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Kanon Short Story #9
プールに行こう2 Episode 5

「さて、と……」
 俺は、コンビニを出ると、学校に向かった。
 そろそろ夜の8時を過ぎる。
 いつもなら、寒風吹きすさぶ中、「俺は何をしてるんだろう」と哲学的な命題を考えながら歩くのだが、さすがに今日は生暖かくて助かる。
 非常口から夜の学校に忍び込み、いつもの廊下に出ると、やっぱり舞はそこにいた。
「……祐一」
「おう、舞。今日も差入れしに来たぞ」
 そう言って、片手のコンビニのロゴの入ったビニール袋を掲げてみせると、舞がすたすたと近寄ってくる。
 ……なんか、野生動物の餌付けみたいだな。
 びしっ
 そんなことを考えた俺の眉間に、いきなり舞のチョップが炸裂した。
「な、なんだよっ!」
「今日は何?」
 ……いや、いいけどさ。
 俺は心の中で苦笑すると、買ってきたものを出した。
「今日は暑いから、みぞれ」
 カップに入ったかき氷。夏の定番だ。
「……牛丼は?」
 あ、そういえば約束してたっけ。
 まぁ、この暑いのに牛丼でもないだろう。
「それはまた別の時に」
「……」
 思い切り不満そうだった。
 しょうがない。約束は約束だしな。
「わかったよ。それじゃ俺、今日は帰るわ」
 肩をすくめてきびすを返した俺のTシャツの裾が引っ張られた。
「ん?」
 振り返ると、舞はぱっと手を離す。
「何だよ?」
「かき氷は、嫌いじゃない」
 どうやらかき氷も食べたいらしかった。
「それじゃ、今日は牛丼はなしでいいんだな?」
「……はちみつクマさん」
「それはもうええっちゅうに」
 俺は苦笑して、もう一度“みぞれ”と書いてあるかき氷のパックを出す。
 じっとそのカップを見つめ、それから右手に持つ剣に視線を向ける舞。
 ……ああ、そうか。カップの氷を食べるには、両手を使わないといけないのか。
「剣を置けば?」
「……だめ」
 あっさり言うと、舞は俺に視線を向けた。
 まさか、食べさせろって言うんじゃ……。
「食べさせて」
 ……ホントに言うとは思わなかった。さすが舞だ。
「よしわかった。俺が完璧に食べさせてやろうっ」
 俺は、カップの蓋を開けた。と。
 不意に舞が腰を落とした。
「どうした?」
「……」
 無言で、廊下の向こうを見つめている舞。
 ……まさか!?
 そう思った瞬間、俺の体は宙に飛んでいた。
 後ろから何かにはねとばされた、と理解したのは、俺の体が廊下の床に叩きつけられてからだった。
 ダンッ、ダンッ
 そのまま床を転がる俺の上を、白いものが飛び越えていく。
 誤解されないように言っておくが、舞の着ている女子の夏制服の上着が白なのだ。スカートの中が白だと言った訳じゃないぞ。
 ……って、そんな言い訳してる場合じゃなかった。
「舞っ!」
 俺が叫ぶのと、舞が剣を振り下ろして着地するのは同時だった。
 静寂が流れた。
 舞が、ふぅと息を吐いて、剣を一振りした。それからおもむろに振り返り、床に倒れている俺を見る。
「何してるの?」
「……あのな」
 俺は苦笑して、肩を押さえながら立ち上がった。
 うん、それほど痛みはなし、と。
「あ」
 不意に舞が小さく呟いた。
「どうした、舞?」
「氷……」
 振り返ると、かき氷は床にばらまかれていた。
「あのなぁ……。それより、魔物は?」
「逃げられた。多分、今日はもう来ない」
 そう答えると、舞は床に屈み込んだ。そして床に散らばって溶け始めた氷に手を伸ばす。
「こらこら、汚いからやめろって」
「……もったいない」
 悲しそうに言う舞。
 しょうがない。
「んじゃ、帰りにおごってやるから、今日は帰ろうぜ。もう魔物も出てこねぇんだろ?」
「……うん」
 舞はこくりと頷いた。

 舞に「先に行っていて」と言われたので、俺は校門で待っていた。
 とりあえず、後から来る舞のために、正門の脇にある通用門を開けておいてやることにした。南京錠がかかっているわけでもなかったので、意外に簡単に開く。
「よしよし」
 パンパンと手を叩いて、自分のしたことに満足感を覚えていると、舞がひらりと壁を飛び越えてきた。
「……あのさ、舞」
「何?」
「校門をわざわざ開けておいたのに、どうして壁を飛び越えて来るんだ?」
「……さぁ」
 小首を傾げる舞。
 俺はため息を付きながら、通用門を閉めた。
「それじゃ、コンビニに行こうぜ」
「コンビニ?」
「この時間じゃ喫茶店だって閉まってるだろ」
 俺は時計を指して見せた。午後11時近い。
「だからコンビニだ」
「コンビニに、かき氷は売ってる?」
「ああ、売ってるよ」
「なら、行く」
 頷くと、舞は歩き出した。それから、振り返る。
「……コンビニ、どこ?」
 とことん世話の焼ける奴である。

 シューッ
 コンビニに入ると、そこには先客がいた。
「あはは〜。こんばんわ、舞、祐一さん」
 俺の知り合いの中でも、深夜のコンビニでは一番エンカウント率の低そうな人に出くわしてしまった。
 白のサマーセーターに赤のチェックのミニスカート姿の佐祐理さんである。ちなみに髪を結わえている大きなリボンも白だ。白万歳。
「佐祐理さん? なんでこんなところに?」
「二人が仲良くしててくれると、佐祐理も嬉しいです〜」
「かき氷、どこ?」
 ……会話が全然バラバラだった。
「いや、それは誤解で……」
「佐祐理は、お腹が空いたから買い出しです〜。でもお父様には内緒ですよ〜」
「かき氷……」
 ……相変わらずバラバラだった。
「舞はかき氷を食べに来たの?」
「祐一のこと、嫌いじゃないから」
「佐祐理さんも買い出しなんですか? いや実は俺達も……じゃなくって!」
「きゃぁ」
 俺がいきなり大声を出したので、佐祐理さんが可愛い悲鳴を上げて首をすくめた。
「祐一さん、急に大声出すから、佐祐理、びっくりしちゃいましたよ〜」
「祐一、うるさい」
「あのな……。ともかく、俺達は舞がかき氷を食べたい、食べないと死んでしまう〜とのたまうので、仕方なくコンビニに買い出しに来たわけだ」
 ぼかっ
 額にチョップされた。
「そんなことは言ってない」
「似たようなもんだろうが」
「あはは〜っ。相変わらず舞と祐一さんの仲が良くて、佐祐理も嬉しいです〜」
「あの〜、お客さん。店内で騒がないでいただけませんか?」

 店員に注意された俺達は、「佐祐理を悲しませた〜」と店員に斬りかかろうとする舞をなだめつつ、大人しくアイスを買ってコンビニから撤収した。
「……祐一」
 出たところで、俺に手のひらを差し出す舞。
「こらこら、ここで食う気か?」
「でも、どこで食べますか? 佐祐理の家まで来ていただいてもいいんですけど……」
「いや、それは遠慮しよう」
 夜中にこそっと抜け出した娘が、男を連れて帰ってきたりしたら、俺が佐祐理さんの父なら即刻斬り殺してるだろう。
「それじゃ舞の家? それとも祐一さん?」
「うーん、この場合誰の家でも問題ありそうだし……」
 俺は考えて、ぽんと手を打った。
「そうだ。あそこにしよう」
「あそこ、ですか?」
「よし、そうと決まれば善は急げ、だ。二人とも着いてきて」
 俺は早足で歩き出した。
「あっ、祐一さん? どこに行くんですか?」
「行けばわかりますよって」
 そう言い残し、俺は先を急いだ。ここからだとちょっと遠いからだ。

 木立を抜けて、噴水前に出ると、ライトアップされた噴水が光の飛沫を上げていた。
「さて、と」
 3人がベンチに腰を落ち着けたところで、俺は袋を探って、かき氷のパックを舞に渡した。
「佐祐理さんはこれだっけ?」
「はい、ありがとうございます」
 佐祐理さんは、チョコミントのアイスを受け取って嬉しそうに笑った。
 しばし、黙々と3人でアイスを食べる。
「みんなで食べると、美味しさも格別ですね〜」
「まぁ、そうだな」
「……みまみま」
 空を見上げると、ぼうっとにじんだような星空が広がっていた。
「明日も、晴れか。暑くなりそうだな」
「そうですね〜」
 俺の言葉に佐祐理さんが相づちを打って、同じように空を見上げる。
「……佐祐理は、星空は好きですよ」
「私も、嫌いじゃない」
 今度は、黙って星空を見上げる。
 不意に、佐祐理さんがぼそっと呟いた。
「一弥も、どこかでこの空を見上げてるんでしょうね」
 バッ
 風が舞った。
 何事かと思って視線を下げると、舞が5メートルは飛び退いていた。
「どうしたんだ、舞?」
「あ……」
 佐祐理さんが、思い当たったようにぽんと手を叩くと、舞に呼びかけた。
「ごめんね、舞。その話はしないから」
「……本当?」
「うん」
「なら、いい」
 頷いて戻ってくる舞。
 俺は佐祐理さんに尋ねた。
「何のことです?」
「今は……お話しできません。舞と約束しましたから」
 そう言って、佐祐理さんは、再び星空を見上げた。
「悲しいお話は、舞が嫌いなんです」
 悲しい、お話……。
 なんだろう? 佐祐理さんが言った、一弥って奴が関係してるんだろうか?
 聞いてみたいけど、でも今の様子じゃ無理だし。そのうちに折を見て聞いてみよう。
 その時の俺は、のんきにそんな風に思っていた。佐祐理さんが背負っているものなど、知る由もなかったからだった……。
 ただ、星空をバックにした佐祐理さんの横顔は、話しかけるのを躊躇うほど、悲しげだった。
「……あはは〜。そんなに見つめられると、佐祐理困っちゃいます〜」
 そう言って笑う佐祐理さんは、もういつもの佐祐理さんだった。
「ご、ごめん」
 頭を掻く俺に、佐祐理さんは笑顔で言った。
「それに、祐一さんには舞がいますから〜」
 ぽかっ
 舞が佐祐理さんにチョップしていた。
「あはは〜。舞、照れてたらダメだよ〜。水瀬さんや美坂さんに、祐一さん取られちゃうぞ〜」
 ぽかぽかぽかっ
 つむじまで真っ赤になって佐祐理さんにチョップする舞は、まぁ可愛いと言えなくもなかった。

「それじゃ、また明日お逢いしましょうね〜」
「……お休み」
「ああ、舞も佐祐理さんもお休み」
 声を掛けて、何やら話しながら帰っていく二人を見送ると、俺はふぅとため息をついて、水瀬家への道を歩きだした。

 カチャ
「ただいま〜」
「あっ、お帰り、祐一くん」
 ドアを開けると、ちょうどバスルームからパジャマ姿のあゆが出てきたところだった。
「お風呂わいてるよ〜」
「おう」
 そう答えて靴を脱いでいると、あゆが玄関までぱたぱたとやって来た。
「こんな夜中にどこに行ってたの?」
「実は公園でゾンビを退治してたんだ」
「うぐぅ」
 たちまち凍り付くあゆの表情。
「ゆ、祐一くんの嘘つき〜」
「嘘じゃないぞ。こう、手をゆらーっと掲げて迫ってくるゾンビがな〜」
「うぐぅっ、やめてよぉっ。ボクそういうの弱いんだからぁ〜」
 慌てて両耳を塞いで叫ぶあゆ。俺はそのあゆの頭にぽんと手を置いた。
「冗談だってば」
「うぐぅ……、意地悪〜」
 涙目になって俺を睨むあゆの頭をくしゃっと撫でると、俺は風呂場に向かった。
「さっさと寝ろよ〜」
「うぐぅ。祐一くんなんて嫌いだよ〜」
 そう言い残して、あゆは階段をぱたぱたと上がっていった。
 うーん、さすがにやりすぎたかなぁ。
 そう思いながら、脱衣場のドアを閉める。

 ざっぱぁーん
 風呂に身を沈めて、ため息を一つ。
「ふぃ〜っ、生き返るねぇ〜」
 バシャバシャとお湯で顔を洗ってると、不意に曇りガラス越しに、脱衣場のドアが開いたのが見えた。
「誰だ〜?」
「あっ、あのね、祐一くんっ」
 あゆ?
「ボク、さっき言ったのは、嘘だから……」
 あゆは小さな声で言った。
「ホントはね、祐一くんのこと……大好きだよ」
「え?」
「じゃ、じゃあ、お休みっ!」
 パタン
 脱衣場のドアが閉まる、小さな音がした。
 俺は、もう一度バシャバシャと顔を洗った。
 俺の思いは……、どうなんだろう?
 自分で考えても、どうにもよく判らなかった。

Fortsetzung folgt

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あとがき

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