と名雪が……」
言いかけたとき、家の中でどたどたっと足音がした。そして名雪と真琴がもつれるように飛び出してくる。
「わぁっ、遅れそうだよっ!」
「祐一〜っ、どこ〜っ」
「さて、行こうか」
俺は苦笑して、歩き出した。
「あっ」
曲がり角を曲がったところで、佐祐理さんが駆け寄ってきた。
「舞、おはよう。祐一さんもおはようございます。みなさんもおはようございます」
「……おはよう」
舞が返事をして、俺達もてんでに挨拶する。
「舞、昨日の晩はどうだったの?」
「……何もなかった」
「え? ちゃんと言うとおりにした?」
聞き返す佐祐理さんに、舞はこくりと頷いた。
「佐祐理の言うとおりに、お風呂に入ってから……」
「あ、それ以上は、言っちゃだめ」
にっこりしながら舞の口を塞ぐ佐祐理さん。
って、もしかして、昨日の白ワイシャツって佐祐理さんの入れ知恵?
まさか、そんなことないよな?
「祐一さんは、何も感じなかったんですか?」
「へっ? あ、いえ……」
唐突に話を振られて、俺が生返事をすると、佐祐理さんはほっぺたに手を当てて「はぇー」と考え込んだ。
「祐一さん、白ワイシャツじゃだめですか〜。こうなったら最終奥義しかないですね〜」
やっぱりそうなのか、佐祐理さんっ! で、最終奥義ってなんなんだ?
「あっ、香里、おはよう」
名雪がこっちに向かって駆け寄ってくる香里を見つけて声をかけた。だが、香里は答えようともせずにずんずんとこっちに近寄ってくる……って、俺に向かってきてるのかぁっ!
「や、やぁ、かお……」
「相沢くんっ!!」
いきなり襟を掴まれる俺。
「な、なんだっ?」
「夕べ、栞に手を出したりしてないでしょうねっ!」
「出すかっ!」
慌てて俺は否定した。
と、香里の瞳の色がオレンジ色に変わる。
「相沢くん。栞のどこが不満なわけ?」
「……あのな、おい……」
「お姉ちゃん、やめてっ」
栞が俺の襟を掴んでいる腕に取りすがった。
「栞、黙ってて。私はあなたのためを思えばこそ……」
「余計なこと、しないで。そんなことする人は嫌いですっ」
ガガーン!
いきなりその場で固まる香里。その背後では、名雪が「ガガーン」と書いてあるプラカードを持っていた。
「もう、お姉ちゃんったら。さ、行きましょう、祐一さん」
栞は、そのまま俺の腕を掴んで歩き出した。
「お、おい。香里を放っておいていいのか、栞?」
「大丈夫ですよ。私よりは体が丈夫ですから」
そりゃそうなのかもしれんが……。
「あうーっ、暑い〜っ」
「真琴さん、暑いの嫌いなの?」
舌を出してはぁはぁ言いながら歩く真琴に、こっちは必要以上に元気いっぱいという感じのあゆが訊ねる。
「嫌いよ……。はうーっ」
「そうなんだ。ボクは暑いのも好きだよっ」
てゆうか、嫌いなシーズンがあるのか、あゆは?
それにしても、真琴のやつ、すごく暑そうなわりには、あんまり汗をかいてないな。そういう性質なのか?
とりあえず、そんな感じで俺達は遅刻せずに学校にたどり着いた。
ちなみに、香里も途中で復活したらしく、予鈴が鳴り響く中を教室に駆け込んできた。そして、まっすぐ俺達のいるところに向かってくる。
「ちょっと、名雪も相沢くんもひどいじゃない!」
「そうか?」
「くー」
「寝ないでよっ!」
名雪の頭をぽかっと叩くと、俺に向き直る香里。
「ショックを受けて呆然としてる私をそのまま置いていくなんてっ!」
「なんだとうっ! ああっ、俺がいたら美坂をそのままにしておくなんてことは絶対にあり得なかったというのにっ! どうして俺はその場にいなかったのだろうっ! ……って、聞いてます? もしもーし?」
「いや、あの場合は、傷心の姉は誰にも声をかけて欲しくなさそうだオーラが出ていたんでな」
「そんな訳の分からないオーラ出してないわよ」
香里は俺の言葉に呆れたように肩をすくめると、自分の席に鞄を置いた。それから俺に言う。
「ところで、今日こそ栞のお弁当を食べてくれるんでしょうね?」
「いや、それは……って、今日は栞は弁当作ってなかったぞ」
俺はキッチンの様子を思い出しながら言った。香里は親指の爪を噛みながら呟く。
「そうだったわ。名雪の家に泊らせたんだもの。あのナイーブな娘が、他人の家の台所を借りてお弁当作るなんてこと、出来るはずないものね。迂闊だったわ……」
……ナイーブな娘って、誰だ?
いや、推測は出来るんだが、恐ろしいので言えない。
「あの、美坂、相沢、俺の話も聞いてくれ……」
「でも、他の誰もお弁当は作ってないよ〜」
名雪が既に眠そうな声で言うが、香里は首を振った。
「甘いわよ、名雪。倉田先輩があの重箱四段のお弁当を持ってきてるでしょう?」
「あ〜。あれ美味しいからわたし好きだよ」
「馬鹿っ! あれで川澄先輩がポイント稼ぐでしょうが!」
……どっちかっていえば佐祐理さんのほうがポイント高いんだが。まぁ、舞は弁当食ってる時の仕草とかなかなかイケてるけどな。“タコさんウィンナー”とか。
だが、名雪は深刻な顔になって腕組みした。
「それは困るよ」
「でしょう? だから……」
「おい、ホームルーム始めるぞっ!」
ちょうど石橋(担任の名前だ)が声をかけながら入ってきたので、話はそこで打ち切りになった。俺はほっと胸をなで下ろし、おそらく初めて石橋に感謝した。
1時間目の休み時間のことだった。
速攻で逃げ出そうと思って、チャイムが鳴ると同時に腰を浮かせたが、それよりもさらに早く、いきなり教室に備え付けてあるスピーカーから声が出てきた。
ピンポンパンポーン
『生徒会からのお知らせです。次の生徒は、至急、生徒会室まで来て下さい。1年A組、美坂栞さん。1年B組、沢渡真琴さん、2年A組、相沢祐一くん、水瀬名雪さん、月宮あゆさん、3年B組、川澄舞さん。以上です。繰り返します……』
放送が終わると同時に、あゆがぱたぱたっと駆け寄ってきた。
「祐一くんっ! 呼び出されたねっ!」
「嬉しそうに言うなっ!」
俺は頭を抱えて言った。
「えっ? どうしてっ?」
「……考えてみろよなぁ。どう考えても、呼び出し食らったメンツって、うちにいる連中だろ? おおかた、同じ家に同居するとは何事かって話だろうよ」
「祐一、ファイト、だよっ」
後ろから名雪が言った。俺は頭をかきむしった。
「あのなぁっ!」
「私も行くわ」
香里が立ち上がった。
「栞の恋を邪魔するような生徒会は抹殺するの」
「……頼むから、穏便にな」
そう言って、俺は廊下に出た。名雪達も後からついてきた。
生徒会室前に来ると、思った通りのメンツがもう集まっていた。
栞と真琴、舞は無論として、天野や佐祐理さんもちゃんといる。
「よう、佐祐理さん。どうして?」
「佐祐理は舞の親友ですから」
予想通りの返事だった。ま、それ以外はあり得ないだろうな。
「じゃ、天野もか?」
「私は……、この娘を生徒会室まで案内してきただけです」
「なんだ、一緒に来てくれるんじゃないのか?」
「……そんな酷なことはないでしょう」
「あうーっ」
真琴が困ったように俯く。
天野は、そんな真琴を見て、苦笑して頭を撫でた。
「冗談です。ここまで巻き込まれた以上は、お付き合いするしかない、というものでしょう」
「相変わらず、天野はオバサンくさいな」
「ひどいですね。物腰が上品と言ってください」
そう言って、天野は微かに微笑んだ。
「よし、それじゃ行くぞ」
俺は皆に声をかけると、生徒会室のドアを開けた。
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あとがき
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