トップページに戻る 目次に戻る 前回に戻る 末尾へ 次回へ続く
「祐一さぁ〜ん」
Fortsetzung folgt
走ってきた天野は、そのままの勢いで俺の腕にしがみついた。
「わわっ」
思わずそのまま持って行かれそうになるところをこらえる。
「ちょ、ちょっとあま……じゃなくて瑞姫か」
「うん、今のあたしは、坂本瑞姫だよ」
顔を上げてにこにこ笑う天野……もとい、瑞姫。
うぉ、今気付いたが、抱きしめられている腕に柔らかな感触が。
ちなみに、栞と佐祐理さんが選んだと思われる今日の天野の服装は、恐れていたような着ぐるみではなく、ごく普通のピンクのプリーツスカートに白いブラウス、ピンクのジャケットという格好だった。
瑞姫は、一歩下がって、そのスカートの裾を手にくるっと回って見せた。
「どうですか、この服」
「ああ、似合ってると思うな」
「きゃん、嬉しいっ」
文字通りぴょんぴょんと跳ねて喜ぶ瑞姫。うぉ、跳ねるもんだから、スカートがひらひらと。
「ちょ、ちょっと瑞姫っ! スカートっ!」
「えっ? きゃっ」
慌ててスカートを押さえて、瑞姫は上目遣いに俺を見た。
「……見た?」
「ちょっと待てっ! 今のは不可抗力だぞ!」
「うーっ」
しばらく唸ってから、瑞姫はほっとため息をついた。
「いいわ。とりあえずは許しちゃおう。でも……」
そう言うと、たたっと駆け寄ってきて、俺の腕に再びしがみついた。
「その代わり、今日は一杯遊びましょっ」
「ああ、そうだな」
俺は頷いた。そして左右を見回す。
「……どうしたの?」
「いや……」
いつものパターンだと、栞や真琴あたりが隠れてついてきてたりするんだよなぁ、こんな時は。
「あ、もしかして、誰かがついてきてないか確かめてるの?」
あっさりと見破られてしまった。俺は肩をすくめた。
「まぁ、そんなとこだ」
「そうなんだ。祐一くんったら、この人気者っ」
つん、と胸のあたりをつつかれる。
まぁ、真琴は秋子さんと名雪が押さえてくれるはずだからいいとして、危険なのは栞だな。
「瑞姫、栞と佐祐理さんはあれからどうしたんだ?」
「今朝まで美汐の家に泊まってたわよ。美汐の家から出るときもあたしを見送ってくれたし」
「佐祐理さんも一緒だったのか? そっかぁ……」
佐祐理さんなら、栞を押さえてくれるだろう。……多分。
俺がほっと胸をなで下ろしていると、瑞姫がそんな俺の顔を覗き込むようにして訊ねた。
「それで、今日はどういうデートコースなの?」
「……あれ? そっちが決めてきたんじゃないのか?」
「そんなことしてないわよ」
俺達は、しばし顔を見合わせた。それから苦笑する。
「まぁ、そんなわけで凝ったコースは出来そうにないけど、定番で良ければ」
「ええ、それで構わないわ」
こくこくと頷く瑞姫。それから、表情を少し曇らせる。
「本当なら、お弁当とかも用意してくるんだろうけど……」
「いや、それならそれで構わないって。どこかで適当に食うっていうのもデートの一つじゃないか?」
「それもそうですね。それじゃ、お任せしますっ。……とと、忘れるところだった」
不意に瑞姫は俺から離れると、バッグから白い封筒を出した。
「これ、美汐さんから。相沢さんに、デートの前に渡して、読んでもらって、って預かってたの」
「天野から?」
俺はそれを受け取った。実に天野らしく、無地の封筒の表に、「相沢祐一様」と丁寧な字で書いてある。
封を切って、俺は便せんを取り出した。こちらも何の飾りもないシンプルな白い便せんだった。
天野の手紙を読み終わると、俺は瑞姫にそれを渡した。
「え? あたしが見てもいいの?」
「ああ。っていうか、お前にも見ておいてもらえって書いてある」
「なるほど」
それは、天野からの注意点だった。
目を通していた瑞姫は顔を上げた。
「これによると、タイムリミットは今夜の零時ってことみたいね」
「ああ」
天野の手紙によると、それを過ぎると、自動的に瑞姫の霊魂は天野の身体から分離するようになっているらしい。
ついでに言うと、今回は、天野の霊魂もちゃんと天野の体の中に入っているそうである。もっとも、タイムリミットまでは、天野の身体は瑞姫のものなので、天野自身はその身体で何をしようと、まったく判らない状態だそうだが。
「……だからといって、変なことをしてもらっては困ります、か。天野らしいな」
俺は苦笑すると、手紙を畳んで封筒に入れた。そして瑞姫に言う。
「それじゃ高校生らしい健全なデートをしようか」
「そうね」
瑞姫も頷いた。それから、戸惑った表情をする。
「……でも、これからどうすればいいのかな……」
「うん?」
「えっとね……。笑わないでよね。ここまでは、よく頭の中でシミュレートしてたのよ。彼が先に来ていた場合は、とかね。でも、この後はどうすればいいのか、わかんなくて……」
「なるほど」
初デートにしては堂に入ったもんだと思ってたが、どうやらここまでらしい。
俺は少し考えてから、無難な線で行くことにした。
「それじゃ、映画でもどうだ?」
「そうね。二人で映画って恋人っぽくていいわよね」
うんうんと頷くと、瑞姫は俺の手を掴んだ。
「それじゃ、行こっ!」
「ああ」
俺は、瑞姫に手を引かれるようにして歩き出した。
しかし、当たり前だが、姿格好から声まで天野そのものなのに、行動やしゃべり方は別人だから、なんか変な感じだ。……まぁ、そのうちに慣れるだろうとは思うけど。
映画館を出ると、パンフレットを胸に抱いて、まだうっとりした表情の瑞姫が言った。
「うーん、感動したぁ」
「……そうか?」
瑞姫が選んだのは恋愛ものの映画だった。当然ながら俺には暇な展開で、途中から半分うとうとしていたので、筋もよく判ってなかったりする。
と、瑞姫が俺の顔を覗き込んだ。
「……祐一くんは面白くなかった?」
「正直に言えば」
「うーん、失敗かぁ」
腕組みして唸る瑞姫。俺は苦笑した。
「悪いな。俺も無理してそっちに合わせるつもりもないからさ」
「もう。だったら映画館に入る前に言ってくれればよかったのに」
「でも、瑞姫は見たかったんだろ? ならいいじゃないか」
「だって、祐一くんは見たくなかったんでしょ?」
話が堂々巡りになりそうだったので、俺は話題を変えることにした。
「ま、それはそれとして、そろそろ飯にしないか?」
「うーん、なんか誤魔化された感じだけど、確かにお腹空いたもんね。それじゃ、お昼はちゃんと相談して決めようね」
「ああ、そうだな」
俺は頷いた。
「へぇ、それじゃ瑞姫はずっと女子校だったのか」
「そうなのよ。おかげで男の子と知り合えなくてね」
ちゅるん、とパスタを飲み込んで、瑞姫はため息を付いた。
「ずっといい子だったからね」
「親の前ではいい子、か」
「そ。それで、そのことに対して疑問も持ってなかった。死ぬまでね」
瑞姫はため息をついた。
「死んでから、もうちょっと自由にやればよかったな、なんて思っても、もう手遅れだけどねぇ」
「……でもさ、生きてる俺が言うのもなんだけどさ、すべてやりたいことはやり尽くしたって思って死ぬような奴っていないんじゃないか?」
「それはそうかもしれないけど……。あん、もうやめやめ。せっかくのデートなんだから、もっと明るい話しよっ」
「ま、そうだな」
俺も賛成すると、ジュースを一口飲んだ。そして訊ねる。
「で、飯食ったらどうしようか? 遊園地でも行くか? あ、あとプールって手もあるな」
「プールかぁ。あ、でも水着とはどうしよう?」
「確か、こないだ行ったときにレンタルしてるのを見たような気がするけど」
「よし、それじゃプールに行こっ!」
瑞姫は笑顔で言うと、皿の上に残っていたパスタを、フォークに巻き付けた。
以前に何度か来たことがあるので、既に勝手知ったるなんとやらの状態になっているこの街の市民プール。全天候型の屋内温水プールなので、外で雨が降ろうと雪が降ろうと問題なくやっている。
当然、この日もちゃんと営業中であった。
春休みの初日ということもあって、学生……大学生から小学生くらいまで……で、結構にぎわっている。さすがに社会人はほとんどいないようだ。まぁ、平日だしな。
俺はレンタルのトランクス型の水着を着て、プールサイドで瑞姫が来るのを待っていた。
……しかし、遅い。
確かに海パン履いて終わりの男と違って、女の子には色々あるもんだろうけどさ。
俺はプールサイドに座って、バシャバシャと水面を蹴り上げながら、天井を見上げてため息をついた。
と、不意にその視界が闇に閉ざされた。
目の上には暖かい感触、そして……。
「だ〜れだっ!?」
「……今どき、こんなベタなネタはあまりやらないぞ、瑞姫」
「なんだぁ、すぐに判っちゃったか」
照れたように笑いながら手を離す瑞姫。
俺は振り返って文句を付けようとした。
「だいたいだいたたた」
「どう? 似合う?」
俺の前で胸を張ってみせる瑞姫。ちなみにその水着はというと、結構きわどい黒のビキニ。
うーん。天野の水着姿は今までにも見たことはあるとはいえ、何故かいつもスクール水着だったから、こういう水着は初めてだ。
こうしてみると、トランジスタグラマー系なんだよなぁ、天野は。
「……ちょ、ちょっと、そんなにじっと見ないでよぉ」
俺がほけーっと見つめていると、瑞姫は胸を腕で押さえて赤くなった。
「いや、似合ってる」
「そ? えへへ。……うーん、でもちょっと複雑だなぁ」
瑞姫は笑ってから、俯いた。そして、小さく呟く。
「だって、この身体はあたしのものじゃなくて、美汐さんのものだもんね……」
俺は、その後ろにそっと回り込むと、えいっと背中を押した。
「えっ? わ、わわわきゃぁぁっ!」
ドボーン
そのままプールの中に転落すると、一旦沈んだ後でざばっと顔を水の上に出す瑞姫。
「ちょっとっ! なにすんのっ!!」
「変なことで悩んでるからさ。下手な考え休むに似たり、ってね。今はとにかく、楽しもうぜ」
笑って言うと、瑞姫はちっちっと指を振った。
「正しくは、“下手の考え休むに似たり”よ」
「えっ、そうなのか」
「隙有りっ!!」
ばしゃぁっ
思わず聞き返した瞬間を狙って、瑞姫は俺にすくったプールの水を掛けてきた。したたか顔面に喰らう俺。
「うぷっ! な、なにすんだっ!」
「お返しよ〜だ。鬼さんこちら〜」
そのまま、バシャバシャと泳いで逃げる瑞姫。
「よぉし、待てっ!」
俺はプールに飛び込んだ。
「おーい、こっちだ越前っ!」
着替えて出てきた瑞姫に向かって、先に着替えて市民プールの建物の前で待っていた俺は、手を振った。
その声に気付いて、瑞姫はたたっと駆け寄ってくると、開口一番。
「あ〜っ、恥ずかしかったぁ」
俺は、ぐっと両手の拳を固めて高らかに宣言した。
「俺はこの手の感触を忘れるものかっ」
「忘れてよっ。もうっ」
赤くなって膨れる瑞姫の頭を軽く小突いて、俺は時計を見上げた。
「もう6時か」
「なんかさりげなく誤魔化そうとしてない?」
「そんなことはないぞうっ!」
「……責任取って、夕御飯は祐一くんのおごりね」
「なにぃっ!? 割り勘が基本だろっ!」
「ほほぉ。それじゃ美汐さんにばらしちゃおうかなぁ。祐一くんは美汐さんの生の胸をしっかりと手で……」
「すみません、おごりますから秘密にしてください」
天野に知られたら、それこそ何をされるか判ったもんじゃない。
しかし、名雪のとはまた違った感触がなかなか……。
すぱぁぁん
「そこっ、へらへらしてるんじゃないのっ! ほら行くわよっ!!」
俺の後頭部をひっぱたくと、瑞姫はすたすたと歩き出した。
トップページに戻る
目次に戻る
前回に戻る
先頭へ
次回へ続く
あとがき
プールに行こう5 Episode 15 01/3/29 Up