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舞を背負って雑木林に戻ってくると、天野が立ち上がった。
Fortsetzung folgt
「川澄先輩は大丈夫ですか?」
「ああ、こいつは丈夫に出来てるから」
びしっ
後ろから後頭部にチョップされた。
「いてて。……見ての通りだ」
そう言いながら、俺は舞をその場におろした。
「大丈夫みたいですね」
こくりと頷くと、天野はドームを見上げた。
「どうやら、川澄先輩にかなり手ひどくやられたみたいですね」
「あれが、か?」
俺も振り返った。
「ええ。今まで私たちが見ていた幻覚が見えなくなった、というのがその証拠です」
そう言うと、天野は俺に向き直った。
「逃げ出すなら、今しかないと思います」
「逃げ出す?」
思わず聞き返す俺に、頷く天野。
「はい。今のうちなら逃げられるかもしれません。ぐずぐずしていると、あれも回復してしまうでしょうし……」
「でも、どうやって? ここは島だろ? まさか泳いで行けって……」
「私たちの乗ってきたボートがありますよ」
こともなげに言う天野。
「ボートがあるって、どこに?」
「ボートなら下の砂浜にあったけど」
香里が言った。実にあっさりと。
「ええーっ? あたし達の乗ってきたボートって、流されちゃったのよ。そこの馬鹿祐一が気絶してる間にね」
偉そうに腕組みして真琴が言った。
俺はとりあえず真琴の頭を一発殴っておく。
ボカッ
「あいたぁっ! なにすんのようっ!」
「うるさい。誰が馬鹿だ!?」
「なにようっ、ばかばかばかばかばかばかっ!」
俺に殴りかかろうとする真琴。俺はその額に手を当てて反撃を封じながら、言った。
「香里が見たのって、俺や名雪の乗ってたボートじゃないんだろ、きっと。佐祐理さんや舞の乗っていたボートじゃないのか?」
「佐祐理の乗っていたボートも、舞が乗っていたボートも、流されちゃったんですけど」
舞が戻ってきて一安心といった風情で、くつろいだ表情になった佐祐理さんが言った。
香里は首を傾げた。
「え? でも、あたしが見たときは、ちゃんと4艘あったわよ」
俺達が競争すべく借り出してきたボートは全部で5艘。香里達のボートが転覆したっていうのなら、数は合う。
「このっ、このこのこのっ!」
相変わらず、俺に額を押さえられたままで、両手をぶんぶん振り回す真琴。いい加減付き合うのも疲れてきたので、ぺちんと頭を叩く。
「いい加減にしろ。あんまりわがままだと置いて行くぞ」
「……」
ピタリと動きを止めると、真琴は俯いてしまった。……言い過ぎたかな?
「まこ……」
バキィッ
いきなり真琴の右フックが、顔をのぞき込もうとした俺にカウンター気味にヒットした。
「なっ、なにすんだっ!?」
「なんだかわかんないけど、ものすごくむかついたのっ!」
奮然と言う真琴。と、天野がその真琴をぎゅっと抱きしめた。
「大丈夫だから、落ち着いて」
「えっ、あ、うん……」
あの傍若無人を絵に描いてホームページで全国公開したような真琴が、何故か天野に対しては大人しい。
まぁ、静かにしててくれるならそれでいいか。……いつつ。
顎をさすっていると、名雪がぽんと手を打って嬉しそうに言った。
「考えついたよ〜。わたし達のボート、一度流された後で、もう一回流れ着いたんだよ、きっと」
「んな馬鹿な……」
その意見を一蹴すると、名雪は不満そうに口を尖らせた。
「祐一が馬鹿って言った〜」
待てよ。
ふとひらめいて、俺は天野に尋ねた。
「もしかして、ボートが流されたっていうのも、幻覚なのか?」
「えっ?」
天野以外の皆が同時に声を上げた。
「多分、そうだと思います」
天野は頷くと、ドームの方に視線を戻して、言葉を続けた。
「あの霧が出てきたところから、私たちはあれに幻覚を見せられていたと、私は思います」
あの霧って、俺達がボートに乗っていた時に巻き込まれたあれか? それじゃ、最初っから……?
「……勘弁してくれよ」
俺は頭を抱えた。どこまでが現実で、どこからが幻覚なのか、さっぱり判らなくなってきたのだ。
「祐一?」
名雪が心配そうに、俺の顔をのぞき込む。
……この名雪は、本物なのか? それとも、俺の幻覚なのか?
判らない、わからない、ワカラナイ……。
「どうしたの、祐一……」
「やめてくれっ!」
俺は首を激しく振った。そして、後ずさる。
ちょうどその時だった。
轟音と衝撃が、俺の体を打ちのめし、激しく揺さぶった。
意識が、ふっと電気を消したように途切れる……。
……。
……。
どこからかざわめきが聞こえてくる。
人の声?
祐一っ
祐一さんっ
大丈夫です。心臓は動いていますから。
冷静ですね〜。
……生きてる。
悪運の強い奴ね〜。
直撃されたわけじゃないですから。それよりも、早く逃げましょう。
でも、こいつどうするのよっ。
……みんな、先に行ってて。わたしが見てるよ。
名雪っ!?
だって、祐一はわたしの……。
そこで、ふっと声が聞こえなくなる。
雪。
雪が降っていた。
視界を全て覆い尽くすように、白い雪が降っていた。
その雪をバックに、ダッフルコートを着て、赤いカチューシャを頭につけた少女が立っていた。
背中の白い羽が、パタパタと揺れていた。
何か言っている。
懸命に、俺に向かって話しかけている。
でも、何も聞こえなくて。
聞こえないのが悲しくて。
俺は、泣いた。
泣かないで。
悲しかったんだね。
大丈夫だよ。
わたしは、ここにいるから。
ずっと、ここにいるから……。
約束するよ……。
目を開けたとたんに、雨粒が目に入った。慌ててぱちぱちと瞬きをする。
「あっ、祐一! 気が付いた?」
「……名雪?」
重苦しい鉛色の空をバックに、名雪が俺の顔をのぞき込んでいた。
「俺は……」
「動けそう?」
聞かれて、俺は手を動かしてみた。ちょっとしびれたような感覚が残るものの、動く。
続いて足。問題なし。
「……よっと」
声を掛けて、上体を起こす。
「わっ、びっくりしたよ」
急に俺が動いたので、名雪は驚いたらしい。
俺は訊ねた。
「……俺、どうなったんだ?」
「雷が落ちたんだよ。それで、祐一が倒れたから……」
「……そっか」
どうやら、雷が近くに落ちて、俺はそのショックで気を失っていたらしい。
それにしても……。
「名雪……」
「えっ? なに、祐一?」
名雪は小首を傾げた。
「……名雪は、本物なのか?」
馬鹿馬鹿しい、と自分でも思うような質問だった。
でも、名雪は真剣な顔で考え込んだ。
「……名雪?」
「……えっとね」
俺が声をかけると、名雪は顔を上げた。
「ごめんね。わたし、頭悪いから、祐一が納得してくれるような説明、考えられなかったよ」
そりゃそうだろう。俺だってそんな説明、考えつかない。
「でも、祐一に疑われるの、嫌だから……」
「ごめ……」
言いかけた俺の頭を、名雪は抱きしめて、自分の胸に押しつけた。って、なにするんだっ!?
ふかっと、柔らかい感触。
「……聞こえる?」
トクン、トクン、トクン
名雪の鼓動が聞こえてきた。
何故か、落ち着くリズムだった。
「わたしは、わたしだよ」
名雪は静かに言った。
俺は頷いて、顔を上げた。
「そうだな。……ありがと、名雪」
「うん」
笑顔で、名雪は頷いた。それから、照れたようにして言った。
「祐一、逃げようよ」
そういえばそうだ。
「よし、逃げるぞ!」
顔を上げて、俺は皆に声を掛けた。
「……あれ?」
「もう、みんな砂浜の方に行っちゃったよ」
そこに残っていたのは名雪だけだった。
「……薄情な連中だな」
「ほら、急がないと」
名雪が手を引っ張る。俺は頷いた。
「ああ、そうだな」
2人で走りながら、俺は訊ねた。
「でも、名雪は俺が偽物だとか思わなかったか?」
「そんなこと、考えたこともなかったよ」
名雪は笑って答えた。
「わたしには判るもん。祐一が偽物かどうかくらい」
「そんなもんか?」
「だって……」
そう言い掛けて、名雪は俺から視線を逸らした。
「だって? だって何だ?」
「言わないよっ」
何故か恥ずかしそうに、名雪はさらにスピードを上げて駆け出した。
……なんなんだ、いったい?
そう思いながら、俺は名雪の後に続いて崖を駆け下りて、例の猫の額ほどの砂浜にたどり着いた。
そこには香里の言っていたとおり、ちゃんと4艘のボートがあり、その傍らで皆が待っていた。
「祐一さん、名雪さん、早く早く」
佐祐理さんが手招きする。俺達は頷いてそっちに駆け寄った。
「それじゃ、さっさと行こう!」
「それが……、問題があるんですよ」
ボートの縁に手を掛けて飛び乗ろうとした俺の出鼻をくじくように、佐祐理さんが言った。かくんとこける俺。
「な、なんだよ、問題って?」
「このボート、定員が2名様なんですよ」
「そりゃそうだけど、この際そんなこと言ってられないだろ。それに1人増えたくらいで沈みゃしねぇよ」
そう言ってから、俺はもう一度メンバーを数えてみた。
俺、名雪、栞、香里、真琴、佐祐理さん、舞、天野……。
「やっぱり……」
「なんだ、8人でちょうどいいじゃないか」
天野がまた文句を言いそうだったので、慌てて言う俺。
……ちょっと待て。
俺は名雪に尋ねた。
「なんか、もう一人、食い意地の張った男の子みたいな口癖がうぐぅって奴がいなかったっけ?」
「もう、祐一。あゆちゃん忘れてたら駄目だよ」
のんびりと言ってから、名雪ははっとして辺りを見回した。
「あゆちゃんがいないよっ!」
……自分も忘れてたな?
それはともかく、だ。あゆを置いて行くわけにもいかないよな。
「佐祐理さん、ボートを1艘置いていってくれ」
「え?」
「俺はあゆを捜してくる。みんなは先に行っててくれ」
そう言い残して、俺は駆け出した。
「祐一っ!」
後ろから名雪の声が聞こえる。俺は振り向いて怒鳴った。
「先に行ってろっ! 今度俺を待ってたら、秋子さんの特製ジャム食わせるぞっ!!」
「さ、みんな先に行こうよっ!」
慌てて言う名雪。……自分で言ってなんだが、なんとなく悲しかった。
前に向き直り、もう一度、崖に刻まれた階段――に見えたところだが、今見ると坂になっていた――を駆け上がる。
そこからもあれが見えた。
ぶよぶよと揺れる、半透明のドーム。
……しかし、捜すって言っても、何をどうすればいいんだ?
ええい、ままよ!
俺は、そのドームに駆け寄っていった。
「あゆ〜っ!! どこだ〜〜っ!」
叫びながら、ドームに沿って走る。
さっき舞が傷つけたところも、既に判らなくなっていた。明らかに再生しているようだ。
とすると、さっさと見つけないと、またあの幻覚に取り込まれかねないってことか。
「さっさと出てこい〜っ、あゆ〜〜っ!!」
走っているうちに、最初の所に戻ってきてしまった。一回りしたわけだが、あゆの姿は見つからなかった。
とすると、やっぱり中か……。
俺はドームを見上げた。それから、その壁を殴ってみるが、やっぱりびくともしない。
くそ、舞に剣を借りてくるべきだったか……?
「……!」
その時、視界の端に白いものが見えて、俺はそっちに駆け寄った。
泥まみれになった翼が、片方だけ、地面に落ちていた。
俺はそれを拾い上げた。
「これは……」
間違いない。
ビニールの翼。空気が抜けてへなへなになっているけど、これはあゆが佐祐理さんに借りて背中につけていたやつだ。
あゆ自身が気に入っていたし、それにあいつはああ見えて意外に律儀だから、自分で借りたものを放り捨てて行くはずがない。
それが、泥まみれになってここに落ちている……。
今まで現実感に乏しかった事実が、いきなり目の前に突きつけられた気がした。
あゆは、もういないんだ……。
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あとがき
唐突ですが左足の親指が痛いのです。
どうも爪が肉に食い込んで傷がつき、そこに雑菌が入り込んで化膿しているようです。
おまけにここのところ湿度が高いもので、靴の中が湿りっぱなしで、足にとっちゃ非常に環境悪いです。
歩くのも痛いのですが、さすがに歩かないと生活できないので辛いです。
動かなくても痛いわけで……。
やめときましょう(笑)
しかし、あゆはどこに行ったんでしょう? 私にも見当がつきません(笑)
ではでは。
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