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トルルルル、トルルルル
Fortsetzung folgt
電話のベルが鳴ったのは、床に横になって目の保養を楽しんでいた俺が、真琴にけっ飛ばされたまさにその時だった。
「いててっ! おっ、おい、真琴、電話だっ!」
「そんなの関係ないわようっ! 今日という今日は冥土のみやげにおくってやるんだからっ!!」
「何をだっ!」
「知らないわようっ!」
「真琴さん、それを言うなら“冥土に送る”か、“冥土のみやげに聞かせてやる”ですよ」
「あ、そうなの?」
「……祐一、お代わり」
「あははーっ」
「わたし、出てくるね」
大騒ぎの食卓から離れて、名雪が電話を置いてある玄関に向かった。しばらくして、受け答えする声が聞こえてくる。
「はい、水瀬だおー」
……いいのか、名雪?
と思ったら、そのまま名雪の声が途切れる。何やってるんだ?
「うにゅ……。えっ!? ね、寝てないよ。何言ってるんだよ、香里〜」
どうやら、電話をかけてきたのは香里らしい。
「栞ちゃんに代わる? あ、その前にお母さん?」
腰を浮かしかけた栞が、その声に再び腰を下ろして、肩をすくめた。
「お姉ちゃん、心配性なんだから」
「おかーさん、香里から〜」
名雪がダイニングに戻ってくると、キッチンに呼びかけた。一拍置いて、秋子さんがキッチンから出てくる。
「はいはい。あ、祐一さん」
「はい?」
この隙にと起き上がりかけていた俺は、片膝をついたまま聞き返した。
秋子さんはちらっとキッチンを見て、小声で言った。
「お茶をいれたんですけど、キッチンから運んでくれますか?」
「あ、はい、今すぐに」
俺は頷いて、真琴から逃れてキッチンに駆け込んだ。いや、真琴は別にいいのだが、その脇で栞に延々と「そんな人は嫌いです」攻撃をくらい、さらに佐祐理さんに例の調子で明るく「あははーっ、祐一さんってエッチですね〜」と言われると、さしもの俺も神経が参る。
「それじゃお願いしますね」
そう言って、秋子さんは玄関の方に小走りに出ていった。
キッチンに入ると、あゆが急須からお茶を湯飲みについでいた。こっちを見ようともしないで呟く。
「秋子さんは、最初から知ってたの? ボクが……、ボクの本当のこと……」
「お前が男の子みたいで食い逃げの得意なうぐぅ娘なのは知ってるけど」
「うわぁっ! ゆゆゆゆゆ祐一くんっ!?」
慌てて振り返るあゆ。その途端に、並べていた湯飲みがものの見事にドミノ倒しのように倒れる。
「きゃぁっ!」
「ば、馬鹿っ!」
慌ててあゆを引っ張り寄せる。一拍置いて、あゆがいた場所に熱いお茶がどっとこぼれた。湯気がもうもうと上がる。
トクトクトクトク
早い振動が、俺の胸に伝わってくる。そして、柔らかな膨らみの感触……。
「ゆ、祐一くんっ!」
あゆの焦ったような声。
俺は、あゆを引っ張り寄せた弾みに、そのまま抱きしめていた。
「あっ、ありがとっ! 大丈夫だから……、えっと……」
耳まで真っ赤になってうろたえているあゆ。
可愛いな。
なんのてらいもなく、そう思った。
「……あゆ、俺は……」
「祐一……くん……」
目を閉じるあゆ。微かに震える唇に、そのまま……。
「わぁっ、何も見えないよ〜っ」
「どわぁあっ!」
いきなり名雪の声が聞こえて、俺とあゆは左右にとびすさった。その弾みに、したたか背中を壁にぶつけた。結構痛い。
「祐一〜、あゆちゃ〜ん、大丈夫〜?」
「祐一さ〜ん、あゆさ〜ん、生きてますかぁ〜」
栞の声も聞こえた。
「ああ、なんとかなぁ」
俺は背中をさすりながら、そう答えて振り返った。
キッチンの入り口から、名雪と栞がのぞき込んでいた。
「ご、ごめんなさいっ。ボクが……」
「すまん、名雪。運ぼうとして手を滑らしてしまった。雑巾はどこだ?」
「それなら、流しの下の棚に入ってるよ。湯飲み割れてない?」
そう言いながら、名雪がキッチンに入ってきた。そして、床に流れているお茶に気付かずに、足をべちゃっと踏み入れる。
「……熱いよ、祐一」
「わぁっ! 名雪さん、大丈夫っ!?」
慌てて駆け寄るあゆも、そこに足を突っ込んで悲鳴を上げる。
「熱い〜っ!」
二重遭難するなよなぁ。
「大丈夫ですか?」
キッチンの入り口から動かずに声を掛ける栞。
「うん、大丈夫だよ。熱いけど」
のほほんと答える名雪。どうやら、床に流れている間に冷めていて、火傷するほどじゃなかったようだ。
俺は苦笑して、棚から雑巾を出して、床を拭いた。それから、運良く割れていなかった湯飲みを拾い上げる。
「あゆ、これ洗っておけ」
「うん」
こくりと頷いて、あゆは流しで湯飲みを洗い始めた。
「あ、それじゃ私がいれ直しますよ」
栞が入ってきた。
「おう、頼むぜ」
「はい。任せて下さい」
小さくガッツポーズを取ると、栞は名雪に尋ねた。
「名雪さん、砂糖はどこでしょう?」
「……やっぱり、栞はいれなくていい」
「えーっ、どうしてですか?」
不満そうに口を尖らす栞。しかし、こっちも砂糖入り緑茶なんて食後に飲みたくはない。
ここは名雪にいれてもらおう。
「おい、名雪……」
「くー……」
名雪は立ったまま、速攻で寝ていた。そういえば、もう7時を過ぎてる。そろそろ名雪が眠くなる時間帯にさしかかってるわけだ。
この状態の名雪にお茶をいれさせるのはかなりデンジャラスだな。
そうだ!
俺は、キッチンから顔を出した。
「佐祐理さん、お願いがあるんだっ!」
「はい、なんですか、祐一さん?」
舞と何か話していた佐祐理さんが、顔を上げる。
「実は、お茶をいれて欲しいんだ。きっと佐祐理さんなら完璧なお茶をいれてくれるにちがいない」
「はぇ〜。緑茶はあまり自信はないんですけど、祐一さんのお願いじゃ断れませんね〜」
笑顔で頷くと、佐祐理さんはパタパタとキッチンに入ってきた。入れ替わりに、俺は名雪を引っぱり出しながら、自分もキッチンからは出た。水瀬家のキッチンは、3人入るともう動きづらいのだ。
とりあえず寝たままの名雪を椅子に座らせていると、秋子さんが戻ってきた。
「栞さん、香里さんが話があるって」
「あ、はい。すみません」
入れ替わりに、玄関先に向かう栞。
「あら、お茶は?」
「いや、ちょっとこぼしちゃって。今佐祐理さんにいれてもらってます」
「あらまぁ、そうなの」
頬に手を当てて頷くと、佐祐理さんは舞に向き直った。
「ご飯はどうだったかしら?」
「……嫌いじゃない」
舞はぽつりと答えた。秋子さんは笑顔で頷いた。
「よかったわ、気に入ってもらえて」
……舞の意思表示をちゃんと読みとれる人が、佐祐理さん以外にもいるとは思わなかった。
と、舞がすっくと立ち上がった。
「あら、どうしたの?」
訊ねる秋子さんにも無言で、ダイニングを出ていく。
俺は時計を見上げてはっとした。
そうか、もうそんな時間か。
「秋子さん、俺、出かけてきますんで」
俺も立ち上がる。
「あらあら。二人とも、出かけるのはいいけど、お茶くらい飲んで行きなさい」
「すいません、俺は……」
いいです、と言いかけたところに、出ていったはずの舞が戻ってきた。そして、椅子にすとんと腰を下ろす。
「……お茶」
「祐一さんは?」
「……いただきます」
そこに、佐祐理さんとあゆがお盆を持ってキッチンから出てくる。
「お待たせしました〜。お茶が入りました〜。せっかくだから、羊羹も切りましたよ〜」
「美味しいよ〜」
「よーかん?」
真琴がのぞき込む。
と、ちょうどそこに栞も戻ってきた。どうやら、香里との電話も終わったらしい。
「タイミングがいいな、栞。佐祐理さんがお茶をいれてくれたところだ。羊羹もあるぞ」
「羊羹は辛くないですから頂きます」
栞はそう言いながら、席についた。
……そういうレベルなのか?
「羊羹、嫌いじゃない」
「まぁ、舞はそうだろうな」
「祐一くん、はいどうぞっ!」
あゆが何故か妙に張り切って、羊羹を乗せた小皿を俺の前に差し出した。その小皿には、妙に切り口がギザギザになった羊羹が乗っている。
「お、サンキュ」
「えへへっ」
なんだか嬉しそうに笑うあゆ。
俺はとりあえず、湯飲みからお茶を一口飲んだ。
ずずーっ。
「んんっ! 美味いっ!」
「あははーっ。よかったです」
佐祐理さんがにこっと笑う。
「いや、ホント。よし、佐祐理さんは俺の嫁として合格だな」
「これくらいで祐一さんのお嫁さんになれるんなら、みんな祐一さんのお嫁さんですよ〜」
しかし、不思議だ。いつもと同じい茶だというのに、佐祐理さんがいれたというだけで、こうも美味くなるのだろうか?
いつもの秋子さんがいれてくれるお茶が不味いわけじゃない。だが、やはり今日のお茶はひと味もふた味も違っている。
そんなことを思いながら、お茶をしばく。
「佐祐理は、お茶いれるの上手いから」
舞が自分のことのように自慢する。
「いや、佐祐理さんの紅茶が美味いのは知ってたけど、緑茶の入れ方まで上手いとはなぁ」
「あははーっ」
照れて笑う佐祐理さん。ちなみに、紅茶をいれるときと緑茶をいれるときのテクニックはまた違うし、同じ緑茶でも茶葉の種類でまたいれ方が違ったりして、なかなか奧が深いのだ。
つまようじで羊羹を刺して口に入れる。
「ん、美味い」
「よかったぁ。その羊羹、ボクが切ったんだよ」
笑顔で言うあゆ。
「ま、羊羹は切り方で味が変わるもんでもないしな」
「……うぐぅ、そんなことないよぉ。やっぱり、切り方によって味も変わると思うんだよ」
何故か力説するあゆ。
と、ずずーっとお茶を飲み干した舞が立ち上がった。
「お、出かけるのか?」
「……トイレ」
ガシャン
立ち上がろうとしてた俺は、その場に突っ伏した。
「……あのな」
「祐一が、聞いたから」
さすがに恥ずかしかったのか、赤くなって言うと、舞はそのままダイニングを出ていった。
しばらくして、戻ってくる。
「それじゃ出かけるか?」
「……トイレ、どこ?」
ズガッシャァン
「うにゅ?」
派手に俺がこけた音で気付いたのか、テーブルに突っ伏していた名雪が顔を上げると、ぼそっと呟いた。
「……祐一のえっち」
……どういう夢を見てるんだ、こいつはっ!
とりあえず、俺は名雪のほっぺたをうにゅーっと左右に引っ張った。
「ふかーっ」
面白い顔だ。
「祐一さん、あまり名雪の顔で遊んじゃだめですよ」
調子に乗って油性マジックで落書きしようとした俺を、秋子さんがやんわりとたしなめた。そして立ち上がる。
「トイレはこっちよ、舞さん」
「……」
無言で、秋子さんについていく舞。
何となくそれを見送っていると、栞が俺に訊ねた。
「で、川澄先輩と2人でどこかに行くんですか?」
「気になるのか?」
俺が意味ありげににやりと笑いながら訊ねると、栞はなぜか顔を赤らめて俯いた。
「えっと、それはその……、やっぱりそういうことなんでしょうか?」
「どういうことだ?」
「それは……。そ、そういうことを言う人は嫌いですっ」
そう言って、真っ赤になって俯いてしまった栞。
俺がにやにやとしていると、不意に佐祐理さんが言った。
「はぇ〜、もう舞とはそういう関係までいってたんですね〜。佐祐理は全然気がついてませんでした〜」
「へ? あ、いや、それは……」
「祐一さん、舞はとってもいい娘なんですよ。だから、ちゃんと責任取って幸せにしてくださいね〜」
「だから、ちょっと待ってくれっ!」
「はい、なんでしょう?」
今にも結婚式場の予約をしに行きそうな勢いの佐祐理さんを説得するのは、えらく骨の折れる作業であった。
そして、その間に真琴の姿が見えなくなっていたことには、俺は全然気付かなかった……。
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あとがき
人数が多いせいか、なんだか全然話が進みませんね(苦笑)
平穏な日常がだらだらと続いている、という感じで。
話のペースをもっと上げた方がいいのかどうか、ちょっと皆さんの意見を伺いたいところです。
プールに行こう2 Episode 12 99/9/7 Up