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つんつん
Fortsetzung folgt
何かが、ほっぺたをつついている。
「……うん?」
つんつん
随分しつこい。
俺は目を開けた。
舞の顔が、目の前にあった。
「わぁ」
「……」
つんつん
「おまえな」
俺は、お返しにつつき返す。
つんつん
つんつん
つんつん
つんつん
「だぁーっ! いつまでもやってられるかっ!」
「私はかまわない……」
真面目な顔で言う舞。
「あのな……」
そう言われてから、俺はまだ舞を抱きしめたままなことに気付いた。慌てて腕をほどく。
「……」
ほどけなかった。
舞の手が、俺の腕をぎゅっと握っていた。
「なんだ? 抱いてて欲しいのか?」
冗談交じりに聞くと、舞はこくりと頷いた。
……まじ?
言うまでもないが、俺も舞も水着だけという格好だ。しかも、抱きしめているわけだから、舞の胸が俺の胸に押しつけられていたりしてなかなか気持ちいい……じゃなくて、やばいって!
でも、舞が腕を握っている以上、ほどけないわけで。いや、強引に振り払うことは出来るだろうけど、舞がそうしてくれって言う以上はだな、えっと、その……。
理性がいい言い訳を思いついてくれないので、俺はとりあえず辺りを見回した。
辺りの風景は、夜の学校ではなく、雨の降る島の高台にもどっていた。ということは、俺と舞は見事に幻覚をうち破ったわけだ。
「やったな、舞っ! 俺達、勝ったんだなっ!」
俺は舞を抱きしめたまま、その背中を叩いた。
「祐一……」
「ん? なんだ?」
「……牛丼」
俺は苦笑して、額をこつんとぶつけてやった。
「ああ、食おうな」
「約束してくれる?」
「ああ、約束だ」
頷いて、額を離すと、にちゃーっと糸を引いた。それで思い出したが、俺も舞も例の粘液まみれだった。雨のおかげでかなり流れてはいるが。
「げげ、べたべただぞ、おい」
「……気持ち悪い」
顔を顰める舞。その髪も、せっかくさっき洗ってやったのに、また粘液まみれになっている。
「しょうがねぇなぁ。また洗ってやる」
「うん」
そう言って、舞は掴んでいた俺の腕を放した。
「しかし、やっつけちまったなぁ」
俺は、辺りを見回した。そこには、例の半透明のバケモノが平べったくなって広がっていた。ちょうどクラゲを砂浜に引っ張り上げたらこんな感じだが、それにしてもでかい。
あ。
「あゆは!?」
俺は慌ててその辺りを見回したが、あゆはおろか、他には何もなかった。
と、不意に舞が剣でそのバケモノの死体(?)を突き刺した。
「舞?」
「これ」
そう言って、舞は剣をこっちに向けた。その先に何かが突き刺さっている。
白いビニールの羽根の片方。さっき、地面に落ちていたのと対になるやつだ。
「佐祐理の……」
「ああ」
元は、佐祐理さんの浮き輪に付いていたもの。そして、あゆが身につけていたもの。
俺は、その羽根を剣から抜くと、裏返してみたが、何も変わったところはなかった。
「これは、どこに?」
「ここ」
足下を指す舞。俺はかがみ込んでその辺りを探ってみたが、何もない。
あゆ……、マジに、食われちまったってのか……?
「……冗談だろ、あゆ……?」
俺は膝を付いた。
「あんなに元気に跳ね回ってたくせに……、なんでこんなことに……」
「祐一」
舞が声をかけた。
「早く、髪、洗って欲しい」
「……」
情緒を理解しない奴だ。
でも、俺のことを舞なりに気遣ってるんだろう、きっと。
「……そうだな。とりあえず、こいつから離れよう」
俺はバケモノの死体を踏み越えて、離れた。後から舞が、意味もなく死体にぐさぐさと剣を刺しながらついてくる。
俺達はバケモノの死体から少し離れた、海が見えるところまでやってきた。
そこからは砂浜が見下ろせる。
ちゃんと、ボートが1艘だけ残っていた。
と、不意に風が吹いた。
あれほどきつく降っていた雨が、見る間にまばらになり、そして止んだ。
「おっ、雨が止んだな」
「……髪を洗ってもらえない」
泣きそうな顔をするなよなぁ、舞。お前の方が俺より年上じゃないか。
ま、可愛いからいいや。
「砂浜に降りようぜ。海で洗ってやるよ」
「うん」
舞は頷くと、歩き出した。
空を見上げると、見る間に鉛色の雲が切れ、合間から青空が広がっていく。
そして、最後に太陽が顔を出した。さぁっと明るい光が辺りを照らし出す。
俺は何気なく振り返って、驚いた。
光を浴びたバケモノの死体が、白い煙を上げて溶けて、いや、蒸発しているのだ。
「なんだぁ?」
驚いている間に、それは見る間に小さくなり、そして消えてしまった。
その後には、それがいた痕跡は何も残っていなかった。
「祐一」
「うわぁっ!」
耳元で囁かれて、唖然としていた俺は思わず飛び上がった。
振り返ると、舞がいた。
「な、なんだよ、舞か……。脅かすなよ」
「砂浜まで行ったのに来なかったから戻ってきた」
淡々と言うと、舞は再び歩き出した。
今度は俺の腕を握って。
「お、おい、舞?」
「もう離れないで」
前を見たまま言う舞。でも、後ろから見える耳が赤く染まっているのが判った。
「なんだよ、照れてるのか?」
ガツッ
空いてる手でチョップされた。やっぱり照れてるんだろう。
海に入って舞の髪を海水で流してやった後で、ボートに舞を先に乗せ、俺は砂浜に乗り上げているボートを押した。
「ん〜〜〜っ!!」
……動かなかった。
「……すまん、舞。ボートを下りてくれ」
「私がやろうか?」
砂浜に飛び降りると、舞が訊ねた。ありがたいが、やっぱり男としては、自分でやってみせたいものだ。第一、俺が動かせなくて舞にあっさり動かされたりしたら、男としてのプライドが……。
「……」
ズズーッ、バシャァン
「祐一、これでいいの?」
……。
「……?」
ま、まぁ、プライドじゃ飯は食えないって言うしな。あは、あははっ。
「……変な祐一」
舞はボソッというと、海に浮いているボートに身軽に飛び乗った。
ここで置いて行かれちゃたまらんので、俺もボートによじ登った。と、大きく傾くボート。
「こ、こら舞、そっちに寄ってくれっ!」
「こう?」
反対側の端に舞が寄って、なんとか転覆を免れる。
「よし、乗船完了、と」
俺はオールを手にして、こぎ出した。
ボートは、島を離れていく。
あゆ……。ごめんな。いつか、骨を拾いに来てやるからな。それまで、寂しいだろうけど、待っててくれ……。
心の中で手を合わせ、俺はオールを漕いだ。
島を離れるに従って、その全景があらわになっていく。俺達の上陸した砂浜以外は岩場になっている海岸、バケモノのいた高台、そしてそれを囲むように鬱蒼と茂っている雑木林。
「……祐一」
不意に舞が言った。
「何、だ?」
ちなみに、俺の返事が途中で切れているのは、オールを漕いでいるリズムに合わせてしゃべったからである。
「佐祐理が待ってる」
「え?」
ちなみに、ボートは進行方向に背を向けて漕ぐので、俺は後ろ、つまり島の方しか見ていなかった。
舞に言われて振り返ってみると、ボートが3艘、海の上で止まっているのが見えた。その上で、手を振っている人影も見える。
「おーい」
微かに声も聞こえてきた。
「よし、行こう」
俺はオールを漕ぐ手に力を込めた。
だんだん声が大きく聞こえてくる。
「ゆういち〜っ!」
「ゆういちさぁ〜ん!」
「まい〜っ」
「ゆういちく〜んっ!」
みんなの声が聞こえる。というか、後ろ向きなので声しか聞こえないけど。
……あれ?
ふと、何か違和感を感じて、俺は漕ぎながら頭の中で声と顔を当てはめてみる。
「ゆういち〜っ!」
俺を呼び捨てにするのは、名雪と真琴の2人。舞も同じく呼び捨てだが、同じボートで叫ぶわけもなく、俺のすぐ後ろで大人しくしている。
「あいざわく〜ん!」
名字に「くん」付けは香里。ちなみに天野は名字に「さん」付けだが、彼女は叫ぶようなキャラクターじゃない。
「ゆういちさぁ〜んっ!」
名前に「さん」を付けるのは、栞と佐祐理さん。
「ゆういちく〜んっ!」
……じゃあ、この声は誰?
俺は振り返った。そして、思わずオールを漕ぐ手を止める。
「なっ!?」
「おーい、祐一く〜んっ!」
香里と栞、佐祐理さんと天野が同じボートだった。そして残る1艘に、名雪と真琴、そして……。
「どーしたの〜? 祐一く〜ん、早くおいでよ〜っ」
ボートの縁に片手をかけ、落ちそうなくらい身を乗り出して、満面の笑みを顔に浮かべて、あゆが手を振っていた。
俺がボートを名雪や佐祐理さん達のボートの脇に寄せると、オールから手を離して、あゆをぴっと指さした。
「お前、偽物だなっ!」
「えっ? わ、わわっ!」
バッシャァン
どうやらまた“感激の再会”をやろうと、俺のボートに乗り移ろうとしていたあゆは、いきなり指さされて驚いたはずみにバランスを崩して海に落ちた。
「あゆちゃん、大丈夫? ほら、掴まって。……よいしょっと」
名雪があゆを自分のボートに引っ張り上げる。どうやら海水を少し飲んだらしく、けほけほと咳き込むと、あゆは涙目で俺を睨んだ。
「うぐぅ、いきなりなにするんだよっ」
「……すまん、そのうぐぅの使い方は、本物のあゆだ」
「うぐぅ、そんな認識のされ方は嫌だよ」
「贅沢なやつめ。で、どうしてお前が名雪達と同じボートに乗ってるんだっ!?」
「えっ?」
きょとんとするあゆの代わりに名雪が答えた。
「あゆちゃんなら、祐一が戻っていってしばらくしてから砂浜に来たんだよ」
「なにぃっ?」
「あれっ? 川澄先輩に聞いてなかったの? 入れ違いになったから川澄先輩に呼びに行ってもらったんだよ」
名雪が小首を傾げながら俺に尋ねる。俺はじろっと舞を睨んだ。
「舞、どうしてそれを早く言わない?」
「忘れていた」
あっさりと答える舞。あのなぁ〜。
「まぁまぁ、みんな無事で良かったじゃないですか」
佐祐理さんが間に入って取りなす。俺は肩をすくめた。
「ま、そりゃそうだけど。で、あゆ。お前はどこに行ってたんだ?」
訊ねると、あゆは俯いた。
「うぐぅ、怖かったんだよ……」
「それじゃわからんっ!」
「意地悪……」
「祐一、あゆちゃんいじめたらだめだよ」
「や〜い、いじめっ子、いじめっ子〜」
名雪がかばいに入り、真琴が囃したてる。……なんだよ、俺が悪いのか?
「事情を聞いてるだけだろっ!!」
「それにしても、もうちょっと言い方があるでしょ?」
「そうですよ。祐一さん、言葉が乱暴なんですから」
美坂姉妹にまで言われて、俺は落ち込んだ。
「へいへい、俺が悪うございました」
「とりあえず、岸まで戻りましょう」
天野がもっともなことを言う。確かに、海の真ん中で話を聞く必要はない。
「よし、それじゃみんな、行くぞ」
そう言って、俺はオールに手を掛けた。
ザシャァーーッ
俺と舞の乗ったボートは、トップでボート乗り場に戻ってきた。俺はボートから飛び降りると、舞を引っ張り上げる。
ボート乗り場のおっさんが、俺達の姿を見てやって来た。ボートをロープで乗り場に結わえながら訊ねる。
「おや、お前さん達も、もう戻ってきたのかい?」
「もう? あ、ごめん。今何時?」
「ん?」
おっさんは、腕にした時計に目をやった。
「1時過ぎってところかな」
早めの飯を食い終わって、ボートを借りたのが12時ちょっと過ぎだったから……1時間しかたってないのか?
俺が唖然としていると、名雪達、それに続いて美坂姉妹、最後に佐祐理さんと天野のボートと順番にボート乗り場に戻ってきた。
「祐一、なにぼーっとしてるの?」
「え?」
名雪に訊ねられて、俺は首を振った。
「いや、なんでも。それより、秋子さんも待ってるだろうし、さっさと戻ろうぜ」
「うん、そうだね」
頷いて、名雪は砂浜を歩き出した。
俺はあゆの頭に手を置いてくしゃっとかき回した。
「わわっ、何っ?」
びっくりしたように、頭を押さえて後ずさるあゆ。
「いや、あゆが無事で良かったなと思ってな」
「うん。ごめんね、心配かけちゃって。ボク大丈夫だから」
にこっと笑うあゆ。おれは頷いた。
「よし、今度あゆには“たい焼きフルコース”を食わせてやろう」
「えっ? そんなのがあるの? ボク楽しみだなぁ」
嬉しそうに笑うあゆ。俺も楽しみだな、いろんな意味で。
「で。どうしてたわけだ?」
歩き出しながら、俺は訊ねた。
「うん、それなんだけど……」
あゆは表情を曇らせた。
「実はね、名雪さんや栞さんが部屋を出て行くから、ボクもその後から行こうとしてたんだけど、廊下に出たら今度はなんかすごいことになってて……うぐぅ」
「こらこら、泣くなって」
俺は苦笑して、もう一度頭を撫でた。
「う、うん。で、気が付いたらもう誰もいなくて、ボク怖くて、とにかく外に出ようと思って走ったんだよ。一生懸命に走ったんだよっ」
「で?」
「そしたら、廊下の突き当たりに小さなドアがあって、それを開けたら外に出たんだよ」
「勝手口だったんですね、きっと」
後ろを歩きながら耳を傾けていた栞が口を挟んだ。あゆはこくりと頷いた。
「うん、そうだと思うんだ。で、そこから出たんだけど、怖くて、雑木林の中に隠れてたんだよ。そしたらあの大きな家がいきなりゼリーみたいになっちゃって、どうしていいのか判らなくて……」
あゆはそこまで言うと、うぐぅと涙ぐんだ。
「でも、いつまでもそこで隠れてるわけにはいかないから、と思って、怖かったけど雑木林から出て、ゼリーみたいなやつの周りをぐるっと回って、砂浜に降りたんだよ。そうしたら、ちょうどみんなボートに乗って、海に出ようとしてたところだったんだよ」
なるほど。多分、俺があのバケモノの周りをぐるっと回っているときに、ちょうど反対側をあゆが走って砂浜の方に出たってわけだ。
それにしても……。
「それならそれで、みんなも待ってて俺に報せてくれれば良かったのにさ」
「あたしはあのジャムは食べたくないもの」
あっさりと香里が言うと、あゆが深々と頷いた。
「ホントはボクも祐一君が戻るまで待とうと思ったんだけど、名雪さんが、祐一君が待ってたらジャムを食べさせるぞって言ってたって言うから、それならすぐに出ないといけないなって思ったんだよ」
……秋子さんのジャム、恐るべしだな。
と。
「おーいっ、美坂さぁ〜んっ!」
先に名雪が行ったベースキャンプの方から、叫びながら砂を蹴立てて走ってくる奴がいた。
香里がびっくりしたように言う。
「あら、北川君じゃない?」
「あいつ、生きてたんだ」
俺が思わず呟くのをよそに、北川は走ってくると、香里の前で止まった。膝に手を当てて深呼吸すると、顔を上げる。
「無事だったんだな、美坂さん。よかったぜ……」
「まぁ、いろいろあったけどね。北川君の方は大丈夫だったの?」
「ああ」
北川は胸を張った。
「俺は美坂さんと明るく正しい男女交際をするまで死ぬつもりはないっ」
俺は北川の肩を叩いた。
「よかったな、北川。たった今、お前は長寿世界一の座を手に入れたぞ」
「それはどういう意味だっ!?」
「それよりも、あれからどうなったの?」
香里が訊ねて、北川は振り返った。
「ああ、ボートがひっくり返ってから?」
北川の話によると、北川はひっくり返ったボートを悪戦苦闘の末、もう一度なんとか元に戻したのだが、香里の姿はもう見えなかったと言う。
しばらくその辺りを捜したが、香里の姿は見つからず、俺達もどこに行ったか判らなくなったため、仕方なく元のボート置き場に戻り、秋子さんに相談しようとしていたところに俺達が戻ってきたということらしい。
そう言われてみると、ボート置き場に北川と香里の乗っていたボートもあったような気がしないでもない。
「どうやら、全員無事だったみたいですね」
天野の言葉に、俺は頷いた。
「どうやら、な」
「それじゃ、祐一くん、泳ごうよ!」
あゆがすっかり元気を取り戻した様子で俺の腕を引っ張った。
「そうだな、泳ぐか」
俺は頷いた。
こうして、俺達の奇妙な体験は、終わりを告げたのだった。
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あとがき
ども〜。
ちょうど2クール終わったところで、ようやく洋館編にもケリがつきました。しかし、思ったより伸びましたなぁ(苦笑)
一時はこのままあゆあゆは食べられたことにしようかとも思いましたが、それじゃあんまりかなということで復帰させました。あ、北川も(笑)
これからは、きっと穏やかに海水浴を楽しむだけでしょう。……多分(笑)
来月はマネージャー物語があるから、一応今月中にこの話も終わらせたいところです。
予定は未定で決定に非ず、ですが(笑)
というわけで、次号から新展開!(爆笑)
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