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Kanon Short Story #15
プールに行こう5 Episode 26

 ザウッ
「ぐはぁっ」
 獣が斜めに振るった前足が、俺の胸をえぐった。
 そのまま、仰向けに倒れた俺の胸に、獣は足をかける。
「がぁぁっ!」
 激痛が走り、赤い血が噴き出す。
 ……このまま、死ぬのか、俺は……。
 男のつまらなさそうな声が聞こえる。
「やっぱり、人間はもろいなぁ。三神、そっちはどうだ?」
「こっちはそれなりに楽しめそうだな。へへっ」
 そちらからさっきまで聞こえていた真琴の悲鳴も、もう今は聞こえなくなっていた。
 やっぱり、俺には……、何も出来ないのか?
「祐一っ!」
 名雪の声が聞こえる。
 そうだ。俺は、名雪を……守らないといけない……んだ……。
 いけない……のに……。
「うるさいな。少し黙らせろ」
「えっ」
「名雪ぃっ!!」
 俺は立ち上がった。……立ち上がれた。
 だけど、すぐに獣に再び押し倒され、雪に埋もれる。
「祐一っ! このっ、どいてっ!!」
 駆け寄ってきた名雪が、その獣を掴んで引き起こそうとするが、獣が無造作に身体を振っただけで弾き飛ばされる。
「きゃうっ……」
 雪の上に倒れ、そのまま動かなくなる名雪。
「て……めぇ……」
 俺は、もう一度立ち上がろうと、手足に力を込めようとした。だが、もう手足は言うことを聞いてくれなかった。
「こいつはつまらないから、さっさと終わらせてそっちので楽しむかな」
 男の言葉と共に、獣がその腕を振り上げる。
 もう、俺には何も出来ない。
 せめて……、俺はこのまま死んだとしても、せめて名雪達は助けてくれ。
 初めて、俺は祈った。
 と、
「待て」
 男の声がして、獣は腕を止めた。
「また、誰か来たようだな」
「獲物がもう一つ、か。これで奇数になるから、勝負が付けられるな」
「ああ。ちょうどよかったぜ」
 男達の声。
 まさか、旅館に残っていた誰かが、俺達が戻らないから探しに来たのか?
 いけない……。ここに来ちゃいけないんだ……。
 俺は、薄れようとする意識を叱りつけて、必死に目を開け、声を出そうとした。
 喉から押し出されるのは、声ではなく、ひゅーひゅーという息だけだったが、目はなんとか開ける事が出来た。
 うすぼんやりとした視界の向こうに、微かに人影のようなものが見える。
 青い髪に、ピンク色のカーディガン、そして淡い紫色のタイトスカート。
 あれは……。
「俺がもらうぜっ」
 その声と同時に、今まで俺に爪を突き立てていた黒い獣が、身を翻してそちらに飛びかかっていく。
 俺は必死に声を上げようとした。
 その、俺の目の前で、獣は鋭利な爪を振り上げて、振り下ろす。

 ずばぁっ

 一瞬早く、オレンジ色の閃光が獣を貫いた。獣は、あっけないほどあっさりと四散し、黒い霧のようになって消える。
「なにっ!?」
 その間隙を突くように、後ろから飛びかかる、別の獣。だが、それも身体に触れることもなく、オレンジ色の閃光に粉々に引き裂かれるようにして消滅した。
「まさか、そんな……。その技は……」
「馬鹿な! あいつは死んだはずだぞ!」
 男達の驚愕する声が交錯する。

 それを圧するように、涼やかに響き渡る声。

「あなた達は、一つだけしてはいけないことをしました。それは、私の愛する子供たちを傷つけたこと……」

 あの声は……。
「ちっ! かかれっ!!」
「行けっ、我が下僕達っ!!」
 その声と同時に、次々と黒いものが四方から飛び込んでいっては四散していく。それはあたかも、誘蛾灯に飛び込んでいく虫のようだった。
「そ、そんなバカな……」
「俺の式神が……全く通用しないなんて……」
 やがて、その黒いものの姿が全てなくなると、その人影は歩き始める。
 その歩みの向かう先からは、今までの居丈高な口調が嘘のように、おびえきった男達の悲鳴。
「ひぃっ! く、来るなぁっ!」
「ゆ、許してくれっ! もうしないからっ!」

 だが。

「却下」

 1秒だった。

「……さん、祐一さんっ!」
 耳元で大声で叫ばれて、俺はゆっくりと目を開けた。
「大声で叫ばなくても聞こえるって……、栞……」
「祐一さん……」
 目の前にあったのは、目に涙を浮かべた栞の顔だった。
「そ、そんなこと言う人……」
 そこでひくっとしゃくり上げると、そのまま俺の胸に顔を埋める。
「……大好きです」
「ぬぐれおおっ」
「わっ、すみませんっ」
 胸に激痛が走って、思わず悲鳴を上げると、栞は慌てて飛び退いた。そして、涙を拭うと心配そうにのぞき込んだ。
「祐一さん、大丈夫ですか?」
「そ、そんなことする人嫌いです……」
「わ、それ私のセリフですっ! ひどいです祐一さんっ!」
「でも、それだけ冗談言えるなら、大丈夫みたいね」
 脇からひょこっと顔を出して辛辣な言葉をかけたのは、香里だった。
「香里か……。あっ!」
 はっと気付いて身体を起こすと、全身が悲鳴を上げた。が、それに構わずに訊ねる。
「名雪は? 真琴は? 天野は?」
「……私は最後ですか」
 隣から小さな声が聞こえた。びっくりしてそっちを見ると、頭に包帯を巻いた天野が布団に横になっていた。
「いやすまん。けど、名雪は?」
「真琴は無事ようっ!」
 その天野の向こうで真琴が体を起こす。と、悲鳴を上げてまた横になる。
「あう〜〜、痛い〜〜」
「もう、ちゃんと横になってないとだめだよっ」
 その脇にから、あゆが嬉しそうに真琴に毛布をかけている。
「えへへ〜。ボクお姉ちゃんしてるよねっ」
「……あう〜〜」
 あ、真琴がなんか思いっきり悔しそうだ。
 いや、それより名雪はどこだっ?
 慌てて部屋を見回して、俺は初めて広い部屋に布団を並べて寝かされていたことに気付く。
「……ここは……」
「赤の間ですよ。私たちが泊まっていた」
 その言葉とともに、秋子さんが俺の顔をのぞき込む。
「祐一さん、大丈夫ですか?」
「秋子さん、名雪は?」
 俺が訊ねると、秋子さんはにっこり笑った。
「了承」
「……は? 何が?」
「いえ。名雪なら、こっちですよ」
 言われて反対側の隣を見ると、名雪がくーっと眠っていた。
「……」
 無言で秋子さんに視線を向けると、こくりと頷く。
「ええ。怪我もかすり傷ですから」
「……よかった」
 全身の力が抜けたかと思うと、一瞬忘れていた痛みが襲ってきて、俺はうめいた。
「……てててっ」
「ほら、無理するからですよ」
「……だ、大丈夫ですよ。……ところで栞、何を膨れてるんだ?」
「知りませんっ」
 膨れたままぷいっとそっぽを向く栞。
 香里が苦笑しながらその頭を撫でる。
「相沢くんが、自分の身体よりも名雪の無事を先に訊ねるからよ」
「お姉ちゃんもいちいち説明しないでいいんですっ」
「はいはい」
 笑ってから、香里は俺に視線を向けた。
「それにしてもいきなり木の下敷きになってそれくらいの怪我で済んでるなんて、あなた達も運がいいわね」
「木の……下敷き?」
「ええ。いつまでたっても相沢くん達が戻ってこないから、秋子さんが、あたし達に先に朝食取らせておいて、自分で探しに行ったのよ」
「お姉ちゃん、セリフが説明的ですっ」
 まだ膨れたままの栞に、香里は肩をすくめる。
「お約束だからしょうがないのよ」
「木の下敷き? それは……」
 違う、と言おうとした俺の唇を、秋子さんが指を当てて止めた。
「……」
 視線を向けると、にっこりと笑って頷く秋子さん。
 ……そうだな。あんなこと、知らないで済むのなら、それに越したことはない、か。
 俺は、仲良さそうにじゃれ合う2人を見て、苦笑した。
 と、ばんっと戸が開いて、北川が飛び込んでくる。
「相沢が死んだって!?」
「死んでませんっ! そんなこと言う人、人類の敵ですっ」
「祐一は死なないわようっ! ばかばかっ!」
「うぐぅ……。祐一くん死んでないよぅ……」
「相変わらず、いきなり失礼ですね」
 順番に栞、真琴、あゆ、天野の4人から集中砲火を食らって、入り口のところで棒立ちになった北川は、救いを求めるように香里に視線を向けた。
「み、美坂ぁ〜」
「まぁ、北川くんのボキャブラリーが貧困なのは、今に始まった事じゃないから、許してあげなさいよ、みんな」
 苦笑しながら言う香里。聞きようによっては一番ひどい言い方にも思えるが。
「美坂っ、やっぱり俺の恋人はお前だけだっ!」
 ぴょーんとドアからジャンプして飛んでくると、がばっと香里に抱きつく北川。その動きはまさしく伝説の「ふ〜じこちゃんジャンプ」。
「きゃっ! ば、莫迦、やめなさいよっ。もう」
 香里は赤くなって北川を突き飛ばす。
「おわぁっ!」
 そのまま北川は俺の上に倒れ込み……って、なにぃっ!
「ぎゃほぉわちゃぁぁっ!」
「わわっ! 祐一さん、大丈夫ですかっ!?」
「……だめかも……がくっ」
 俺は、そのまま再び意識を失った。

 かぽーん
「それにしても、倒木の下敷きになるなんて、お前ら何してたんだよ?」
「ほっとけ。……つつーっ」
 傷に湯がしみて、しかめっ面になりながらも、そろそろと湯の中で身体を伸ばす。
「しかし、ここの湯が打ち身切り傷捻挫にも効いて良かったじゃないか」
 笑いながら北川が、頭にタオルを乗せて隣に身体を沈めた。
「ぐわっ! き、北川っ! 湯を動かすなっ!」
「無理言うな。ほれほれ」
 笑って、わざと波をこっちに向かって起こす北川。
「てっ、てめぇっ、うぐわぁっ」
 俺が悲鳴を上げていると、女湯の方から名雪の声が聞こえてきた。
「祐一〜、大丈夫〜?」
「だっ、大丈夫……」
「……北川くん、この時とばかりに相沢くんをいじめるんじゃないの。みっともないわよ」
 香里の声も聞こえた。
「そっ、そんなことするわけないじゃないか。なぁ、同志相沢っ」
 ばしっ
「……っ!」
 背中を叩かれて、俺は声も出せないほどの痛みに、湯船の中でのたうつのだった。

「はぇ〜。それは大変でしたね〜」
「……祐一、大丈夫?」
 俺達が風呂から出てロビーを通りかかると、卓球をしていた佐祐理さんと舞の2人とはち合わせた。
 俺達が倒木の下敷きになった(ということになっている)ことは知らなかったらしく、包帯まみれになっている俺達を見て、本当に驚いている。
「でも、みなさん、本当に怪我は大丈夫なんですか?」
「まぁ、俺と天野はちょっと逃げ遅れたんで、怪我は重いですけどね。それでもこの通り」
 ガッツポーズなんてしてみせる。……ホントは痛いが、まぁ佐祐理さんの笑顔のためなら我慢である。
「……はい」
 天野もこくりと頷いた。
 ちなみに真琴と名雪は本当にかすり傷程度で済んでいた。……同じように戦った俺と真琴でこの差がついたのは、真琴を相手にしてた奴が“お楽しみ”に入ろうとしていたかららしい。まぁ、本当に“お楽しみ”に入る前に助けられたそうなので、ほっと安心というところだが。
「でも、その怪我では昨日の続きはちょっと無理ですね〜」
「昨日の続き?」
 聞き返す俺に、佐祐理さんはこくりと頷いた。
「はい。昨日勝った真琴さんと美汐さんのペアと、今日は舞と佐祐理が戦うはずだったんですよ」
「……だから、待ってた」
 佐祐理さんの言葉にぽつりと付け加える舞。ただ2人で卓球をしてたわけじゃなくて、どうやらウォーミングアップ中だったらしい。
 俺は天野に視線を向けた。
 大事を取っただけとはいえ、頭に包帯を巻いて、右腕を三角巾で吊ってる状態である。どう見ても卓球なんて状況じゃないよなぁ。
 真琴も、包帯こそ腕に巻いているだけだが、足を痛めてるとかで、今もびっこを引いてる状態だ。
 と、天野が言った。
「それじゃ、栞さんと美坂先輩に、代わりに出てもらうということでは如何でしょう?」
「佐祐理はそれでもいいですけど……。舞は?」
「……構わない」
 頷く舞。
 天野は、美坂姉妹の方に向き直って頭を下げた。
「すみません、お願いできますか?」
「はいっ、任せてくださいっ。昨日の雪辱ははらして見せますっ!」
 やる気満々の栞を見て、香里は肩をすくめた。
「あたしも構わないわよ」
「それじゃ、早速準備してきますねっ!」
 そう言って、ぱたぱたと走って部屋に戻っていく栞。
「あっ、栞! ちょっと待ちなさいよっ。もう……」
 小さく文句を言いながら、それでも嬉しそうに香里はその後に続いた。
 俺は、ソファに腰を降ろした天野の隣に座ると、再びウォーミングアップを始めた舞と佐祐理さんを横目に話しかけた。
「天野、あいつらは……?」
「……再起不能(リタイア)です」
 天野は、微かに笑った。
「いくら彼らでも、相手が悪すぎましたね、この場合は」
「相手って、やっぱり……?」
 俺はちらっと、名雪やあゆと何か話をしながら微笑んでいる秋子さんに視線を向けた。
「……なんですか、祐一さん?」
「あっ、いえ、なんでも……」
 慌てて手を振ると、俺は天野に訊ねた。
「なぁ、天野。秋子さんって……」
「……相沢さん」
 天野は微かに微笑んで首を振った。
 ……それ以上は追求しない方がいいらしかった。

Fortsetzung folgt

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あとがき
 いいですねぇ、月姫(笑)

 ともあれ、これでプール5も2クール終わりました。

 プールに行こう5 Episode 26 01/5/15 Up

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