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Kanon Short Story #15
プールに行こう5 Episode 3

 カチャ
 受話器を置いて、秋子さんは振り返った。
「天野さんのお兄さんが迎えに来てくれるそうですよ」
「すみません」
「……?」
 ちなみに、礼を言ったのは俺で、きょとんとしているのが天野である。
 俺と天野は、水瀬家のリビングにいた。秋子さんが天野を例の調子で家に連れてきたのだ。
「それにしても、大変だね。はい、どうぞ」
 全然大変そうに聞こえない口調で言いながら、名雪がジュースを天野の前に置く。
 秋子さんは、天野の正面の席に座ると、訊ねた。
「お名前は?」
「なにを……」
「しっ、黙って聞こうよ」
 名雪に制されて、俺は頷いた。
 天野は答える。
「さかもとみずき、よ」
 ……誰ですか、それ?
 思わず目を丸くしてから、俺は周りの連中がそれほど驚いていないのに気付いた。
「どんな字を書くの?」
「あ、ボク書くもの持ってくるよっ」
「ほら、やっぱり美汐じゃないでしょっ! 真琴の言った通りなんだからっ!」
 ……俺かっ? 俺がおかしいのかっ!?
「それじゃこちらも自己紹介しなくちゃいけないわね」
 秋子さんは、微笑んで自分の胸に手を当てた。
「私は水瀬秋子です。こちらが、娘の名雪と、真琴。さっき出ていったのが、あゆよ」
「えへへっ」
 娘と紹介されて、嬉しそうな真琴。
「わたしが名雪だよ」
 そう言うと、名雪は俺に視線を向けた。
「ほら、祐一も」
「あ、ああ……。俺は、相沢祐一だ。わけあってこの家に世話になっている」
「あらあら、祐一さんったら。正直に言ってもいいのに」
「おっ、お母さんっ!」
 にこにこ笑う秋子さんと、なぜかかぁっと赤くなる名雪。
「わたしは、まだそんな……。もうっ、お母さんの意地悪っ」
「はいはい」
 俺と真琴が、何の話になっているのかわけがわからずにきょとんとしていると、リビングのドアが開いて、あゆがノートを持って入ってきた。
「ただいまっ。ノート持ってきたよっ!」
「あ、この子があゆちゃんだよ」
 名雪がこれ幸いと話を振る。
「えっ?」
「そう。さっき話したえんじぇるうぐぅだ」
 俺が言うと、あゆが慌てて俺の所に駆け寄ってくる。
「祐一くんっ、ボクのことどう説明したんだよっ! えんじぇるうぐぅってなんだよっ!」
「説明しよう! えんじぇるうぐぅ、それは聖なる天使になれずに落ちこぼれ、そのくせ堕天使になるだけの踏ん切りもつかずにうぐうぐしている存在だ!」
 俺がきっぱりと言うと、真琴が嬉しそうにはやす。
「やーい、えんぜるうぐー」
「うぐぅ……。ボク、そんな存在だったんだ。知らなかったよ……」
 あゆは本気でショックを受けていた。それから、手に持っているノートに気付いて、天野に差し出す。
「はい、ノート持ってきたから、名前書いてみてっ」
「……あの、何で書くんですか?」
「何でって……、あーっ、書くもの忘れたっ! 取ってくるっ!」
 慌ててノートをテーブルに置くと、そのままリビングを飛び出していくあゆ。
「……えんじぇるうぐぅ?」
 その後ろ姿を見送って、天野は小首を傾げた。名雪がのんびりという。
「祐一、あんまりあゆちゃんいじめたら、めっ、だよ」
「そうですよ」
 秋子さんも頷くと、にっこり笑う。
「祐一さんの妹にもなるんですから」
「おっ、お母さんっ!!」
「はいはい」
 また真っ赤になった名雪を見て、嬉しそうに笑う秋子さん。またきょとんとする俺と真琴。
 と、チャイムの音が鳴った。
 ピンポーン
「あ、誰か来たよっ。わたし見てくるねっ!」
 素早く名雪がリビングを出ていった。そして、しばらくして栞を連れて戻ってくる。
「栞ちゃんだったよ」
「お邪魔します」
 もう勝手知ったる栞が挨拶しながらリビングに入ってきた。そして、天野の姿を見て声をかける。
「あれ? 天野さんも来てたんですか?」
「……? 私、天野じゃありませんけど……」
「えっ?」
 そのまま固まる栞。と、そこにあゆが入ってきた。
「はい、ボールペン取ってきたよ。あ、栞ちゃん、いらっしゃい」
「……あゆ、栞に事情を説明してくれないか?」
「えっ? あ、うん。任せてよっ」
 どんっと無い胸を叩くあゆ。
「……うぐぅ、少しはあるもん」
「そうですよねっ!」
 相変わらず、この話題になると意気投合する貧乳コンビである。
「ま、胸のない話はどうでもいいとして……」
「どうでもよくないよっ!」
「そうですっ。私達にとっては大事なことですっ!」
「いいから、あゆ、栞に説明しておいてくれ」
「あ、そうだった。栞ちゃん、こっちに来て」
「は、はい」
 頷いて、栞はあゆの後を追ってダイニングに入っていく。
 と、天野が顔を上げた。
「名前、書きましたけど」
「どれ?」
 俺達はノートを覗き込んだ。
「……坂本瑞姫? いい名前だね」
「えへへっ」
 名雪にほめられて、嬉しそうに笑う天野。……もとい、坂本瑞姫。
 その笑顔を見て、俺は今更ながら確信した。天野はこんな風には笑わない。もっとおばさんくさく(本人曰く、物腰上品に)笑うからな。
 でも、姿はどう見ても天野なんだよなぁ。
 俺は秋子さんに尋ねた。
「どういうことなのか判りますか?」
「天野さんのお兄さんがいらっしゃるまで待ちましょう、祐一さん。あ、瑞姫さん、と呼んでもいいかしら? お腹空いてませんか?」
「えっ? あ、はい。実は、もうぺこぺこで……」
 お腹を押さえて苦笑する瑞姫。
 秋子さんは立ち上がった。
「それじゃ、今から夕ご飯の用意するところだから、もう少し待ってくれるかしら?」
「あ、わたし手伝うよ」
 そう言って立ち上がる名雪。秋子さんはくすっと笑う。
「料理の腕も上げなくちゃいけないものね」
「も、もうっ! 今日のお母さん、すっごく意地悪だよ〜」
 また赤くなる名雪。……今日の名雪の方がなんか変だぞ。
「はいはい。それじゃ手伝ってね」
「うん。それじゃ祐一、真琴、瑞姫さんのことお願いね」
 そう言って2人が出ていくと、リビングには3人が残された。
「……ええっと。真琴、何か話題無いのか?」
「そんなこと言われてもわかんないわようっ」
 慌てて首を振る真琴。
「そういえば、今日は口数が少ないな、真琴は」
「えっ? そ、そうかな?」
「ああ。いつもなら、「こんなことやってられっかーっ!」って電話帳を引き裂くくらい元気なのに」
「そんなことしたことないわようっ!」
「……くすっ」
 俺と真琴がいつもの調子でやり合っていると、不意に天野が笑い出した。
「ご、ごめんなさい。でも、なんだかおかしくって。ほんとに仲が良いんですね」
「へ?」
「そうよっ」
 いきなり真琴が俺の首筋に腕を回してしがみつく。
「真琴と祐一はらぶらぶなんだからねっ」
「そうなんですか?」
「そうなのっ」
「待ていっ!」
 俺は慌てて真琴を引きはがした。
「あうーっ」
「やかましいっ」
 と、チャイムの音が聞こえた。
「お、誰か来たぞ。俺が見てくるか」
 そう言って俺は立ち上がり、リビングを出た。
「わっ、待ってよっ!!」
 慌てて真琴が追いかけてくると、俺にぴとっとひっつく。
「わ、なんだよ」
「……祐一、怖いよ」
 引きはがそうとした俺の手が止まった。
 真琴の華奢な体が震えていた。それが俺の体に伝わってきたのだ。
「……真琴?」
「祐一……」
 真琴は、俺の顔を見上げた。
「美汐、どこに行っちゃったの……?」
「どこにって……」
 そうだ。今、リビングにいるのは、天野じゃない。でも、天野と何か関係があるのは間違いないだろう。としたら、いつもの天野はどうなったんだ?
「……やだよう」
 真琴は、俺の服をぎゅっと掴んだ。
「もうお別れはやだよう……」
「……真琴」
 俺は、真琴の手の上に自分の手を重ねた。
「大丈夫だ。秋子さんだっているんだし、俺もいる」
「……祐一ぃ」
 じっと、俺の目を見つめる真琴。
 この瞳だけは、あの頃……、始めて出会ったあの時から変わっていない。
「……大丈夫だ」
 俺は、真琴の頭を撫でてやった。真琴はぽふっと俺の胸に顔を埋めた。
「……あったかい……」
 と、ちょうどそこに、ダイニングから栞とあゆが出てきた。栞が俺達に気付いて叫ぶ。
「ああーっ、何してるんですかっ!!」
「……ちっ」
 真琴は俺から体を離した。……ちっ?
「あ、真琴っ! さては今のは演技か?」
「えっへへっ」
「もうっ、いい加減にしてくださいっ」
 栞がぐいっと真琴を引っ張る。
「わっ、なにすんのよぉ、しおしおっ!」
「そんな名前で呼ぶ人嫌いですっ!」
「わぁ、真琴も栞ちゃんも、落ち着いてようっ!」
「うるさいわよう、あゆあゆっ」
「そうですっ。これは私達のことですから、あゆさんは黙っててくださいっ!」
「……うぐぅ……」
 2人に同時に怒鳴られて、あゆは背中を丸めて壁をつつき始めた。
「ボクのほうが年上なのに……。うぐぅ〜……」
 そんなあゆを無視してますますヒートアップする2人。
「大体、真琴さんはすぐに祐一さんにひっつきすぎですっ」
「いいのようっ! しおしおだってすぐに祐一にくっつこうとしてるじゃないっ」
「私はちゃんと綿密な計画の上での行動ですっ。真琴さんみたいに本能だけで行動してませんっ!」
 俺は声を上げた。
「おまえらいい加減にしろっ! こんなところでケンカするんじゃねぇっ!」
「はぇ〜、ケンカするのは良くないですよ〜。ね、舞?」
「……ぐしゅ。ケンカは嫌い……」
「あっ、舞、ほら泣かないで」
 ……うぉ!? いつの間に舞と佐祐理さんがっ!?
「あ、ごめんなさい。チャイム鳴らしたんですけど、誰も出てこなかったから、勝手に上がっちゃいました」
 そう言われて思い出したが、そもそもチャイムが鳴ったから、俺と真琴はリビングを出てきたんだった。
「……ぐしゅぐしゅ」
 舞が泣きながら真琴と栞に視線を向けると、二人は慌ててぱっと肩を組んだ。
「そんなことないですよっ。ほら、仲良しっ」
「そ、そうようっ!」
 ……二人とも、思い切り笑顔が引きつってるぞ。
 それでも、舞はこくりと頷いて袖で涙を拭いた。
「……それなら、嬉しい」
「あ、そうだ。あゆあゆっ!」
「えっ、ボクの出番!?」
 嬉しそうにくるっと振り返るあゆ。
「そうだ。天野のことを佐祐理さんと舞に説明しておいてくれ」
「うん、ボクに任せてよっ」
 どんと胸を叩くあゆに後を任せて、俺はリビングに引き返すことにした。
「あっ、祐一待ってよっ」
「私も行きますっ」
「なにようっ、しおしおはいいのっ!」
「……ケンカはだめ」
 ぼそっと舞に言われて、二人は慌てて笑顔で肩を組んだ。
「仲良しっ!」
「ですっ!」
 ……これは、新コンビ結成かもしれんなぁ。
 そんなことを思いながら、俺はリビングに戻った。

 リビングに入ると、様子を窺っていたらしい天野が、笑顔で言った。
「……相沢さんって、人気者なんですね」
「……頼む、やめてくれ」
 必死になって頼んだ。

Fortsetzung folgt

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あとがき
 まぁ、ちょっとばかり色々と考えてます。
 いろんな事を言われてるしね。

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