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「泳いだな〜」
Fortsetzung folgt
「うん、泳いだね〜」
俺とあゆは、ビーチパラソルの影で並んでビーチマットに寝そべっていた。
時刻は、ちょうど午後3時過ぎ。
あれから、ぶっ通しで2時間ほど海でばしゃばしゃやって、さすがに疲れて一休みというところだ。
「祐一さん、あゆちゃん、いらっしゃい」
秋子さんが手招きした。俺とあゆは顔を見合わせて、起きあがった。
「なんだろう?」
「行ってみればわかるよ、きっと」
あゆの言うとおりだが、何故か俺の本能が警告を発している。
とはいえ、行かないわけにもいくまい。
俺は、秋子さんのところに歩み寄った。後からあゆもちょこちょことついてくる。
「どうしたんですか、秋子さん?」
「そろそろ3時でしょう? おやつでもいかがですか?」
にこっと笑いながら、秋子さんはクーラーボックスを開けた。
「わぁい。ボク、秋子さん大好きっ」
大喜びで手を叩くあゆ。
と、その顔が引きつった。
「それじゃ、用意しますから、少し待っててくださいね」
そう言いながら秋子さんがクーラーボックスから出したその瓶! その中に詰め込まれた、凶悪なオレンジ色のその物体はっ!!
俺はあゆの肩にぽんと手を置いた。
「あゆ、短い付き合いだったな」
「わぁっ、祐一くん、逃げないでようっ! ボクを一人にしないでぇっ!」
夜に俺の部屋にやって来て言うせりふなら、それはそれで嬉しいかもしれないが、今はそんな場合ではない。俺はふっとため息をついた。
「あゆ、男には一人で戦わねばならん時があるのだ。俺は暖かく見守るぞっ!」
「うぐぅ……。ボク、女の子……」
「そうか。俺は男だから、一人で紅茶の館アッシムに行かなければならんのだ」
「それを言うなら紅茶の店アッサムだよっ!」
「あらあら、仲がいいのねぇ」
にっこり笑う秋子さん。
と、名雪が戻ってきた。
「ただいまぁ、おかあさ……」
セリフが途切れたのは、言うまでもなく秋子さんの手にした瓶を見たせいである。
くるっと体を反転させる名雪。
「さぁっ、わたしもうすこし泳いで来るよっ!」
「待ていっ!!」
「待ってよ、名雪さんっ!」
慌てて名雪にすがりつく俺とあゆ。うぉっ、それでも引きずられるっ!
「はっ、放してよ、祐一、あゆちゃん!」
そう言いながら、俺とあゆをずるずると引きずって離れようとする名雪。あの体のどこにそんなパワーが秘められているのか。さすがνガンダムは、じゃない、陸上部部長は伊達じゃない。
「名雪っ、残ったら“ぴろさわり放題券”3日分を進呈するぞっ!」
「えっ?」
ずりずりと俺達を引きずって歩いていた足が一瞬止まる。チャンスだ。
「ええい、一週間分だっ!」
「ねこー」
うっとりとする名雪。既に頭の中では猫まっしぐらモードになっているらしい。
「よし、今だあゆっ!」
「うんっ」
俺達は二人がかりで名雪を引きずって戻り、俺が叫んだ。
「秋子さんっ! 名雪もおやつにしたいってっ!」
「了承」
1秒で了承された名雪が、我に返って辺りを見回している。
「あれ? わたし、ねこ?」
俺は黙って名雪の肩を叩いた。
「大丈夫。痛いのは最初だけで、あとは気持ちよくなるって」
バコッ
「青少年に誤解を招くような言動はやめなさい」
後ろからカラフルな色のプラスチックのスコップで叩かれて、俺は頭を押さえてうずくまった。
「なにすんだ香里っ!」
「なにすんだ、じゃないわよ」
香里と栞(と北川)がそこにいた。
「ちょっと待て! なんで俺がカッコなんだ?」
「地の文を読むなっ!」
俺はとりあえず北川にツッコミを入れてから、振り返った。
「秋子さん、あと3人追加っ!」
「えっ? 何?」
きょとんとする香里が、黙って頷く秋子さんの手元にある瓶を見て、慌ててくるっと振り返って駆け出そうとする。
「あっ、香里、逃げないでよっ!」
「ごめん、名雪!」
そう言って駆け出す香里。
俺は事情が飲み込めずにきょとんとしている栞をぐいっと引っ張り寄せた。
「わわっ! な、なにするんですかっ!」
慌ててもがく栞に構わず、俺は叫んだ。
「香里、こっちを見ろっ!」
「何よっ! あっ、栞っ!!」
立ち止まって振り向いた香里が、栞を後ろから押さえている俺を見て、悔しそうに顔をゆがめた。
「卑怯な……」
「なんとでも言え。俺だってこんなことしたくはないんだ」
北川が後を続ける。
「そう、どうせやるならちゃんと水着をはぎとってだな……」
ドグワァッ
一瞬、香里の瞳がオレンジに輝いたような気がした。次の瞬間砂煙が上がって、北川が飛んで行く。
「あっひょぉぉぉん、俺の出番はこれだけかぁーーーーっっ!」
恐るべし、不可視の力。
俺は戦慄した。だが、こっちの手には栞がいる。
「……祐一さん、ひどいです」
涙目で俺を見る栞。だが、こっちも命がけだ。
「我慢しろ、100円やるから」
「そんなのいりませんっ!」
「ごめんね、香里。でも仕方ないんだよっ」
「うん、そうなんだよ。仕方ないんだよ」
既に一蓮托生の名雪とあゆも説得に加わり、香里はかくんと肩を落とした。
「わかったわよ。でも、せめて栞は助けてあげて」
「お姉ちゃん……」
うるうると両手を合わせる栞。
「……いいだろう。交渉成立だ」
俺は栞を解放した。そのまま、栞は香里に駆け寄る。
「お姉ちゃんっ!」
「栞っ!」
ひしと抱き合う美人姉妹。うーん、絵になるな。
「ううっ、感動的だねっ、祐一……」
「うん。ボクも泣けてくるよ」
涙を拭う名雪とあゆ。
と、そこに秋子さんの声が聞こえてきた。
「用意できましたよ〜。みんないらっしゃぁい」
「……こ、これはっ」
俺達は、顔を見合わせた。
そこには、何の変哲もないところてんが並んでいた。
俺は名雪に尋ねた。
「なぁ、名雪。これ何だ?」
「……ところてんにみえるよ」
「あゆも?」
「うん、ボクも」
こくりと頷くあゆ。
俺は例の謎のジャムの入った瓶に視線を向けて、おそるおそる秋子さんに尋ねた。
「あの、秋子さん」
「何でしょう?」
にっこり笑って聞き返す秋子さん。
俺は、謎ジャムを指した。
「それは入ってないんですか?」
「あら、入れたほうが良かったかしら?」
事情を知らない栞以外の全員がぶんぶんと首を振った。それから、俺は聞き返す。
「それじゃどうしてそれを出したんですか?」
「クーラーボックスの一番上に入っていたからよ。これをどけないと、奧に入っているものが出せないでしょう?」
にっこり笑うと、秋子さんはその凶悪なオレンジ色の瓶をクーラーボックスに戻した。
また、栞以外の全員が大きくため息をつく。
しかし、なんだってこんな所まであれを持ってきたんだろう?
聞いてみようかとも思ったが、怖い答えが返ってきそうだったので止めた。
とりあえずところてんをカラシを入れた酢醤油で食う。
……うまいっ!
程良く酸味と辛味の効いた酢醤油につけたところてんの、このつるっとした独特の喉越しが……。
あれ?
他のみんなも美味そうに食っている中、一人泣きそうな顔の栞。
「どうした、栞?」
「あ、祐一さん」
顔を上げ、もう一度下に戻す。
そこには酢醤油(からし付き)
あ、そういえば栞って、カレーも食えないくらい辛いもの嫌いだっけ。
俺は慌てて秋子さんに事情を説明した。
「秋子さん、こいつは特異体質で、少しでも辛いものを食うと変身して子豚になるんだ!」
「そんなこと言う人は嫌いです」
涙目になって言う栞。
「馬鹿なこと言ってないでよね。でも、辛いものが苦手なのは本当なんです」
香里がフォローにはいると、秋子さんは「まぁ」という顔で頭を下げた。
「ごめんなさい、そんなこととは知らなくて」
「あ、大丈夫ですよ、ところてんだけなら、辛くはないですから」
そう言って、つるつるとところてんを食べる栞。と、途中で口が止まる。
「……ううっ、味がない……」
そりゃ、酢醤油も何も付けなきゃ味もしないだろう。
「黒蜜付ければいいんでしょうけど、あいにく持ってきてませんし……」
秋子さんは困ったように呟いたが、何故か口調だけで、表情は緩んでいた。
「黒蜜ないんですか……。はぁ……」
ため息を付くと、栞は独り言のように呟いた。
「悲しいです……」
ああっ、今秋子さんの瞳がキュピーンと光った! 確かに光ったよなぁ!?
「黒蜜はないですけれど、代わりにジャムなんかどうですか?」
「わたしごちそうさまっ!」
「ボクもっ!!」
まだ半分以上残して、名雪とあゆが立ち上がる。
「あら、もういいの?」
「うんもういいのあゆちゃんいこうっ」
「うんボクももういいから名雪さんいこうっ」
……2人とも、すごい早口だ。
「あっ、こら2人ともっ! あ、すみません、私ももう十分ですから」
そう言い残し、香里も立ち上がって駆け出した。
「おい、香里。せめてお前くらい残ってやれば良かったのに。栞が可哀想じゃないのか? 妹なんだろう?」
俺が言うと、香里は遠い目をして答えた。
「私に妹なんていないわ」
……香里、そこまで追いつめられているのか。
「そんなに言うなら、祐一が残ってあげれば良かったのに」
「よせ。俺だって生命が惜しい」
俺は名雪に答えた。
そう。俺は名雪達よりも早く、秋子さんの目が光ったのを見た瞬間に、その場から脱出していたのだ。
俺達は、そろってため息をついた。
「で、あれはなんなんだ?」
「わたしも知らないんだよ」
名雪は小首を傾げた。
「気が付いたときにはもうあれ、家にあったし……」
「うーん」
俺達が腕組みして唸っていると、栞がふらふらと歩いてきた。
「栞っ!」
慌てて香里が駆け寄ると、両腕を掴んで訊ねた。
「大丈夫、栞?」
「……みんな、ひどいです」
栞は、上目遣いに俺達を睨んだ。
「どうして教えてくれなかったんですか?」
「栞、人は体験してこそ覚えていくものなのよ。でも、ごめんなさい。辛い思いさせたわね……」
そう言って栞を抱きしめる香里。
「お姉ちゃん……。ううん」
栞は首を振ると、笑顔で答えた。
「私、気にしてませんから」
「よかった」
あっさりと栞を放すと、香里は大きく伸びをした。
「さぁて、もう少し泳いできますか。名雪も行く?」
「うん、そうだね」
名雪は頷き、2人はすたすたと波打ち際に向かって歩いていった。
俺は栞の頭にぽんと手を乗せた。
「ごめんな、栞。俺も名雪も、あれだけはどうしても耐えられないんだ」
「ボクも駄目なんだよ。ごめんね、栞ちゃん」
あゆも両手を合わせて謝ると、栞は答えた。
「もういいです。その代わり……」
「代わり?」
「祐一さん、また百花屋でジャンボフルーツパフェ、おごって下さいね」
「……へいへい」
俺は頭を掻いて答えた。栞は笑顔で頷いた。
「じゃあ、許してあげます」
「あ、いいなぁ……」
あゆが指をくわえてうらやましそうに言ったので、俺はあゆの方に向き直って言った。
「別にあゆにおごってやってもいいぞ。あれ、食べたらな」
「ううん、ボクいらないよ」
きっぱり答えるあゆだった。
俺はビーチパラソルの方を振り返った。ちょうど佐祐理さんと舞、それに真琴と天野が戻ってきたところで、秋子さんが笑顔で何か話しかけている。
と、またクーラーボックスを開けて、オレンジ色の瓶を出すのが見えた。俺はくるっと踵を返すと、大声であゆと栞に言った。
「さぁっ、泳ごうぜ、あゆ、栞っ」
「うん、そうだねっ!」
「そうですよね、泳ぎましょうか」
2人も頷き、俺達は波打ち際に向かって駆け出した。だから、その後のことは知らない。ああ、知るもんか。
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あとがき
秋子さんの謎ジャム再び、の回でした。
時間的にもそろそろ帰らないとまずいので、いよいよ次回で最終回、の予定です(笑)
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