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Kanon Short Story #15
プールに行こう5 Episode 29

「……ふぅ、食った食った」
 だらしなく手足を伸ばして、つまようじをくわえた格好で、俺は満足のため息をついた。
「美味しかったけど、いちごが付いてこなかったよ……」
「たい焼きがなかった……」
「肉まんもなかったのようっ!」
「……牛丼……」
 ……なんか、不満そうな連中もいるが。
 俺は栞に視線を向けた。
「栞はよかっただろ? ちゃんとデザートにアイスも付いてたし」
「はい」
 栞はこくりと頷いて、それからふと思い出したようにぽんと手を打った。
「祐一さん、私の携帯、どうしました?」
「あっ、そういえば……」
 朝、天野と真琴を探しに行くときに借りたままだったっけ。
 ……あれ?
 俺は腕組みして考え込んだ。そして笑顔で栞に言う。
「森の中に落としてきたと思う」
「……」
「んじゃ、そういうことでっ」
 しゅたっと手を挙げて立ち上がろうとした俺に、栞が恨みがましい視線を向けた。
「そんな風に誤魔化そうとする人、嫌いです〜」
「そうだよっ、祐一くん。借りたものはちゃんと返さないと駄目だよっ」
 あゆが栞に加勢する。
「食い逃げ犯人にそんなこと言われたくないわい」
「うぐぅ、食い逃げはもうやめたもん……」
 とはいえ、悪いのはこちらだからなぁ。
 でも……。
 俺は窓の外がもう暗くなっているのを確かめて、ため息をつく。
「なぁ、外はもう暗いから……」
「それじゃ、舞が一緒に付いていってあげればいいんですよ。ねっ、舞?」
 唐突にとんでもないことを言う佐祐理さん。
「なっ!?」
「ほら、舞が夜の学校に行ってたときに、祐一さんが付いていってあげてたじゃないですか。その恩返しに。ね、舞?」
「……うん」
 こくりと頷いて立ち上がる舞。って、待てこらっ!
 止める間もなく、舞は広間から出ていってしまった。
 俺はため息をついて、佐祐理さんに視線を向ける。
「……良い考えですよね、祐一さん?」
 エンジェルスマイルを俺に向ける佐祐理さん。
「そうだな」
 これを向けられてしまうと、抵抗できない自分が情けない。
 俺は立ち上がると、広間を出ようとして、ふと気付いて振り返る。
 いつの間にか、香里の姿が見えなくなっていた。
「そういえば、香里は?」
「お姉ちゃんなら、さっき一人分の夕ご飯をお盆に載せて、さりげなく出ていきましたよ」
「へ? いつの間に?」
「私、お姉ちゃんの幸せを邪魔するほど野暮じゃないですから」
 アイスクリームをスプーンで口に運びながら、すまして答える栞。
 俺は肩をすくめた。
「そりゃ良かったな。んじゃそういうことで」
「携帯、早く返してくださいね」
「……うぐぅ」
「祐一くんっ、それボクの……。うぐぅ……」
 俺はぽんと手を打って、あゆに言った。
「なぁ、あゆ。あゆも一緒に行かないか?」
「うぐぅっ!!」
 慌ててべたっと反対側の壁に張り付くあゆ。
「ゆ、祐一くんっ、行ってらっしゃい元気でねっ!」
 相変わらずの恐がりようで、じつにからかい甲斐がある。
「うぐぅ……、意地悪……」
 ちなみに名雪は、既にこっくりこっくりと舟を漕いでいた。

 広間を出ると、既に浴衣から普段着に着替えた舞が待っていた。
「準備終わった」
「こっちがまだだっ」
「なら、急いで」
「あいよ」
 それにしても、携帯なんでこの暗さで見つかるとも思えないしなぁ……。
 と思っていると、広間から佐祐理さんが顔を出した。手に、パステルブルーの携帯を持っている。
「祐一さん、栞ちゃんの携帯に掛けてみたら、着信はしてるみたいですよ」
「え?」
「ほら、聞いてみてください」
 言われるままにその携帯に耳を当てると、確かに呼び出し音が聞こえる。
「とりあえず、しばらくこのまま呼び出し続けておきますね」
 なるほど、そうすれば向こうでは着信音なり着メロなりが鳴り続けてるから、見つけやすいってわけか。
 佐祐理さんには、ちゃんと勝算があったってことだな。
「サンキュ、佐祐理さん」
「いえいえ〜。それじゃ舞、夜のデート、楽しんで来てね〜」
「……」
 びしっ
 久しぶりに舞のツッコミチョップを受けて、それでも佐祐理さんは楽しそうに笑っていた。

 俺も着替えてから、舞と並んで夜の森に入っていく。
 2人とも、手には大型の懐中電灯(当然、栞が例の四次元ポケットから出したものである)を持っているが、それでもやはり暗い。
 しかし、いつもだったら真琴も「真琴も行くの〜っ」とか言って着いて来そうなもんだが……。
 やっぱり舞が一緒だから遠慮してるんだろうか? 努力はしてるみたいだけど、そう簡単に苦手意識なんてものは消えないわけだし。
「……祐一、何考えてる?」
 不意に舞に聞かれて、俺は首を振った。
「いや、なんでも。それより、何か聞こえるか?」
「……」
 無言で首を振る舞。
 俺も耳を澄ましてみるが、何も聞こえてこない。森はしん、と静まりかえっている。
「……静かすぎる」
 舞が呟いた。
「えっ?」
「森の音がしない……」
 そう言われてみると、木々のざわめきや動物の立てそうな音すら何も聞こえないことに気付く。
 これは、朝のときと……同じだ。
 まさかっ!?
「舞、気を……」
「祐一、危ない」
 付けろ、と言おうとした時、俺は舞に突き飛ばされて雪の上を転がっていた。
 その足下を何かが掠めていく。
「くそっ!」
 身体を回転させて、自分にしては素早く起き上がる。
 昼の間のんびりと休養を取ったのが良かったのか、それとも温泉が本当に効いたのか、傷はそれほど痛まなかった。
「舞っ!」
「……」
 無言の舞。だが、右手に持っていた懐中電灯を左手に持ち替え、空いた右手にはどこから出したのか、剣を握りしめていた。
 腰をやや落としたその姿勢は、まさに「当方に迎撃の用意あり」という感じだ。
 その右手が閃く。
 がきぃん
 鈍い音がして、舞がとばされる。が、雪面で半回転して跳ね起きると、懐中電灯を落として剣を両手で握る。
「……せいっ!」
 鋭い気合いとともにその剣を横凪ぎに振るうと、振り切った姿勢でしばし動きを止めた。
「……舞?」
「……」
 舞は、ゆっくりと姿勢を戻すと、剣を一振りして振り返った。そして呟く。
「……祐一、格好悪い」
「悪かったな」
 ぶ然としながら、俺は舞の落とした懐中電灯を拾った。そして訊ねる。
「舞、今のは……?」
「わからない。でも……動物さんじゃない」
「魔物……?」
「……」
 黙って首を振ると、舞は呟くように言った。
「今のは……私の魔物じゃない……」
 舞の魔物ではない。つまり、舞の持っている“ちから”が暴走したというわけじゃない。
 舞はそう言ってるわけだ。
 しかし、そうなると……。
 朝の奴らがまだいたってことになるのか……。
「舞、その魔物は他にいるのか?」
「……」
 辺りを見回して、首を振る舞。
「いない……と思う」
「よし、それじゃ今のうちに旅館に戻るぞ」
 そう言って、俺は振り向いた。そして、思い出した。
「……そういえば、朝もこうだったっけ……」
 背後に続いているはずの、俺達が来た足跡が、まるっきり消え失せていた。
「……あ」
 舞もそれに気付いたらしく、小さく声を上げた。
「祐一、聞こえる……」
 ……いや、別のことに気付いたらしかった。
「何が?」
「……こっち」
 舞はすたすたと歩き出した。俺は慌ててその後を追う。
「ちょ、ちょっと待てって」
「……」
 無言で歩いていく舞。
 と、俺の耳にもそれが聞こえてきた。
 どこかで聞いたようなメロディー。
「これは……」
 栞の携帯の着メロ、か?
 無機質なはずの電子音が、なんだかとても心地よく聞こえた。

「……あ、あった」
 そう言って、舞は雪の中から携帯を拾い上げた。それから困った顔をして、俺に手渡す。
「うん、どうした?」
「止め方が判らない……」
「なるほど」
 俺は通話ボタンを押して、話しかけてみた。
「もしもし?」
 ややあって、向こうから佐祐理さんの声が聞こえてきた。
『あっ、祐一さんですか?』
「おう、祐一さんだぞ」
『ふぇ〜、良かったです〜。なかなか出てくれないから心配しましたよ〜』
「悪い悪い。ちょっと探すのに手間取ったんだ。あ、そうだ、舞に代わろうか?」
『そうですね、お願いします』
 俺は携帯を舞に手渡した。
「ほら、舞。佐祐理さんだ」
「……」
 舞は頷いて、携帯を耳に当てた。
「……うん。……そう。……そう。……うん」
 うーむ、はたから聞いてると、無愛想なことこの上ないなぁ。
 まぁ、佐祐理さんはそんなこと十分承知の上だろうけど。
 ふと悪戯心が沸いて、俺はこっそりと手を伸ばした。
 舞の方は、電話に夢中でこっちの動きに気付いていない。
 細心の注意を払いながら、ゆっくりと指を伸ばす。
 あと15センチ、10センチ、5センチ……。
「……うん。……待って」
 不意に振り返る舞。
「わっ! ち、違うぞ舞っ、俺は別に舞のお尻を触ってみて、悲鳴を上げるかどうか実験しようなんて考えてないぞっ!!」
「……祐一、後ろ」
「だから違うって……、え?」
 その瞬間、後ろから衝撃を食らって、俺はそのまま雪に突っ込んだ。
 幸い、一撃で身体を打ち抜かれて即死なんて事はなかったが、それでも息が詰まって、激しく咳き込んでしまう。
「げほげほっ、な、なにが……」
「祐一、これ」
 ぽいっと投げられた携帯を慌ててキャッチする間に、舞は剣を握って駆け出していた。
『舞? 舞っ!?』
 佐祐理さんの声が携帯から聞こえる。
 俺は舞を見失わないように駆け出しながら、携帯に向かって怒鳴った。
「悪い、佐祐理さんっ! 後で掛け直すっ!」
『はぇっ? 祐一さんですか? 何が……』
 ピッ
 携帯のスイッチを切ると、俺はその携帯を握りしめて、舞の後を懸命に追いかけていった。

Fortsetzung folgt

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あとがき
 プールに行こう5 Episode 29 01/5/18 Up

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