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Kanon Short Story #15
プールに行こう5 Episode 17

 雪。
 雪が降っている。
 雪が降る中、俺はベンチに座っている。
 とっくに夜になっていたようで、街灯の明かりだけが俺の周りを照らしている。
 目の前を、右に左に、人が流れていく。
 だけど、今の俺にとって、それはどうでもいいことだった。
 サク、サク、サク
 雪を踏みしめる音が、なぜか聞こえてくる。
 大勢の人が目の前を歩いているはずなのに、その、俺に近づいてくる、雪を踏みしめる足音だけが、はっきり聞こえている。
 そして、人の間をかき分けるように、一人の少女が俺の目の前に姿を現した。
「……やっと、見つけた」
 俺は、ゆっくりと視線を上げていく。
 足、膝、スカート、黒いコート。
 どれくらい、外を歩いていたのか。肩に雪を積もらせている。
 俺の視線がそこで止まった。そのために、顔は見えない。
「……家に帰ってなかったから、ずっと……捜してたんだよ……」
 なんだ、これ?
 と、不意に世界がぐらりと揺れた。

「祐一っ、ゆういち〜〜〜っ、寝てないで真琴と遊んでようっ!」
 ゆさゆさと揺さぶられて目を開けると、目の前に真琴の顔のアップがあった。同時に、身体に伝わってくる振動、耳からはディーゼルエンジンの低い唸り。
 視線を真琴から外して右に振ると、外の風景は後ろへ後ろへと流れていく。
「どうしたのよう?」
「いや、一瞬自分のいる場所を忘れてた」
 俺は身体を伸ばして欠伸をした。
「ふわぁぁ〜。で、なんだ、ま……」
 チュッ
「えへへ〜〜。久しぶりにいただきっ」
 ぺろっと唇をなめて笑う真琴。
「あのなっ!」
「いいじゃないのようっ! 名雪は寝てるんだしっ!」
 ぴっと指さす真琴。その先を見ると、名雪が通路を挟んだ反対側の座席にもたれてくーっと眠っていた。
 やれやれ。
 ため息混じりに、俺は窓の外に視線を向けた。
 車窓の外はうっそうと繁った森になっていた。どうやら山道に入ったらしい。

 参加メンバーのスケジュール調整の結果、ようやく決定した温泉旅行の日程。
 その日がとうとうやってきた。
 というわけで、俺達は、以前海に行ったときと同様に佐祐理さんが借りてくれた市役所のバスに乗り、温泉旅館を目指しているというわけだ。
 ちなみに運転も前回と同じく、大型二種免許持ちの秋子さんである。
「祐一〜〜っ、海草に浸ってないで真琴と遊ぼうようっ!」
「……真琴、それを言うなら回想ですよ」
「あ、あう……」
 天野に指摘されて、真琴はしょぼんとしょげてしまった。あゆ辺りが相手なら屁理屈をこねて反論するところだが、さすがに天野ではそうも行かないらしい。
 ……うーん、考えてみれば、真琴が互角に戦えるのは栞くらいだし、一方的に勝てるのはあゆくらいしかいないか。
「うぐぅ……。ボクお姉ちゃんなのに……」
 例によってうぐうぐするあゆ。
「ところで栞はどうした?」
「寝てるわよ。酔い止めの薬飲んでたからね」
 香里が、隣のシートですやすやと眠る栞の髪をかき上げてあげながら答えた。
「道理で。真琴が俺にひっついても静かだと思ったぜ」
「えへへ〜。名雪もしおしおも舞も寝てるなら、真琴の思うたこつぼねっ!」
「それは、思うつぼでいいんですよ」
「あう……」
 またしても天野に指摘されてへこむ真琴と、さらに落ち込むあゆ。
「うぐぅ……。ボク、数えられてない……」
 ちなみに舞はというと、真琴の言った通り、隣の佐祐理さんにもたれ掛かるようにして、すやすやと眠っていた。
 佐祐理さんはというと、舞にもたれ掛かられて嬉しそうににこにこしており、なんとなく話しかけるのがはばかられる空間を形成していた。
「……同じ事が栞と香里の姉妹にも言えるわけで、おかげで北川は先ほどからバスの最後部の座席で一人でやってる」
「こら相沢っ! 誤解されそうなことを言うんじゃないっ!」
 つい思ったことを口に出してしまうと、北川ががばっと顔を上げて速攻で文句を付けてきた。
 あゆが真っ赤になって窓の外に視線を向ける。
「ボ、ボクは何も聞いてないし見てないよっ!」
「ちっ、違うぞ月宮さんっ! 俺は右手で一人寂しく慰めるなんてことはしてないぞっ! 第一今の俺は香里がいるんだから、そんなことしなくても毎晩……」
「目からびぃむ」
 どおぉぉぉぉん
 爆煙と共に、立ち上がって反論しかけた北川がそのまま後ろのシートに叩きつけられ、そのまま目を回して伸びてしまう。
 思わず振り返ると、真っ赤になった香里が、肩を怒らせてはぁはぁと荒い息をついていた。
「ば、莫迦なこと言ってるんじゃないわよっ!」
「どうした香里、顔が赤いぞ」
 俺が指摘すると、じろりと睨まれた。しかもその目がオレンジ色にっ!
「……相沢くんも死にたい?」
「こ、こっち見ないでようっ! あ、でも祐一は真琴が守るからねっ」
 震えながらもそう言う真琴。でもそういうセリフは俺の背中に隠れながらだと説得力ないぞ。
「うぐぅ、香里さんが怖いよぉ……」
 あゆあゆは最初から戦力外だった。総合的に判断して俺に勝ち目はない。
「冗談です。すみませんでした」
「……判ればいいのよ」
 ため息を付きながら、座席に座り直す香里。
 真琴が、ほっと一息ついた俺にがばぁっと抱きつく。
「わぁ〜っ、祐一〜〜、怖かったよぉぉ〜〜」
「ま、真琴ちゃんっ! そういうのは良くないとボクは思うよっ!」
「あゆあゆは黙っててようっ!」
「……うぐぅ」
 またしても姉の面目丸つぶれのあゆである。普段なら援護してくれる名雪は夢の中だし、秋子さんは運転中。というわけでバスの床にのの字を書くしかないのだった。
「どうせボクはプール4最終回アンケートでぶっちぎりの可哀想なヒロインだよっ」
「やったな、ナンバー1だ」
「ぜんっぜん嬉しくないよっ!」
 珍しく逆ギレするあゆ。よほど悔しかったらしい。
「真琴、あまり相沢さんや月宮さんを困らせるものではありませんよ」
 さすがに見るに見かねたのか、天野が割って入った。
「だ、だってぇ……」
「ほら、離れなさいね」
「……う、うん」
 頷いて、渋々ながら俺から離れる真琴。
「さすがだな、天野。おばさんくさいだけのことはあるぞ」
「失礼ですね。物腰が上品だと言ってくれないと嫌ですぅ〜」
「……あ、天野?」
 思わず目を点にする俺。真琴なんて慌てて俺の後ろに隠れる始末。
「ゆ、祐一〜。美汐が壊れちゃったぁ〜」
「……コホン、すみません。瑞姫さんの一件の後遺症が残ってるようで……」
 咳払いする天野。
「後遺症?」
「はい。1日とはいえ、瑞姫さんがこの身体を使っていたわけですから、その時の名残が残ってるみたいなんです」
「……そ、そうなのか。天野も大変だな……」
「いえ」
 軽く首を振ると、天野は窓の外に視線を向けた。
 ……天野、か。
 こないだは、中身は瑞姫だったとはいえ、天野とデートしたんだよなぁ。
 うーん。
 と、
 ぐきっ
「美汐ばっかり見てないで真琴も見るのっ!」
 真琴が俺の頭を無理矢理自分の方に向けた。
「……真琴」
「うんっ? なにっ、祐一?」
 満面の笑顔で聞き返す真琴に、俺は首を斜めに傾けたままで言った。
「……元に戻らないんだが……」
「えっ? わ、わわっ、ど、どうしよっ」
「ボクに任せてよっ!」
「却下」×2
「うぐぅ……即答……」
 また床にのの字を書いているんだろうが、首が曲がっているせいで見えない。
「♪おしえてぇ〜くだぁさぁい〜このよに〜いきとし〜いけるもののぉ〜」
 あげくに防人の歌(C)さだまさしを歌い始めている。
 ま、それはどうでもいい。
「おーい、天野〜」
「自業自得です」
 うぐぅ。
「香里〜」
「知らないわよ」
 あうぅ。
「佐祐理さ〜ん」
「はぇ? すみません、祐一さん。舞が起きちゃいますから、佐祐理は動けないんです〜」
 ううっ、みんな冷たい。
 と。
「あらあら」
 優しい声とともに、俺の首に柔らかい手の感触。そして。
 ごきっ
「これで大丈夫ですよ」
「あ、すみません、秋子さん」
「いいえ。では」
 俺は首をこきこきと回した。うん、直ってる。さすがは秋子さん。
 ……あれ?
 今の秋子さんだよな。でも、秋子さん、確かこのバス運転してたんだよな? 別に停まった気配もなかったし……。
 俺は慌てて前を見たが、秋子さんはちゃんと運転席にいる。
「……真琴、今俺の首を治したのは……真琴?」
「あ、あう〜」
 ぶんぶんと首を振ると、真琴はちょこちょこっと天野の所に駆け寄っていくと、そのまま天野に抱きついた。
「ま、真琴は何にも見てないもんっ」
「……天野、何があったんだ?」
「相沢さん、この世には知らない方が幸せなこともあるのですよ」
 天野にそう言われて、俺は追求を断念した。

 そんなこともあったが、他には何事もなく、バスは俺達の泊まる予定の旅館の駐車場に滑り込んだ。
 プシューッ
 ドアが開くと、待ちかねたように真琴が飛び出すと、えいっと腕を振り上げてVサインをする。
「いちばーんっ!」
「……ふわぁ、まだ眠いです……」
「ずっと寝てたからね。ほら、大丈夫?」
 小さな欠伸をしながら、栞、続いて香里が降りる。
 その後から舞が降りると、ぶるっと身を震わせた。
「……ちょっと寒い」
「佐祐理のジャケットでよければあるけど……」
「でも、それじゃ佐祐理が寒くなるから……」
「そっか。よーし、それじゃ旅館まで走ろっ!」
「……うん」
 ぱたぱたと走っていく2人。慌ててそれを真琴が追いかける。
「あうーっ! 真琴が一番乗りなんだからぁっ!」
「……まこさん、負けない」
 本気で走り出す舞。
「むーっ。真琴だって負けないんだからねっ!!」
 真琴も負けじとそれにぴったりと着いていく。
「あはは〜、2人とも早いですね〜」
 佐祐理さんも遅いほうではないが、この2人に着いていくのは無理だったらしく、あっさりと足を止めた。そしてこっちを振り返ると手を振った。
「みなさんも早く〜」
 ちょうどバスのタラップから降り掛けていた北川が、ぐっと拳を握りしめて盛り上がる。
「おおっ、あの倉田先輩に「はやくぅ(ハート)」などと言われて黙っていられようか、いやいられるものかっ!!」
「……そんなこと言ってないでしょう? 何を張り切ってるのよ、北川くんは」
 先に降りていた香里が呆れた口調でツッコミを入れるのに構わず、北川は叫びながらだだっと走り出す。
「うぉーっ、男の浪漫マンセー!」
 いや、走り出そうとした。
「えい」
「えっ、どうわぁーっっ!!」
 何かにけつまずき、そのまま駐車場に顔面からスライディングを敢行する北川。
 その脇に栞がしゃがみ込むと、こんこんと諭し始めた。
「もう。北川先輩、お姉ちゃんという人がありながら、倉田先輩にまで色目を使ったりしたらだめですよ。めっ」
「しゅ、しゅみませぇ〜ん」
 情けなし、北川。
「ほら、栞。ついでに北川くんも、さっさと行くわよ」
「あ〜、お姉ちゃん真っ赤です〜」
「……栞、あんたも言うようになったわねぇ」
「はい。お姉ちゃんの妹ですから」
 にっこり笑って立ち上がる栞と、その栞を喜んで良いやら怒って良いやらという複雑な顔で見る香里。
 結局、香里は苦笑して、栞の手を握った。
「行きましょうか」
「はいっ、お姉ちゃん」
 仲良く歩いていく姉妹と、すっかり忘れ去られて、その後をずりずりと這っていく北川。
 ……背中に哀愁が漂ってるな、北川の奴。
 さて、と。
 俺は、天野がいつものようにしずしずと歩いていくのを見送ってから、視線をバスの窓の向こうから、こちら側に戻した。
「……くー」
 目の前では、名雪がまだ夢の中であった。
「うにゅ……イチゴサンデー……」
「あらあら、名雪ったら、まだ寝てるのね」
 秋子さんがエンジンを切って運転席から出てくると、眠り続けている娘を見て苦笑した。そして俺に視線を向ける。
「祐一さん、先にみんなで旅館の方に行ってますから」
「あ、はい」
「それじゃ、ごゆっくり」
 にっこり笑ってバスを降りていく秋子さん。
 バタン、とドアが閉まると、俺と名雪は、2人だけでバスの中に取り残された。
 ……やっぱり、秋子さんには敵わないな。
 俺は苦笑してから、声をかける。
「……名雪、起きてるんだろ?」
「……うにゅ。なんで判ったの?」
 ぱちっと目を開ける名雪。
「秋子さんが笑ってたからな」
「うーっ、それじゃお母さんも……?」
「ああ。ったく、しょうがねぇな」
「だってぇ」
 恥ずかしそうに笑うと、名雪は俺の方に手を伸ばす。
「わたしだって……女の子だもん。祐一のこと、抱きたいって思うときもあるよ」
「……」
 一瞬。
 俺の目の前を、何かがフラッシュバックした。
 雪。
 駅前。
 少女。
「……祐一?」
 名雪の声に、俺は我に返った。
 いとこの少女が、俺の腕の下で、きょとんとした顔をしていた。
「どうしたの?」
「……なんでもないって」
 俺は、そのまま名雪にキスをした。

 座席と座席の間で、真っ赤な顔をして耳を塞ぎながらしゃがみ込んでいたあゆに俺達が気付いたのは、しばらく後のことだった。
「……なにやってんだ、あゆあゆ」
「……うぐぅ、出るに出られなかったんだよぉ……」

Fortsetzung folgt

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あとがき
 すっかり春めいてきたものです。

 さて、前回ちらっとあとがきに書いたモチーフの話ですが、流石に誰も正解はいませんでした(笑)
 いや、うる星はかなり近いんだけど、違うんだなこれが。

 プールに行こう5 Episode 17 01/4/2 Up 01/4/3 Update

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