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Kanon Short Story #9
プールに行こう2 Episode 14

『朝〜、朝だよ〜』
 心地よいまどろみから、こののんびりとした口調で無理矢理引き起こされる。
『朝ご飯食べて学校行くよ〜』
 もうすっかり慣れてしまった、毎朝の恒例行事。
 俺は手を伸ばして、枕元の時計を……。
 時計を……。
「……うぅん……」
 手が伸ばせなかった。伸ばそうとした手には、真琴がしがみついていた。
 ……って、なんで真琴がここにいるんだ?

 ここから回想シーンです。

「燃えてるかいっ! 燃えてるさぁっ!」
「わぁ、祐一がおかしくなったぁ!」
「うぐぅ……、ボクのせいじゃないもん」
「あうーっ、熱が出てる〜」
「はっはっはっはっ、あゆっ! やってやるぜぇっ!」
「大変だぉ〜。……くー」

 すまん、巻き戻しすぎた。これはおとついの夜だ。
 えっと……。おお、ここだ、ここだ。

 舞と真琴を連れて家に帰ってくると、ちょうど佐祐理さんが帰るところだった。
「あっ、お帰りなさい」
 笑顔でそう言うと、佐祐理さんはトントンとつま先を地面に当てて、悲しそうに言った。
「祐一さん、佐祐理はもう帰らなくてはいけません。舞のこと、よろしくお願いしますね」
「了解」
 俺が答えると、佐祐理さんは笑顔で俺の後ろにいた舞に言った。
「あははーっ、判ってもらえてよかったです〜。舞、頑張ってね〜」
 ……何をがんばれと言うのだ、佐祐理さん?
「頑張るから」
 舞もがんばらんでよろしい。
「あうーっ、祐一、お腹減った〜」
 俺の背中で、真琴がじたばたする。俺は首を曲げて怒鳴った。
「お前、あんだけ夕飯食って何を言ってるかっ!」
「だって、今日は肉まん食べてないんだもん」
 ぷっと膨れる真琴。そう言われてみると、真琴はいつもは肉まんを食った上で飯も食ってたんだよなぁ。その上夜中にこんにゃくは食うは焼きそばは食うはラーメンは食うわ。
「よし、それじゃ焼きそばを作ってやろう」
「それだけはいや」
 きっぱり答える真琴。どうやら、いつぞやの「大量焼きそば夜食事件」でよっぽど懲りたらしい。
 と、そこに秋子さんが出てきた。
「あら、祐一さん、舞さん、真琴も、お帰りなさい」
「あ、ただいま……。秋子さん、出かけるんですか?」
 ジャケットを羽織っているのに気付いて訊ねると、秋子さんは頷いた。
「ええ、倉田さんを送って行くわ。鍵は持ってるから、玄関の鍵、かけておいてね」
「あ、はい」
「それじゃ、行きましょうか、倉田さん」
「お世話をおかけします。それじゃ、祐一さん、舞、まこちゃん、おやすみなさい」
 佐祐理さんは丁寧にお辞儀をして、秋子さんと一緒に出ていった。
 ……ちょっと待て。秋子さんと佐祐理さんがいなくなったら、誰が牛丼を作ってくれるというのだろう?
「祐一、牛丼」
 思ってる先から、舞が俺に言う。
「うーん。名雪は作れるだろうけど、多分寝てるしなぁ。まだ栞は起きてるだろう……けど、ダメだな」
 弁当を作れるくらいだから、多分牛丼も作れるとは思うが、栞に作らせると、きっと甘口の牛丼になってしまう。それでは俺が舞に叩かれてしまう。
「牛丼……」
 いつもの通りの無表情なので判りにくいが、多分舞は悲しいんだろう。
「ボク、牛丼作れるよっ!」
 俺は腕組みして言った。
「まぁ、方法としては、名雪を叩き起こすか、秋子さんが戻ってくるまで待つかだな」
「早く食べたい」
「そう言われてもだな……。あれ? あゆ、何してるんだ?」
 ふと気付くと、あゆが俺のTシャツの裾を掴んでうぐぅしていた。
「ボク、作れるもん」
「嘘つけっ!」
 一撃で否定すると、あゆは不満そうだった。
「うぐぅ……」
「あら、皆さんお帰りなさい」
 玄関で騒いでいるのが聞こえたのか、リビングから栞が顔を出した。そして、訊ねる。
「そんなところで何してるんですか?」
 確かに、こんな夜更けに玄関先で4人が突っ立っているのは、かなり異様な光景かも知れない。しかも、そのうちの2人が俺にまとわりついているのだ。
「それもそうだな。とりあえず家に上がろう」
「牛丼……」
「だーっ! 後だ後っ!」

 リビングに移動すると、まだ背中にしがみついていた真琴をクッションに上に振り落とす。
「きゃぁ! なにすんのようっ!」
「やかましぃ。お前は子泣きじじいかっ!」
「なにようっ、真琴は沢渡真琴ようっ。そんな変な名前じゃないもん」
 ……いや、まぁそんな名前じゃないことは認めてやるが。
「牛丼……」
「わかったわかった。栞、ちょっと相談があるんだが……」
 この際、舞には“カレーの王子様”なみの甘さでも我慢してもらうことにして、栞に声をかけてみる。が……。
「後にしてください。いま、いいところなんです」
 栞は、テレビドラマに夢中だった。
 しょうがない。こうなったら俺が作るか。
 俺はあきらめて、立ち上がった。キッチンに入ると、とりあえず炊飯器を開けてみる。
 中は空だった。
「あ、ご飯炊くなら、ボク手伝うよっ!」
「そうか。じゃあ、あゆはご飯を好きなだけ炊いてくれ。俺はコンビニに牛丼を買いに行くことにしたから」
「うぐぅ……、いじわる……」
 俺は振り返って、涙ぐんでいるあゆの頭にぽんと手を乗せた。
「それか、俺と一緒にコンビニに行くか?」
「えっ? うーんと……」
 あゆは一瞬驚いて、それから真剣に考え込んだ。
「……外、暗いよね?」
「おう。夜だからな」
「うぐぅ……」
 あゆはもう少し考えてから、えへへっと笑った。
「祐一くんが誘ってくれたから、行くよ」
「そっか。なら早く用意しろよ。舞、ちょっと待ってろ、牛丼買ってくるから」
「はちみつくまさん」
 あれだけ牛丼牛丼言ってたのに、……妙にあっさりしてるな。
 どうしたのかと思ってリビングに顔を出してみると、舞もテレビに釘付けな様子だった。その画面では、ヒロインとおぼしき赤毛の女の子が、くまと戯れていた。
 ……くま?
 どういう番組か興味がわいたが、牛丼を買うのが先だ。
 俺は一度脱いだジャケットを羽織ると、廊下に出た。
「あっ、待ってよっ!」
 パタパタとあゆが追いかけてくる。
「わっ、わっ!」
 小走りに駆け寄りながらジャケットを着ようとしていたが、途中でバランスを崩して壁に手をつく。
「うぐぅ……」
「見てて飽きないな、お前は」
「いじわる」
 ぷっと膨れながら、ジャケットを着終わると、あゆは笑顔で言った。
「それじゃ行こっ!」

「うぐぅ……」
 3秒後には、もうあゆは後込みしていた。
「怖いよ、祐一くん……」
「あのな。まだ玄関を開けただけだろ?」
「でも、暗いよ」
「当たり前だ。暗くない夜なんて不気味だろうが」
 俺はそう言うと、外に出た。
 その後ろにぴったりとくっつくようにして、あゆも出てくる。
「ねぇ、祐一くん」
「なんだ?」
「何か、楽しい話してよぉ」
 声が震えていた。マジにびびっているらしい。
「祐一くんが楽しい話をしてくれたら、きっと怖くなくなると思うんだ」
「そうだな……」
 俺は歩きながら少し考えた。
「それじゃ、とっておきの話をしてやろう」
「う、うん……」
「むかしむかし、おじいさんとおばあさんが仲良く暮らしていました」
「うんうん」
「ある日、おじいさんは山で惨殺され、おばあさんは川で撲殺されました。山で惨殺されたおじいさんの死体から、大きなゾンビが……」
「うぐぅっ!」
 あゆはその場にしゃがみ込んでしまった。その姿勢のままで、俺のジャケットを引っ張る。
「な、なんでいきなりそうなるんだよっ!」
「いや、そういう話だから……」
「うぐぅ、もういいよっ」
 半分拗ねて、半分泣き顔で、あゆは俺を見上げていた。
「あら、どうしたの?」
 前の方から声が聞こえた。顔を上げると、秋子さんが立っていた。
「秋子さん、早かったですね」
「早いといけなかったかしら?」
 ちょっと笑って訊ねる秋子さん。俺は首を振った。
「いえ、全然。実は、舞が牛丼食べたいって言うんで、コンビニに買いに行くところなんです」
「まぁ、それなら言ってくれれば作ったのに」
「作れるんですか?」
「そうね、1時間もあれば」
 平然と答える秋子さん。ま、秋子さんがそう言うならそうなんだろうな。
「それじゃ、お願い出来ますか?」
 こっちとしても、臨時支出を抑えられるのならそれに越したことはない。
「ええ。それじゃ帰りましょう。……あゆちゃんは大丈夫?」
「う、うん。平気だよ」
 あゆは慌てて立ち上がると、目元をごしごしと手で拭って、笑顔になった。
「もう大丈夫。えへへっ」

 3人で、ゆっくりと歩く。
 よく考えてみると、妙な組み合わせではあるが、なんだかすごく穏やかな気分だった。
「それでねっ、ボクすごく楽しみなんだよ」
「まぁ、そうなの?」
 秋子さんとあゆは、まるで本当の親娘のように仲良く話をしている。
 そのあゆの右手は、しっかりと俺のジャケットを掴んでいる。
 ……ジャケットが伸びるじゃないか。
 俺はあゆの手を、上から握った。一瞬、びくっとあゆが俺を見る。
 そして、おずおずと、俺達は手を絡め合った。
「……えへへっ」
 あゆが、照れたように真っ赤になって笑った。
 俺は明後日の方に視線を逸らした。
 小さな、柔らかな手だった。

 家につくと、栞と舞が出迎えてくれた。
「祐一さん、いつの間にかいなくなってたから、心配してたんですよ」
「……牛丼」
「あのな、ちゃんと出かけるって言ったじゃないか」
 俺は苦笑して、膨れる栞の頭を撫でると、舞に言った。
「それから、牛丼は秋子さんが作ってくれるって」
「……汁は多い方がいい」
「はいはい。卵も付けた方がいいかしら?」
 キッチンに向かいながら、秋子さんが訊ねると、舞はこくりと頷いた。
「じゃ、1時間くらいかかるけど、いいかしら」
「待つのは嫌いじゃない」
「それじゃ、ちょっと待っててね。他のみんなは?」
「私は遠慮します」
「ボクも……」
「俺も……」
 さすがにそこまで腹は減ってなかった。
「それじゃ、舞さんの分だけでいいのね。あ、そうだ。お風呂わいてますよ。入ってらっしゃい」
 秋子さんは舞にそう言うと、キッチンに入っていった。

 風呂に入る舞と別れ、俺達はリビングに移動した。
「で、テレビドラマとやらは終わったのか?」
「はい。とってもいいお話でした」
 栞は感動さめやらぬという感じで、両手を組んでいた。
「ラストでヒロインが結婚させられそうになるところで、恋人が助けに来るところなんて感動でした」
「なんだ、平凡な終わり方だな」
「もう、祐一さんは夢がないですね」
 栞は、カーテン越しに、外を眺めて呟いた。
「お話しの中でくらい、ハッピーエンドがあってもいいじゃないですか」
「……栞?」
「あ、そうそう」
 不意に振り返ると、栞は訊ねた。
「私、どこで寝れば良いんでしょう?」
 もう既に、いつもの栞だった。
 俺は腕組みして答えた。
「そうだな……。名雪の部屋にはあゆが住み込んでいるし、そうなると真琴の部屋か俺の部屋か、あるいはリビングに毛布を持ち込んで寝るかってところだな」
「祐一さんの部屋は、ちょっと……」
 ぽっと赤くなって、栞が俯いた。
「やっぱり、それは、ちゃんとそういう関係になってからでないと、問題あると思いますし……」
「それじゃ、そういう関係になってればいいの?」
 俺が訊ねると、栞は耳まで真っ赤になった。
「えっと、それはその、やっぱりお互いの気持ちが大事だと……、その……、もう、知りませんっ」
 ぷいっと横を向く栞。
「祐一さん、いじわるです」
「うん、ボクもそう思うよっ」
「そうですよねっ!」
「うん、そうだよねっ」
 手を取り合うと、あゆと栞はそろって俺にべーっと舌を出した。
 ……まぁ、微笑ましいって言っていいのだろうな。
「栞ちゃんはボクと一緒に寝る?」
「あ、それなら安心ですねっ」
 ……何が安心なんだ?
「それじゃ案内するよ。あ、名雪さんはもう寝てるから静かにね」
「はい、わかりました」
 2人はリビングから出ていった。俺はほっとため息をついて、付けっぱなしになっていたテレビを消した。

Fortsetzung folgt

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あとがき
 火曜日が終わらないっ(笑)

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