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Kanon Short Story #7
プールに行こう Episode 28

 ばしゃばしゃばしゃ
「相変わらず犬かきだな、あゆ」
「いいんだもん。ボクはこれが一番泳ぎやすいんだからっ」
 ぷぅっとふくれるあゆ。と、ちょうどそこに波が押し寄せてきて、あゆはあえなく波にのまれる。
「わぁっ! あぶっ……」
「わぁ、あゆちゃん楽しそうだね〜」
 のんびりと波に揺られていた名雪が、笑って言う。
「そうだな。大はしゃぎしてるぞ」
「……ねぇ、あたしには溺れてるようにみえるんだけど」
「わたしもそう見えますよ」
 ゴムボートに乗った栞と、それを引っ張っていた香里(と北川)が通りがかりに言う。
「だから、なんで俺がカッコなんだっ! 俺が一番引っ張ってるんだぞっ!」
「そんなことよりも、助けてあげなさいよ、相沢くん」
「しょうがねぇなぁ。あゆ、この手に掴まるんだっ!」
「……祐一、そこから手を伸ばしても届かないと思うよ」
「なにぃっ、それは盲点だった!」
「もう、何やってるんですか。月宮さん、大丈夫ですかぁ? ほら、これに掴まってください」
「わぁっ、俺を押し出すなぁっ!」
 栞に頭をぐいっと押されて、あゆの方によろめく北川。その髪の毛をぐいっと掴んで、あゆはやっと人心地着いた。
「……けほけほけほ」
「おう、元気だな」
「元気じゃないよっ! うぐぅ、死ぬかと思ったよっ」
 涙目で俺に訴えるあゆ。俺は肩をすくめた。
「それはいいけど、北川の頭を抱きしめるのはやめた方がいいぞ。いくら無い胸でも窒息するかもしれん」
「えっ?」
 そう言われて、あゆは初めて自分が北川の頭を抱きしめて、あまつさえ顔を自分の胸に押しつけていたことに気付いたらしかった。
「わ、わわぁっ!! いやぁーーーっ!!」
 バキィッ、ドカドカドカドカッ
 あゆのデンプシーロールになすすべなく飲み込まれた北川は、そのまま海の藻屑と消えた。合掌。
「うぐぅ……、うわぁ〜ん」
 ばしゃばしゃばしゃばしゃっ
 そのままあゆは泣きながら海岸まで泳いでいってしまった。
「なんだ? あゆのやつ、ちゃんと泳げるんじゃないか」
「祐一……」
 後ろから名雪に声をかけられて、俺は振り返った。
「なんだ、名雪?」
「あゆちゃん、泣いてたよ」
「みたいだな」
「みたいだな、じゃなくて。祐一、慰めてあげないとだめだよ」
 名雪は真面目な顔で言った。俺は思わず自分を指した。
「俺がか?」
「そうだよ。だって、祐一はあゆちゃんと、えっと……、友達なんでしょ? 昔っからの」
「まぁ、そうだけど」
「だったら、ね?」
 名雪は俺の肩をぽんと押した。俺は肩をすくめた。
「へいへい。それじゃ慰めるために岩場に連れ込んで押し倒してもいいんだな」
「それはダメだよっ。絶対ダメだからねっ!」
 何故か慌てる名雪。
「そういうことしたら、大人の人に怒られるんだからっ!」
「なんだよ、その大人の人っていうのは。第一、愛し合っている男と女がそういう関係になっても、別に問題ないだろ? 手を繋ぐだけで満足できる小学生じゃあるまいし」
「わたしは手を繋ぐだけでもいいよ……」
 さらに何故か真っ赤になって、名雪は小さな声で言った。
「別に名雪の話はしてないだろ? とにかく行ってくる」
「あっ、祐一……」
 まだ名雪が何か言いたげだったが、いつまで話に付き合わされるかわからんので、俺は強引にそれを振り切って泳ぎだした。

 海岸についたが、あゆの姿はどこにもない。ベースキャンプに戻って秋子さんに聞いてみようかとも思ったが、今のベースキャンプはデンジャーゾーンなので断念し、俺は海の家に行ってみることにした。
 行ってみると、案の定あゆは売店のイカ焼きの前でうろうろしていた。
 黙って見ていると、じゅーじゅーといい匂いを漂わせながら焼かれるイカの前を、あゆは右に行ったり左に行ったりしている。
 やがて、見かねたのか、イカ焼きのおっちゃんが声をかける。
「どうした、お嬢ちゃん? イカ焼き、欲しいのか?」
「えっ? あ、うん、欲しいよ」
「そっか。いくつだ?」
「えっと、16、になるのかな?」
「16匹も食べるのかい? あ、友達の分もか? そっかそっか」
「えっ、あ、えっと、そうじゃ……」
「はいよっ、ほいほいほいっと」
 おっちゃんは紙袋に焼きたてのイカを詰めていく。
「あ、あのっ、ボク……」
「へい、お待ち。熱いぞっ」
「わっ」
 どさっと大きな紙袋に入れたイカを渡されるあゆ。
「1匹200円だから、3200円だけど、お嬢ちゃん可愛いから3000円にまけとこう」
「えっと、あの、ボク、ごめんなさいっ!」
 ぺこっと頭を下げると、そのまま脱兎のごとく駆け出すあゆ。
「えっ? あ、おい、お代がまだだぞっ! こら、待てっ!!」
「ごめんなさぁ〜〜いっ!」
 ドップラー効果を残しながら駆け去るあゆ。唖然とそれを見送るおっちゃんと俺。
 間違いない、あいつはチャレンジャーだ。
 しょうがねぇなぁ。
 一足先に立ち直った俺は、おっちゃんに金を払ってやってから、あゆの走っていった後を追いかけた。

 砂浜をずっと歩いていくと、岩場に突き当たって終わりになっていた。
 その手前で、あゆは途方に暮れてるように突っ立っていた。まぁ、この暑さだ。岩だって熱せられて、靴でも履いてないと、とても上がれるもんじゃない。
「食い逃げ犯、見つけ」
 俺が声をかけると、あゆはびくっと振り返った。
「ふ、ふうふぃふぃふん?」
 あゆは、口一杯に、焼きたてのイカを頬張っていた。ごくりとそれを飲み込んでから、えへへと笑う。
「金なら俺が払っておいたからな。後で返せよ」
「えっ? あ、ありがとう……」
「みんなの所に帰ろうぜ。いくらなんでも、お前一人じゃ食いきれないだろ?」
「で、でも、ボク……、北川さんに悪いことしちゃったし……」
 俯くあゆ。でも、もぐもぐとイカを噛んでいるので雰囲気は台無しである。
 俺は苦笑した。
「北川はそんなこと気にする奴じゃねぇよ。今頃きっと、ラッキーって浮かれてるんじゃねぇのか?」
「うぐぅ、なんかそれもやだよ……」
 赤くなるあゆ。俺はその頭にぽんと手を置いた。
「さ、行こうぜ」
「う、うん。……祐一君も1本食べる?」
 あゆは笑って、イカ焼きを一本差し出した。

 あゆと並んでベースキャンプに戻ると、佐祐理さんが駆け寄ってきた。
「ちょうどよかったです。探しに行こうかと思ってたんですよ〜」
「ん? どうしたんだ、佐祐理さん?」
「はい。それが……、あら、美味しそうですね〜」
 佐祐理さんは、あゆの抱えているイカ焼きの袋に目を留めた。あゆが笑って差し出す。
「いっぱい買ってきたから、みんなで食べようよ」
「そうですね〜。でも、そろそろ時間なんですよ〜。だから、帰りのバスで食べましょう」
 佐祐理さんの言葉に、俺は空を見上げた。
「もうそんな時間なのか? まだ陽も高いぞ」
「でも、もうすぐ4時過ぎちゃいますよ。ここから家まで1時間以上は掛かりますから」
 そう言うと、佐祐理さんは振り返った。
「あ、ちょうど皆さんもいらっしゃいましたね〜」
「祐一っ!」
 名雪が駆け寄ってきた。それから、俺の耳にごにょごにょと囁く。
「何もしてないよね?」
「はぁ?」
「わ、わたし、祐一のこと信じてるからねっ」
「……?」
 何のことかさっぱりわからん。香里は香里で、後ろで吹き出しそうな顔をしてるし。
「何が言いたいんだ、名雪?」
「えっと……。あっ、お母さん、わたし手伝うよっ!」
 そのままバタバタと走っていく名雪。とうとうこらえかねたように香里が吹き出すと、それを栞がたしなめている。
「お姉ちゃん、笑うのは水瀬先輩に悪いと思うよ」
「そっ、そうねっ。……くくくっ」
「もう、お姉ちゃんったらぁ」
「なぁ、栞。香里のやつ、名雪に何を言ったんだ?」
「えっ? あの、えっと」
 なぜか、栞は顔を赤くしてうろたえている。
「わ、わたし、あ、いけない。薬飲まないといけないので失礼しますっ」
 そのままスタタッと走っていく栞。
「……なんだよ、みんなして。なぁ、北川……」
 返事はなかった。俺は振り返って北川がいないのに気付く。
「あれ? 香里、北川はどうした?」
「あっ、いけない」
 そう言って、香里はぺろっと舌を出した。
「波打ち際に埋めたままだったわ」
「は?」
 思わず聞き返す俺に、香里は笑って答えた。
「だって、あのあと鼻の下伸ばしてへらへらしてるんだもの。なんか悔しいから埋めちゃった」
 ……香里って、結構怖い奴なのかもしれんな。
 ま、北川だからいいか。
 俺は肩をすくめて、立ち上がった。そして、バタバタと片づけをしている一同を見回した。
「あれ? 真琴と天野はどうした?」
「それが、いないんですよ」
 困った顔をする佐祐理さん。
「ったく、しょうがねぇなぁ。ちょっと俺捜してくるよ」
「あ、すみません。お願いしますね、祐一さん。舞、あなたも、祐一さんのお手伝いをしてくれる?」
「判った」
 こくりと頷くと、舞は俺に視線を向けた。
「どうすればいい?」
「とりあえず、一緒に来てくれ」
 今度は無言で頷く舞。その耳に佐祐理さんが何か囁いた。おや、舞が赤くなって佐祐理さんにチョップしてるぞ。何を言われたんだろう?
 すたすたとやってきた舞に聞いてみる。
「さっき佐祐理さんに何言われたんだ?」
「……」
 ガツッ
 舞は無言で俺にもチョップした。そんなに言えない事なのか? 何を言ったんだ、佐祐理さんは?
 佐祐理さんの方を見ると、笑顔でぱたぱたと手を振っていた。

 とりあえず、真琴と天野が作っていた砂の城があったところに行ってみる。が、潮が満ちてきたらしく、既にそこには砂の城はなかった。
「さて、どうするか……」
「どうするの?」
 舞に聞かれて、俺は頭を掻いた。
「どうすっかなぁ。ここにいないとなると、どこかで泳いでるのかねぇ?」
「……」
 無言で辺りを見回す舞。
 と。
「うにゃぁ」
 猫が、舞の足に体をすり寄せていた。黒と白の、ひとをくったような顔をしている子猫だ。
「猫さん……」
 舞がかがみ込んで子猫を撫でる。
 俺は肩をすくめた。
「ぴろをほっといて何をしてるんだ、あいつは?」
「ぴろ?」
「こいつの名前だ」
 俺はぴろの首根っこを掴んで持ち上げた。こういう掴まれ方をすることも多いので慣れてしまったのか、ぴろは無抵抗にだらんと四肢を伸ばしきっている。
「ぴろさん?」
「だから、動物ならなんでも“さん”を付けるんじゃ……」
「ああーっっ! いないと思ったら祐一が捕まえてたのねぇっ!! 返してよぉっ!」
 後ろから声が聞こえた。振り返ると、真琴がじゃぶじゃぶと海をかき分けるようにこっちに向かって歩いてくる。
「捕まえてたわけじゃねぇよ。こいつから寄ってきたんだ」
「いいから返してっ!」
 俺の手をぺちぺちと叩く真琴。
「わーったよ。ほれっ」
 真琴の顔面に猫を押しつけてやる。真琴は慌ててぴろを抱きかかえた。
「わぁっ、濡れてるっ! 祐一に海につけられたんだぁ」
「あのなっ!」
「見つかりましたか?」
 ぼそっと後ろで声がした。振り返ると、天野がいつものように無表情に立っていた。
「うん。ほらっ!」
 得意そうにぴろを天野に見せる真琴。
「そうですか」
 ひとつ頷くと、天野はスタスタとベースキャンプに向かって歩き出す。
 ……そっか。天野も真琴と一緒に捜しててくれたのか。
「よし、戻るぞ」
「えっ? 戻るって?」
「もう帰るから、片付けしてるところだ」
「えーっ? 私、もっと遊んで行く〜」
「そうか。それじゃ帰るときは歩いて帰って来いな。じゃ、達者でな〜」
 手を振って歩き出すと、慌てて真琴が追いかけてきた。
「わぁーっ、待ってよぉ〜っ!」

 俺達は荷物を片付けてバスに積み込み、それから水着を着替え、バスに乗り込んだ。
 運転席に座った秋子さんが振り返る。
「全員いるわね?」
「はぁ〜い」
 みんなが声を上げる。行くときと同様、引率の先生よろしく佐祐理さんが俺達の数を数えて、小首を傾げる。
「あら?」
「どうしたんだ、佐祐理さん?」
「それが、一人足りないんです」
「あっ、いけない」
 香里が立ち上がった。
「北川くん、まだ埋めたままだったわ」
 こうして、危うく思い出してもらえた北川は、九死に一生を得たが、同時に香里に頭が上がらなくなってしまったようだ。もう一度、北川に合掌。

Fortsetzung folgt

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あとがき

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