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旅館の部屋はたいがいそうなっているように、俺と北川の泊まっている部屋も、窓際は狭いながらも板の間になっており、1人掛けのソファが小さなテーブルを挟んで向かい合うように置かれていた。
Fortsetzung folgt
俺は、部屋に戻ると、そのソファに座って、一人でぼーっとしていた。
北川はあれ以来戻ってこない。どんな目に遭っているのかは怖いから考えないことにする。
と、不意に、ノックの音が聞こえた。
北川なら断りもせずに入ってくるだろうな、などと考えながら返事をする。
「はい?」
「……相沢さん。今、よろしいですか?」
ドアの向こうから聞こえてきたのは、天野の声だった。
「ああ」
「失礼します」
カチャ、とドアを開けて、天野が入ってくると、後ろ手にドアを閉める。
「……天野、もしかして告白か?」
「私、そんなにシュミは悪くないです」
俺の軽口をあっさりと受け流すと、天野は俺の座っているソファのところまで来た。
「まぁ、立ち話も何だし、座れよ」
包帯だらけの天野を立たせておくわけにもいかないが、そう言ったら言ったで角が立ちそうなので、俺はそう言った。
「恐れ入ります」
素直に頷いて、テーブルを挟んだ向かい側のソファに座ると、天野は頭を下げた。
「今日は、相沢さんまで巻き込んでしまって、本当にすみませんでした」
「いいって。天野には今までも散々助けられてるし、今更迷惑なんて思わないよ」
「……はい」
天野は、微かに苦笑した。
俺は訊ねた。
「天野、それであいつらは結局何者だったんだ?」
「……術者がみな、清廉潔白な者ではありません。そもそも人間はそのように出来てるわけですから」
そう言ってから、天野は窓の外に視線を向けた。
「……相沢さんは、不審に思いませんでしたか?」
「何をだ?」
「春休みだというのに、この旅館に私たち以外の宿泊客がまるでいないこと、ですよ」
「たまたまじゃないのか?」
「いえ……」
首を振ると、天野は言った。
「去年から、この温泉街に宿泊していた旅行客が何人も行方不明になっていたんです。最初は偶然と片づけられていましたが、それにしてはあまりに頻繁に起こっていたので、とうとう警察が動き出しました」
「……でも、何も見つけられなかった、か?」
「はい。でも、警察が無能なのじゃありませんよ。能力の範囲外の出来事だったのですから……」
「……あいつらが、やったのか」
天野は、こちらに視線を向けて、こくりと頷いた。
「あの2人は、私たちもマークはしていたのですが、しばらく前から、その監視網をくぐり抜けてしまい、行方不明になっていたんです」
「そっか……」
と、俺はふと思い出して、天野に尋ねた。
「ところで天野。あいつら、お前のことを“姫”って呼んでたな。知り合いだったのか?」
「……退魔の術には、いろいろな流派があります。その中でも天王蒼穹流は割と古くから続いている流派ですから、それなりに知られてます。あいつらも、自分が、いわゆる本流の退魔師達に、言ってみれば手配書が回ってる身だというのは知っていたはずですから、こちらのことも研究はしていたんでしょう。現に……」
天野は、左手をきゅっと握りしめた。
「彼らは、私の術を研究し尽くしてましたから……」
「天野……」
「……今だから言えますけれど……。あそこで相沢さん達が来てくれなかったら、多分あのまま私は殺されていたでしょう……」
淡々と言う天野。
だが、その手が微かに震えているのに、俺は気付いた。
立ち上がって、天野の横までいくと、俺はその手をそっと包み込むように握った。
「……」
一瞬、ぴくっと震えたが、天野はそのまま俺に手を預けて、呟いた。
「私は……、ずっと、いつ死んでも構わないって思ってました。あのときから……、ずっと……」
あのとき?
「でも、今は違います。私は、……今はまだ、死にたくありません。……真琴や、他のみんなと、生きていたいです……」
「……それは、いいことだと思う」
「……そうですね」
静かにそう言うと、天野は視線を俺に向けて、にっこりと微笑んだ。
「ありがとっ!」
「……へ?」
「あっ……」
ぽっと赤くなると、天野は俯いた。
「す、すみません……。また、瑞姫さんのときの後遺症が……」
「……いや、そんな天野も可愛いんじゃないか?」
「……ええと」
天野は困ったように口ごもると、立ち上がった。
「し、失礼します」
「ああ……」
俺が天野の手を離すと、天野はもう一度頭を下げて、部屋を出ていった。
ぱたん
音を立ててドアが閉まった。俺は今まで天野が座っていたソファに腰掛けて、窓の外を眺めた。
「……天野、美汐……か」
そっと、その名前を呟く。
「……ん」
ゆっくりと目を開ける。と、目の前にあゆの顔があった。
一瞬、ばっちりと視線が合う。
一拍置いて、あゆがばっと飛びのいた。
「あっ、祐一くんっ!? おお、起きたんだっ!? あは、あははっ」
「……あゆ、お前何かしようとしてたのか?」
「そそそそんなことないよっ!!」
両手を振り回して言うあゆ。
俺は、はっとして額に手をあてる。
「まさかあゆっ、日頃の恨みを込めて額に肉って書いたんじゃないだろうなっ!?」
「……うぐぅ、そんなことしないもん」
何故か拗ねるあゆ。
俺はとりあえずガラス窓に顔を映してみて、額に肉が無いことを確認した。
外はいつしか夕焼けに赤く染まっていた。どうやらうとうとしているうちに時間が過ぎたらしい。
「それで、どうしたんだ?」
「えっ、えっとえっと……」
うぐうぐしていたあゆが、不意にはっとして顔をあげた。
「あっ、そういえば、夕ご飯だから祐一くんを呼びに来たんだよっ!」
「……そういえば?」
「あう」
言葉尻を捕まえて追求すると、あゆは慌てて首を振る。
「それはどうでもいいんだよっ!」
「いいのか?」
「いいのっ! ほら、行くよっ!」
そのまま、ばたばたと部屋を出ていこうとするあゆ。
「ま〜〜て〜〜あ〜〜ゆ〜〜〜」
「えっ?」
どぉん
俺の声に振り返ったあゆが、ちょうど横向きにドアに激突した。そのままの姿勢で動かなくなる。
「おーい、あゆ?」
「……」
「へんじがない・ただのしかばねのようだ」
「しかばねじゃないようっ!!」
ドアに張り付いたまま、涙目になってくってかかるあゆ。
「それじゃ、しかばね老人クラブの田中さんか?」
「そんなギャグ判る人の方が少ないようっ!」
そう言いながら、ようやくドアから身体を引きはがしてこっちに向き直る。
「うぐぅ……、祐一くんがだましたぁ」
「人聞きの悪い……、ぷっ」
ちょうど半分が赤くなったあゆの顔を見て、思わず吹き出す俺。
「うぐ? 祐一くん、どうして視線を逸らすの?」
「いや、何でも……、うーっくっく」
と、いきなりドアが開いた。
ごづっ
「うぐっ」
「祐一ーーっ、ご飯だよーーっ。……あれ、あゆあゆ?」
元気よく入ってきた真琴が、今度は後頭部をドアに痛打されてうずくまっているあゆに気付く。
「あれ? どうしたの、あゆあゆ?」
「うぐぅ……」
今度こそクリティカルしたらしく、後頭部を押さえたままのあゆ。
俺はかがみ込んだ。
「大丈夫か、あゆ?」
「あ、もしかして……」
真琴がドアとあゆを交互に見てから、おそるおそる訊ねる。
「……ぶつけた、の?」
「思い切りな」
俺が重々しく頷くと、真琴は口ごもる。
「あう……」
「ん? どうした、真琴?」
「えっと……。ご……」
「ご飯?」
「ちがうわようっ! 祐一は黙っててっ!」
俺に向かって言うと、真琴はぶんっと頭を下げた。
「ごめんなさいっ!」
「えっ?」
俺は元より、あゆも余りに意外だったのか、後頭部を押さえながらも顔をあげた。
「真琴ちゃん?」
「え? 真琴、間違った?」
その俺達の反応に、今度は真琴があわあわする。
「あ〜、いや、そうじゃないけど」
「だって、名雪が言ってたのようっ。ちゃんと謝らないとだめって」
「そっか、名雪がなぁ」
「真琴ちゃん、偉い偉い」
「えへんっ」
胸を張って威張る真琴。うーん、こういうところを見ると、本心からすまないと思ってるのかどうかは疑問だが、まぁ形から入るのも、手段としては悪くはないか。
「それはそれとして、あゆあゆ、頭は悪くないか?」
「うぐぅ……、その言い方だと、ボクが莫迦みたいだよぉ」
「良いから見せてみろ」
俺は後ろからスリーパーの要領で腕を回して引っ張り寄せると、空いている方の手でその後頭部を撫でてみた。
「うん、こぶになってるけど、大丈夫そうだな」
「……」
「あれ? どうした、あゆ?」
前からあゆの顔をのぞき込んだ真琴が、慌てて俺の腕を掴む。
「祐一、あゆあゆの顔が青いわようっ!」
あ、スリーパーかけたままになってた。
「うぐぅ……。天国のお母さんの顔が見えたよ……」
「軽口が叩けるなら大丈夫だなっ」
「ぜんっぜん大丈夫じゃないようっ!」
そんな会話を交わしながら、俺達は廊下を走っていた。
「で、今日の夕飯はどこで食うんだ?」
「えっ?」
不意にぴたっと足を止めるあゆ。それからきょろきょろと左右を見てから、俺に尋ねる。
「祐一くんは知らないの?」
「なにっ? 俺は知らないぞっ」
「ボクだって知らないよっ!」
ぽかっ
「……真琴は?」
とりあえずあゆの頭を一発叩いてから、俺は振り返る。
真琴は、きょとんとして答える。
「みんなの部屋じゃないの?」
「あっ、そうだよきっと!」
大きく頷くあゆ。
トントン、トントン
“赤の間”も、ノックの返事なし。
「……あゆ、もう一発叩いてもいいか?」
「うぐぅ、だめだもん」
そう言いながら、あゆにしては素早く、頭を抱えてガード体勢に入る。
俺はため息をついた。
「このままじゃ、昨日の北川みたいに夕飯を食い損なうぞ」
「ええーっ!? そんなの駄目っ! あうーっ」
地団駄踏む真琴。
「祐一〜、なんとかしてようっ!」
「ま、フロントの人に聞けば判る事だけどなぁ」
俺はため息混じりにフロントに向かった。
フロントの人に案内してもらって、俺達は広間に案内された。
襖を開けて、あゆがばーんと出る。
「お待たせしましたっ!」
「あ、祐一、あゆちゃん、真琴、待ってたよ〜。こっちこっち」
名雪が手招きする。
それに従って座ると、俺は部屋を見回して、隣の名雪に尋ねた。
「ところで、北川はまたいないのか?」
「うん、そうだね」
こくりと頷く名雪。
「……香里に聞いてみたのか? 北川がどこに行ったのか」
「そんなの、怖くて聞けないよ……」
さもありなん。
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